あの日の約束を果たすために   作:ララパルーザ

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『ただいまより、東日本新人王トーナメントフェザー級、決勝戦を開始いたします』

 

 会場内に響く司会の声。合わせるように、騒めいていた会場の空気もピンッと張り詰めていく。

 彼らのお目当ての試合であると同時に、今年度のトーナメントでも最も技量が高いといっても過言ではない対戦カードであったから。

 

『赤コーナー。125パウンド二分の一、川原ジム所属宮田一郎』

 

 最初に現れるのは、カウンターの貴公子。会場の女性陣が沸き立つ。ついでに、宮田大好きなハードパンチャーも声援を送る。

 

『続いて、青コーナー。126パウンド。徳川ジム所属服部十三』

 

 対して、反対の入場口より現れる冷静な観察者に対しては目の肥えたボクシングファンより声援が飛んだ。

 素人目にもその技量の高さを物語る戦績を叩き出しており、静かな試合運びは唸らせるものがある。

 そんな観客の中には、未来のライバルを見ようとボクサーも何人か混じっていた。

 

「あの、鷹村さん」

「んー?」

「鷹村さんから見て、宮田君と服部さんはその……どっちが―――――」

「カウンターの技量なら、宮田が上だろうな」

「そ、そうなんですか!?」

「だが、それ以外は別だ。宮田はストレート系のパンチは強い、だがその分フック系のパンチに関しちゃ練度が劣ってる。少なくとも全体的なバランスで見れば、俺様は服部を推すな」

 

 鷹村の言葉を受けて、幕之内は改めてリングへと目を向ける。

 リングの上で晒された二人のボクサーの体つきで見れば、服部が上だろうか。身長はそれほど差はない。

 では、ボクシングのスタイルはどうだろうか。

 幕之内が知るところで考えれば、宮田のスタイルはカウンターパンチャー。パンチの質は決して重くはないが、その分切れ味鋭いカウンターが一撃で相手の意識を刈り取る、そんなイメージ。

 対して服部。彼のカウンターは剃刀ではなく、鈍器。刈り取るというよりも意識そのものを肉体ごと叩き潰す。

 そこでふと、幕之内はある事を思い出す。

 

「……そう言えば、服部さんのパンチはすごく効いたような気がします。まるで、石で殴りつけられたみたいな…………」

「石だと?………とすると、この試合。宮田が不利だな」

「ッ!?な、何でですか!?」

「お前がさっき言ったじゃねぇか、一歩。服部のパンチが痛かったってな」

「え?」

「拳が、グローブ越しでも硬い。つまり服部の野郎は、拳を鍛えてやがるんだよ」

「拳を、鍛える…………」

「空手やってる奴の拳が硬い話、知ってるか?アイツ等は、巻き藁殴ったりして拳を硬く鍛えていくんだとよ。こいつは、ボクサーにも有効だ。特に一歩。お前みたいなハードパンチャーには、特にな」

「僕ですか?」

「重い拳ってのは相手にも効くが、それと同じぐらい自分にもダメージ跳ね返って来てんだよ。それで硬い、肘や額ぶん殴ってみろ、下手すりゃ拳が砕けるぜ」

 

 硬いものと、硬いもの。ぶつけ合わせれば自然、砕けるのは道理。それも、硬度で劣る側がより粉々になる事だろう。

 それらを防ぐために、拳を鍛える。そして、拳の握り方を意識する必要があった。

 

「詳しくは、ジジイに聞け。俺様の拳は、軟じゃねぇが小物のお前は別だろ。拳の怪我は、癖になりやすいしな」

「癖、ですか?」

「おうよ。それだけじゃねぇ、拳を砕いちまったトラウマで変なフォームになって戦力ガタ落ちする奴もいる。それどころか、スパーリングですら真面に熟せなくなったり、な。そうなりゃ、引退。ボクシング業界からもおさらばってこった」

 

 若干最後の方で冗談めかした鷹村だが、これは実際にあり得る事。

 人は痛みを伴う記憶を忘れない。いや、頭では忘れていても怪我した部位が痛みを発すれば思い出す。

 その痛みが強烈であればあるほど、根は深くなりトラウマとなる。

 遠まわしではあるが、これは鷹村なりの後輩への気配り。特に幕之内は彼が、ボクシングの世界へと導いたようなものなのだから猶更だ。

 割と鈍い幕之内は、この先輩の気遣いには気づかない。気付かないが、拳の重要性に関して再確認できた気がしていた。

 そんな観客席の会話の一方で、リングではそろそろ試合が開始される頃合い。

 セコンドが降り、審判からの注意が行われ、選手は互いのコーナーへ。

 運命のゴングが、鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 生唾を飲み込む音が、嫌に大きく感じられる静まり返った観客席。

 カウンターパンチャーの試合というのは、一瞬の間に終わってしまう事が珍しくない。観客たちもそれが分っているからこそ、文字通り固唾を飲んで一挙手一投足に神経を集中し続けていた。

 試合の立ち上がりは、静かなものだ。服部も、宮田も己のリズムを刻みながら徐々に徐々に間合いを詰め、

 

「……シッ」

 

 間合いに入ったと察知した瞬間、服部の左が飛び出した。

 恐るべきは、その間合いを見極める目。本当に僅かだが、どうやら服部の方が宮田よりも間合いが広いらしい。

 突き抜けてくる左ジャブ。対して宮田に焦りはなかった。

 冷静に見切り、お返しと言うように若干前に出ながら左のジャブを差し返す。

 

(よし、見切れる。手打ちのジャブと、それから伸びるジャブ。後、二発か三発か)

 

 互いにジャブを見切りながら、宮田は内心でタイミングを計る

 不用意な接近は、右の餌食になる。かといって、カウンターパンチャーがビビっていては話にならないというのが彼の言い分だったりする。

 伸びるジャブと、通常のジャブ。宮田が狙うのは、前者。

 

(ステップインと肩。この二つのせいか、伸びるジャブは戻しに若干の遅さがある。そこを突く!)

 

 果たして、僅かな踏み込み、と共に初手のジャブよりも伸びる服部の左ジャブが繰り出された。

 瞬間、宮田が踏み込んて行く。

 撃つのは、左ショートアッパー。狙うは、顎。タイミングも文句なし。

 そして、着弾する。

 

(…………な、に……?)

 

 ()()()()()()()

 殴られた本人も何が起きたのかが分からない。

 ジャブは避けたはずだ。そして、右拳にも十分注意していたし、何より右で殴られたのならば正面に服部の体があるのだから宮田の体は、宮田から見て右側へと倒れる筈。

 惚けながらも、致命傷ではないらしく無意識の内に宮田の体は踏ん張る事を選択していた。だが、混乱する頭は未だ追いつかない。

 

「一郎ォッ!正面から来るぞッ!」

 

 追いつかないながらも、セコンドである父の必死の声に体は反応した。

 脇を閉め、体に染みついたガードの姿勢。直後にガードの上から衝撃が突き抜けて、その体は後方へと押し込まれる。

 それ以上の追撃は無い、だが場内はざわめきが広がっていた。

 

「た、鷹村さん、今…………」

「ジャブの軌道が変わったな。真っ直ぐから、フックかありゃ」

 

 目を見開く幕之内と、目を細め見極める鷹村。二人の驚きの違いは、その技量と経験の差からの物だろう。

 そして、漸く混乱から抜け出した宮田もまた、状況から思考を纏めにかかっていた。

 

(オレのカウンターに更にカウンターを合わせてきたって訳か……!あの左、まだ何かしら種があるな)

 

 思わず、奥歯を噛み締めながら宮田は前を睨みつけた。

 彼にとってカウンターは、プライドその物。そして、ボクシングの全てでもある。

 そのカウンターを真正面から潰されたのだ。胸中が荒れてもおかしくは無いだろう。

 それでも試合を投げ出すわけにはいかない。ここで自棄を起こして、特攻する訳にもいかない。ただ勝つことに集中する。

 再び始まる間の攻防。今回先に仕掛けたのは、宮田だった。

 先程起きた、何か。その何かをもう一度起こさせるべく、左のジャブを果敢に連射していく。

 

(真っ直ぐは変わってない。さっきと同じタイミングだ。これなら……!)

 

 2、3とジャブを躱し四度目に一気に潜り込む。先程迎撃された手前、二の足を踏んでしまいそうなものだが、宮田には一切恐れはなかった。

 もっとも、今回はカウンター狙いではなく相手のパンチを引き出すことが目的。

 

(ここだ!)

 

 体で覚えたタイミング。それに合わせてガードを固める。

 案の定と言うべきか、折り曲げ顔のガードにした右前腕に衝撃が訪れた。横目に確認すれば、そこには服部の左フック。

 その腕は直ぐに引き戻され、放たれるのは左ジャブのダブル。

 それだけではない。

 

(ジャブの二連打……!躱せ―――――なにっ!?)

 

 二連打からの、左フック。それだけではない。左アッパー、左ジャブ、左フック。まるで左腕が鞭の様に撓りながら、手首の捻りで縦横無尽にその軌道を変えてくる。

 多彩だ。殆ど拳を振るわなかった速水戦や真っ直ぐのジャブしか放たなかった幕之内戦とは違う。場を制圧するような、そんな左。

 辛うじて、宮田はこの猛攻を凌いでいた。だが、そこまでだ。反撃するには至らない。

 カウンターを取るとか、タイミングを計るだとか、そんなレベルではないのだ。

 ジャブ、フック、アッパーが出鱈目なタイミングで牙を剥く。いや、リズムはあるのかもしれないが単調な左の真っ直ぐのみだった時とは違う。

 何より、

 

「ぐっ!?」(くそっ!合間合間で伸びるジャブが混じってやがる……!)

 

 宮田の被弾が増える要因。伸びのある重いジャブが要所要所で挟まれることで、より一層反撃を妨げてきていた。

 この左のコンビネーション。編み出したのは日本人だ。

 圧倒的な才覚と、野生を兼ね備えたライバルに立ち向かうために、場を整えるために生み出したキレのあるこのパンチ。

 名を【飛燕】という。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よしよし、完全にこっちのペースだな」

 

 服部の汗を拭いながら、徳川は声を掛ける。

 観客や対戦相手と違って、彼は服部の練習にも付き合う事から手の内をある程度知っている。そこで飛燕の存在も確認済みだ。

 なんでも、メキシコに居た際に偏屈な爺さんに教わったらしい。その切れは長年の練習と当人の才覚によって凄まじい物となっている。

 

「お前から見てどうだ、服部。宮田は、強いか?」

「……そう、ですね。強い、と思います」

 

 徳川に言われて思い出すのは、左ジャブに対してカウンターを合わせようとした瞬間の事。

 生粋のカウンターパンチャーと言うのは前情報で知っていたが、それと同じく目の良さと度胸、勝負強さを持ち合わせた強いボクサーである、と言うのが服部の宮田評だ。

 因みに、一番評価が高いのは伊達。次いで宮田、幕之内と来る。

 

「どうだ?このまま第二ラウンドKOを狙うか?」

「……いえ、次のラウンドから恐らく合わせてきます」

「合わせるって、飛燕にか?」

「……はい。恐らく、左のストレート系にはそろそろ」

「ならギアをもう一段上げるか。宮田相手だと、アレは使え無さそうだが」

「…………」

 

 頷く服部。

 そんな徳川陣営に対して、川原陣営、もとい宮田陣営の空気は重い。

 

「かなり、打たれたな。意識ははっきりしてるか?」

「大丈夫……ッ、はぁ……まだまだいけるさ」

 

 返事をしながらも、宮田の体には打たれた跡が目立つ。

 直撃こそ避けているものの、それでも一方的に打たれ続けるというのはストレスになる。何より、宮田自身打たれ強いボクサーではないのだから。

 

「あの左が厄介だな。単調なストレート系だけでなく、フック、アッパーを流れるように織り交ぜてくる」

「それだけじゃない。ずっと最短距離を撃ち抜くつもりなのか、右が構えられてた」

「アレか…………迂闊に飛び込めば、右が撃ち込まれる。かといって距離を取れば左の餌食。実に厄介だな」

 

 父の言葉を聞きながら、宮田が真に厄介だと考えていたのが服部の冷静さだった。

 観察眼。常に相手の姿を捉え続け、僅かな隙を一切見逃さず武器を効率よく取捨選択。的確に相手のやりたいことを潰し続ける。

 変幻自在の左と、常に最短距離を撃ち抜く構えの右。

 何より、服部の拳が硬い。防御しようとも、その防御に回した腕にすら芯に響くような衝撃を伝えてくるのだから。

 避ける事を強いられ、生半可な防御では撃ち抜かれる。

 

「…………面白れぇ……!」

「!一郎……」

 

 過去最高の敵を前にして、宮田は日和るような男ではなかった。インファイターが相手でも真っ向から打ち合い、打ち勝とうとするようなそんなボクサーなのだ。

 相手が強い、それがどうした。相手が上手、それがどうした。

 壁が高い程、燃える。

 

「もう、後の事は考えない。次のラウンドで全て出し切る」

「…………本気なんだな?」

「出し惜しみして勝ちをもぎ取れる相手じゃないってのは、父さんも分かるだろ」

 

 自分を見返してくる息子の目は、本気だった。ならば、父として、トレーナーとして背を押すというもの。

 

「分かった。ならば、服部の手首には注意しておけ」

「手首」

「左手首だ。あのコンビネーションは手首から先の捻りを利用したもの。裏を返せば、捻りの向きさえ把握できればある程度、どのパンチが来るのか予想できるだろう。だが……」

「相手は気づいたことに、()()()。そのレベルって事だろ」

「ああ。一度か二度、見切って躱せばまず間違いなくあの男(服部)は気付くだろう。無論、種が分ってもそう易々と攻略できる技じゃない。その点を確りと肝に銘じておけ」

「OK、父さん」

 

 互いの拳を合わせて送り出す。

 第二ラウンドのゴングが鳴り響く


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