あの日の約束を果たすために   作:ララパルーザ

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 サンドバッグを叩く。意外にも思われそうだが、グローブを着けていても割と痛い。それも慣れていなければ猶更であるし、ガムテープなどで補強してある物ならば、余計にだ。

 

「スゲーな、あのストイックさは、見てて逆にこえーよ」

「だな。ついでに、アイツ見てるともっとやらねぇと!って焦る気がしねぇ?」

「するする。こう、何と言うか限界はまだまだ先だ!って気になるよな!」

「まあ、それは幻でその数分後にはダウンしてるんだけども」

「それを言うんじゃねぇよ」

 

 談笑する彼らが見る先に居るのは、黙々とサンドバッグを殴る服部。

 ただその場に留まって殴るのではない。フットワークを織り交ぜてあらゆる角度から左右のラッシュを叩きこむ物で、その集中力は試合に臨んでいるかの様。

 服部が、ここ徳川ジムに所属してから活気、というよりもピリッとした緊張感が周りも伝播するようになった。

 緩んだ空気の蔓延は、衰退の第一歩。特にボクシングは選手生命が短く、リングで戦える時間と言うのは本当に一瞬の事。下手すれば、デビュー戦で壊されることも珍しくはない。

 だからこそ、緩んだ空気は致命的。負けを悔やまない、もしくは一瞬悔やんでも直ぐに忘れるような事になってしまえば、最早試合の勝利など夢のまた夢。

 そうなりそうだった。そこまで崖っぷちであったのだ、徳川ジムは。

 しかし、それも服部が来てから変わった。

 彼は、周りに自分と同じメニューを課すような事はしない。ただ只管に、自分の肉体を苛め抜くストイックさを持っているだけで、手を抜く者たちに注意をしたりもしない。

 只管に、ただ只管に、愚直に、誠実に、一直線に鍛え続けるだけ。

 その姿が、周りを動かした。否、動かざるを得ない空気を創り出した、と言うべきか。

 何故なら服部は強かったから。少なくとも、徳川ジムのボクサーが束で掛かってもごぼう抜きされる程度には強かったから。これで彼が弱ければ、そんな変わろうとする空気にはならなかっただろう。

 

「お前ら何やってる。見学するぐらいなら、走ってきやがれ」

「!う、うっす!」

「いってきまーーーす!」

 

 送り出すのは、服部の影響で変わったジムの空気に充てられたのか戦績を上げている男、山崎。愛称はザキさん。階級は、ライト級。

 一応、ボクサーファイターとして戦えるのだが、インファイトに持ち込んで殴り合う事の方が多いタイプであり、パンチ力もある。もっとも、服部の様にカウンターを見切ってカウンターするような目を持ち合わせている訳では無い為、勝者の顔じゃないといわれる程度には打たれることも珍しくはなかったが。

 そんな彼は、よく服部とスパーリングを行う。階級の差こそあるものの、技量的には服部が上。始めた当初は左手一本で完封されることも珍しくはなかった。

 

「服部ー、そろそろお前もサンドバッグを叩くの止めとけー!拳痛めるからなぁ」

「…………うす」

 

 返事と共に、走るのは閃光。

 左の二連ジャブが突き刺さり、直後に右腕を一閃。

 一瞬、動きを止めたサンドバッグはその直後にくの字に折れて奥へと揺れた。

 やっている事は基本のコンビネーションでしかない。左ジャブで距離を測り、ベストなタイミングで右のストレートを放つ、ただこれだけ。

 ただその練度が、異様に高い。破壊力と速度を両立したソレは、一種の必殺技の様。

 同じボクサーとして山崎も、その技量に嫉妬の念を覚えたこともあったが、それも直ぐに霧散した過去がある。

 何故なら、努力しているから。それはもう、生半可なレベルではない努力をしているから。

 一度、山崎は服部に、何故そこまで努力をするのか聞いたことがある。

 

―――――約束を果たす為

 

 返ってきたのは、小さなしかし力強い芯を感じる短い言葉。

 同時に理解する。服部にとって、その約束はどんなものよりも重いのだろう、と。

 だからこそ、山崎は力不足であることを理解しながらも彼の練習、主にスパーリングの相手をする。どれだけの助けになっているのか、そもそも助けになっていると思う事が烏滸がましいのか、それは分からない。もしかすると、単なる自己満足で彼の時間を浪費させているだけかもしれない。

 それでも山崎にはそれ位しか出来ないのだから、出来ることを全力でやる、それだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 出来ない事を出来るまでやれば、それは出来る事にカウントしても良いだろう。

 そんな言葉が似合いそうなほどに、練習に打ち込むのはフェザー級ボクサー、幕之内一歩。

 彼は生来の生真面目さを持って呆れかえるほどの反復練習にも弱音の一つも吐きはしない。

 

「頭を振れ!的を絞らせるな!」

「はいっ!」

 

 ピーカブースタイルの体勢から左右に体を振り、加えて頭を振る事で更にその動きを大きくする。

 そして、目の前でミットを構える鴨川へと振るうのは、左右の連打。

 一発の被弾もせず、相手を倒す。そんな器用なことは、幕之内には出来ない。出来るならばそもそも時代に逆行したようなインファイター一本に絞ったりしないのだから。

 それでも戦える手段として今まさに身につけようとしているのが、この回避と攻撃を両立した動き。

 基本、ウィービングで回避を優先し体を揺らした反動を利用しながら二門の大砲とも評される左右を叩きつけるというもの。

 ミソとなるのは、幕之内の強靭な下半身と自然と身に付いた三半規管によるバランス感覚。

 左右に上体を揺らすだけでは不十分。相手のパンチの威力を僅かにでも弱める為に、後ろにも下がれるようにしなければならない。

 イメージするのは、マニュアル車のシフトレバー。左右前後と、根っこを支点に自由自在だ。

 そして、鴨川もまた、この戦法には手ごたえを感じていた。

 元々、それほど大きくはない幕之内がウィービングを行うと、通常のボクサー以上に沈み込むのだ。加えてそこに相手のパンチを躱す、という条件が加わるとより一層、凶悪。

 腕を前に出すと分かりやすいが、突き出した腕が邪魔をして視界の邪魔になってしまうのだ。それが、フックやアッパーなどの体の動きも連動したパンチならばより一層見づらくなる。

 そこに、幕之内の強打が突き刺さるのだ。大抵の相手は、それで沈む。

 

「小さく、細かく、じゃ。貴様の拳ならばそれだけでも十二分に威力を発揮する!」

「はいっ!」

「大振りはするでない!服部との試合を思い出せ!」

「ッ!はいっ!」

 

 鴨川に言われ、幕之内の脳裏を過るのは大振りのフックにカウンターを合わせられた瞬間。

 カウンターを食らうまでの瞬間、圧縮された時間の中で彼は絶望にも似た感覚を味わっていた。縋りついた糸を目の前で切られたカンダタの気分か。

 大振りのパンチは派手だ。だが、その実体の開いたパンチは隙が大きく、威力が逃げてしまうという欠点がある。

 何より、カウンターパンチャーにとっては餌だ。

 幕之内も学んだ。何故、鴨川が小さく細かく、連打を勧めてくるのかを。

 そして、ブザーが鳴り響く。

 

「ここまでじゃ。柔軟を忘れるでないぞ」

「は、はいっ!……ッ、はぁ……はぁ…………!」

 

 大きく息を切らせる幕之内。彼の体力面もまた、これからの課題だ。

 尖った性能だからと言って、全てを削り落として尖らせすぎる必要などない。そんな物、先に進んだ時アッサリと折れてしまうのだから。

 問題は、

 

「…………小僧の相手が足らんな」

 

 ミットを外した手を冷やしながら、鴨川は呻くように呟く。

 鴨川ジムも決して恵まれた環境ではないのだ。鷹村という才能あふれるボクサーが居り、その後輩ともいえる青木や木村もベルトが十分狙えるだけの素質もある。

 問題は、その三人が幕之内よりも上の階級であり今彼に必要なのは、同階級の相手。

 宮田が居ればよかったのだが、彼はジムを離れてしまった。

 蛇口を閉め、どうしたものかと思考を回す。

 思いつく手段としては他所のジムからスパーリングの相手を探すというもの。だが、この方法は金がかかる。

 大事なボクサーの為だろう、と言われても人間社会、生きていくにはどうしても金銭面は必要になるのが世の常だ。

 世知辛い事に、ボクシングは稼げない。正確には、日本でのボクシングは、だが。

 ボクシング一本で食べていける人間など、ほんの一握り。基本的には、ボクサーとその他別の職業という二足の草鞋で生活していかなければならない。

 そして、ボクサーが金欠ならば、ジムもまた金欠。

 グローブ、テーピング、サンドバッグの修繕、光熱費、水道代、トレーナーの給料、その他諸々etc.。場合によっては、テナント料も払わなければならない。

 その上、国内に対戦相手が居なくて海外から招く場合、その分の費用もかかる。

 だからこそ、ジムにはスポンサーが必要なのだ。

 

「むぅ、いかんな。今は、小僧の事じゃ」

 

 頭を振り、逸れた思考を巻き戻す。どうしても、無い物ねだりをしてしまうのは人間の性というものだ。

 どうしてものかと再び考え込みながら、会長室へと戻るとそこでは八木が電話の対応をしている所だった。

 

「はい、はい…………あ、少し待ってください。会長、お電話です」

「誰じゃ?」

「徳川ジムの徳川会長からですよ」

「なに?」

 

 思ってもみない相手からの電話。

 受話器を受け取り、耳へと押し当てる。

 

『お久しぶりです、鴨川会長。徳川です』

「ああ、こちらもな。して、何の様じゃ」

『ええ、実はそちらの幕之内君とうちの服部のスパーリングを組めないか、と思いまして』

「!ほう、それは察するに新人王戦の相手を見据えての物じゃな?」

『さすがは鴨川会長、情報取集も終えていますか』

「世辞はいい。こちらとしても、小僧のスパーリング相手が見つかるのは願ったり叶ったりと言った所なのでな」

『それは良かった。細かいところは、追々決めようとは思いますが、場所はそちらをお借りしても良いでしょうか?』

「む?まあ、構わんが………」

 

 何故、と言葉の外の雰囲気で鴨川は問う。

 徳川としても隠し通す必要もない為に素直に口を開いた。

 

『その……そちらの、鷹村選手と服部を会わせたいな、と思いまして』

「鷹村じゃと?」

『はい。お恥ずかしながら、うちのジムは特別活気がある訳じゃないんです。何より、服部より強い選手が居ません。そこで―――――』

「鷹村をぶつける事で、より高みへと昇らせる、と」

『その通りです。服部は真面目な奴ですが、やはり刺激があるのと無いのとではモチベーションなども違いますからね』

 

 因みに、幕之内にスパーリングを依頼する件に関して徳川は服部含めたジム生に話していたりする。と言うかむしろ、後押しを受けた。

 鴨川からしても、この件は渡りに船だ。強い選手が顔を覗かせるというのも、ジム生にいい刺激となる事だろう。

 

「スパーリングの件は、受けよう。こちらとしても、小僧の相手を探しておったのでな」

『本当ですか!ありがとうございます!では日程を―――――』

 

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