東方閻魔帳   作:妖念

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一、異変(一)

 

 曇っているせいか蒸し返すような熱気の初夏の夜。

 湿気たっぷりの生暖かい風が、突如として出現した二つの影を不気味に際立たせた。

 

「これが......"楽園"幻想郷! へぇー、中々綺麗なところじゃないですか!」

 

 一人の女が口を開く。風変わりな女だった。夜にまぎれる、紺青の髪にスリットの入った奇っ怪な柄の着物。

 月が霞に隠され、僅かな光の中、その女はおでこに手を水平に当てるとぐるりと辺りを見回した。そして、そのままあぐらをかいて地べたに座り込んだ。

 

「......うるさい」

 

 あぜ道を踏みしめるジャリジャリと乾いた音に続いて、もう一人の女がぼそりと呟いた。女はこの暑さでも両手を袖の中に入れ、腕を組んでいた。真鍮のような鈍い輝きを放つロングヘアーが彼女の頬にかかっており、その右目には無骨な片眼鏡が持ち主の髪と同じように鈍く光っている。

 

「でも、今更だけど何で私なんですかぁ?」

 

 紺髪の女は肩をすくめると両の手の平を天に向け、小首を傾げた。疑問を表すジェスチャーのつもりらしい。

 

「一番暇そうだからだ。厄介払いとも言うな」

 

 憮然とした表情を全く変えることなく片眼鏡の女が冷たく言う。

 

「いや、まあ暇というか仕事量が皆よりちょっと少ないだけというか」

 

 髪を指にくるくると巻き付けながら紺髪の女がぶつぶつと呟いた。

 

「......では、私は帰る。くれぐれもいらぬ騒ぎは起こすなよ」

「はいはいー」

「返事は一回だ!」

「はいー」

 

 片眼鏡の女が小さく舌打ちをしながらくるりと向きを変えた。纏った白いコートの裾がふわりとはためく。

 紺髪の女は片眼鏡の女の背中に向かって右手をばいばい、と軽く振った。

 

「......つくづくいい加減な奴だ」

 

 片眼鏡の女の眉間に小さくシワが刻まれた。

 そして、ちらりと霞がかった月へと目をやった。霞が少しゆらめく。

 

「まあ、それくらいの方がここには合っているのかもしれんがな......」

 

 片眼鏡の女がポツリと漏らしたが、その声は紺髪の女の耳に届くこともなく闇に吸われた。

 

 影が一つに減った。

 

 残された紺髪の女は立ち上がるとぐいっと背伸びした。

 

「あー、流石に体が重いですね」

 

 口角がにんまりとつり上がる。

 もやが晴れ、月明りが徐々に漏れ始めた。

 

 

「やれやれ、相変わらず愛想のない奴ですねぇ。仕方ない......さーてと、じゃ、始めますか!」

 

 彼女の髪にあしらわれた彼岸花の輪郭が射し込んだ月光の下で赤く光った。

 

「本当に生命に満ち溢れています......あの"穢れなき星"と違って」

 

 

 ◇

 

 

 幻想郷の奥地、1つの寂れた神社があった。

 穏やかに照りつける太陽。季節は夏の始まりといったところ。 幻想郷では最も過ごしやすい日々と言えるだろう。しかしながら、ここ、博麗神社は陽気な初夏の気候と言えたものではなかった。

 

「はっくしょん!」

 

 静かな神社ではただくしゃみの音だけが響く。一人の黒髪の少女がチーンと鼻をかんだ。そして、忌々しげに呟いた。

 

「どうなってんのよ...全く」

 

 少女─博麗神社の巫女・博麗霊夢は風邪をこじらせていた。妖怪退治の専門家もちり紙片手に布団にくるまる姿は形無しだ。

 数々の人外と渡り合えるほどの力を持った霊夢とて身体は人間、体調を崩すこともある。が、

 

「うぅ......寒っ」

 

 霊夢は布団を頭まで被るとカタカタと震えた。悪寒が背中にぞわりと広がる。

 ここ数週間で気温が秋の中頃並にガクッと落ちている。このペースで冷え込みが続けば1週間も経てば吐息が白くなることだろう。

 異常な温度差は人の体調をいとも簡単に崩させる。霊夢とて、つい先日しまったばかりの羽毛布団を再び引きずり出してくる他なかった。

 

(ああ、魔理沙がいたら魔法で暖でもとれるのに......普段は用も無く来るくせにこういう時に限っていないんだから)

 

 この場にいない友人に心の中で悪態をつきながら霊夢はもう一度大きくくしゃみをした。

 

(まさか、魔法の森にも出てるんじゃないでしょうね..)

 

 霊夢にはこの寒さの原因は見当がついていた。

 

 "異変"だ。

 

 幻想郷では異変と呼ばれる様々な怪奇現象が起きる。そしてその異変の解決を代々の博麗の巫女は生業としてきた。もちろん霊夢もこれまでにいくつも異変を解決に導いてきた。

 

 霊夢は母屋の外へと目をやった。襖に大量のもやのようなものが映り込む。

 霊夢は明らかな異常を察知していた。

 

 幽霊が多すぎる。

 

 幽霊は基本的に冷たい。墓場なんかが夏によく胆試しに利用されるのは霊魂が集まる場所で本当に涼しいからでもある。

 かといって初夏の気温をたちまちにここまで下げる程冷えはしない。

 せいぜい夏場のささやかな納涼に使える程度である。

 そもそも儚く脆い存在である幽霊が日光が差す昼間にこんなに活発に活動していること自体がおかしい。

 にも関わらず、博麗神社は除霊しても除霊してもきりがない程に大量に幽霊が蔓延り、うすら寒さに囚われている。まるで幻想郷中の幽霊が神社の境内に集結したかのようだ。

 以前にも冬が終わらない異変はあったが幻想郷を春へと向かわせる春度が何者かに集められ、春が訪れないといったものだった。急に気候が変化した今回の異変とは異なる。

 他にも季節外れの植物が咲き乱れる異変や怨霊が大量に地下からわき出る異変、動物霊が地獄からぞろぞろ出てくる異変など似ているものもいくつかあるにはあったが、いずれも今起きている現象とはどこか違う。

 

 鼻が詰まり、口で呼吸しているせいか喉が渇いた。

 

(......白湯でも作ろうかしら)

 

 霊夢は熱っぽく重い体にむち打ち、芋虫のように布団から這いずり出た。キーンとした冷気が一段と身に染みる。

 

(そういえば魔理沙も見ないけど萃香も見ないわね......この寒さなら真っ先に鍋だー、なんて言いながら押しかけて来そうなのに)

 

 木造の廊下は冷たく凍てついていた。ひんやりしたなどという生易しいものではない。踏み出す足がまるで釘にでも貫かれるように悲鳴をあげる。

 霊夢は廊下に蔓延する冷気に呻き声を上げながら、なるべく氷のような木の板との接地時間を減らすためにトタトタと小走りで台所へ向かった。

 

 異変の解決にはしばし彼女の回復を待たねばならない。

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