東方閻魔帳 作:妖念
「あ、お客さん。今日は......ってあんたか」
貸本屋『鈴奈庵』の一人娘、本居 小鈴は頭を上げた。目の前にいたのは親の次に見た顔かもしれないこの本屋のお得意さん、稗田 阿求だ。
「あんたとは何よ、あんたとは」
面白くなさそうな表情を阿求は浮かべた。
「悪いけど今日はお店閉めてるんだよね」
「あら、そうなの?」
「お店の本の整理しなきゃいけないの。本当はお母さんとやる予定だったんだけど急用で出ちゃったから私がやっとかないと」
「まあ、いいわ。今日は本を返しに来ただけだか、らっと」
阿求は大きな風呂敷包みをドンッと机に置いた。
「阿求も手伝ってよー。どうせ暇でしょ?」
小鈴は頬杖をついてブー垂れた。肘をついていない方の手で風呂敷包みを開き、丸眼鏡をかけると、中の本を一冊一冊丁寧に確かめていく。
「悪いけどパス。私これから用事があるの」
「えー......ん?」
風呂敷の中の本を整理していた小鈴は首をかしげた。やや古めかしくはあるもののしっかりとした装丁が施された和装本が1冊、姿を現した。かなり年季が入っているように見えるが保存状態はとてもいい。
「これ、
「ええ、その本はこれから別に返しに行くの」
「見たことない本ね......」
ゴクリと生唾を飲み込みページをペラリとめくる。やはり初めて見る本だ。妖怪にまつわる書物、妖魔本とはまた別の言い知れぬ気を感じる。
「そりゃそうでしょうよ」
阿求は勝ち誇ったように人差し指を立てた。
「地獄の、本ですもの」
◇
「ちょっと、阿求」
無言でグングン歩を進める友人の肩をつついた。が、応答はない。
「ねえ、阿求ったら!」
「あら、どうかした?」
ようやく阿求が振り返った。その手には例の本が入った風呂敷がしっかり握られている。
「
辺りは屋台目当てにそれなりの人でごった返している。ここまでついてきて何だが、小鈴は未知なる本への興味優先で店をほっぽりだしてきたのを少し後悔し始めていた。
「あ」
「うわっとっと」
阿求が歩を緩め、人混みの中を後をくっついていただけの小鈴はぶつかりそうになった。
「急に止まんないでよ、もう」
「ごめんごめん、でもついたわ」
「え? どこ?」
阿求の前には一軒の廃屋があるだけだ。気づけば周囲の人通りも随分少なくなっていた。
「阿求......まさか私をからかってる?」
阿求は小鈴の質問には答えることなく廃屋の扉をノックした。
しばらくすると中からどうぞー、という間の抜けたような女性の応答が聞こえた。
こんな小屋に人が住んでいたのか、と驚く小鈴を置いて、阿求はためらいなく小屋の中へと吸い込まれていった。
慌てて小鈴も後に続く。
一歩踏み入れた瞬間に不気味にギシリと床がなり、心臓が飛び出そうになった。
日中だというのに薄暗い部屋の中にはポツンと1つだけ粗末なつくりの机があるだけだった。机には大量の紙束が積み上げられている。
「......御阿礼?」
ガサガサと紙束が動き出すとムクリと中から人影が現れた。
ギョッとして無意識に阿求の後ろに隠れる。
頭に赤い髪飾りをつけた黒みがかった紺色の髪の毛の人物がボーっとした表情でこちらを見ている。
「閻魔様、先日借りた本をお返しに...」
「ああ、そこらへんに置いといてください」
その人物は机の上の辛うじて空いているスペースを指した。
「......ん?」
小鈴は急に迷宮に放り込まれたように混乱した。
ダメだ。聞こえてはならない単語が聞こえた。
「ちょ、ちょっと!? 今閻魔様って?」
「そうよ」
「はーい、閻魔様ですよー」
阿求は何ら感情を交えることなく答え、目の前の女性はまるで誰か見送るように大げさに手を振ってくれた。
「いーっ!? 私やっぱりいい!」
ケロッとした顔で答える阿求に思わずズリズリと後退りした。
「で、そちらの子は?」
「あ、えへへ。えーっと、本居小鈴です。えと、うちは貸本屋で」
小鈴はもごもごと答える。
緊張と恐怖で我ながらおかしな笑い方だと思いながら精一杯の自己紹介をした。
「あのー、えっと、その本なんですけど今度は私が借りれたらなあ、なんて」
「ええ、別に構いませんよ」
紙を撒き散らしながら閻魔だという女性は立ち上がり、阿求が今置いたばかりの本を手に取るとこちらへ近づいてきた。
「どうぞ」
差し出された本を恐る恐る受けとる。閻魔様の本......貸本屋で何の気なしにペラペラめくっていた時とは意味が違う。
「あ、ありがとうございます」
小鈴は受け取った本を胸に大事そうに抱え込んだ。
「それはそうと、小鈴、早く戻らなくていいの?」
「ん?」
「店の片付け」
「あ、やば......」
小鈴の脳内に散らかり放題の店内がよぎった。
◇
「いいんですか? その、閻魔様が......」
「いいんですよ。しま...書類を片付けるのも飽きていたところですし」
鈴奈庵へと戻る道中はなぜか3人に増えていた。この閻魔様、名を斑尾 ノタカというらしい。
「それに、人里の様子も一度見てみたいと思っていたのです」
活気溢れる町並みに目移りしているノタカはとても無邪気に見えた。
ひょっとしたら地獄は娯楽が少ないのかもしれない。
しかし、ノタカには悪いが小鈴にはのんびり歩いていられる時間もない。そろそろ母親が帰ってくる。本の整理が終わっていないことよりも問題は店の売り上げで勝手に買い込んでいる妖怪にまつわる書物──妖魔本を出しっぱなしにしていることだ。
「あら、小鈴。随分早足ね。もっとゆっくり歩けばいいのに」
そのことを知っている阿求が露骨に煽ってくる。
お前も妖魔本借りてただろ、という言葉をグッと堪えた。
「あ。見えました。あそこです」
ようやく見慣れた鈴奈庵の建物が見えてきた。
しかし、同時にこちらへ向かってくる女性も目に入った。
「不味い! お母さんだ!」
「ちょ、小鈴!」
転がり込むように店に駆け込んだ。慌てて妖魔本だけでもしまいこむ。とはいっても妖魔本は希少なものばかりだ。丁寧にしまっているうちに刻々と時間は過ぎていく。
(ヤバい、ヤバい......)
「ただいまー」
(駄目だ、間に合わない......)
「小鈴のお母様? お久し振りです」
「あら、稗田家の......」
(阿求!)
友人の思わぬ助け船に心の中でガッツポーズした。何だかんだで困っているときには助けてくれるのだ。
......まあ、実際のところは妖魔本が借りられなくなると困るからだとかそんな理由だろうが。
阿求の機転を利かせた時間稼ぎもあってなんとか妖魔本はしまうことができた。
「小鈴ー? お客さんよー?」
「あ、うん。今行く。お帰りなさい」
「ごめんね、小鈴。本の整理任せちゃって。1人じゃ終わらなかったでしょう? 後は私がやっておくわ」
「あ、ありがとう」
欠片も進んでいない作業を労われることに多少罪悪感を覚えながら店内を物色しはじめた2人に声を掛けた。
「阿求、母屋でお茶しない? 良かったら、あのー、閻魔様も」
「いいわね」
「せっかくですしお言葉に甘えましょうかね」
「お母さん、お茶どこだっけ?」
「右の戸棚よー」
「はーい」
3人はカウンターの裏から母屋へと入った。
◇
(それにしても......あの女性はどなたなのかしら? 里ではお見かけしたことがないけれど)
小鈴の母親が阿求と共にいた見知らぬ女性に思案を巡らせていると、一冊の本が未だ転がっているのが目にとまった。
(あら、こんな本......うちにあったかしら?)
彼女は本を手に取り、そして、開いた。