東方閻魔帳   作:妖念

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十三、阿礼乙女と貸本屋(二)

「しかしすごい数の本ですね」

 

 お茶をすすりながら、ノタカがポツリと漏らした。

 母屋と店を仕切る暖簾の間からチラリと見えるのは本ばかりだ。

 

「ええ、多分里の本屋だとうちが1番だと思いますよ」

 

 小鈴は胸を張った。

 実際蔵書数は里ではトップクラスだと思っている。......もちろん稗田家には勝てないだろうが。

 

「まあ、でも流石に閻魔様の本はないですけどね」

 

 小鈴はまだ持っていたあの本を軽く撫でた。つくりは一般的な四つ目綴じの和装本ではあるが、黒々とした紙に印字された金色の文字がかっこいい。紙の質からしてかなり年季もののようだが劣化している様子はほとんどない。

 

「その本そんなに面白いですかねぇ?」

 

 ノタカが阿求に尋ねた。

 

「地獄や是非曲直庁についてよくまとめられていた本でしたよ。ただ、随分昔の地獄の記述が多かったですし、何かやたらと閻魔の仕事をよく見せようとしていたような」

「そんなことが書いてあったんですか。ま、そりゃそうか」

 

 ノタカはふう、と息を吐くと上を向いた。

 

「私が研修時代に貰った閻魔の教科書みたいなものですから」

「へえ」

「まあ、私は全然読んだことないのでどんな内容なのか知らないですけどねぇ」

 

 古めかしい割にやたらと綺麗だったのはそういう理由らしい。......しかし、閻魔の教科書を全然読んでいない閻魔というのは大丈夫なのだろうか。

 

「閻魔様の研修? そんなものがあるんですか?」

「んー、そうですねぇ。私の場合は......」

「きゃあ!!」

 

 落ち着いた店の雰囲気に似つかわしくない悲鳴が不意に響いた。

 全員が口をつぐみ、声の方を見る。

 

「お母さんだ」

 

 小鈴は母屋を出て店内へと向かった。2人も気になるのか後に続く。

 店内には本を片手に尻餅をつく小鈴の母親がいた。

 小さな虫がカサコソと床を這って棚の下に消えていくのが一瞬見えた。

 

「お母さん? どうしたの?」

「あ、あら、小鈴。ごめんなさい。ちょっと虫が出ただけよ。気にしないで」

「そう? 良かっ......!?」

 

 特に大事なさそうな母親とは逆に、小鈴はあることに気づき、途端にそわそわし始めた。

 

「お母さん、残りは私がやっとくよ」

「え、まだほとんど済んでないけど......」

「いいからいいから休んでて」

「ちょ、小鈴」

 

 小鈴は困惑する母親を無理矢理に母屋へ押し込んだ。

 

 まずいことになったかもしれない。

 

「小鈴、どうしたの?」

 

 自分でも分かるくらいに目がぐるぐると泳いでいた。冷や汗が止まらない。

 

「今、お母さんが読んでたのは妖魔本......芥の虫の本」

 

 阿求が目を見開いた。

 

「“よーまぼん”にあくたの......むし? なんですそれ?」

 

 ノタカが首をかしげた。小鈴は彼女に母親から取り上げた本を見せた。

 

「妖魔本は妖怪にまつわる本です。妖怪が封印されてるパターンが1番多いんですけど、今回の奴は大昔の虫の妖怪......らしいです。まだちゃんと読んでないから分かんないけど」

「芥の虫......ええと、何だったかしら?」

 

 阿求が頭の辺りでくるくる人差し指を回し始めた。何か思い出そうとするときに阿求がよくやる癖だ。

 

「御阿礼でも思い出せないとなると相当昔の妖怪のようですねぇ。しっかし、やけに物騒なものが里にあるもんだ」

「えーと、何かを食べる妖怪だった気がするんだけど......」

「取りあえずその......何ちゃら虫を探しますか。あの棚の下に入ったように見えましたし」

 

 本棚の下を阿求以外の2人で覗きこむ、が案の定暗くてよく見えない。阿求はというと、未だにうんうん唸りながら店内を歩き回っていた。

 

「しょうがない、棚を一回持ち上げますか」

 

 言うが早いかノタカから鎖が生じ、本棚をくるくる縛るとゆっくりと棚が浮き上がった。

 

「わー、すご......あ、でも中の本が」

「ご心配なく。落ちやしないですよ」

 

 本棚が空中で傾いても何故か本がずり落ちることはなかった。

 

「それよりも、ほらあそこ」

 

 ノタカが指差す先にはくすんだ銀色の虫がいた。大きさは親指大だろうか、壁の隅に張り付いている。

 

「あ! いた!」

「思い出した!」

 

 虫の発見と同時にそれまでうろうろしていた阿求がピタリと止まり、ポンと手を叩いた。

 

「急に大声出さないでよ。ビックリするじゃない」 

「鉄よ! 鉄! 芥の虫は鉄を食べるの! その昔、用明天皇の御世に......」

「今はうんちくはいいから! 早く捕まえないと!」

 

 こと自分の知識をひけらかすとなると本当にこの友人は口達者になる。

 

「んー? 鉄、鉄ねぇ......ちょいと」

 

 ノタカが阿求に何やら耳打ちすると、ああそれなら、と阿求がとまどいながらも懐から紙と筆を取り出し、何やらさらさらと描き、手渡した。

 

「どうもありがとう、では」

 

 阿求から紙を受け取ると、ノタカは何を思ったかダッと店の入り口へと向かい、そして──そのまま外へ飛び出してしまった。

 

「え?」

 

 あっという間に消えたノタカにポカンとしているうちに芥の虫がカサカサと動き始めた。今にも飛び回りそうな勢いである。

 

「阿求! 何か網みたいなのない!?」

「そんなもんあるわけないでしょ」

「ど、どうしよ?」

「手で捕まえたら?」

 

 正直、小鈴も虫は苦手だ。じかに触るには抵抗しかない。

 

「じゃ、ちょっと紙貸して」

「はいはい、どうぞ」

 

 阿求から受け取った紙をゆっくりと芥の虫に近づける。

 

 ゆっくり、ゆっくり......

 

 今だ! 

 

 小鈴はバッと飛びかかるもあえなくかわされた。紙の隙間から無惨にも芥の虫は這い出てくる。

 

「あー、どうしよう。また下に入っちゃった」

 

 芥の虫は素早く隣の棚へと潜り込んだ。棚の下を覗くもやはり暗くてよく見えない。

 

 試しに床をガンガン足踏みしてみても一向に出てくる気配はない。下手をすると、むしろ奥に追い込んだかもしれない。

 適当な棒を棚の下に突っ込んでみたり、棚を揺らしてみたりあの手この手を尽くしたが、事態は一向に好転しない。

 そのまましばらく考えあぐねていると、急に、勢いよく芥の虫が飛び出してきた。棚の下から躍り出るとそのまま一直線に店の外へと向かっていく。目で追うのがやっとのスピードだ。

 

「外に逃げちゃう!!」

 

 

 流石に店の外に逃げられてはあのサイズの虫を見つけ出すのは不可能に近い。

 2人で一斉に駆け寄るも遅かった。

 もう、ダメだ─その時、店の前に人影が立ち塞がった。

 

「はい、確保っと」

 

 閻魔様が立っていた。芥の虫はノタカが持っていた革袋に飛び込んだ。ポチャと水音が聞こえた。

 

 ノタカはギュッと袋の口を縛ると、

「妖魔本とやらを持ってきなさい。とっとと封印し直してしまいましょ」

 

 訳も分からぬままにもとの妖魔本を手渡すと、芥の虫は袋からつまみ上げられ、再び妖魔本の中へと吸い込まれた。

 

「え、閻魔様......どういうこと?」

「御阿礼に聞いたのは肉屋の場所です。鉄を食べるのならこの味も好きなのではないかとね」

 

 革袋が開かれる。お世辞にも良いとは言えない金気臭い香りが部屋中に充満した。血だ。

 

「あ、なるほど」

「まあ、実際芥の虫は鉄を食べ尽くした後に巨大化して人を食らい始めたって話もあるらしいわよ」

「ええ!? 何でそんなこと黙ってたの!?」

「だって言ったら絶対パニック起こすじゃない」

 

 小鈴は巨大な銀色の虫が人里を蹂躙する様を想像し背筋が凍った。

 

 ◇

 

 

「閻魔様ありがとうございました。何かお礼を......」

「お礼? 別に......あ、じゃあ1つだけ......」

 

 ノタカは本棚の前に向かうと1冊の本を取り出した。

「それって......?」

「いや、さっき立ち読みしたらすごく面白かったもので......これ、お借りしても?」

「全然全然! それぐらいのことでいいなら!」

「では、ありがたくお借りしていきます」

 

 嬉しそうに店を出るノタカを尻目に小鈴は貸本帳簿にチェックを入れた。著者はアガサ・クリスQ。人里で今1番人気......というかほぼ唯一の推理小説家だ。

 

「阿求......あんた、地獄でも通用するのね」

 

 

 

 


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