東方閻魔帳 作:妖念
(あー、疲れたー)
最後の薬の配達を終えると、鈴仙・優曇華院・イナバは蓄積している疲労を顔に浮かべ、大きくぐぐっと背伸びをした。
(ん? あれ?)
目の前を1人の女性が音もなく通過した。紺色の髪に彼岸花の髪飾り、金の意匠が施された黒い着物に身を包んでいる。
普段ならば特段気にもとめない。多少奇抜な人がいるなあ、程度のことで終わる。
しかし、鈴仙の頭に麻紐で縛られるような漠然とした既視感があった。
そして、ふっ、と記憶が浮かび上がる。
以前、稗田家の当主と一緒にいたところを見かけた。
鈴仙は波長を見ることができる。人によって波長の形は皆違う。波長を見れば性格もある程度分かる。
が、この人物の波長は何というか、ずれているような感覚でうまく読み取れない。ただ、見たことがないわけではない。同じような波長に出会ったことはあるのだが、思い出せない。
鈴仙は空を見上げた。日が暮れるまでにはまだ時間に余裕がある。
そんなこともあって、鈴仙は何の気なしに、そこら辺に転がっている小石を軽く蹴飛ばす程度の軽い気持ちで、彼女にちょっとついていってみようかな、と思っていた。
それが何をもたらすかなどはどうでもよい、純粋な興味からの行為だった。
その時は。
◇
「はあ、はあ......」
いざ尾行を始めたはいいものの鈴仙はいささかくたびれていた。いかに中身が入っていないとはいえ籠を背負ったままなのもあるが、鈴仙がつけているこの女、異常に歩くのが速い。人混みを器用に避けながらもの凄い速度で歩いている。このままだと見逃してしまいそうだ。
(しょうがない......よっと)
自らの位相の波長をずらした。これで誰にもぶつかることなく人混みを抜けることができる。
(あれ? このままじゃ......)
次第に雑踏の音が小さくなる。
人通りが段々減ってきたかと思うと、あれよあれよという間に人里の外まで来てしまった。
急激に辺りがしん、と静まりかえる。
だが、ここまで来たらもう引き返すことはできない。
その後もせかせかと女は進んでいく。気を抜くと後ろ姿がどんどん小さくなる。その足取りに何の躊躇も見られない。
ただ──この1本のあぜ道を真っ直ぐ進んだ先は、迷いの竹林だ。毎日成長する竹と起伏のある地形、常時ぼんやりとかかった霧により、一度入ると出られないとされる。実際竹林の住人に出会うかでもしない限りは竹林を抜けるのはほとんど不可能と言っていい。
そして、鈴仙はその恐ろしく入り組んだ迷いの竹林の深部に位置する屋敷に暮らしている。
つまり、今女が歩いている道は、鈴仙からしても見慣れた道だ。
まさか、このまま徒歩で、しかも1人で迷いの竹林に入る気なのか。
鈴仙の心配をよそに、女は勢いそのままで竹林に足を踏み入れた。
鈴仙は自らの感情の波長が少し乱れ始めているのを感じた。
◇
竹林に入った後、女は高く乱立する竹の間をやたらめったらに進んでいるように見える。
あっちに行っては引き返し、こっちに行っては引き返しを繰り返す、はたからだと迷っているようにしか見えない。
最も懸念していた鈴仙達の住む屋敷──永遠亭に向かっているようにも思えない。鈴仙は少しほっとして、吐息を洩らした。
が、不意に女はスイッチでも切ったかのように立ち止まった。
「もし、そこのお方」
静寂な竹林に重い声が響いた。
一瞬誰が発したのか鈴仙には分からなかったが、すぐに察した。間違いない。目の前の女だ。それに、周囲に生命反応が鈴仙以外には存在しない。
まさか......私に向かって言ったの?
これでも元・月の軍事組織の出、完全に気配は消し去っているつもりだった。物音1つも立てていない。さらに、光の波長を弄って透明にもなっている。分かるはずがない。感知できるはずがない。心が波立ち、騒ぐ。
「まだ、隠れる気ですか?」
しかし、今度は振り返った女とはっきりと目が合った。自らの深紅の瞳から全てを覗きこまれているような感覚にとらわれる。思わず視線を逸らす。
鬱蒼とした竹林から僅かに漏れる西日が、彼岸花の髪飾りを紅く照らしていた。
さーっと背中に汗が吹き出るのを感じる。
ひっくり返りそうな呼吸を抑えながら、鈴仙はいつでも動けるよう笠を脱ぎ捨て、籠をおろした。
◇
比較的里の中心部、一軒の建物の前に鈴仙はいた。周囲の店や住宅と比べると大きめのその建物からは普段は子供達の無邪気なはしゃぎ声が聞こえる。
今日の置き薬の補充はここでしまいだ。里の寺子屋の戸を鈴仙は叩いた。
「すみませーん! 永遠亭でーす! 薬の配達に......」
用件を言い終わる前に扉が開く。中から顔を出したのはこの寺子屋の創設者であり、教師をやっている上白沢 慧音だ。
「やあ、こんにちは」
「こんにちは、先生。今回のお薬です」
籠を下ろし、中から薬の小瓶をいくつか取り出す。慧音が持ってきた救急箱に順に効能を説明しながら入れていく。
「いつもすまないな、ありがとう」
「いえいえ、仕事なので」
「このあともまだ配達か?」
「いえ、今日は少なかったのでもうここが最後です」
鈴仙は空になった傍らの籠を見せた。
「ちょうどいい、私の方も今日は授業はもうないし、生徒は皆帰った。疲れただろう? お茶でも淹れよう」
「え? 私は......」
「さあ、上がって上がって」
結局、すすめられるままに靴を脱ぎ、一室に通される。教師の休憩室なのだろうか、シンプルなデザインのちゃぶ台がポンと1つだけ置いてある部屋だ。慧音はちゃぶ台を挟んで向かい合うように座布団を置くと、待っててくれ、と言って消えた。しばらくして、湯気立つ湯飲みとお茶うけの乗ったお盆を持って現れた。
鈴仙は正直、冷たいお茶が飲みたかったのだが、そんな要求ができるほど精神が図太くできていない。おとなしく熱い湯飲みを受けとる。
最近の里の様子などの他愛もない話が続く。特になんの変哲もない時間が流れていく。そんな中でポロリと慧音が尋ねた。
「そういえば、この間の異変は竹林は何ともなかったのか?」
「異変?」
「その反応だと何もなかったようだな。まあ、里にも直接的な影響はなかったからな。局所的なものだったのだろう」
「どんな?」
私も詳しくは知らんが、と慧音は前置きをしてから、
「博麗神社と魔法の森に幽霊が大量発生したことと、中有の道、あそこにおかしな落書きがあったようだ」
「おかしな落書き?」
「そうだ。私も実物を目にしたわけではないが......」
慧音は筆をとってくるとさらさらとしたため始めた。
「こんな感じだったかな」
一見、グシャグシャに描かれたおかしな落書きに見えなくもない、だろう。
「え? これ......」
地上の民には。
「む? どうかしたか?」
「いや、何でも。これ頂いても?」
「ああ、構わないが」
「では、私はこれで......」
「ん? そうか......では、気を付けてな」
急に帰り仕度を始める鈴仙に少しばかりの不信感を露にしつつも慧音はまた今度、と手を振る。
慧音に見送られながら鈴仙は寺子屋を後にした。手には落書きが描かれた半紙がしっかり握られている。
慧音も直接見たようではない。たまたま似ているだけかもしれない。慧音がそもそも普段達筆であることも重なり、鈴仙も最初は分からなかった。
(まあ、後で師匠に一応報告しておこっと)
墨が乾いているのを確認して慎重に折り畳み、懐にしまう。
何はともあれ今日の仕事は終わりだ。
(あー、疲れたー)
大きく背伸びをした鈴仙の目の前を彼岸花の髪飾りの女が通過した。