東方閻魔帳 作:妖念
「何で私までー」
ぶーたれる因幡 てゐを鈴仙は一喝した。
「しょうが、ない、でしょ、あんたが、掘った、穴に、落っこちて、のびちゃって、るんだから」
といっても息切れのせいで大した迫力はない。現に当のてゐはどこ吹く風だ。
鈴仙の背中には彼岸花の髪飾りをつけた女がおぶさっていた。
代わりに鈴仙の籠をてゐが背負っている。小柄なてゐが自分がすっぽり入りそうなサイズの籠をえっちらおっちら背負っているのは鈴仙の目には少し滑稽に写った。が、中身はとっくに空っぽ、鈴仙の苦痛とは比べるまでもない。
「ていうか、あんた、あの、深さに、私を、落とすつもり、だったの?」
「でも、あれのお陰で助かったでしょ?」
うっ、と鈴仙は言葉に詰まった。
「師匠に、なんて、説明、すれば、いいのよ」
「そのまま言ったら? とっとと帰宅せずに人をつけてたらその人が怪しかったので、たまたま空いてた穴を使って気絶させたら地獄の閻魔様でしたって」
「あんた、ずっと、見て、たの?」
「いや、途中でこの閻魔様私にも気づいたっぽかったから急いで逃げたけど」
「あんたねぇ......」
鈴仙のほとほと呆れ返った心情を知ってか知らずか、てゐはツンツンと女をこづいた。
「にしても、お、重い......」
「もう、そこらに置いといたら?」
「閻魔様にそんなこと、できるわけ、ないでしょ......師匠に、怒られ、るし......」
頭にちらとよぎるのは銀髪の
「気、になる、ことも、ある、し」
例の月の文字の話や一見意味もなさそうに竹林をうろうろしていた件、謎はつきない。
少しペースを上げる。もう近い。
「やっと、つ、ついた......」
竹が立ち並ぶだけだった景色が急に開け、格式高い昔ながらの日本屋敷がその姿を現した。古めかしい造りに反して全く劣化は進んでいない。鈴仙の住む永遠亭だ。
◇
ひとまず担いでいた女を永遠亭の患者用の布団に横たえ、鈴仙は薬師の師匠・
「ウドンゲ、お帰りなさい。随分遅かったわね。......何があったのかしら?」
「はい、実は......」
鈴仙は女が竹林に入ってからの顛末と月の文字が書かれた看板のことをできるだけ丁寧に説明した。
「......どの部屋に寝かせたの? 診にいくわ」
永琳が顔を上げた。
「え、ええ、こっちです」
鈴仙は恐る恐る永琳の前を歩いた。
◇
永遠亭のある一室。和室のど真ん中に布団が引かれ、1人が横たわり、2人が枕元に座っていた。
寝ている女を永琳は見たことのないような冷たい瞳で凝視している。
「師匠?」
隣に座る弟子はいささか困惑した声を上げた。
「後は私が何とかしておくわ」
はっとして、永琳はくるりと鈴仙の方を向いた。
「肩やら腰やら痛めるわよ。湿布でも貼ってきなさい。場所は分かるわよね?」
「え? はい、そうします......」
鈴仙は呻き声を上げながら立ち上がると、腰に手をあてながらずるずると部屋を出ていった。
永琳は鈴仙から受け取った半紙を広げ、読み上げた。
「......改装中、立ち入り禁止」
(暗号、ってわけではないようね)
その昔、月の頭脳とまで評された永琳の明晰な思考力をもってしても、この文章からはそのままの文意以上のものは読み取れない。永琳はひとまず胸を撫で下ろした。
寝ている女の枕元にゆっくりと座り直し、懐から矢を1本取り出す。
そして、硬く冷ややかな矢尻を女の白い喉元に突きつけた。
パチリと女の上下のまぶたが離れた。
「主に仇なす可能性が万に一つでもあれば殺しも厭わない、ですか?」
「あら、よく分かっているのね」
「人払いまでするとはねぇ」
女は永琳の手を押し退け、ひょい、と起き上がった。
「1人部屋から出ただけで人払いなんて随分大仰ね」
「違いますよ。この部屋にかけてある術式の話です」
女は後ろで手を組み、部屋をぐるりと歩き回る。
「......面白いことをいうのね。どんな術なのかしら?」
「この部屋の空間だけ月と地球の狭間に繋げられている。ただ、あの玉兎が部屋を出てからの僅かな時間でこれだけの術を構築するとは......流石、月の頭脳 八意 永琳、いや、八意 ××といったところでしょうか?」
××は永琳の本名、地上の者には知ることは愚か発音することすらかなわないはずだ。
「私を殺せずとも宇宙空間に放り出そうと、そういう魂胆でしょう? 生憎、私は月の使者でもなんでもありませんが」
女は壁際へ移動すると物珍しそうに柱を撫でた。ひょっとするとこの屋敷そのものにかかった"永遠の術"も見破っているかもしれない。
「ええ、そうでしょう。ただ、名乗って頂いてもいいかしら」
全く表情を崩さない、ニコニコとしたままの永琳を不気味に感じたのか、女は一瞬顔をしかめた。そして、コホンと咳払いをして、
「斑尾 ノタカ・ヤマ××××......私の名です。これが何を表すか......なんて、あなたならお分かりでしょう?」
女はまたしても地上人には理解できそうもない言語を簡単に口にした。
「......あなた、月の閻魔?」
ヤマは閻魔のこと、そして、女が口にしたのは──月の別名だ。
「月は表と裏だけではない。裏の裏──月の地獄にもまた、住民はいるのです」
「......月の、地獄の管理者」
月に生死という概念は存在しない。否、存在してはいけない。月では生死は"穢れ"として激しく忌み嫌われている。地上は月にとっては穢れにまみれた地、地上で暮らすことそのものが罪であり罰である。極論、月には生死がない。
そんな月の地獄にも閻魔がいたというのか。
永琳の頭の中に自らが察知できなかった地獄の女神がよぎった。地獄はもっと警戒せねばならないかもしれない。
「ま、暇な仕事だということは否めませんがね」
ノタカはちょっと肩をすくめてみせた。
「何が目的かしら? 私たちを地獄に送ること?」
「いいえ」
ノタカはとんでもないと言わんばかりに首を振った。閻魔の神格が成せる技なのか、大袈裟なジェスチャーの割に嘘っぽくはない。
「浄玻璃の鏡であなたのお弟子さんを見たところ、有名人の方々がチラリと映りましたのでご挨拶を、と」
「有名人ねぇ......罪人の間違いじゃないかしら?」
「まあ、鏡に映ったイメージだけではこの竹林を抜けることは叶いませんでしたが。あなたのお弟子さんに道を訪ねようとしたところ、何故か敵視されてしまいましたし」
「ふふふ、今日のところはそれを信じましょうか」
「では、その毒矢をしまっていただけるとありがたいんですが」
「閻魔に毒なんて効くのかしら。少し試してみない?」
「遠慮しておきますよ。あなたの毒だと効きそうで怖いのでね。それに......どんな矢でも刺さると痛いのは痛いですし」
永琳は握りしめていた矢をそっとしまいこんだ。
「竹林の外まで案内させましょう」
襖に手をかけ、術式を解除する。そして、ノタカに釘をさした。
「ただし、姫......輝夜に害なす者だと判断すれば私は......何にでも手を染めるわよ」
「ご心配なく。輪廻を外れた者たちに興味などありません。ただ......」
ノタカは永琳の背中に問いかける。
「何の意ぞ碧山に栖む」
永琳は振り返り、黙ってニコリと微笑む。今度の永琳の笑顔にはノタカは顔をしかめなかった。
襖の向こう、鮮やかな紫光りの漆のような黒い髪の少女もまた、微笑み、須臾の間に消えた。
◇
(あー、効くー)
ひんやりとした湿布の感触が重さで押し固められた患部をほぐしていく。流石師匠が作ったものだ。心地よい。
閻魔が寝ているはずの部屋に戻る。そーっと襖を開けるも何の気配もない。最早もぬけの殻になっていた。
急いで、調剤室へと向かう。
「師匠!? 部屋が空に......」
「ええ、目覚めたので帰らせたわ」
こちらを向くこともなく永琳は答えた。
「あ、そうだったんですか」
「てゐに案内させたから今頃竹林の外には出られたんじゃないかしら」
「それは、良かった......じゃなかった。あ、あ、謝ってきますぅ!」
「待ちなさい、ウドンゲ。もう遅いわ、それに......」
文字通り脱兎のごとく駆け出した鈴仙を永琳は制した。
「あなた、姫を守るために戦ってくれたんでしょう?」
「え?」
「私からも礼を言うわ」
永琳がこちらを向いた。全て見透かすような瞳──この人には一生かなわないな、と鈴仙は思った。
「......はいっ!」
だからこそ、永琳の言葉が何より嬉しかった。
◇
夕飯の支度をするために出ていった鈴仙と入れ違いに部屋に1人の女性が現れた。
腰に届くほどの長さのストレートの黒髪は生きているように艶やめいている。
白いリボンがあしらわれたピンクの服に赤い地面に触れるほどのロングスカート。
永遠亭、そして永琳と鈴仙の主人──蓬莱山 輝夜は薬師の向かいに腰かけた。
「別に天地の、
「輝夜......どうしたの?」
「いえ、何だか面白そうな人がいらしてたのに永琳ったら会わせてくれないんだもの。どこに行けば会えるのかしら?」
「中有の道......じゃないかしらね」
「中有の道! いいわね! イナバも連れて今度行きましょ! もちろんあなたも、ね」
「......屋台が目当てでしょう?」
「あら? バレちゃった?」
「......そうね。最近改装もしたようだし、皆で行きましょうか」
永琳はほっと一息ついた。
「ウドンゲにもいい息抜きに......いえ、ならないかしら?」
屋台にはしゃぐ輝夜にグロッキーな鈴仙。永琳の頭脳がなくともこの幸せそうな図は容易に想像できただろう。