東方閻魔帳 作:妖念
「雨が......何だこれ?」
雨がいつの間にかドロドロとした真っ黒な液体に変わった。みるみるうちに2人の視界が真っ黒に染まっていく。
「魔女っ娘ー? いますー?」
最早、確認できるのは傘を差しているノタカの周囲だけだ。といっても光が届いていないため、結局夜間と変わらない暗さである。かろうじて手元が見える程度だ。
「ここだ、ちゃんといるぜ」
魔理沙とノタカは一本の小さな傘に押し合いへし合いながら身を寄せた。魔理沙が八卦炉で明かりを灯す。
「その装置便利ですねぇ」
「だろ?」
ようやくお互いの顔がはっきり見えるようになった。カッパでは防ぎきれなかったのか魔理沙の顔はところどころ黒ずんでいる。
「こりゃヒトヨタケの胞子だな」
魔理沙は人差し指と親指で軽く液体を擦りながら言った。既に真っ黒になった自分の手を見つめている。
「ヒトヨタケ?」
「ヒトヨタケってのは一に夜って書いてな。名前の通り、一晩で溶けちまうキノコだ。胞子が黒いから溶けたあともこんな感じの色のドロドロになるのさ」
「で、そんなのが何でこんな大量に空から?」
「そりゃまあ、さっきの連中の仕業だろうよ」
周囲を見回すが相変わらず認識できるのはお互いの目鼻の位置程度だ。
「この雨止められたりしないのか?」
「水は生命の源......私は液状のものは縛れません」
「よく分からんができないんだな」
「ですので、そこら中に例の光線乱れ撃ちなんていかがですか?」
ノタカが唯一の光源、ミニ八卦炉を指した。
「馬鹿、森をめちゃくちゃにする気か」
ブンブン首を振る魔理沙に、中有の道では躊躇なくぶっぱなしてたくせに、とノタカは口を尖らせた。
再びバフンッという音が耳に流れ込む。
「今度は何だ......?」
「魔女っ娘! 傘を!」
ノタカが傘を魔理沙に押し付けた。ノタカの髪飾りが黒い雨に打たれ大きくしなる。
「おい! ノタカっ!」
一瞬でノタカが黒く塗りつぶされていった。
「念のため口を塞いでおきなさい......今度は毒の胞子が仕込まれているようです。これも雨に溶けている」
「毒、か......」
「私は何ともないですが......人間には充分でしょうねぇ」
「胞子はやっぱり止められないよな?」
「私は......生命を縛ることはできません。キノコの胞子もまたしかり」
「ふーむ、駄目か」
「ただ、仮に止められたとしても、これは縛らない方がいいでしょうね」
「どういうことだ?」
「今は雨で毒の胞子が流されていますが。縛ったり、雨が止んでしまえば毒胞子はそのまま漂い続ける。空中に毒素がとどまり続ける方が動きづらいでしょう」
雨音にかき消されないよう張り上げたノタカの声だけが魔理沙に届く。
「雨が降り続けている限り視界は奪われたまま、雨が止めば毒が周囲に充満、さあどうします?」
随分と楽観的な声でノタカは笑えないことを言う。閻魔というのはやはり人間の感性とはずれているのかもしれない。
そして、魔理沙には、別の、新しい発想が生まれつつあった。
「ノタカ、まだいるか?」
「そんな急に帰りませんよ......何です?」
「お前さん、縛れないのは
「ええ。その感じだと......何か思い付きましたね?」
「あんまり得意じゃないんだが、なっ!」
─コールドインフェルノ─
魔理沙は手を上にかざした。ピキピキと音と共に冷気の魔法が放出される。
「凍れ!」
雨が連鎖的に凍っていく。生え立つ樹木の葉をまきこみながら氷は拡がり、2人の視界から雨粒の線が消えていく。そして、薄い、しかし、大きな真っ黒な一枚氷が完成した。
「ノタカ、コイツを止めてくれ!」
「あーら、無茶苦茶しますねぇ!」
頭から爪先までどぎつい墨色にされたノタカがニタリと笑って上を向いた。
氷は空中にとどまる。雨が完全に止んだ。氷の屋根で暗いと言えば暗いが、何とか周りが見えるようになった。
が、
「あら? 胞子が?」
視界が靄へと変わる。黒い胞子がすぐさま補充された。これでは目眩ましが液体から煙に変わっただけである。しかし、魔理沙の中でこれは既に想定済みだ。
「いや、胞子が補充されたってことはまだあの連中は近くにいるってことだ」
しかし、氷はとにかく薄い。
「私の能力で氷が割れることはないですが......どんどん溶けますよ?」
雨天とは言え、もう夏一歩手前、ポタポタと氷からどす黒い雫が垂れている。
「それに、雨を止ませると毒胞子がとどまりますよー?」
流石に識別まではできないが黒い胞子が補充されたということは毒胞子も同様に充填されたとみていいだろう。
「いいんだ! 雨を止ませたのは両手を開けるためと......」
魔理沙はバッと傘を投げた。
「濡らさないためだぜ! フランの真似じゃあないが......」
魔理沙は金属の籠からキノコを1つ取り出すと、ミニ八卦炉で着火し、そして、投げた。
「ボッとして......ドカーンだ」
爆風で胞子が晴れた。光で視界が開ける。
しかし、氷も溶け散る。チャンスは一瞬。
「今だ! ノタカ!」
「はい、よっ!」
ノタカが鎖を伸ばし、視認できた影を片っ端から攻撃していく。
そして、もう胞子が補充されることはなかった。
◇
「何だったんだコイツらは?」
魔理沙のこもったような声。
一応毒を吸わないよう口元にハンカチをあてているからだ。
ノタカの額にはりついた前髪からポタポタ雫が垂れ続ける。
氷はとうに砕け、2人の周囲は再度雨に包まれた。魔理沙はノタカに傘を返す。
辺りにぐでんとのびているのは無数の色とりどりのマッシュルームヘアーの少女だった。見ればまだ子供の妖怪の群れだ。
「おーい、生きてるかー?」
魔理沙はその内の1人をトントンとつついた。
「魔法の森ってこんなにキノコの妖怪がいるんですねぇ」
「いや、多分この前の幽霊騒動の異常気温で生まれた妖怪だろうな。まだ、ちっこいし」
そうこうしている間に1人、また1人とむくりと少女達が起き上がり始めた。改めて見ると20人くらいはいるだろうか。
「で? 何で私達を攻撃したんだ? キノコの採取でも止めようとしたのか?」
魔理沙が目覚めた1人に問いかけた。
「ううん」
マッシュルームヘアーが一斉にくるくると振られる。雨がピンと跳ねとんだ。
「むしろ、キノコ、大事、してくれてる」
ノタカは魔理沙の繊細なキノコの扱いを思い浮かべた。と、同時に魔理沙の家のさんざん足る散らかり具合もノタカの頭をよぎる。どう考えても同一人物ではない。
「じゃ、なんだってまた......」
「探してる、キノコ」
少女のうち1人が魔理沙を指した。
「そのキノコ、今年、ない」
「それ、教えようと思って、ついてきた」
どうやら旨いキノコというのが魔理沙が向かおうとしていた地点にはないことを伝えようと足止めを図ったらしい。ひどく強引な方法だが。
「場所、教える」
「ついてきて」
未だ降りしきる雨の中をキノコ妖怪達はトコトコと走り出した。目覚めたばかりだというのに元気なものだ。
魔理沙とノタカはしばらく顔を見合わせていたが、最後尾のキノコ妖怪についていくことにした。
◇
しばらくして藪のわずかな隙間の前でキノコ妖怪は止まった。
「ついた」
「ここ」
「え?」
「ここに入るのか?」
「うん」
ぞろぞろと藪の中に小さな彼女達は消えていく。
2人も覚悟を決め、濡れた地面に這いつくばって穴をくぐった。
「こんなところがあったのか。私も知らなかったぜ」
くぐった先は少し開けた洞窟になっていた。何より驚くべきはキノコの群生数とその種類の豊富さだ。ノタカと魔理沙はしばし圧倒された。
「にしても食用のキノコばっかりだな」
今日2人が採取した魔法に使うキノコはここには見当たらない。
「キノコ、育ててる」
「里、売りいった」
「魔法の森、キノコ、皆食べない」
「もっと、色んな人、食べてほしい」
少女達はすっかりしおれたような表情になった。
「へぇー、兎や鳥は同族を食べられるのを嫌ってたが......キノコにゃそういう奴等もいるのか」
魔理沙は改めて洞窟内を見渡した。本当に様々な種類のキノコが育てられている。珍しいキノコが栽培されていることももちろん驚きの対象だが、よく見る種のものでもワンサイズ大きく立派に育っている。恐らく瘴気まみれの魔法の森のキノコというのと妖怪少女達が販売していたという理由で里では敬遠されていたのだろう。
──キノコ料理の屋台なんかさぞ繁盛するだろうなー
「ちょうどいい!」
同じことを考えていたのだろう。
魔理沙が自らの冗談を思い出したのと同じタイミングで、ノタカが指を鳴らした。
◇
「ほんとに繁盛するとはねぇ」
中有の道の1つの屋台に長蛇の列があった。
屋台の中ではマッシュルームヘアーの小さな子供達がせかせか動いている。
様々なキノコ料理が手軽に食べられるということで、もっぱら評判で売上もうなぎ登りの屋台だ。
といっても流石に亡者の屋台以外の売上を地獄が徴収するわけにもいかない。貰っているのは場所代だけで、店の繁盛は結局地獄の財政を助けるまでにはなりそうにない。
ノタカ自身は着物の洗濯代でなんなら収支はマイナスだ。
(ま、警ら中につまめるものが増えただけでもよしとしましょ)
ノタカは列の最後尾に並んだ。
「いらさいませー」
「何、注文、する?」
「ありがとございましたー」
中有の道に無邪気なあどけない声が加わった。
雨の日の外出も悪くない。