東方閻魔帳 作:妖念
是非曲直庁──死者を裁き、その魂の行き先を振り分ける閻魔、そして、罪人を痛め付け、償わせる鬼神からなる組織だ。地獄に存在する数々の勢力のうち最大級のものの1つだ。
閻魔は各々が配属された裁判所で亡者を日々、裁き続けている。
そんな地獄のある裁判所で、カツ、カツと廊下を歩く者がいた。生半可に明かりが灯っているせいで余計に荒涼とした雰囲気が醸し出されている。足音は観音開きの厳重に閉ざされた扉の前で止まり、その無愛想な扉を叩く。鈍い金属音が響いた。
「時間だ。そろそろ出発しよう」
鈍い真鍮色の髪をもつ片眼鏡の人物が氷のように冷ややかなその扉に呼び掛けていた。が、何の反応も返ってこない。
「おい、どうした? 聞こえるか?」
ただ、荘厳で静かな廊下に扉に跳ね返された声が反響するだけだ。
「......入るぞ?」
表情自体が大きく崩れることはない。しかし、応答がないことに、目の奥底には戸惑いを浮かべながら、その人物はぶ厚く重いドアを開いた。尻尾を踏まれた猫が鳴くような軋む音が壁に吸い込まれていく。
「......やられた」
数分後、部屋から出てきた片眼鏡の女はギリギリと唇を噛んでいた。
◇
彼岸──中有の道を通り、三途の川を渡った先に1人の女がしゃがみこんでいた。名付けようのない寂しさにとらわれたあの世と呼ばれる場所で彼女はある人物を待っていた。
味気ない色の景色が視界いっぱいに広がる。もっとも、今のノタカの気分では心震わす絶景すら同じようにモノクロにしか見えないかもしれない。
彼女の背後、彼岸と現世を分かつ三途の川の水面が輝いた。お伽噺の木こりの泉のようにそこからグーッと人が出てくる。ノタカは振り返った。その先に誰がいるかは分かりきっている。
「何ですか、ミラ」
相変わらずの仏頂面が川から覗いていた。
「いい知らせと悪い知らせ、どちらから聞きたい?」
本物の木こりの泉のように水面から半身だけ出したままミラは2択を迫ってきた。といっても本家と違ってノタカに正直者に与えられる第3の選択肢はない。
「......悪い方からで」
「例の2人がここに視察に来るという話だが」
「ええ、もちろん分かってますってば。今日になったんでしょ? だからこうやってお出迎えを......」
若干期待に潤んだ眼でノタカはミラを見た。
「まさか中止になったり?」
「してないな」
余りのミラのきっぱりとした口調にノタカは大いに落胆した。
「はあ......じゃあその段取りが決まったとかそんな話ですか?」
「いいか、落ち着いて聞け」
ノタカには落ち着いて聞け、という言葉をミラが自分に言い聞かせているように見えた。表情や言動には出ていないが、どこか変な焦りが感じられる。
「あの2人、既に入ってしまった可能性が非常に高い」
「入った? どこに?」
「幻想郷」
「何ですって?」
ノタカは稲妻のように迅速な驚愕を目に表した。
「......そのままの意味だ。迎えに行ったら2人の部屋がもぬけの殻だった」
「散歩とかじゃ......」
「机の上にこれがあった」
ミラは川辺に近づいた。ノタカもそれに倣って川の方へ歩み寄る。ミラは1通の書き置きを見せた。
──待てないのでもう行きます。
ノタカは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「で、私にどうしろと? まさかとは思いますけど......」
「取りあえず見つけ出して私に連絡をくれ。恐らく幻想郷の中にはいるだろう」
「......ああ、やっぱりそうなるんですね」
幻想郷がいかに限られた空間とは言え、この全土を舞台に人探しは三途の川に沈んだ六文銭を見つけ出すようなもの、つまり、無理難題だ。ノタカは天を仰いだ。冥府の寒々とした風が嘲笑うように吹いている。
「......で、いい知らせってのは?」
「何も1人で捜させるつもりはない」
「あ、結局ミラも来てくれるんです?」
「以前言ったろ。私はこれから2人の代行だ」
「え? じゃ、誰だ」
「非番の閻魔と1人、連絡がついた」
「へぇ、非番なのに働く物好きもいるんですねぇ。誰です?」
「もう到着する頃だろう。じきに分かる。私は仕事があるのでそろそろ戻らねば。健闘を祈るぞ」
まくし立てるように言い残すとミラはせかせかと三途の川に沈んでいった。三途の川が発光をやめ、透き通った水中には既に絶滅した古代魚が元気に泳ぎ回っているだけだ。
ノタカは変わらず待ち人のままだった。
◇
ノタカの隣にスッと1人並んだ。
足音だけでも生真面目さが滲み出ている。
右側だけやや伸ばした緑のショートヘアー。その上には装飾が施された冠がちょこんと乗っかり、紅白の長いリボンが垂れている。
「久々ですねぇ、映姫。いや、役職名でお呼びした方がよいですか、ヤマザナドゥ様?」
幻想郷の閻魔 四季 映姫・ヤマザナドゥはノタカからすれば"クソ真面目"な閻魔だった。
「久々なのはあなたが是非曲直庁の新年の集会をサボったからよ」
「いや、月からだとほんと遠いんですって」
とはいえ全く融通がきかない石頭なわけではない。むしろ宴会などの行事や集会の出席率はノタカより断然いい。
「いいですか。そもそも新年の集会というのは気持ちを新たに清々しく......」
ただ、楽しむための行事にも形式上掲げられているだけの意義を全力で尊重する。だから"クソ真面目"なのだ。
「ああ、もう分かりました、分かりました。来年はちゃんと出ますって」
そして、ノタカはじろじろと映姫の頭から爪先まで視線を送った。
「にしてもあなたよく非番の日にまで制服着れますね」
「常に閻魔としての肩書きを背負っていることを忘れず、その名に恥じぬよう行動するためです。それに、今日は緊急事態。非番と言えども普段の業務となんら変わりない。あなたこそ制服はどうしたの?」
「私はそんな足出せないですよー」
映姫は膝上まで露出した自分のスカートとスリットが入ったノタカの着物とを見比べた。何が違うのかさっぱり分からない。
「......本題に入りましょう。大方ミラ様からお話は伺っています。何事かと思いましたがあなたが来ていたとは......これで合点がいきました」
ギロリと映姫の翠の瞳がノタカに突き刺さる。思わずノタカは後退りした。
「で、今度は一体全体何をやらかしたというの?」
「わ、私は何もやってないですよ!」
「嘘おっしゃい! 私がヤマザナドゥに就任してからはや幾年......一度もこんな事態にはならなかった! あなたが来た途端にこれです! いい機会です。あなたには常日頃言いたいことが沢山......」
映姫がくどくど説教を垂れかけた。このままだと立っていられなくなるほどの時間が流れてしまう。
「ちょっとちょっと、今はそんな場合じゃないでしょう?」
自分から本題に入って自分で本題からそらそうとする映姫を慌ててノタカが遮る。危うく正座させられるだけで1日が終わるところだった。
「......そうね、今はひとまず置いておきましょう」
ノタカは安堵でため息とともに瞳を閉じた。
「じゃあ、早速捜しに行きましょうか」
「何か策が?」
「こちとら、伊達にここ最近人里をうろうろ巡ってた訳じゃあないんですよ」
ノタカは懐から紙切れを1枚取り出し、映姫に手渡した。ズラリと文字が羅列されている。
「今日ご案内する予定だったあのお二方が好きそうな里の店一覧です。1軒ずつ潰していきましょ」
「......里以外は?」
ノタカは両手を上げ、首を振った。
「里以外にあの方達が食いつきそうな場所は見当たりませんけどね。ま、そうなったら目撃証言に賭けます。どうせ目立つ方々ですし」
2人の長い1日がこうして始まった。