東方閻魔帳 作:妖念
桃色の髪が冥府の冷たい風にたなびく。体を揺らしながらのんびりと姿を現したのは白玉楼の主・西行寺 幽々子であった。
「あら、こんなところで......うちに何か御用かしら?」
扇で口元を隠してはいるが、目は笑っている。
「あ、幽々子さん。ちょうど良かった、ちょっとお伺いしたいことがありまして」
文は手帳とペンを手際よく取り出し、もう片方の手で幽々子の前に数枚の写真を差し出した。無論、例の老婆のものだ。
「こちらの方、ご存知ですか?」
「......ええ」
幽々子は顔色1つ変えることなく、こっくりと頷いた。事もなげに。
「えっ!?」
文は思わずずっこけそうになった。まさか知っているとも、また知っていようともこんなにあっさり認めるとは思わなかったのだ。
しかし、目の前にいるのはあの"西行寺 幽々子"だ。
「でも、簡単には教えられないわ。情報がただではないことはあなたが誰よりも身に染みて分かっているでしょう、ブン屋さん?」
当然、一筋縄ではいかない。
「何がお望みですか?」
そうねぇ、と飲食店のメニューでも見ているかのように軽く悩む素振りで幽々子は呟いた。が、案外すぐに注文の品は決まったらしい。
「とっておきの写真を1枚、お願いしようかしら」
「しゃ、写真? じゃあ、失礼して......」
亡霊はまともに映るのだろうか、などと考えながらカメラを構える文を首を振って幽々子は制す。
「私のじゃないわ」
「え? では、一体誰の?」
「妖夢のよ」
「妖夢さんの、ですか?」
「今、持ち合わせがあればそれでも構わないわ」
「妖夢さん......そうですねぇ......」
ご所望の品はどうも従者のものらしい。
従者が可愛いのか、それとも他に何か理由があるのか、その用途が全く分からなかった。が、文にとっては何に使うかなどはこの際どうでも良い。
早速懐から最近撮った写真を無造作に取り出し、品定めを始める。
「今すぐ渡せて、妖夢さんの写真で、映りがいいものとなると......」
条件を一つ一つ確認しながら文は合致する写真を漁った。そんな中、1枚の写真が目にとまる。
「あ、これなんていかがでしょう? 妖夢さんが霊夢さんと弾幕勝負をしている時のものです」
「綺麗ね......」
「そうでしょう、そうでしょう」
感嘆の吐息を漏らす幽々子に文は満足げに頷くも、幽々子は困ったように眉を下げ、文に写真を突き返した。
「綺麗すぎるわ」
「へ?」
謎のクレームに笑顔だった文の口元が歪む。
「美しくなくていいの」
「はあ......と、なると......」
「なければいいのよ。また後日、お願いするわ」
「それは困りますっ!」
ネタは新鮮さが命、とは寿司屋の常套句だが、ブン屋もそれは変わらない。目の前のネタは今すぐ手に入れたいと思うのがジャーナリストの宿命だと文は思っている。
焦りが指先に伝わり、写真がパラパラと滑り落ちた。
1枚が幽々子の足元へと舞い、ひょいと彼女は拾い上げた。
「あ、失礼」
写真を返してもらおうと幽々子の方へと手を伸ばすが、幽々子は写真をじっと見つめ──笑った。
「これでいいわ」
「え? それですか?」
どんな写真だったかと文が覗き込む。
が、あまりに予想外の写真で瞬きの回数が増える。
宴会で酒に潰れ、口から涎を垂らしながら幸せそうに寝ている妖夢を
「え? これですか?」
「ええ、よく撮れてるじゃない」
「しかし、これだといつもと変わりないのでは......」
「それがいいのよ。いつも通りの、とっておきの写真が欲しかったの。これ、頂くわよ?」
「私は構いませんよ。では、早速......」
訳は分からないがそれが"西行寺 幽々子"である。
とにもかくにも要望を叶えたのだと意気揚々とペンを持ち直す文。しかし、そんな文を幽々子はスルーする。そして、我関せず、と言わんばかりにその辺の砂利を足で均していたノタカを呼んだ。
「あなたにもお願いしたいことがあるのですけど......よろしいかしら?」
「え......私?」
文もノタカも幽々子のマイペースぶりにパッカリと口が開く。
「これを、固定して欲しいのです」
差し出された幽々子の掌に乗っかっていたのは1枚の桜の花びらだった。もう夏だというのにしっかりと散った直後のピンク色を保っている。
「私、能力の話なんかあなたにしましたっけ?」
幽々子はノタカの質問には答えない。
「冷たい所で保管していたのだけれど、所詮花びらは"死体"......そろそろ限界。でも、あなたなら永遠に同じ姿に保てるでしょう?」
幽々子の問いかけにノタカは言葉では返さなかった。ただ、黙って花びらの上に手をかざす。
「ありがとう、お二人さん。それじゃあ」
どうやら今ので事は済んだらしい。
幽々子は開いた門の手前まで進んだ。スーッと音もなく、というのが何とも亡霊らしい......などと呑気なことを考えていた自分を慌てて現実に引き戻す。対価を貰っていない。
「あ、ちょっと。まだ答えを!」
「......ああ、そのことね。10番目よ」
10番目。幽々子はそれだけ言い残すと門を通り抜け、そのまま戻ることはなかった。
「10番、目......?」
あまりにも訳が分からず、幽々子の一言をポツリとリピートする。
一杯食わされたのかと反射的に後を追おうとするが、お待ちなさいな、との一言と共に体が壁にぶつかったように動かなくなる。文は犯人の方へ首だけ向けた。
ノタカが渋柿でも食ったかのような苦々しい表情を浮かべていた。
「大体の検討はつきました。面倒臭そうなので深入りはやめときましょう。少なくとも私は......関わりたくないです」
「しかし、このまま引き下がる訳には......」
なおも文はもの惜しげな顔をしていたのだろう。ノタカは文の肩をポンポンと叩き、首を振って諦めを誘った。
「恐らくその老婆、かつて五堂輪廻王という名で呼ばれていた者です」
「五堂、輪廻......?」
「昔は1人の亡者を十の閻魔で順番に裁いていました。その10番目の裁判を担当していたのが五堂輪廻王です」
「え......? それって......?」
「ええ。あなたも肩書きくらいは知っていましたか。十王の1人、今でいう閻魔王ですよ」
◇
凄まじい連撃が始まった。
単純に老婆の攻撃の手数が倍になったのだ。仕込み杖1本ですら苦戦を強いられていた妖夢が、窮地に追い込まれるのは必然だった。
キセルのドスは刀で受け流し、仕込み杖の斬撃だけはかわす──そんな芸当をこの技量の持ち主相手にやってのけるのはほぼ不可能に近い。
杖の一撃、一撃が刀に触れるたびに悶えるような不快感が鼓膜を襲う。
厄介なのは音だけではない。激しい金属音と共にかかとが浮き、ジリジリと体が後退していくのを感じる。
腕ごと持っていかれそうな衝撃が絶えず妖夢を襲い続ける。
少しでも緩めればいとも簡単に吹き飛ばされる。
「うっ......」
思わず呻き声をあげる。知らぬ間に老婆のドスが左腕を掠めていた。ブチリ、と服がほつれる、緑の糸が散っていく。妖夢はゾッとした。このままではほつれる繊維が自分の筋繊維になってしまうのも時間の問題だ。
目で追うのがやっと、という速度の割にドスの風を切る音が微塵も聞こえない。音もなく近づく暗器がここまで恐ろしいとは思わなかった。
しかし、これほどの騒音の中でありながら、老婆は涼しげな顔で攻撃を続けている。まさか、耳が遠いわけではあるまい。
妖夢はそれが引っ掛かった。そしてここに、難敵の突破口が隠れているはずだ。
(おじいちゃん、私に......できるでしょうか?)
いや、もうやるしかない。
妖夢は祖父から受け継いだ白楼剣の束にチラリと目をやる。魂魄家の家紋を見て、迷いは消えた。
「魂魄 妖夢......参る!」
老婆の懐深く踏み込んだ妖夢は、その手の白楼剣を──天高く放り投げた。
「何を......」
老婆の眉間の皺が深くなる。
敵が急に得物を放り投げたのだ。
妖夢はその老婆の表情を確認し、両の手で1本、残された楼観剣をガッチリと握りしめる。
「ふんっ!」
妖夢は刀を力任せに振り下ろした。
狙うは仕込み杖ではなく、ドスの方だ。
「む......!?」
火花が散る。ギリギリと金属が擦れる音がする。
もろ手で勢いよく振り下ろされた一撃を片手の短刀で受け止めるのは流石に限度がある。
老婆はたまらず杖とドスの2本がかりで「キ」の字のように楼観剣を受け止めにかかった。
カチリ、と音がした瞬間、妖夢の脳内に凄まじいノイズが駆け巡る。
「うぐっ!」
歯を食い縛ってこらえる。
待っていた。1本の剣を2本で受け止めようと、ドスと杖が最も近くなるこの時を。
全力でドスを押し込み、やがて──キン、と音がした。
「ぬおっ!?」
ドスと杖が触れた。
狙いどおり老婆が苦悶の表情を浮かべる。
老婆にあの耳障りな音が聞こえている様子はなかったし、半霊の斬撃を受け止めた時には、妖夢にダメージはなかった。
恐らくあの仕込み杖にはそれを受け止めた剣の持ち主のみに地獄を味あわせるのだろう。
妖夢の狙いどおり自らのドスで杖に触れてしまった老婆はギリギリと歯軋りをする。苦しみが、顔の皺をより深くしていく。
何とか持ちこたえているようには見えるが、それでも力に緩みが見える。
妖夢はそのままドスを薙ぎ払った。
「ぐっ......」
カラカラと短刀が転がる。
老婆はもう一度あの音を妖夢に叩き込もうと、杖で突きの動作を見せる。苦し紛れに見えながら洗練された動き、これをまともに刀で受けては元の木阿弥だ。
だが、妖夢にとっては想定の内であった。
(それも......読めてるっ!)
「なっ......!?」
妖夢の横を素早く影が掠める。
半霊だ。再び妖夢の姿をとった半霊がその手に握り締めていたのは、老婆が投げ捨てた杖の鞘であった。
突きに合わせてスッと差し出された鞘にすっぽりと仕込み杖がはまっていく。
先程までであれば到底こんなことはできなかったが、自爆で老婆の動きが鈍くなっている今ならできる。
鞘に完全に収まる前に老婆は反射的に杖を引いた。
まだ、剥き身の刀身の部分に向かって妖夢は楼観剣を振り抜いた。
カキン、と金属音がしたが妖夢には何のダメージもない。
一番最初の一太刀、老婆は妖夢の斬撃を杖から完全に刀身を出さずに受け止めている。その時も妖夢には何も聞こえなかった。
この杖の特性は恐らく一部分でも鞘に収まっていると発動しないのだ。
これならば容赦なく刀を振るえる。
「でいやっ!」
杖もまたカランカランと老婆のもとを離れていく。
2本目の刀も失った老婆は驚嘆の表情で妖夢を見据えた。
「何とまあ......」
ここまでの時間、ほんの僅かであった。
そう、放り投げた白楼剣がまだ宙にある程には。
妖夢は勢いよく飛び上がり、白楼剣に再び触れた。
そして、その手に刀を握りこむと同時に目を閉じる。
ずしりと刀の重みがのし掛かった。
もう何も見る必要はない。余計な情報をシャットアウトし、辿るべき2本の太刀筋だけをイメージする。
振り下ろす。
確実に捉えた。
その手に鈍い感触が残る。
「けっけっけ......儂に3本目まで使わせるか。大した者だな......妖忌よ」
(妖、忌......? 今、おじいちゃんの名前を......)
顔すらおぼろげな老剣士の厳かで、大きな、背中がふと妖夢の頭をよぎる。が、両手の感触の変化が妖夢を現実へと引き戻した。
これは......終わっていない!
妖夢は目を見開いた。
イメージ通りの箇所に刀はある。
違うのは団子状にまとまっていたはずの老婆の髪の毛が振りほどかれていることだ。
ざんばら髪を振り乱し、頭にあったかんざしで老婆は妖夢の刀を受け止めていた。
そして──それを手にしていたのは白骨化した3本目の腕だった。
「......ん? おい、どうした?」
老婆の呼び掛けに心の臓がバクつく。
ふらふらと体の力が抜けていく。血の気が引いていく。
「あ......骸骨お化、け......」
「お、おい! 危ないじゃろうが」
老婆は急に脱力しきった妖夢を慌てた様子で受け止めた。
「けっけっけ......あまり、祖父に似なかった部分もあるようじゃな」
白玉楼の庭に老婆の笑い声だけがこだました。