東方閻魔帳   作:妖念

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四十五、廃獄ララバイ(五)

 勇儀の太い腕の圧迫感、そして慣れぬ浮遊感に耐えられずに目を閉じてからどれくらいだろうか。長い時間のように感じたが恐らく数分足らずであろう。 

 

「いてっ」

 

 頬や手のひらがべチッと音を立てた。おっとすまない、との声を地面と平行な背中に受ける。ノタカは顔をしかめ、土を払いながら、生まれたての子鹿のようによろよろ立ち上がった。

 

 ノタカが連れて来られたのは──なんにもない場所だった。

 

「ん……? どこです?」

 

 風が岩の隙間を抜けるか細い口笛が微かに響くだけの場所。ノタカもよく知っている“あの場所”にそっくりだった。

 

「旧“地獄”なだけあってね、少し街を外れりゃこんなもんさ」 

 

 都からはかなり離れているようだ。人っ子一人いないし、誰の声も聞こえない。いや、正確には2人、いた。

 ノタカは拳と手のひらを打ち鳴らす勇儀と視線を揃える。萃香が地べたにあぐらをかいて、瓢箪から液体を──十中八九酒だろうが、ドボドボと喉へ流し込んでいる。その背後には永琳もいた。ノタカは流石に逃げるのを諦めた。

 萃香が口を拭ってフラフラと腰を上げる。全身から異様な雰囲気が漂っていた。今なら例え、彼女の側頭部にその角がなくとも分かるだろう。鬼なのだ、彼女は。

 

「さて、勇儀ぃ......久々にやるとしようか」

 

 ──萃符『戸隠山投げ』──

 

 萃香が頭上に手を掲げる。すると、ノタカの足元の土塊の1つがパラパラと浮き上がり、萃香の方へとすっ飛んでいった。

 

「え......?」

 

 辺り一帯の石やら土やらが次々と、提灯にまとわりつく夏の羽虫のごとく萃香の元へと集まっていく。瞬く間に萃香自身の数倍にもなる巨大な岩が出来上がってしまった。萃香はそれをひょいと軽々担ぎ上げた。それが何を意味するか──理解した瞬間にノタカの背筋が寒くなる。

 

「ま、まさか......」

 

 そして、それを萃香は力まかせにこちらへ放り投げた。冗談であってほしいのだが、残念ながらノタカの眼の前でその冗談が現実に起きている。正面からまともに殴り合うのは自殺行為だ。

 

 そして、その影で、永琳が追撃の弾幕を準備しているのも見えた。

 派手な岩の攻撃に意識をひきつけて、二の矢、三の矢を放つ──大まかな意図は読めた。

 巨岩が近づいてきた。しかし、ノタカはまだ何もしない。

 岩がどんどん大きく、近く迫ってくる。まだだ。

 そして、もう手を伸ばせば届きそうな程にまで近づいた時だった。岩を手前までひきつけて固定することで、盾にし、永琳の攻撃をそれで防ぐ──その算段は次の瞬間に脆くも崩れた。

 

(曲がった......!?)

 

 ノタカを狙っていた岩がギュンと軌道を変えてしまったのだ。

 突如として萃香が岩の側に現れ、岩を蹴飛ばしていた。

 余りにも突然のことにノタカは追い討ちの永琳の攻撃を固定して防ぎきるのが精一杯だった。

 

「マズい! 一本角!」

「あ? 私のことか?」

 

 岩の行き先は勇儀の方だった。勇儀は焦るどころかニヤリと笑う。

 

「なんだ随分やる気じゃないか、萃香」

 

 拳を突き上げ、軽く振った。そして──岩は粉々に砕け散った。安物の食器をうっかり落としてしまった時のように、いとも容易く。

 

「こりゃ、私もちょっと気合入れないといけないねえ」

 

 ノタカの協力者もまた、規格外の鬼の中でも規格外の存在だったのだ。

 

 

 ◇

 

 

「折角名乗ったんだ、名前で呼んでおくれよ」

 

 パラパラと降り注ぐ岩の雨の中で勇儀は豪快に笑ってみせた。

 

「......申し訳ないが控えさせてくださいな」

 

 ノタカの周囲では弾幕が釘で打ち付けられていたようにピタリと止まっていた。これが彼女の能力らしい。ノタカはそれを鎖ではたき落としながら、気まずそうに頬をこわばらせる。

 

「向こうの銀髪の医者のことは名前で呼んでたろ? 地底くんだりでまでおいでになるような閻魔様はやっぱり訳アリってことかい?」

「......訳、ねえ。私たちが負ければあなたもそれを聞けるかもしれませんよ」

 

 ノタカは笑ってはぐらかしてはいるが、あいも変わらず心苦しそうな表情が混ざっていた。

 

「気にならない、と言えば嘘になるさ......だけどね」

 

 勇儀はもう一度笑ってみせた。

 

「安心しな、だからって手抜いて負けるなんて冷める真似、しやしないよ」

 

 勇儀はの手の甲に筋が浮き上がる。グッと握りしめた拳から湧き出る力。溢れ出るエネルギーは両の手のひらから螺旋状に渦巻いていくその姿は鞭というより、しなるようになった棍棒の方が近い。

 勇儀は力任せにその光り輝く凶器を無茶苦茶に振り回した。

 

「旧都がどれだけ熱い場所か! 精一杯視察してお帰りくださいな閻魔様!」

 

 轟音と砂煙。更地をさらに不毛の地に仕上げた後、それらが晴れ上がった時に残るのは勇儀を含めて3つの影だけだった。

 

「あら、恐ろしいことをするものね」

 

 八意永琳はほとんど位置を変えずにその場に佇んでいた。勇儀も感触で分かったが彼女は避けずにその場で凌ぎ切っていた。

 そして──更地になったというのは厳密に言えば違う。勇儀の側には人一人すっぽり入りそうな土塊の卵みたいなドームが出来上がっていた。

 

「一応、私は味方という体であったと記憶していますが......」

 

 土が崩れ、咳き込みながらノタカが姿を表した。

 

「お、無事だったか閻魔様!」

「またこの技をやる羽目になるとは......口に入るからやりたくないんですよ、これ......!」

 

 ノタカはペッと土を吐く。そうしている間に萃香が顕現した。1人だけ、先程の攻撃を避けた(・・・)人物だ。

 

「流石にこの程度でくたばられちゃあ、私の相手は務まんないからねえ」

「これなら手を抜いて貰ったほうがありがたいんですが」

 

 ノタカは口をもごもごとさせている。口内の不純物がまだ取れないらしい。萃香と永琳は次なる弾幕を放ち始めていた。

 

「いいのかい? 負けるとろくでもないこと聞かれるんだろ?」

「あなたが言い出しっぺでしょうが......まあ、あの状況で周辺に危害を及ぼすことなく事態を収拾つけようと思えば仕方のないことですがね」 

「分かって頂けているようで何よりだ」

 

 ノタカが止める弾幕を2人で撃ち落とし続ける。萃香も永琳も手を休めるつもりはないらしい。

 

「それにあなたが手を抜いた程度で私は負けませんよ」

「あら、言うねえ」

「まあ、でも“地底の住民として”本気で私の秘密を守ろうとしてくれているのならば......お願いさせて貰いましょうかね」

 

(やれやれ、鏡がなくてもお見通しかい)

 

 何もないのに地底に行き着く者は少ない。あるものはその能力を疎まれ、あるものは現世に愛想を尽かし、また、あるものは──例を挙げればきりがない。

 しかし、だからこそ地底は“訳あり”が暮らしやすくなければならない。

 鬼として嘘は嫌うが、地底の住民として何かキズがあるのならばそれを庇ってやるべき、勇儀はそう信じていた。もちろんそれはノタカとて例外ではなく。

 

「やっぱり、“読まれる”ってのはやりにくいね。なあ、さとり」

「何か言いましたか?」

「いや、気難しい友人にくしゃみでもさせようと思ってね」

「ああ、そうだ。勝利した時には......あなたにはお教えしましょう」

「え?」

「......私なりのせめてもの義理です」

 

 何を、と尋ねかけて勇儀はその言葉を飲み込んだ。あまりにも野暮だ。

 

 

 ◇

 

 

 クシュン! 

 

 ドアの奥から小さくくしゃみが聞こえた。燐はそっと扉を開いた。何かぼやきながら鼻を軽くすする少女が椅子にもたれかかっている。紫色の髪が霞むほどに胸のあたりに鎮座する、形容しがたい目玉が目を引く。燐の主にして、地霊殿の主人・古明地 さとりその人であった。

 

「誰か噂を......あら、お燐。お帰りなさい」

「さとり様!」

 

 燐は猫の形態へと戻るとパッと主人の膝上へと駆け上がった。

 

「......そう。閻魔様がもうすぐいらすのね。ちゃんと終わる頃にもう一度お迎えに上がるのよ?」

 

 一言も発さない燐を撫でながらさとりは語りかける。

 

「こいしならいないわよ。まあ、いつものことね......いつものことだからといって、この心配が消えるわけでもないけど」 

 

 さとりは天井を仰いで嘆息を漏らした。

 

 

 ◇

 

 

 

「よいしょっと......」

 

 稗田 阿求は筆をそっと置いた。とりあえずこの書物はここで一区切りつけるとしよう。阿求はまだ乾いていない墨に着物が擦らないようにゆっくり立ち上がり、部屋をあとにした。

 

『何するの?』

「書庫の整理です。定期的に掃除や蔵書のチェックをしておかないと、私がいない時代の従者や次の私(・・・)が困りますから」

『そうなんだ! 私も行こっと』

 

 阿求は少し古臭いが頑丈な書庫の鍵を開けた。ここは稗田家、いや幻想郷の歴史が詰まっていると言っても過言ではない場所だ。限られた者しか立ち入ることのできないようになっている。もちろん書物の劣化や紛失、盗難防止のためだ。

 

『わー、巻物も本もいっぱい......お姉ちゃんは本が好きだし、ここも好きそうー!』

 

 阿求は書庫に入り、手際よく書物を手に取っていく。阿求には全てを記憶する求聞持の能力とそれを引き継ぐ転生の仕組みがあれど、それらは完璧ではない。

 

『2000年くらい前のものもあるの?』

「2000年? というと......弥生時代......このあたりですかね。最も伝聞だけで御阿礼の子()も実際に見聞きした時代ではありませんから正確性は保証しかねますけど」 

 

 例えば初代御阿礼の子である阿一の記憶はもうほとんど残っていない。しかし、それではならない。

 

『じゃあこの中にこわーい呪いって載ってる? タタリとか!』

「ふーむ......そういった類でしたらこちらでしょうか」

『ありがとう! ちょっと借りてくね』

「ちゃんと返しておいてくださいね」

『分かった! またね!』

 

 稗田家は歴史の観測者たらねばならない義務がある。だからこそ古い書物は転写しておき、残しておく必要があるのだ。

 

「あら? 何だか少し散らかっているような......」

 

 阿礼の伝聞、つまり阿礼以前の歴史をまとめ上げた棚の本が床に平積みにされていた。誰かが置きっぱなしにしたのだろうか。やれやれ、と呟き阿求はその整理の作業から始めた。

 

 

 

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