馬車は街道を走り続けている。
だが、帝都までの道のりは遠く、まだまだ時間はかかるだろう。
少し、話がしたかった。
状況の整理をしたいのだ。
「話を整理したく」
馬車の中、声を上げる。
このような時、私はどうも自分の考えに深く入り込む癖があった。
それはファウスト・フォン・ポリドロという男の、どうしようもない悪癖であると。
今は別な馬車にて第一王女親衛隊と談笑しているであろう、騎士見習いたるマルティナに先日指摘されたばかりである。
もう、これはやめようと思うのだ。
私は酷く視野が狭く、時々どうしようもないくらいに自分の考えのみに拘泥することがある。
前世持ちという経歴ゆえに。
この生まれ落ちた異世界の常識と、自分の常識、理念、騎士道が混ざり合う。
前世の私と今世の私の価値観――歪んだ誉れのような。
これそのものが払拭されることは、私の生涯において無いだろう。
だが、緩和することは可能である。
「アナスタシア殿下。今回の事について、いくつかお聞きしたく」
「構わない。気軽に聞け」
報告・連絡・相談を綿密に行う事で、この自分の欠点をどうにかしようと思えた。
許可も下りた事だし、遠慮なく尋ねる。
「二つほど質問が。まず一つ目は、今回の主要目的について」
「ファウストも判っていようが、我々の目的はアンハルト選帝侯としての継承式を帝都にて執り行うことにある。もちろんアンハルトは我ら一族の領地であり、それを継承する事自体に皇帝陛下の許可が特別に必要なわけではないが」
むしろ、我々が選挙君主制にて、皇帝陛下を選ぶ側である。
アナスタシア殿下は一度、そこで言葉を止めて。
「皇帝陛下に謁見し、陛下自らの主催により、私の継承式を取り計らって頂くこと。神聖グステン帝国とアンハルトの強固な関係を公に周知し、理解させ、アンハルトを侮らせることのないようにする。これが主要目的である」
アナスタシア殿下は、簡潔に言葉を為す。
殿下と言っても、今回の旅が終わったころには女王陛下になるのであろうが。
かつてのリーゼンロッテ女王陛下が女王になったのは、殿下と同じ16歳の時である。
雑多な思考を一通り行い、次の質問に移る。
「二つ目の質問を。今回の旅の日程については、詳しく定められているのでしょうか」
「ある程度までは決まっている。現在決まっていることまでを話そう」
ある程度というのは、帝都でどのようなトラブル、また他選帝侯や貴族との関係を深めるための会談が必要となるのか。
それが判らないためだろうと察する。
リーゼンロッテ女王陛下が繋いできた縁もあろうが、それを新規に繋ぎ、逆に断ち切らねばならない縁もある。
母マリアンヌが気狂い扱いされたため、他の貴族からは疎外されているポリドロ領の領主にとって。
それはあまりにも実感が湧かない話であるが。
「まず、帝都に着き次第、すぐに継承式というわけではない。皇帝陛下にとって、我々は心からの歓待を行うべき重要なゲストであるが、招かれる側にとっても重要な式典となる。両国の紋章官同士の打ち合わせが当然必要となるのだ。外面的には、旅の垢を落とすという名目でしばらく帝都で暮らすこととなろう。継承式が行われるのは滞在の最後だ」
帝都で過ごす、ではない。
暮らす、と明言する。
年という長い期間にはならないだろうが、一時的に生活の場所を作り上げることになるだろう。
「その間にも、私は他貴族との関係を深めるべくパーティーや会談などに出席せねばならん。基本的にはアスターテやアレクサンドラが私と共に参加することになるであろう。だが、お前にも出席してもらわねばならん」
「粉骨砕身を以て、何もかもに応えると申しました」
正直、あんまりパーティーは好きではない。
アンハルトでは、この巨大な体躯から醜い男として扱われた。
敵国であったヴィレンドルフでは、逆に絶世の美男子であると言われた。
そして神聖グステン帝国においては、残念ながら前者である。
この筋骨隆々の体躯は、明らかに醜男として扱われる。
さっきからチラチラ私の身体を見てるアスターテ公爵は、はっきり言って奇妙な性癖をしているのだ。
である以上は、アンハルトと双務的契約を結んでいる領主騎士としては発言する必要がある。
「私はアナスタシア殿下からの如何なる命令も、それを拒むことはございません。幾千幾万の兵に囲まれようとも、戦場とあれば恩寵のため、主君のための勇敢な騎士として闘って勝ちましょう。ですが、パーティーには役立てぬものと思います」
むしろ名声を汚すことになるのだ。
何故、アナスタシア殿下はあのような醜い男を横に連れているのだ?
誰もが口にはせずとも、そのような目で見るのは間違いない。
「ファウスト。知っているだろうが、私には婚約者がおらぬ。パートナーとして連れ歩く男性がいないんだ。私はお前にその役を頼みたい」
社交の場において。
この男女比1:9の世界において、男を社交場におけるパートナーとして自分の横に侍らせるのは重要である。
それはそういった男という名の財産を手に入れられるという、社会的顕示効果を意味している。
そして、男側に求められるのは力強さではなく、美しさであった。
美少年や美青年、逆に初老の男性であっても良い。
美しさを維持していることこそが重要である。
この世界において、私にはそういった美しさという魅力が一つも無い。
前世の世界から見れば、化粧品を好み、装飾物を愛し、沢山の髪形を楽しみ、体の線はほっそりとした。
身長は低く体重も軽い、子供のようにこじんまりとした男が理想。
石鹸一つでゴシゴシと皮脂を荒っぽく落とし、装飾物が似合わず、髪は短髪、体の線はぶっとくて。
身長は誰よりも高く、体重は子供一人程度ならば、のし掛かるだけで潰してしまいそうな。
山のように巨大な男が私。
もう何もかもが駄目である。
少なくとも、アナスタシア殿下が横に侍らせる男として相応しくはない。
「私は醜いと知っております。母から産まれたこの身を恥じる事は一生においてありませんが、それとこれでは話が違います。私にパートナーは務まりません。お考え直しを」
明確に断りを入れなければならない。
この旅においては侍童も多数参加している。
アレクサンドラ殿が志願者を選別しており、しっかりと社交界におけるパートナーとしての教育も受けたそれだ。
目見麗しい一人でも適当にパートナーにすればよい。
婚約者ではないと相手側も知っている以上、少なくとも明確な恥になりさえしなければ良い。
私は私を恥に思う点は、細胞の一辺たりとて無い。
それは嘘ではない。
だが、部下としては私の容姿を否定せねばならん。
再考を願いでる。
だが。
「私はお前を醜いと思った事など、一度として無い」
アナスタシア殿下の視線は、少しだけ優しく感じた。
「お前は会った事がないだろうが。お前ほど背が高かったわけではないし、お前ほどに鋼鉄のような身体つきをしていたわけでもない。だが、私の父ロベルトの事をお前を見ると思い出す」
その視線は。
蛇目姫とも言われる、瞳孔が爬虫類のそれと錯覚させるような印象は薄れており。
ただ、何かを懐かしむ様に呟くのだ。
「私はな、ファウスト。どのように言えばよいか、少し悩むが。せめて心の内を話す」
アナスタシア殿下は、少し遠い目を、私ではない何かを見つめながらに話し続ける。
「ヴィレンドルフ戦役にて、かの国との国境線に近い砦にて。お前と出会って以降、何度も話す機会があった。その時に、少しばかりお前の事も聞いたな。何故男であるお前が領主騎士になったのかも聞いた」
手合わせ。
アナスタシア殿下は胸の前で、手のひらを下に向けながら両手を重ねた後に。
指と指を重ね、困ったようにつぶやく。
「私はな。あまりにも最初、父であるロベルトと似ていることから、お前を嫌ったよ。もちろん、お前の容姿が嫌いだからではない。あまりにも父と似通っていたから、逆に忌避したのだ。だがな、お前と戦場にいる間に少しづつ私は理解したよ。そして、お前が今までやってきた事を横で眺めていて、はっきりとこう言えるのだ」
子供のように。
少し恥ずかしいのだと言いたげに、自分の指と指を擦り合わせ、言い募るアナスタシア殿下。
人食いのようにさえ見える三白眼を、少し細めて呟く。
「その、これは、亡き父が大好きであった私にとって、私なりにできる最上の誉め言葉と思って欲しいのだ。お前は父ロベルトのように優しく、父のように傍にいるだけで、私の心を弾ませてくれる。そして、私はファウストが父ロベルトではない別個の人物であることも理解して、その上で、その心根が愛おしいと思うのだ」
横のアスターテ公爵が、ひゅっ、と息を呑む音が聞こえた。
横目で少し見れば、驚愕の顔を浮かべている。
何を驚いているのだろうか?
「だから――だからな、ファウストよ。私はお前の容姿が何であったとしても、世間一般の女どもが嫌う容姿であったとしても、私はそのような事どうでもよいのだ。私はお前がアンハルトどころか、神聖グステン帝国中で一番の男だと思っている。お前が世間の評判を気にする必要は何一つとして無いし、お前を馬鹿にするような女がいれば、それが皇帝陛下だって殴るつもりなんだ」
アナスタシア殿下の横に座っている、アレクサンドラ殿。
普段は軍人然とした無感情さえ感じさせる顔は、ニコニコと柔和なものへと変貌し、優しく横のアナスタシア殿下を見守っている。
「このような事、何度も言うべきではないと思う。だからこそ、この機会にハッキリと言っておく。私はお前が好きなんだ。ファウスト・フォン・ポリドロよ」
――。
少し、思考が止まる。
このように、純粋に好意を伝えられたなど、今までにない事だろう。
私は、アナスタシア殿下の視線を黙って受け止め、目と目を合わせる。
「その、だから、なんだ」
手遊び。
指と指を重ね合わせていた手をほどき、それを止め、ひざ元に置きながら。
私と視線を重ねたまま、アナスタシア殿下は呟いた。
「私はお前を好いている。私のパートナーになって欲しい」
それはまるで、告白のようであった。
私は少し、アナスタシア殿下の事を誤解していた。
今まで悪い人ではないと理解していたものの、正直怖かった。
私の直属の上司たるヴァリエール第二王女、平凡だけれども優しい彼女とは違い、アナスタシア殿下には冷酷で無慈悲な判断を如何様にも下すことのできる為政者。
そのイメージがあまりにも強すぎて、理解が及ばなかったのだ。
アナスタシア殿下は。
「承知いたしました」
本当は、人を容姿で判断するようなことのない、優しい方なのだと。
私はしっかりと認識した。
「その、私の本心をわかってくれたか?」
「ええ、完全に理解しました」
私はアナスタシア殿下の真心に、誠心誠意応えねばならぬ。
「帝都在住中だけは、アナスタシア殿下のパートナーとして恥ずかしくないように。出来る限りの努力をいたします」
「そうか! わかってくれ――」
アナスタシア殿下は満面の笑みを浮かべ。
少しだけ不思議そうな顔を浮かべ、そして私の言葉を反芻するように呟いた。
「帝都在住中『だけ』は?」
もちろん、私は力強く応じる。
「は! 騎士として熱狂者のように振る舞うことは当然として、男として出来る限り恥ずかしくないように帝都内においてだけは、パートナーとして努力いたします」
狐につままれたような、何故か少しだけ悲しい顔をして。
いや、これはおそらく見間違いであろう。
アナスタシア殿下があまりにも鋭い眼力であるから、この顔はおそらく私に優しい視線を送ってくださっているのだ。
勘違いしてはいけない。
確かに告白のようなそれであったが、私はヴァリエール様の婚約者である。
まさか婚約者の実姉であるアナスタシア殿下が、このような場所で愛の告白をしてくるわけがないのだ。
「うん、そうか」
優しい表情。
私の言葉に感じ入ったように、身を僅かに震わせ、そして口を閉じるアナスタシア殿下。
目端に移る、私とアナスタシア殿下の会話に驚愕したかのようなアスターテ公爵。
目を細めて私と殿下を眺めた後、やがて眼を閉じ、首を振ったアレクサンドラ殿。
「そうか、帝都在住中『だけ』はか……」
私を優しく見つめながら、どうしても私の目には少しだけ悲しそうに映る。
まあ、やはりアナスタシア殿下は誤解されやすい容姿をしているから、多分優しそうに笑っているだけだろうが。
肩をすくめ、子供のようにいじいじと、また指を重ねる遊びを始めている。
そんな彼女を見つめながら、少し気にかかる点を思い出す。
そういえば、アナスタシア殿下が私に対して打ち明けてくださった、上司と部下としての親愛の情。
それと少し形は変わるが、以前にもハッキリとお前が欲しいと言われたことがある。
こちらも愛かどうかも判らないが、と前置きが入るが。
アンハルトに匹敵し、武においては凌駕するヴィレンドルフの女王。
イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフ。
彼女は、今回の継承式に参加されるのかどうか。
私はそのような事に、少しばかり思考を飛ばした。