礼服に身を包んでいる。
いつも自分が王都で着ている一張羅ではなく、アスターテ公爵が用意してきたものだ。
採寸はしっかりとされており、自分のような筋肉達磨の身体にも、ぴったりと合った。
意匠は控えめであり、体の線を出すことが意識されていた。
「よく似合っている」
アスターテ公爵が褒めてくれる。
彼女はいつもの燃えるような赤い編み込みの髪形。
それを映えさせるようにシンプルな、黒いドレスを着ている。
腰は細く、胸は無意味に大きく、足のくるぶしを目で追ったが、それはドレス丈に覆われて見えない。
私は確かに巨乳が大好きだが、くるぶしフェチでもあるので残念に思う。
「お褒めの言葉どうも。アスターテ公爵も良く似合っていますよ」
「それは嬉しいが。ファウスト、たまに足を見るのは何故なんだ?」
「気にしないでください」
アスターテ公爵は派手な装飾を好むが、今はアンハルトの礼服よりも控えめである。
メインがアナスタシア殿下になるからであろうな、と考えた。
私の視線は見えないくるぶしの代わり、アスターテ公爵の爆乳に向かおうとするが、そのような場合ではないので辛うじて堪える。
「ところで、やはり私のような筋肉の塊を連れ歩くのはどうかと思うんですが? 先日、アナスタシア殿下の御心は理解しましたので断りはしませんが……神聖グステン帝国において、男の流行はどうなっているかお聞きしたく」
「アンハルトと神聖グステン帝国帝都、このウィンドボナでの男の流行に変わりはない。背は低い方がよく、線は細い方がよく、紅顔の美少年が好まれる。まあ、パーティーの場において、若さは別に重要視されないが」
すらり、とアスターテ公爵の腕が伸びて、私の腰を撫でた。
そのまま股間に手が伸びるが、親指と人差し指の二本で手の皮を掴み、窘める。
「要するに、私のような無骨な男は好まれぬでしょう。やはり、今からでも侍童に相手をさせるべきでは?」
「念のための代理も、帝都に連れてきてはいる。だが、それはお前が何らかの理由で出席できぬ際の代理にすぎぬ。ファウストの代わりがこの世にいるものか」
そういえば、私の立場はアナスタシア殿下の義弟となるのか。
そんな事を考えるが、アスターテ公爵の両手が私の腹を撫で、そこから首までをゆっくり、指の腹で擦りながら。
何か杯でも掲げるようにして、その手が私の顎に添えられた。
「私はお前が欲しいよ、ファウスト」
接近していた距離は近づき、アスターテ公爵の胸が、私の身体に押し付けられる。
色々と感じるものはあるが。
「そのような事をしている時ではないと思いますが」
「今日の夜会のことか」
晩餐会に招待されている。
主賓はアナスタシア殿下。
パートナーの私、連れのアスターテ公爵の3人だけ。
さて、帝都に着いて数日経ち、初めての夜会となる。
「ホストはテメレール公。神聖グステン帝国内における公国の地方君主と伺っておりますが?」
「それだけ覚えていればいい。何の問題もない。他はただの木か岩だと思え」
あまりにも適当である。
アスターテ公爵はあまりにもやる気が無い、とマルティナに愚痴ったのであるが。
マルティナはマルティナで、その頭脳を私のために回転させようとはしない。
どうでもよいじゃないですか、などとすら発言した。
私が手持ち無沙汰になって頭を撫でていると、猫のように目を細めて言うのだ。
そして不機嫌そうに、何で今どうでもいいこと言うんですか、と怒るのだ。
「マルティナも同じように言いました。アスターテ公爵もアナスタシア殿下も、私の記憶力に期待しておられないのですか? そんなにも頼り無いと?」
「違うな。厳密に言うと、パートナーとして、それほどの役割をお前に求めていないのだ」
なんか馬鹿にされているような。
そう思うが、ニュアンスが少し違うんだろうな。
「これが選帝侯の夫であれば別だ。私の叔父であり、リーゼンロッテ女王陛下の夫であるロベルトであれば別であった。公爵家の縁筋で、正式な夫だ。誰も粗略に扱わぬ。叔父ロベルトが抱く好悪が、その貴族の運命を左右する事すらあるのだから」
「まあ、私は領民300名の小領主に過ぎず、単なるお飾りのパートナーですからね。誰も重要視はしないでしょう」
「とはいえ、ファウストはやはりアナスタシアの公的なパートナーであり、義弟だ」
アスターテ公爵は少し口ごもって、赤い小さな舌で唇を湿らせた後。
少し困ったように呟く。
「つまりだ。重要視はせずとも、誰も粗略には扱わぬ。あまり気負う必要はないんだ。アナスタシアがお前をパートナーとして求める感情とは別として、私としても何も反対する理由はないんだ」
「しかし、それではアナスタシア殿下の利益にならぬのでは?」
そのようなどうでもよい立場であれば、やはりミスをしない侍童の方が良いだろう。
私がパートナーであることが、アナスタシア殿下の利益にどう繋がるかが理解できない。
「色々ある。アナスタシアはまあ単純に自分だけのために。私としては、アンハルト王国のための色々な利益を考えて行動している。この利益は必ずや、お前にも配当を出すんだ。だから、今は黙って従って欲しい」
「はあ」
アスターテ公爵のことだから、本当に色々とあるんだろう。
私を利用はするけど、嘘だけはつかない、これだけは信じているのだ。
戦友である。
なれど、どうしても心配がある。
「アスターテ公爵。私の晩餐会における失敗が、その利益を超えた不利益に繋がる可能性もあるでしょう。その点はどうお考えで? やはり、リスクが……」
「ファウスト。お前は変な心配をしすぎなんだ。何か変なトラブルが起きないように、お互いの名誉を汚さないように、ホストも主賓も最大限の注意を払っている。夜会に偶然『あら、あの方は誰かしら?』などと知らない顔をばったり会わせて、どちらかが無礼を働く事など絶対に無いんだ」
お前は貴族のパーティーに参加したことなどないから、判らないだろうが。
アスターテ公爵は困り顔で呟く。
仰るとおりであり、私にはパーティーの経験などなかった。
だって本気で一度も呼ばれた事ないもの。
最近はアンハルトの封建領主の方々と、少しばかりは文も交わすようになったが。
とにかく、私には貴族としての交流経験が足りない。
「もちろんアナスタシア殿下とて、テメレール公とは先日夜会の約束のために顔を合わせたばかりだ。顔合わせの際は、テメレール公が紹介の労をとることになる。つまりだ。貴族として当たり前の事さえ守っていればよいんだ。その当然の事とは何かが、わかるな?」
「まあ、さすがに」
適当に幾つかのことを頭に思い浮かべて。
結論としては、一つの事をだけを口に出す。
「誰に対しても侮辱しない」
「そうだ、貴族として当たり前のことだ。最低限決められたルールだ。それだけは絶対に許されない致命的な失敗だが、ファウストがそんな失敗をする可能性などないだろう」
信頼されていると受け止めてよいのか?
そうはいっても、一応のマナーは学んだとはいえ、ミスったらどうする。
事前準備こそ積めど、本当に何もしなくてよいのかと不安なんだが。
アスターテ公爵にとってはどうでも良いようで、ホストについての話を始めてしまう。
「ファウストよ。今回会うことになるテメレール公は選帝侯ではない。だが、選帝侯ではないこと。それが領主騎士として実力が無いことを意味するわけではない。理解できるな」
それは当たり前の事だ。
爵位が高いからと言って、支配する荘園が大きいとは限らぬ。
純粋なる暴力たる私戦(フェーデ)の前には、皇帝陛下すら敗れることがある。
確かに爵位が高いということは、それに値する権力を有していることが多いが、それだけだ。
決してイコールではないのだ。
「テメレール公は欲深く、気難しく、苛烈で、豪胆で、かなり無茶苦茶な性格をしている。猪突公とすら呼ばれている。だが、動員できる兵は5000を上回るだろう。アンハルトやヴィレンドルフには劣れど、彼女を侮辱するような者がいれば」
「その日の夜には死んでいる、と」
別にそれは貴族として当たり前のことだと思うが。
騎士を侮辱するという行為は、その本人を侮辱するのみならず、その領民や従士、領地や先祖、父母や家族を侮辱するということだ。
侮辱したものが誰であろうと、私戦(フェーデ)を挑まれて、その場で殺されても仕方がない。
後で面倒になっても、その場でぶち殺さずに舐められるよりもマシだと誰もが考える。
だから、だ。
「そんなの当然ではありませんか。何を当たり前のことを言ってるんです」
「そうだ。当たり前のことだ。アナスタシアもテメレール公も、私もファウストも、それ以外の皆すら、誰もがそんなことくらい理解している。だから、何の心配もいらないんだ」
要するに、マナーなんぞ多少違反しても怒られる事は無い。
その場で素直に頭を下げ、ホストに恥さえ掻かせねば済む。
そういうことなのだろうな。
「理解しました。しかし」
「まだ何か心配なのか?」
「はあ」
侮辱について。
なるほど、貴族とは侮辱に対して全力で殴りかかる生き物であり、そこには生死すら平然と入り込む。
酷く暴力的であるのだ。
しかし、人を侮辱するとは残念なことに楽しいものだ。
何もしておらず無能な自分の誇りを持ち上げるには、他人を侮辱するのが一番容易い方法なのだ。
「生死のリスクすら理解できず私を侮辱する阿呆は必ずいるでしょう。私とて幾度も侮辱を受けました」
「ファウスト。お前の立場については色々と思うところがあるし、まあ私も冷静に考えればだ。お前がそう考えるのも無理はない気がしてきた」
この母が産んでくれた筋骨隆々の身体を侮辱されることなど、人生何度もあった。
面と向かって私を侮辱する者は少ないけれど、姿すら見えぬ安全圏という名の影から、私を侮辱する愚か者は必ずいた。
王都の市民にすら侮辱されるのだ。
アスターテ公爵直下の公爵軍、その兵士たちが私を侮辱した者を殴るトラブルも多数発生したと知っている。
私は何一つ知らない無能ではない。
そして、そういったトラブルが起きる可能性があるならば、相手に理解を求めるのではない。
原因たる私を排除する方が容易い。
「だが、やはりお前と私の視点では違うよ。今から行く場所は街頭パレードでも、無能な法衣貴族が蔓延る王都でもない。何度も言うが、これは正式な晩餐会なんだ。主賓がアナスタシアで、ホストはテメレール公なんだ。お前を侮辱することは、お前を侮辱するということだけではないんだ。主賓とホストの両方を侮辱することに繋がるんだ。呼ばれた招待客を、呼んだホストの庭で侮辱したら、もう庭にその場で殺されて埋められるんだ」
「……」
理屈は分かる。
確かに、私が致命的な失敗を起こさない限り、私を侮辱する愚か者は……いないのか。
「私が気にしすぎたんでしょうか」
「そうなる。何も理解してないそんな愚物、パーティーに出てくるわけがない。テメレール公はアンハルト選帝侯になる予定のアナスタシアと是が非でも縁を繋ぎたい。そう考えて、今回の宴席に招待したんだ。もちろんアナスタシアや私にも、色々と考えがある」
その考えとやらが、非常に気になるんだが。
かたや兵力5000以上を動員できる神聖グステン帝国の領主騎士テメレール公。
かたやアンハルト選帝侯に戴冠される予定のアナスタシア殿下。
あまりにも、雲の上の話すぎる。
私が聞いても意味はないだろう。
「理解したか? ファウスト。お前が酷く気にしているのは判ったし、私はお前の容姿が好きだから予想されるトラブルをあまり考えておらず、確かに少しばかり配慮が足らなかったかもしれない。それについては謝るよ。だがな、あまりにも『無い』ことを考えるな」
「確かに」
理解した。
結局は、私が侮辱に慣れすぎたんだろうな。
どうにも、これだけは耐えがたいのだ。
私なんぞが侮辱される、それ自体はどうでもよい。
騎士は面子商売であるけれど、そういう問題ではない。
私が許せないのは、我慢ならないのは。
結局のところただ一つ。
「理解しました。アスターテ公爵。ただ、もしもの事が起きた場合は、ご理解を。私の欠点は貴女も知っているでしょう」
私の母マリアンヌが侮辱されることだけは、我慢ならないのだ。
お前の母は、お前のような醜い存在を産んだぞ。
そう罵られた場合に。
私はそう罵った者を、間違いなく血の海に沈めてしまうだろう。
その危惧が消えないのだ。
私はきっと、マスケット銃の火縄が点火したように、後先考えなくなってしまうだろう。
以前にも何度かやらかしているのだ。
「お前を罵った者がいた場合? 本当にどうしようもない愚か者。そんな馬鹿がいたら、例えその場で殺してしまっても」
私が全ての責任を取るよ。
アスターテ公爵は、朗らかに笑った。