情報をまとめた上で、ヴィレンドルフ選帝侯として何をすべきか?
愛すべき領邦民たちから、『そうあれかし』と望まれて生きてきたカタリナは何をすべきか?
我が母レッケンベルならば、どう臨むのか?
結論から言えば、私の行動原理とはそのようにできている。
「旅の垢を落とす気はなくなった。状況が変わった。このままテメレール公の館に直行する」
「ポリドロ卿に御逢いにならないのですか?」
「会わぬ。子の名前を話し合うなど、後でも出来る」
別に後でも良い。
ザビーネなどからは頭が幸せになっているなどと苦言されたが、私は冷血女王である。
こちらを先にすべきだと理解していた。
「そもそも、ファウストはアナスタシア王女と行動を共にしているではないか。私の行動をアンハルトに誘導されることは好まぬ。独自で動きたい」
帝都内を走る馬車内、眼前で服のそこかしこにナイフを忍ばせ始めたユエに声をかける。
この会話は、自分の脳内に血を巡らせ、行動の仔細を決めるためでもある。
私は自分の英知に疑いはないけれど、相談役たる軍務大臣の婆は今おらぬ。
会話する相手が必要であった。
「別に会えば良いではないですか。ポリドロ卿への侮辱案件に関してならば、アンハルト選帝侯と連携すべきかと」
ユエの発言に一理ある。
一理だけだが。
確かに、私はファウストが侮辱されたのであれば怒るかもしれないとユエに語った。
しかし、状況が変わったのだ。
「情報をまとめよう。テメレール公の部下のパートナーがファウストを侮辱したと噂が流れている。あのような醜い筋骨隆々の男など、よくもまあパーティーに連れて来れたものだなと。母親まで侮辱したことで、激怒したファウストに鼻をもがれたと」
「はい。まあ東方西方問わず、そういった愚か者もおりましょう。宴席の主客を侮辱して主人に恥をかかせるような阿呆、わが国にだっておりましたとも」
「そいつはどうなった?」
一言尋ねる。
「馬を四頭用意して手足を縄で縛り、四方向に馬を走らせることで五体バラバラになりました。それが主客へのお詫びです。まあ馬力といえど人体を引き千切るのは酷く困難で、体が千切れる前に罪人は痛みで息絶えてしまいましたが」
「神聖グステン帝国でも似たようなものだ。それ相応の詫びが必要となる」
別に珍しくもない処刑方法である。
世界中にあるだろう。
「しかし、帝都に潜ませていた我が国の諜報が調べた限りでは、未だ詫びが行われていない。もう数日経っているのにだ」
「はあ。奇妙ですね。憤怒の騎士とは言われるものの、話は通じるポリドロ卿相手であれば、頭下げて謝罪金を払えば終わりでしょうに」
「背景を知れば、謝罪できない理由は色々ある。テメレール公は28歳になっても人に謝罪することが出来ない女であるし」
レッケンベルの日記にもそう書いてある。
当時から非常に辟易していた様子が窺えるのだ。
「さて、まあそれはよい。テメレール公が何を考えているかも、ある程度読める。問題は、むしろアナスタシア王女だ。何もしてない」
「はあ、英明なれど慎重派だと聞いています。今頃は、どのようにケジメを付けるか考えているのではと」
「くだらぬ」
腰にぶら下げた刃渡りの長いナイフの鞘を、指で撫ぜる。
「テメレール公に利用価値はまだあるし、混乱を考えれば殺すわけにもいかぬ。ケジメはつけるが、慎重にやろう。アンハルトと名乗るモヤシの国の王女様は間違いなく、そんなつまらんことを考えている。非常にくだらぬ」
「ヴィレンドルフはそうじゃない、と」
「殺すと思ったら殺すのだ。いいか、利用価値があるから待とう。こいつが用済みになるまで待とう。忍耐も時には必要だ。それはレッケンベルから何度も教えられてきたし、他所からは蛮族などとすら呼ばれる我々とて理屈は知ってる」
理屈は知っている。
我々ヴィレンドルフ人が、豚が肥えるまで殺すのを我慢できない愚か者だとでも思うのか?
利益や都合に合わせて、時には我慢しなければならないこともあるのだ。
ヴィレンドルフ最高の騎士であるレッケンベルも、そうしてきた。
「だが、殺すべき時は『もういいや』の一言で激発して殺すべきだ。侮辱に対しては、騎士を名乗るならばそうすべきだ。それこそ約束を破った時などは、それは殺してよいと思うのだ」
「約束を破った時、ですか」
「これは神聖グステン帝国共通の価値観ではなく、あくまでヴィレンドルフ領邦人の価値観であるがな」
遊牧騎馬民族国家の王をぶち殺すまでは、家名を名乗らぬと語っている東方人。
ただのユエという名の女性に、ヴィレンドルフの理を優しく教える。
「ヴィレンドルフ人が我慢できないことが三つある。正当な約束や契約を、不当に破られることが一つ目。このままならぬ世の中を必死に生き足掻いている者を指差して笑う事が二つ目。レッケンベルを侮辱することが三つ目だ」
「はあ」
「最も重要なのは一つ目である。約束は約束だ。その契約が正当であるかぎり、何をどうしても守らなければならぬ。流行りの戯曲で例えるならば、莫大な金を借り受ける代わりに自分の肉を切り取る契約があったとしよう。金を返す約束が守れなかったとしよう。ならば当然、自分の身体を切り刻んで相手に渡さねばならぬ。それは正当な契約なのだから」
人の命は金で買えるのだ。
それほどの価値はない。
ヴィレンドルフ人にとって、いざとなれば命はそれほど重要でもない。
少なくとも名誉よりは軽い。
「続きだ。確かに肉は切り取っても良いが、その際に血を流してはならぬ。ゆえにこの契約は無効だから金すら返さなくても良いし、貸した方に罰金を科すなどと吐き気を催す邪悪のような屁理屈。世間の戯曲では、そのようなふざけた結末となっているが、ヴィレンドルフ人にとってはあり得ぬ。そんなもの通じぬ。実際、ヴィレンドルフ領内でやらかした舞台では観客全員から石を投げられたとも聞く。何故そんなものがヴィレンドルフでウケると思ったのか正気を疑うが」
握り拳一つ。
それを作り、ユエに告げる。
「ともかくも理屈が合わぬことは気に食わぬ。それは当然だが、それ以上に契約をした者たちへの、契約した双方の魂への冒涜は許されない。約束を違えたのに、なお屁理屈をこねるならば、魂が穢れた相手を是が非でも殺してやらねばならぬ。それが慈悲なのだ」
「魂への冒涜ですか?」
「そうだ。私の血肉を担保にするから金を貸してくれと片方が言った。お前の血肉を担保にするなら金を貸してやると片方が言った。それで契約は正当に成立した。ただの冗談でなく真実本気で会話した、そこに委細を挟む必要はない。お互いが納得したならばそれでよい。魂が契約したのだ」
もはや重要なのは命そのものではない。
契約を守る事であり、魂の純粋さを守る事だ。
約束も守れずして、人の誇りは存在しない。
一つ、例をあげる。
「ファウストがゲッシュを誓った事は知っているな?」
「はい。遊牧騎馬民族国家が7年の内に来なければ、それに彼が正真正銘抗わなければ、腹を斬って死ぬと」
「本来の契約とはそうでなくてはならんのだ。事実、ファウストはゲッシュを破った時、腹を斬って死ぬであろう」
もっとも、守らなくても神は罰を下し、ファウストは死ぬであろうが。
そういう契約を、ファウストは神と交わしたのだ。
「ファウストの魂は眩いほどに輝いている。ゲッシュの話を聞いた時、ヴィレンドルフ人が感じたものはそういうものだ。私は感じられぬが、理屈では理解している。ヴィレンドルフの価値観では、あれこそが至上の誓いなのだ」
「つまり、約束を破るのは、涜神に近い行為であると」
「それ以上かもしれぬ。奴隷と王が命を懸けた約束をしたとして、王が約束を守れなかったら自害して奴隷に詫びるのがヴィレンドルフである」
ユエが、眉を顰める。
特異な価値観ではあるのだろう。
「カタリナ様にお聞きします。それはほんの些細な約束でもですか」
「さすがに違う。なれど、一度約束したならば、それを守るためにありとあらゆる努力をしたが出来なかった。私は望んだけど出来なかったんだと、約束した相手の理解を求めるべきである。それが命を投げうって当然の契約内容であれば、死ぬべきだ」
「些細な約束でも、ヴィレンドルフにとっては途轍もなく意味が重いと」
まあ、そうだな。
ここまで約束に拘るのは、世界どこを探してもヴィレンドルフぐらいのものであろう。
レッケンベルよ。
我が国家史上最高の騎士よ。
お前がテメレール公と交わした約束が、私はどうしても気になっている。
「ユエよ。色々言ったが、要するに今そこかしこに流れている噂から、私は一つの事が気になっている。ファウストが醜い容姿だと侮辱されたこと。それ自体もヴィレンドルフとしては不愉快だが、忍耐することにした。ヴァルハラのレッケンベルとて止めるだろう」
ユエに、話を向ける。
賢い彼女であれば、言いたいことはわかるはずだ。
「筋合いとしては侮辱されたアンハルト自らが解決すべきことであるから、ヴィレンドルフは何も言うべきではないと、忍耐するのですか」
「そうだ。我々にとってこの上なく美しい男が容姿を侮辱されども、横合いから怒る権利はない。私の将来の愛人が侮辱されど、やはり怒る権利はない」
ゆえに、連携しない。
アナスタシア王女が着地点としてケジメをつけるために、仕方なくヴィレンドルフの力を借りようと考えてもだ。
筋目が違う。
私は利用される気はないし、それが例えファウストの利益に繋がる事でも断るつもりなのだ。
「自分が侮辱されたなら自分で殴れ。ファウストが侮辱された件は、寄親であるアナスタシア女王とファウストが解決すべきである。ヴィレンドルフの考えではこうなる」
「なるほど、それは判りました。はて、それでは」
何故、私たちは失礼にならない程度の武装を命じられ、服にナイフを仕込み、騒ぎがあればすぐ待機人員がテメレール公の館に突入するように命じられているのか。
修羅場を覚悟することを望まれているのか。
それがわからない、とユエは問う。
「当然の質問である。アンハルトが決着すべき問題について、何故ヴィレンドルフがテメレール公に尋ねに行くのかということだな」
「そうです」
「お前には説明しておく。つまり、私が気にしているのはファウストの侮辱への噂ではなく、先ほど得た別な情報である。東方の遊牧騎馬民族国家についての話なんだ」
他の部下には、もういいや、その一言でテメレール公を殺しにかかれと命じている。
それで我が部下なら納得するし、私も不必要な説明をするつもりはなかった。
だが、ユエにだけは説明しておこう。
「レッケンベルはテメレール公に対して、一つだけ約束をしている。五回打ち破れども、テメレール公は最後まで敗北を認めなかった。レッケンベルが何を考えていたかは日記帳にすら書いていないが、許した代わりに一つの契約をした」
「その命を見逃すのと引き換えにですか?」
「そうだ」
まるでレッケンベルの真似事をしているかのように、私は目を糸のように細める。
そうして、呟いた。
「約束は、情報提供だ。神聖グステン帝国における強力な諸侯たるテメレール公が、帝都という巨大な商業都市の近隣地として関わることで得られる、ありとあらゆる情報をヴィレンドルフに提供せよと言った。今までレッケンベルは情報源として、あの女を利用していた」
交換条件として良いのか悪いのか。
それはレッケンベルにしかわからないが。
「役には立った。ヴィレンドルフが隣国の情報を得ようとしても警戒されて難しいが、神聖グステン帝国という第三者を経由すれば、容易に得られる情報があった。帝都の近況も知ることが出来た。役に立っていたのだ」
「それに何の問題が?」
「これは推測だが、レッケンベルが生きている間は本当に全ての情報を提供していたのだろう」
だが、2年前に死んだ。
ファウストとの一騎打ちに敗れたのだ。
問題はそこだ。
「ユエよ。お前が客将となる前から、二年も前からレッケンベルは東方の遊牧騎馬民族国家を警戒していた。その情報源は間違いなくテメレール公からだ。なれど、レッケンベルの死後は一度とて、テメレール公から騎馬民族の情報が伝わってこない」
「テメレール公は確か、先ほど帝都に潜ませた密偵から得た情報では」
「強硬派だ。今すぐにでも遊牧騎馬民族国家の対策を取るべきだと、神聖グステン帝国中に訴えている。その癖、何故そうするべきなのか、理由は何なのか。何の情報を得てその判断を下したのか、さっぱり判らぬ」
つまりだ。
長々と話したが、ユエにもこれで理解してもらえたと思う。
「我が母にしてヴィレンドルフ最高の騎士たるクラウディア・フォン・レッケンベルは、テメレール公と契約を交わした。お前の命を見逃す代わりに、ヴィレンドルフに全ての情報を捧げよとの契約だ。なれど、その契約が」
「破られている、と。あるいはもう」
レッケンベル卿が死んだからおしまい、などとテメレール公は考えている。
そうユエが、小さく呟く。
「なるほど、レッケンベルは確かに死んだ。死んだからと、あの女は身勝手に契約は終わったと考えている可能性が高い。結論から言おうか」
すう、と息を吸い。
一言で語る。
「レッケンベルに命を見逃してもらったくせに、はい終わりなわけないだろうが。お前との契約はヴィレンドルフという国家との契約で、お前が死ぬまで続くんだよ。レッケンベルとヴィレンドルフ舐めてるんじゃねえぞテメエ。お前の回答次第ではぶち殺してやる。殺してやるぞテメレール公。そういう話を今からやりに行くんだ」
乱暴な口調で語ると、以上である。
単純化すると、ファウストを侮辱された事には腹が立つ。
それは私が怒る事ではないから堪えるが、更にレッケンベルがテメレール公と交わした契約が守られていない。
契約破りがヴィレンドルフでどういう目に遭うのか、思い知らせる必要が生じている。
要するに、テメレール公が戯言ほざいて『もういいや』になったら、ぶち殺す。
レッケンベルとて「仕方ない」と言ってくれるはずである。
「理解しました」
ユエは、なんか酷く面倒くさい話になってないですか、と眉を大きく顰めた後。
出来れば生かして情報吐かせた方がいいと思うんですが、と一言だけ呟いて、それ以上は何も語らなかった。