ザビーネへの折檻を終え、陣を引き払いて。
ゆっくりと、私とザビーネのみを乗せた馬車は動いている。
結局のところ、まあ何をやりたいのか、『ザビーネが本当は何をしたいのか』については十分に理解しつつあるのだ。
――私の今後の人生の目標は。
かつて従姉妹であるアスターテ公爵に宣言したように、第二王女親衛隊14名の将来を約束することであり。
後はアンハルト王族の務めとして、そして婚約者たるファウストへの僅かばかりの礼として、彼の子供を産めばよい。
それで私の人生などは終わりであると考えていたし、正直言えばそれ以上の望みなど私にはないのだ。
気心の知れたファウストと結婚すること自体は歓迎だし、宮廷から離れて田舎領地に隠棲できると考えれば良い話であった。
このヴァリエールが歩く人生の結末としては、決して悪くないエンディングである。
だが、そうはならぬ。
「少し真面目な話をするわ、ザビーネ。さっきみたいな誤魔化しをしないで、何もかも正直に答えなさい」
「はい、ヴァリ様。私は主君が気づかれたことならば、騎士として全てを正直に答えると誓います」
逆に言えば、気づかないなら死ぬまで黙ってるってことでしょうに。
こめかみに走る頭痛を抑えて、言葉を吐く。
「私の人生プランって容易く崩れそう? もうポリドロ領に引きこもる未来はないの?」
「正直に言えば、いつまで夢見てんですかといったところですね」
このザビーネとヴァリ様の婚約者たるポリドロ卿は、ヴァリ様との結婚生活を考えている状況下には無い。
ゲッシュを誓ってまでも、アンハルトに対する侵略に立ち向かうと訴えたのだ。
それを考慮すれば、ポリドロ卿の予感を信じるとするならですが。
そう前置きして、ザビーネが訴える。
「私の見立てでは、戦は確実に起きるでしょうね。それも歴史に残るような大戦です。その詳細については、我々が帝都に到着するまでは明らかにならぬでしょうが。ていうか、もうどうせその関係のトラブルですよ。帝都で今起きてるのは」
まあ、そうなるのか。
どうせ帝都ではもう、なんか無茶苦茶な状況になってるんだろうなというのはわかる。
だが、どうして。
私が予想するならば、どうして。
「どうして私がその歴史的大戦に参加しなきゃならないのよ……」
「いえ、そりゃヴァリ様が王族だからですよ。あとポリドロ卿の婚約者だからですよ。しかも最近まで防衛戦争のために協力してねって地方領主にドサ周りまでしたでしょうに」
「まあわかるんだけど」
立場的にはわかるんだが、愚痴は言いたい。
婚約者が死に物狂いにて国のために戦うって主張してて、それにゲッシュの場にいたアンハルト領邦貴族ほぼ全てが同意しており、私などはそれを地方封建領主に認めさせるために各地へドサ回りまでした。
で、いざ大戦となってみれば、何度も繰り返すがアンハルト王族でポリドロ卿の婚約者で地方領主に大戦参加を約束させたヴァリエールは、国家の存亡を懸けた戦場にいません、と。
もう姉であるアナスタシアが女王になったんだから、私はポリドロ領にて隠棲することにしました。
そんな舐めくさった戯言が誰にも通るわけがないことは、私だって理解できる。
それはそれとして愚痴を言わせてもらえれば。
「私、本気で何も役に立つ自信ないんだけど」
私いらないわよね?
どう考えてもいらない子よね?
そんなんザビーネだってわかってるじゃないの。
私は高等教育を受けているが、もう何の軍才もなければ政治力もない女なのだ。
そう訴えるが。
「できるかできないかじゃなく、もうどうしようもなかったら最後までキッチリやって死ぬのも貴族の義務だよね? 仮にも王族だよね? 違うならお前今まで何のために市民の税を食んで生きてきたの? 戦勝祈願の儀式としてヴィレンドルフでは出陣前に牛の首刎ねたりするらしいけど、お前その牛さんの代わりに首斬られて死ぬ? くらいならば、あの人食いなら言います」
うん、姉さまならそれくらいは言う。
アナスタシア姉さまとは初陣以降、なんとか関係改善はできたのだが。
それはそれとして、王族なんだから国のために死ね、役目だろぐらいは平然と言う人間である。
姉さま自身がそういう覚悟を決めており、そういう人物だからヴィレンドルフ戦役にだって王族の義務として自ら戦場に赴いたのだ。
戦場における能力が無いなどは、それが事実でも怯懦な言い訳としか扱われぬ。
「ぶっちゃけ、ヴァリ様に大軍を率いる能力などないこと。このザビーネよくよく承知しておりますが、別にいらないでしょうに。そんなの」
「どういう意味よ」
「そのままです。個人の突出した武力であれば、それこそアンハルト最強騎士たるポリドロ卿がおります。このザビーネとて、親衛隊直下となるだろう兵卒数百名程度とあらば十全に統率して見せましょう。むろん実戦経験については、この旅路にて積む必要がありますが」
アナスタシアやアスターテ、ヴィレンドルフのカタリナ女王とて相手取ってみせましょうぞ。
その三人合わせたより強かった上に、このザビーネをして諜報戦でも勝てなかったであろうレッケンベル卿だけは勘弁ですが。
もうポリドロ卿に運悪くぶちあたって、ダイスの目が狂って死んだから大丈夫。
レッケンベル卿の死について、ザビーネはまるで事故死のように解説した。
まあファウストと一騎打ちするってことは、もう隕石が自分目掛けて落ちてくるレベルで運が悪い事故死みたいなもんなんだろうけど。
「我々がヴァリ様に戦場で唯一お願いすることは、天蓋の無い馬車の椅子に座って、私たちや兵士が戦うのを後方から見守っていてください。それだけでありますよ」
まあ、そうなるだろうし、それしかできないだろな。
結局は私が出来るのは活躍した騎士や兵に褒美を与え、誰に対しても公平である事。
それだけは王族たる私にしか許されていないのだ。
溜息をつく。
結局、ザビーネはそれこそ実家のヴェスパーマン家にゆすり集りを働いて金銭を入手して。
第二王女親衛隊の従士を集めて銃兵として訓練し、帝都に向かうこの旅路にて多くの参加者を集めた事と全く同じで、目的など一つだけだ。
『ヴァリ様の兵隊を作ろう。肉盾を作ろう。私の家族の第二王女親衛隊を守るため、私の主君たるヴァリ様を守るため、私の男であるポリドロ卿を守るため。こいつらはその生贄なのだ』
その考えから、少しばかり規模が拡張しただけで。
大戦において、私が声をかけたならば配下として加わってくれるであろう集団を、ザビーネはこの旅路にて作ろうとしているのだ。
もちろん、すでに語られているとおりに「帝都到着まで私を護衛するための兵」であり、「なんか黙ってた方が楽しそうだったから」という愉悦じみた理由や、「はっきり肉盾用意しますって言ったらヴァリ様怒るじゃん。別に気にしないでいいのに」などの気遣いもあったのだろう。
ザビーネは今回の旅路にて幾重もの目的を叶えようとしており、確かに集まった彼女たちへの報酬についても何一つ嘘などついていなかったが、まあ最後には全員ヴァリ様の為なら使い潰して大戦で殺しちゃえばいいと。
そこから先はヴァリ様の人生にとって用済みになるからと。
この旅団に集まった兵士の命を、そのように考えているのだ。
特別に親しい者を除けば、本当にムシケラ以下の価値すら感じていない。
頭痛がする。
胃痛がする。
とにかく、吐き気がするほどにザビーネの狂った倫理観や私への忠誠が悲しかった。
ザビーネの思考は稚気じみた純粋さがあると同時に、どこまで即席で利益を得ようとするのかというぐらい、直情的にして計算高いのだ。
サイコパスのチンパンジーであるのだ。
もうよい、どうにもならない。
私はそれでも忠誠を誓ってくれるザビーネを見捨てる気にはなれないし、一度私を頼ってきた以上は、もう誰一人として見捨てることはできないのだ。
私が自身についてを、どうしようもない阿呆と断じるしかできない欠点である。
夢見る傭兵団も、貧しい馬借も、家に見放された貴族の三女四女も、すでにザビーネがしてしまった約束があるならば、それを私は上司として最後まで保証するのみだ。
それはもうよい。
それは覚悟できた。
「……理解した。全て理解したわ。で、ザビーネ。もう一つだけ聞きたいことがあるの」
馬車の外を指さす。
新たにアンハルト騎士となった元傭兵団長とその部下が盗賊30名の首を荷台に放り込んで、嬉々として馬車を引いている。
いくら盗賊とはいえ死者の遺体を辱めるなど贖罪主の意思に反しますと訴えるケルン派の聖職者を一時退けて――なんでたまに下手な聖職者よりもマトモな「祈る人」になるんだ連中。
私だってこんなことやりたくないし、ケルン派が弔うというならば任せてもよいのだが。
ザビーネが「これから使うんで、もう少し待ってください」と主張するのだ。
だが、首など集めてどうするつもりなのか。
何度も言うが、盗賊など殺しても金にはならない。
粗末な装備なども一応は回収できたが、ファウストが散々言っていたように金目の物など何一つなかった。
「集めた盗賊の首を使って何をする気なの」
「ヴァリエール様は、都市への掠奪は許さないと仰いました」
「確かに言ったわ」
私が言わなかったことをザビーネは守らない。
私が気づかなかったことをザビーネは語らない。
だが、逆に言ったことならば守るし、私が気づきさえすれば正直に答える。
そのような不可思議なルールで一線を引いて、ザビーネの倫理観は成り立っているのだ。
それすら破るようならば、さすがに私とてザビーネを今後信頼しないと知っているから。
「では、どのようにして路銀を調達すると? 盗賊の首に何の意味が?」
「平たに言えば、換金していただきます。まあ実際に首を引き渡すことはしませんが」
「換金って誰が?」
想像は付いている。
要するに、掠奪はしない。
掠奪はしないが。
「その領邦の権力者ですよ。封建領主であるか、聖職者であるか、それとも市民代表の商人であるかは土地によるでしょうが――」
「首を並べて脅す気? そんな事したところで、面子がかかっている権力者は簡単に屈しないわよ」
「そのようなことはしません」
まさかまさか。
領邦の支配者であり、その土地の面子全てがかかっている権力者にそのような事しません。
その面子を潰すことなどしませんとも。
そうザビーネは語る。
「ですがねえ。よく考えてください。その土地の苦しむ領民のために、たまたま帝都への旅路の途中で、たまたまヴァリエール様の軍が盗賊団を撃ち破った。これは全くもって偶然でありますから、土地の治安を維持する義務がある権力者の面子を潰したわけではありません」
「……」
――さすがに法の加護を受けられぬ盗賊団を殺したところで、よくも面子を潰してくれたなと怒る権力者はそういない。
そういないのだが、逆に言えばちょっとだけいると、これが私を男騎士などと舐め腐ってて、まあそこまでなら無視したんだが。
調子に乗って私の母親マリアンヌを侮辱した時など本気で腹が立ったものだよ。
増長したそいつの高い鼻は、その場で何者かの手によって引き千切られてしまったが。
罰は当たるものだ。
ファウストなどは酒に酔って、質の悪い絡み方をしながらに私に詳しく教えてくれた。
偶然でも何でもないのに勝手に盗賊団を殺して、その領邦騎士の面子を潰すのは拙いのだと。
昔やったけど盗賊は全然金持ってなかったし、舐められたり、侮辱に対して報復したりでいい事一つも無かったと――。
何やってんだファウスト。
まあともかく、面子への配慮という点では問題なさそうだった。
「さて次に、ヴァリ様が心配されているような脅迫などはしません。首を都市の門前に並べて、我々銃兵が取り囲んでマスケット銃を打ち鳴らし、傭兵団が笛や太鼓をたたいて騒ぎ立て、相手側から自発的に礼金を払ってくるまで威圧を行う。正直それは最初考えましたが、聖職者であるケルン派が必死に止めてきそうなので却下です」
「え、あの人たち止めに来るの? 一緒に空砲ぶっぱなしたりしないの?」
「……ヴァリ様、ケルン派のことなんだと思っているんですか。聖職者ですよ、ケルン派は」
ザビーネが不思議そうな目で私を見るが、うん、そういわれればそうだけど。
私ケルン派の事だから、むしろ一緒になって火薬や塩を高値で樽ごと売りつけてきそうだなってイメージしかなかったんだけど。
よく考えたら盗賊団相手にすら死者を弔ってあげなさいと言ってくる聖職者だったわ。
うん、誤解してた。
誤解させるようなことばっかしてるけどケルン派。
素直に反省する。
「最悪は無視しても良いのですが、あまりケルン派に配慮できないのも困ります。今回はもっと上品な方法をとろうと思います」
「上品な方法?」
土地の権力者に対して、そして身内の聖職者であるケルン派に対して。
その面子にザビーネは配慮しており、実際のところ路銀は必要である。
アンハルトがドケチなせいで路銀が少ないし、騎士叙任式をしてあげた傭兵団長に対しても、もう少し金銭的な褒美というか、騎士装備のための支度金くらいは与えたかった。
アンハルトはドケチだから、王都に帰っても絶対に支度金なんか用意してあげないのはわかりきっているのだ。
もう可哀そうだから、私がなんとか工面してあげるしかない。
だから、もうこれは仕方ないのだ。
これは仕方ないこと。
圧倒的セーフ……セーフティラインだ。
私の心はザビーネの意見に傾きつつある。
上品な方法で土地の権力者から金が毟れる――もとい、礼金がもらえるならば、それはもう許されて然るべきでなかろうか?
ザビーネのような許されるべき一線を、私は自分の心に引く覚悟をしていた。
「吐きなさい、ザビーネ。貴女が上品というその行為に、私は凄く興味があるわ」
私はゴーサインを出した。
もう、正直言えばザビーネが多少荒っぽい手段を口にしても、現実的に金が無いという問題があるならば仕方ないと受け止めるつもりである。
「は、要するに、相手の面子を潰さない方法をとります。まあここまで配慮してくれるなら仕方ないと思われる方法をとります。暴力に怯えたわけではなく、これは純粋な報謝の気持ちから金銭を支払うんだよ。そんな方法をとります」
正直、時々どうしようもないくらい回りくどい言い方をするのがザビーネであった。
何故か少しだけ言いにくそうにしているのが気にかかるが。
「はやく結論を言いなさい」
少し急かす。
私はザビーネがそこまで上品だという魅惑的な方法が気になり、とにかく誰もが納得する形で、この可哀そうな集まりの旅団に振る舞ってあげられる金銭さえ得られればよかった。
そうすれば、この胃痛も少しは和らぐというものであろう。
ザビーネと私のせいでかき集められた人々への罪悪感も薄れようというもの。
私は少しだけ、ほんの少しだけ笑みを浮かべて。
「ヴァリ様が直接、土地の権力者に会いに出向いてください。そしてヴァリ様の軍が通りすがった土地の善男善女を苦しめる山賊団を『偶然』撃ち破ったことを伝え、我が『旅団の兵数規模』をさりげなく教えた後に。ただにこやかに笑っていてください。相手が話を逸らそうとしても無視して、ただ笑っていてください」
笑顔が引きつる。
要するに、この私なりに噛み砕いてみると。
「え、私が遠回しに山賊退治の礼金払えって言いに行くの? 私が直接?」
「はあ、まあ先に述べた乱暴な方法で良いなら私がやりますが……」
上品なやり方に固執するならば、私が自らに土地の権力者を脅迫しろと。
もうここまで明確にお前の面子に配慮してやったんだから分かってるよなお前と、これは脅迫ではなく、お前が感激して私の旅団に報謝することになっただけなんだぞと、そう暗に告げてやってくださいと。
ザビーネはそう残酷なまでに告げた。
嗚呼、そう、私の名はヴァリエール・フォン・アンハルト。
全くもって凡才であるが、神聖グステン帝国の立場的にはそこらの木っ端貴族など及びもつかぬ、アンハルト選帝侯家の第二王女であった。
確かに私さえ前に出れば、相手側も私の面子を蹴るわけにもいかず、諦める可能性が高かった。
だけど、いや、確かに都市を包囲するよりも上品な方法だけど。
それは脅迫と何も変わらないんじゃあ――ああ、もう。
「いや、やるわよ。もう私がやるしかないんでしょうよ」
だってもうアンハルトがドケチなせいで私の歳費残ってないし。
そう自分に対し言い訳を吐いた後、胃がきゅうと鳴いて、凄く痛くなった。
前話と続けてザビーネの倫理観の話ですので
少ししつこいかもしれません。
難点を感じましたら修正しますので
遠慮なく申し上げてください。