貞操逆転世界の童貞辺境領主騎士   作:道造

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第186話 スタンピード(蹂躙)

 

好ましいことでも恐ろしいことでも。

予見されていないことほど、より大きな喜びや恐れを引き起こすものである。

戦争ほど、これがよくわかる場所はない。

奇襲を受けたなら、遥かに優勢なものであっても恐慌に陥る。

 

誰が言ったかも覚えていないギリシア人哲学者の言葉を思い出している。

なるほど、道理である。

我らの奇襲は成功し、眼前の敵陣は恐慌に陥っている。

このファウスト・フォン・ポリドロに戦略や戦術への学はない。

なれど、戦場の機微なれば多少は心得ている。

人間の恐怖には一定の許容量が存在するのだ。

それが屋根を突き破った際に人は無抵抗になり、ひたすらに逃げ惑い、命乞いをする。

それが私の経験則である。

私はマルティナに一つだけ問うた。

もし戦場において、恐怖の伝染により軍全体の恐怖が許容量を上回った場合に何が発生するのかと。

マルティナは答えた。

それは一つだけだと。

戦陣の崩壊による、一方的な虐殺であると。

 

「……」

 

言葉は発さずに、馬上のままにて逃げ遅れた敵兵の槍を片手で掴み取る。

馬上であれども、投げ槍などわけもない。

手首のひねりで手槍を奪い取って、そのまま呆然としている敵兵へと投げつけた。

肉と内臓を断ち切る音とともに、槍は腹を突き抜けて地面に突き刺さる。

槍の反動にて人が持ち上げられ、串刺しになって持ち上がる。

絶叫が発生した。

恐怖をまた一つ巻き起こした。

 

「……」

 

私は憤激こそしていても、頭の中はまだ冷静なつもりでいるのだ。

必死に考えている。

とにかくも、恐怖を伝染させて恐慌を発生させる必要がある。

この戦場にて勝利するためには、恐怖こそが鍵であるのではと考えている。

なれど、詮無いことを考えているとも思う。

私はもう役目を済ませており、ここからは一人の騎士としてあればよい。

戦術はマルティナに、騎兵隊の総指揮はベルリヒンゲン卿に任せているのだから。

騎馬突撃は問題なく遂行され、ぽっかりと開いた敵戦列への中入りは済ませている。

敵方は、一つの失敗をしたな。

騎馬突撃の出鼻を挫くべくして砲兵による砲撃を行うはよいが、砲弾が眼前にて打ち砕かれる可能性をちゃんと考慮していない。

そうなった場合は最前列が怯えて逃げ出すなどの危険予知をして、対策することを怠った。

これはマインツ枢機卿の戦術に手抜かりがあったことに他ならず、彼女は指揮官として責められるべきであった。

全てはその怠慢が結果として現れたにすぎない。

 

「突撃を続けるぞ! 足を緩めるな!!」

 

視線を少し周囲へとやる。

ベルリヒンゲン卿は練度も馬術もバラバラな騎兵隊を、見事にまとめ上げている。

そのようなことは強盗騎士として何度も経験済みであり、お手の物といったところである。

私などよりも、よほど指揮官適性があるように思えた。

全てを任せておいて問題はあるまい。

 

「テメレール様の名を、我ら『狂える猪の騎士団』の名も、ついでに知らしめておくことにしようか!」

 

「忠義者」による伝達が伝わった。

今回の『狂える猪の騎士団』6名の武器は、テメレール公が用意した斧槍である。

我らに対抗できる超人などこの戦場には期待できず、使い慣れた武器よりも雑兵を殺すための手段が肝要であるとのことだ。

私に不満はない。

どうせ腕に覚えがある超人が現れたところで、私が殺せば全ては片付くのだ。

左手にて聖棍を握りしめつつ、右掌でフリューゲル号の背を叩いた。

私が愛馬に告げた意図は、ベルリヒンゲン卿の叫びと同じである。

 

「まずは後ろまで突き破るのみを考えよ!」

 

如何に敵戦列の前線から戦意が失われていようと、我らが慈悲を与えてやる理由などない。

血飛沫を舞い散らせる。

マインツ修道騎士団の血飛沫であった。

『狂える猪の騎士団』が力任せに斧槍を振るい、首や腕など上半身の部位を甲冑ごと刎ね飛ばしているのだ。

大猪の突撃を受ければ、人は四肢がもぎれて死ぬのだ。

魔術刻印の施されていない厚さ2mmに足りるか足らぬかのスプリング鋼甲冑など、超人の暴力の前では何の意味も為さぬ。

たった数センチ切り込めば人は死ぬのだ。

超人がそこまで切り込めば、後は手首を捻るだけで肉や骨など引き千切ることが出来た。

極めて効率的に、人体を破壊して血肉をばら撒くのだ。

 

「……」

 

万軍と万軍が衝突する戦場であれば、超人とて個では容易く死ぬ。

それは事実であるが、超人数名で隊伍を組み、ただひたすらに前進するだけであれば問題はない。

騎兵の突撃中なれば、後方の心配など無用であるからだ。

人口数が明確に少なく、また超人の膂力に耐えうる武器がない古代では成立しなかった兵科であるが――なるほど、超人騎士団というテメレール公のアイデアは何一つ悪くなかった。

彼女が唯一悪かったのは運であり、レッケンベル卿という稀代の化け物に遭遇したことである。

よくレッケンベル卿に5回も本気で殴られて生きてるよな、あの人。

 

「さすが私の主君よ。この時代に禍々しく輝く、血妖精ヴァリエール殿下よ。あそこまでの騎士達を従えているとはな。ヴァリエール殿下からの臣従礼を勝ち取った私の名誉も上がるというものだ」

 

我らの後に、封建領主たちがそれぞれ従騎兵を引き連れて続いている。

その陪臣騎士は領主の判断を心の底から褒め称えながらも、馬上より兵士を刺し殺している。

敵は戦意など喪失しているから、殺し放題であった。

話には聞いていたが、ポリドロ領よりも領地も大きければ城も所有しており、帝都までの交通要所さえ押さえている封建領主が十数名参陣している。

何故揃いも揃って騎馬突撃に参加しているのだろうか。

本人たちにマルティナが避難するか尋ねたところ「娘がいるので私が死んだところで問題はない。むしろ、この歴史的戦に参陣できぬとあっては末代までの恥である。個人的にであるからこそ、一度殿下を主君として仰いだ騎士契約を守らぬわけにもいかぬ」と言いのけていたが。

なるほど、封建領主である。

負け戦上等で、誰もが騎兵突撃に手を挙げた。

まあ、これは完全な勝ち戦になることが約束されているので、何の問題もないだろう。

 

「末代まで書き残すとしよう。あの先陣を切っているバケツ頭の騎士殿にはさすがに敵わぬが、確か私の記憶によればヴァリエール・フォン・アンハルト殿下は『貴卿こそ我が軍で二番目の騎士であった。なれば万夫不当の英傑も同然よ!』と褒め称えたに違いないと我が末裔の誰もが栄誉を口にするのだ!!」

 

封建領主の一人は積極的に自分の名誉改竄を行い始めているが、まあ騎兵が齢30を前にして死ぬなど当たり前であると騎馬突撃に参加してくれたのだ。

名誉ある騎士たる彼女の茶目っ気を批難する必要など、欠片もなかった。

マインツ枢機卿の兵が一方的に殺されていく。

彼女の斜線陣の右翼戦列が崩壊を始めている。

 

「ヴァリエール殿下に栄光あれ、我ら落ち穂どもに名誉を与えて下さった、その手を放すなど許されることではない。怯えるな! 一寸多く切り殺せば、敵の反撃などない!!」

 

最後列に続くは、馬借や旅芸人から馬を借り入れただけの黒騎士や、アンハルト法衣騎士による三女四女の騎兵であった。

最初は馬の扱いも怪しいものだと思ったが、なんとかフリューゲル号による統率が利いている。

暴力には慣れ親しんでいるのだから、一度吹っ切りさえすれば戦場にて活躍することができた。

すでに騎士叙任式を受けている黒騎士などが横におり、ひょっとして自分もこの騎兵突撃で戦果さえ挙げれば騎士叙任が叶うのでは?

そう脳裏に思い浮かんでしまえば、もう恐怖への躊躇いなど掻き消えたであろう。

逆に戦意が高すぎて逃げようとする敵を追いかけんとするので、ベルリヒンゲン卿が必死に叱咤をして止めていた。

 

「……さて、残念というべきか、良かったというべきか」

 

マインツ枢機卿が戦力を集中した右翼に、名の知れた超人はいないようであった。

いても、こちらに立ち向かったのであれば、多分もう殺してしまったことだろう。

詮無しとは思うが、色々と考えながらに戦列の兵を殺している。

もう30も殺したであろうか?

騎兵隊全員を合わせるならば、100ほどを殺しているはずであろう。

もはや、我々の前に敵などいなかった。

何もかもを殺して、敵の戦列を貫いたのだ。

敵は指揮統率を回復することができず、四方八方に逃散を開始している。

あるいは逆に密集して、そこから一切動こうとせぬ。

恐怖に身を縮こませたのだ。

 

「よろしい、よくやった。このまましばらく走り抜けよ!」

 

ベルリヒンゲン卿の叫び声が聞こえる。

とにかく、当初の目標はクリアしている。

まずは最初の突撃を完遂することが私の務めであり、後などはベルリヒンゲン卿に任せれば上手くやるであろうと。

マルティナはそう言っていた。

なれば、まあ、そろそろ本気を出すことにしよう。

邪念を捨て去り、一騎士としての暴力性を剥き出しにしてもよかった。

 

「一度休憩せよ。息を大きく吐き、馬を休ませて、怪我あれば報告せよ。戦傷による脱落は恥ではないとヴァリエール殿下は仰せである。なれど、まあ、この戦で名誉を勝ち取りたいものが退陣を申し出るとは思わぬのだがな。休憩が済んだら反転をして、敵の背後へと襲い掛かるぞ」

 

ベルリヒンゲン卿が相次ぐ絶叫指示に喉を乾かせたようで、からからとした笑い声が上がっている。

彼女は水を一口だけ含み、口全体を湿らせるために舌を回しているせいか、頬などが浮き上がっている。

そうして、私の少し後ろで、本当に楽しそうに笑った。

 

「なんだ、やっぱり超暴力はあったんじゃないか。そりゃ私が探し続けていた立派な主君様もいたんだ。超暴力だってあるさ」

 

ただ一つ。

彼女が意味深に発した言葉の意味だけは、よくわからなかったが。

まあ、私にはどうでもよいことだった。




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