貞操逆転世界の童貞辺境領主騎士   作:道造

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第204話 教皇暗殺への懸念

 

 一種、奇妙な光景にも思えた。

 主教座聖堂(カテドラル)に連行されているのはケルン枢機卿であるが、何も罪人のように扱われているわけではない。

 手首に釘を、十字架を背負い、肺の中が血で満たされるような拷問を強いられているのではなかった。

 手にも足にも枷はなく、枢機卿としての赤い法衣と帽を身に纏うことさえ許されているのだ。

 拘束や連行というイメージとはかけ離れた姿である。

 聖職者の一行は、まるで散歩にでも出歩くような気軽さでいるのだ。

 槍を持った儀礼的な他国傭兵、教皇が所有する常備軍が護衛していることに何の不思議もない。

 ケルン枢機卿がマスケット銃を背負いて、小型の鈍器を腰にぶら下げているのも聖職者として自然な光景であった。

 

「……」

 

 沈黙し、首を傾げる。

 どういうことだとジェスチャーを示し、横にいるマルティナを見た。

 私はもっと、手酷く連行されているものと勘違いしていたのだが。

 

「ファウスト様。そもそもケルン枢機卿猊下は未だ罪人ではありません。確かに教皇の意を得て、マインツ選帝侯が異端審問をヴァリエール殿下に仕掛けました。ですが、それは委任を受けたマインツ選帝侯が敗北した際に撤回されておりますがゆえに。ケルン派の教えに異端性があるかどうかは、これから問うのですよ。枢機卿が大人しく連行されている以上、あの暴力教皇とて手荒な真似はしないでしょう」

 

 今のところは、ケルン派を正統信仰の一派として扱うということか。

 ケルン派の大教会から、主教座聖堂までの道のり。

 目抜き通りをちょうど通るところにて、三階建ての宿屋の窓から聖職者一行を眺める。

 視線の先に、険悪な雰囲気はない。

 明日には新聞が大騒ぎしているだろうが、異端審問を行う教皇勅書の報が届いたのは選帝侯の手元までである。

 まだ市中の知る情報ではなかった。

 だからだ、教皇とケルン枢機卿が護衛に囲まれながらも一緒に歩いていたところで、何も不思議ではない。

 教皇の姿を見た。

 高い背だった。

 白いローブに身を包み、司教冠を頭に身に着けている。

 通りすがりの信徒などにも会釈をし、時に跪いて首を垂れる信者などには手を頭にかざして、祝福を口にしていた。

 なるほど、聖職者の最高峰としての威厳が感じられる。

 私とて状況が状況であれば、騎士として信仰を口にすることぐらいはしたであろう。

 領地に戻れば領民などに、教皇から直々に按手の祈りを受けたなどと自慢したかもしれぬ。

 だが、状況はそれを許してくれぬ。

 この凡愚が今考えることはただ一つだ。

 

「……私に教皇が殺せると思うか、マルティナ?」

 

 少し、躊躇いがある。

 この手で教皇を殺せるか?

 そうマルティナに問うた。

 

「正統信仰を束ねる教皇を殺すことは、領地利益を最優先するファウスト様といえども流石にお嫌ですか?」

 

 逆に、マルティナが私に問うた。

 まあ、正直言えば聖職者を殺すなど嫌である。

 これでも騎士であるのだ。

 騎士道を守るための行動規範として、神への献身と、弱者の保護を忘れたことなど一度もない。

 だが、売僧を殺すことに対しては躊躇いなどない。

 辻説教の一信徒であろうが、教皇であろうが、その命の価値に何の違いがあろうか。

 人は殴れば死ぬのだ。

 この身が領主騎士としてケルン派に信仰を捧げているのは、あの聖職者たちが領地領民に対して神の慈悲に値する祝福と慰めを与え続けてくれたからに他ならぬ。

 だからだ、正統が我らの信仰を侮辱するというのならば、教皇を殺すことには躊躇いなどない。

 

「そこではない。もっと、単純なところだ。例えば、正統性はあるのか。誰も文句は言わないかと。いや、違うか。奇妙な違和感というか」

 

 このファウストも、それなりに色々なことは考える。

 考えることは苦手だが、それでも一生懸命に考えているつもりだ。

 教皇を殺すには、色々な条件が必要だ。

 まずは正当性だった。

 アナスタシア殿下がぐだぐだと、アンハルトの祖先が主君たる皇帝を殺すに至った理由、実につまらぬ長話をしていたが――ともかくも、あの話を例にするとだ。

 権力者を殺すにあたっては、周囲の強烈な賛同が必要だった。

『さっさとアイツを殺そうぜ! 日が暮れちまうよ!!』レベルの賛意が必要であるのだが。

 さて、殺された際の皇帝は、どこまで状況を理解していたのだろうか?

 信仰に、神の戦士としてあまりに周囲に無理解で盲目であったのか?

 アンハルトの祖先や周囲の兵士たちが殺意を抱くまで、何も気づかなかったかは怪しいところだな。

 あまりにも話が胡散臭かったので、途中から半分聞き流していたが。

 

「何か、その、何だ。私が言いたいのはだ。マルティナ、状況がおかしいと言いたい」

「教皇とて、自分が追い詰められているのは判っているはずだと。それなのに、この状況はおかしいと」

「そうだ。逃げられない状況でもあるまいに」

 

 マルティナは本当に頭の良い従士だ。

 私の言いたいことは、教皇は決して目が見えねば耳も聞こえず、物も語れない三猿ではないということだ。

 確かに、教皇ですら想定外の要素は幾つもあったであろう。

 彼女が異端審問を命じたマインツ選帝侯は、ヴァリエール殿下に大敗した。

 それどころか、まるで八つ当たりのようにしてアンハルトとヴィレンドルフ両選帝侯と合流さえしてしまった。

 教皇を殺すための連合が結成され、今こうして暗殺計画さえ練られている。

 

「教皇は何を考えている? 普通ならば教皇領にでも逃げるだろう。最悪、帝国ではない他国に逃げることすら選択肢に上がる」

 

 自分の命が惜しければ、やりたいことがあるからこそ、どこまでも逃げるべきだった。

 私が教皇の立場なら、とうの昔に帝都から逃げ出している。

 

「命ではなく、名を惜しんでいるだけでは?」

 

 マルティナの反論。

 討論するための反論であり、本意ではない言葉だった。

 私たちはオイゲン・フォン・マインツが人質となった際に、彼女から情報を得ている。

 

「教皇は、マインツ選帝侯が負ける可能性ならば計画の範疇だった。ヴァリエール殿下が僅かな勝機を掴み取ることさえも予想していたに違いないのだ。もちろん、このファウスト・フォン・ポリドロが密かに参加することも」

 

 ほぼ予見できたのではないか。

 何か違和感がある。

 どうしようもない、ねっとりとした粘ついたものが背筋に張り付いている。

 私の直感は明確に、現状を続けることへの忌避を訴えている。

 

「教皇には、ここからの打開策があるのではなかろうか?」

「ここから? ありえません」

 

 マルティナがハッキリと告げた。

 告げて、少しだけ。

 躊躇うようにして、如何にも馬鹿馬鹿しいといった風にだ。

 

「あり得ませんが――そうですね、例えばですが。ヴァリエール殿下が勝利する可能性も考えていて、今の状況も予見済みであるとするならばですが。ケルン枢機卿を徹底的に利用するでしょうね」

「利用?」

 

 私は、一つの単語を口にした。

 その意味をそのまま問う。

 

「利用とは、例えば?」

「ケルン枢機卿が状況の全てに得心するまでは、教皇が何を考えているかを理解するまでは、誰も教皇を殺せないということです。そのような状況を強いられている節はあります。あまり肯定はしたくないのですが――例えば、ザビーネ卿が最初に考えた教皇暗殺計画は、そう間違ってはいないと考えております。アレで殺せれば楽だったんですが」

 

 ですが、そうなってはいません。

 ケルン枢機卿への配慮から、テメレール公が必死に反対をして取り止めとなりました。

 だから。

 

「まあ、ここからです。とりあえずは殺されません。さっそく教皇の権限で、教皇勅書を出しました。ケルン派の異端審問が行われます。ケルン枢機卿を捕縛しました」

 

 マルティナが教皇の行為のみを口にし、指を一本一本と折り数える。

 指四本を折って、親指だけが残る。

 その最後の親指が気になっている。

 

「そうですね。ここから、異端審問の場に選帝侯を呼びつける権限も教皇にはあります。無理に断ることは可能でありますが、この状況ではそれも悪手でしょう。まあ、アンハルト、ヴィレンドルフ、マインツの三選帝侯は参加するというでしょうね」

 

 ケルン派の事を明確な異端だと思っている選帝侯たちが、ケルン派の『新世紀贖罪主伝説』の内容を擁護するという奇妙な状況になりますが。

 まあ、そうなるんじゃないかなと。

 そこまでならわかるんですが。

 

「……うーん」

 

 そこまで言って、マルティナが首を傾げた。

 

「どうした?」

「いや、これをやって、どうするのかと。そこからがわかりかねます」

 

 意味ないんですよね、と。

 そんなことして、何がしたいのか。

 

「当然ですが、アナスタシア殿下はファウスト様を護衛として連れて行くでしょう。その前には教皇がおります。そこから先、教皇と枢機卿がどのような討論を繰り広げようが関係ありません。というか、今回の問題の埒外なんですよ。まさか、そこでファウスト様もろとも三選帝侯全員を倒して大勝利とか、そんな頭悪い事を考えているはずないでしょう。教皇は、ファウスト様の実力を完全に把握しているはずです。じゃあ、そんなのやる理由があるのかというと……?」

 

 お前らが死ぬ理由を開陳してやると異端審問の場を設けて、全員に全てをわざわざ教えてくれた後に教皇が襲い掛かってくるとでも?

 馬鹿馬鹿しい。

 空想小説の敵役じゃないんですから。

 マルティナは、そこまで一方的に口にして、また首を傾げた。

 状況が良く理解できぬようだ。

 マルティナが理解できぬことを、この私が理解できるわけもない。

 私の小さな従士が、結論を導き出すのを待つしかないのだが。

 

「直接聞くか?」

 

 親指を立てて、その後ろ指で窓の外を指す。

 教皇は沢山の信徒に按手をせがまれているようで、一人一人に手をかざしていた。

 何かブツブツと祝福の言葉を投げかけている。

 聖職者らしい姿である。

 枢機卿はどこかのうらぶれた傭兵らしき信徒に話しかけられて、彼女が所有しているマスケット銃の不具合などを確認している。

 遠目に見る唇を読み取れば「このマスケット、三世代前の型よ? まだあったの?」などと口にしているのがわかった。

 まことにケルン枢機卿らしい姿である。

 今から、あの二人に話しかけに行こうではないかと口にする。

 

「……やめてくださいよと、言いたいところですが」

 

 お付き合いしますよ。

 だって、止めようとしても一切聞いちゃあくれないのが判っていますからね。

 ファウスト様が私の母の遺骨を持ち帰った時から、もう貴方が無茶苦茶なのは知っているのだと。

 マルティナはそう嘆いて、私の傍に従士として付き添うことを容認する。

 これでよい。

 これだけで教皇の本意は判らずともよい。

 

「マルティナに考える材料を与えられれば良いが」

 

 マルティナにさえ聞こえぬように、小さく呟く。

 その声に、返事があるはずもなかった。




2巻の書籍化作業があとがき含めて全部終わりました。
Amazon他各サイト様で2巻の予約が開始しました。
電子書籍は予約まだです。

本作には色々と感想欄で意見を頂くことありますが、念のため言っておきますと作者は心から有難く思っています。
メッセージや感想欄では何のかんの言い訳しつつも、全て有難く受け止めて血肉としています
(たまに明確に指針を変えたりもしています)
ただ、作者も直したいなと思っていても本当に過去分を直していたら更新が止まるのであきらめております。というか、それやったら確実にエタります
Web連載である限りはどうにもならん時もあることをご理解いただきつつ、やはり引き続き苦言自体はこれからも呈していただけると嬉しいです
書籍版が続巻したら、皆様が感想欄で苦言した部分について作者が正論であると判断した場合、できる限り書籍版で編集担当様と相談しつつ直す予定です

というわけで。
どうか2巻も購入をお願いします

特典SSは6本書きましたが現在ほとんどの販売サイトが
未公表状態となりますので、まだ公表できません。
多分発売日少し前の発表になります。よろしくお願いします

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