貞操逆転世界の童貞辺境領主騎士   作:道造

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第205話 教皇の企み

 そもそも難しい話が苦手であった。

 前世は文学青年だったような気もするが、その記憶などは薄れて久しい。

 物事は何事もシンプルであるべきと考えており、複雑化するようならば単純化するように求めるのが私の常であった。

 だから、私が最初に言うべき言葉は挨拶ではない。

 教皇に対するおもねりや、騎士としての礼儀や、さりとて宣戦布告でもない。

 宿屋の門を開け放ち、両手に握り拳を作りて、ずかずかと大股で歩み寄る。

 教皇から少し離れた場所で立ち止まりて、大声で聞きたいことは一つだ。

 

「結局、貴女は何を考えていて、これから何がしたいんだ?」

 

 眼前の教皇に対する、シンプルな問いかけである。

 お前の本音が知りたいのだと、ハッキリと言葉に告げてやる。

 教皇の常備兵が槍を構え、交差させて私の眼前を塞いだ。

 よい、とばかりに。

 教皇が手を掲げ、自分を守る兵を遠のける。

 兵は心得たように離れて、逆に近寄っていた民衆を遠ざけている。

 

「ご挨拶ですね。その生き方では苦労するでしょうに」

 

 溜め息ではなく、それどころか若干の羨ましささえも感じさせるほどに。

 ユリア教皇は私の顔を見つめて、そして視線を横にやった。

 

「それとも、ケルン派の信徒はみなこうなのかもしれませんね。誰もが質実剛健で――そう、私が若い頃にお会いした際の枢機卿のように直情的で、情熱的で、暴力的で、野蛮で。……やりたいことばかり、やっていて」

 

 私など、まるで見えやしないと。

 興味などないのだと。

 意図して無視するように視線を外して、値踏みすらせずに、教皇の視界に入るのはたった一人。

 ケルン枢機卿猊下のみである。

 

「はて、失礼ながら。若い頃の教皇とお会いした記憶はありませんね。私たちが初めて出会ったのは、コンクラーベ(教皇選出)の最中であったと記憶しておりますが?」

「覚えていないと。いえ、知らないだけでしょうね。あの時、私は単なる托鉢修道会の一員にすぎなかった。貴女はまだ司教でさえなかった。視界には映れども、私などを認識しているはずもなし」

 

 思い出話のように、教皇が語る。

 それでも枢機卿猊下は記憶にないといった顔で、不思議そうに教皇を見た。

 私と同じく、またケルン派を代表する御仁として。

 枢機卿猊下は率直に聞きたいことを尋ねた。

 

「できれば、詳しくお伺いしたいですな。貴女が今、このような事をなされている理由の一つかもしれぬ」

 

 教皇は、そんなケルン枢機卿の問いに、少しばかりきょとんとした表情で。

 少しだけ悩まし気に瞳を揺らした後に、苦笑した。

 

「まあ、無関係というわけではないのかもしれませんね。あの頃の私は、諸国を渡り歩いて教えを届けている神母が道すがらに拾った一介の孤児にすぎず。超人としての知能の発達を認められ、修道会に預けられて。そこで勉学を嗜んで……」

 

 穏やかだ。

 教皇は、まるで悟りきった殉教者のように酷く穏やかに話をしている。

 そこが少し、この私には理解が届かないところがある。

 どうにも――想像の範疇にあった、欲深き腐敗しきった正統信仰の聖職者にして、血生臭い教皇選出を生き抜いて、金の塊で出来た弾丸も、銀食器が反応するヒ素入り毒スープも、暗殺者や裏切り者まで使い尽くして。

 ついに教皇にまで成り上がった者であることには間違いない。

 確信を持って言える。

 眼前の人物には超人同士のみが感じる素養さえも感じ取れ、教皇はその手で何十人と縊り殺したことさえあるだろう。

 だが――

 

「そうですね。こういえばわかるかもしれません。ある教会の、中庭にて放置されていた騎士の亡骸に。遺族が埋葬の謝礼金を払わぬからと、弔いもされずに遺棄されていた亡骸に。土をかけようとした少女を知っていますか?」

 

 口にするのは、それと相反することであるし。

 

「ああ、なるほど……。教皇は、あの時の少女でしたか」

 

 ケルン枢機卿も、確かに覚えがあるといった風情でそれを認めた。

 今の私には、教皇という存在は徳のある聖職者のように映っている。

 臓腑の腐った邪悪でもなければ、神など信じぬ無頼漢でもなくて。

 

「貴女にとって、ケルン枢機卿にとって。おそらくは、あの時に教会にケルン信徒を引き連れて押しかけたことも。私が土をかけようとした騎士の亡骸を奪いて止めようとした托鉢修道会の僧兵を蹴散らして、ケルン派の小教会にて埋葬してしまったことも。よくある話なのだとは思っています。ケルン派はそんなことばかりしている。やりたい放題にしている」

 

 ケルン派の行為自体は別に咎める気などない。

 何もかもが間違っているとは思っていないのだと。

 だが、やりたい放題だ。

 それによって生じる色々な問題を無視して、他への迷惑なんぞ考えてくれないのだ。

 本心からそう言っているように、くすりと苦笑する教皇を見て思う。

 だが、その教皇が思い出したように私を見た。

 

「……返事が遅れました。ファウスト・フォン・ポリドロ卿。私が何を考えていて、これから何がしたいんだ? そのような問いでしたね。お答えしましょう」

 

 教皇は射抜くように私を見据えて。

 そうして、つまらぬことを聞かれたという風情で静かに答えた。

 

「この正統を、信仰を、正しき姿に戻すこと。腐りきってしまった正統をリフォーメーション(宗教改革)することをずっと望んでいて。そしてモンゴル帝国という、やがて大陸を覆いつくす覇権国家を通してリバイバル(新規伝道地での布教活動)がしたいんだとお話しておきましょうか。嘘は何一つ含まれておりませんよ」

 

確かに、嘘はないだろう。

その濁りは何一つ感じられなかった。

何もかもが澄み切ったかのような告白であった。

背筋に、ぞっとするような感覚が走る。

何考えてやがるのだ、コイツは。

 

「……」

 

 沈黙する。

 教皇は、はっきりとモンゴル帝国がいずれ大陸を覆いつくすという予見を。

 この神聖帝国もいずれ滅ぼして支配することを口にしているが、それを聞いた常備兵たる槍持ちは平然としている。

 他国傭兵だからか、あるいはそれほど教皇に入れ込んでいるのか。

 横のケルン枢機卿も、何一つたじろいだ様子はない。

 

「他に質問は?」

 

 これでは、まるで私だけが何か焦っているようだが。

 そこにもう一人。

 我が腹心たるマルティナも、焦ったように眉を顰めて口を開く。

 

「発言をお許しください、教皇猊下。リフォーメーションするとは具体的にどのように。神聖帝国を異教徒に売り渡すということですか? リバイバルなんてどうやって。モンゴル帝国に布教するつもりですか?」

「さて、幼き超人よ。私の知るところであれば、マルティナ・フォン・ボーセルという名ですね。貴女の事はよく知っておりますよ。アンハルトで何があったかも、どのようにしてポリドロ卿に庇われたかも」

 

 教皇が、マルティナを見る。

 慈悲深い優しい目であった。

 何処か、同胞を見るようでさえあった。

 

「そうですね。私が何を考えていて、これから何がしたいのか。ポリドロ卿のシンプルな質問に対し、シンプルに答えてあげました。今回はそれまでです。別に隠し立てするつもりはありません。私の考えの内は異端審問の場にて全て明らかにするつもりなのです。選帝侯にも、ケルン枢機卿にも、私の意図をあまり理解してくれぬ皇帝陛下にも」

 

 手を広げた。

 先ほど、信徒に対して按手の祈りを。

 跪いて首を垂れる信者などには手を頭にかざし、心からの祝福を口にしていた人間の手だった。

 その手がゆっくりと、印象的に開かれている。

 

「今回は祝福として。アンハルトのザビーネ・フォン・ヴェスパーマン卿とやらが手練手管を尽くして、どうせこのままでは滅ぶのだからと一族の少年を売ったり、その際に男を買った聖職者を殺してすげ変わったり、色々と酷くえげつない手を駆使して異端審問への参加権を手に入れたことも。数世紀前に、やっと見えた東方の教会との再統合という悲願の達成を邪魔した薄汚い異教徒の手を借りたことも。暗殺教団『宵の明星』をよりにもよって神聖な聖堂に、異端審問の場に乗り込ませようとしていることも」

 

 両の手だった。

 その手が岩のような握り拳を作り、骨の軋みすらも聞かせるような力みが加わって。

 

「全て何もかも承知の上で、卿に告げよう。信徒ファウスト・フォン・ポリドロ。死にたければ異端審問の場に来ればよい。あのアンハルトと名乗る、選帝侯にまで成り上がった汚らわしい『皇帝殺し』狂戦士一族の傍に侍りて、我が信仰を耳にせよ。さすれば死ぬことになるだろう。神罰の味を噛み締めよ」

 

 私は理解した。

 眼前の教皇は只者ならず、ただの超人に非ず。

 

「自分は正義で何もかも正しいと、神聖帝国を守ることが世界を守ることだなんて。くれぐれも調子に乗って思い上がらぬことだ。ファウスト・フォン・ポリドロ卿。正と邪が完全に分かれることなどそうはない。だがもし、かつてアンハルトが皇帝を裏切ったように、貴卿が裏切りたければそうしてもよい。私は懺悔を受け入れ、悔悛を神に伝え、貴卿の領地保護契約くらいならモンゴルに頼み込んでも良い。教皇としての保証付きでな」

 

 横にいるマルティナと同じ、知恵もあれば暴力も完成に至れる。

 それこそ「あの」レッケンベル卿と同じような完璧な超人水準に至った存在だと知って。

 私は完全に、自分の不安が具体的に何かを理解した。

 

「主教座聖堂(カテドラル)にて、貴卿の返事は聞くことにしようか。良い返事を期待している」

 

 私がもし、この暗殺計画にて死ぬ可能性があるとすればだ。

 それは教皇自らの手により殺される結果に他ならぬ。

 マルティナよ、まさかの真実だ。

 教皇は空想小説の敵役だった。

 私たちが死ぬ理由を開陳してやると異端審問の場を設けて、全員に全てをわざわざ教えてくれた後に。

 教皇はこちらに襲い掛かって、全員を皆殺しにすることを本気で考えているのだ。

 

「そこにいる、貴卿の騎士見習いマルティナが生き延びるためにもな」

 

 教皇が背を向け、去り行く姿を何もできずに見送って。

 私とマルティナは何も口にできず、ただ茫然と立っていた。

 




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最初告知しなかったんですが、感想数が少なすぎて
サイン本数>感想数になっていて現状100%サイン本が当たる状態なので告知します
すいませんが感想書いても良いという方、オーバーラップ出版様にサイン本を送りつけられても大丈夫な方はレビューをお願いします。


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