先ほどから、一方的に嬲りものにしている。
なれど追い詰められている方はどちらか、わかったものではない。
下手な刀剣より鋭き我が手刀は、ファウストの拳に一方的に打ち勝つ。
ファウストは拳を押さえ、骨ごとへし折った右手の薬指を大事に守っている。
呼吸音。
ずっ、と何かを引きずるような、大気を大きく口で吸い込む音。
ああ、まただ。
息吹の音が聞こえるたびに、今の攻撃が無為に帰したのを理解する。
今のは、骨まで断つ勢いの一撃であったのに。
ファウストは右手をこちらに大きく開いて、何の問題も無く稼働するのを見せた。
血塗れの掌。
傷一つ無い血塗れの掌。
――子供じみた挑発を。
嗚呼。
駄目だ、駄目だ。
乗ってはならぬ。
やり方を工夫せねばならぬ。
功夫が足りておらぬ。
一撃だ。
この敵は、ファウスト・フォン・ポリドロは一撃の元に葬らねばならぬのだ。
空想上の化け物を相手にしているかのようであった。
いや、他にも方法はある。
足をもげば良い。
手をもげば良い。
目を抉れば良い。
手指足指を再生不可なまでの致命的破壊に至らせれば良い。
損欠すれば補填はできぬのだ。
まさか、指が千切れてもくっつければ治るという異常な生き物ではないからだ。
超人といえど、どこまでも人のくくりである。
傷や骨折を癒やすことは出来ても、千切れた部位を生やすことはできぬだろうて!
徒手空拳とはいえ、この雷白野ならば鋼を素手で断ち切る事など容易い事であった。
なれど、あの鎧だけは。
あの魔術刻印が丹念に施された、こちらの帝国では『フリューテッドアーマー』なる鎧が邪魔で仕方なかった。
浸透勁によりダメージを与えることは出来ても、あの鎧を破壊して致命的外傷を与えることはさすがに困難である。
また、いくつかある秘義も。
点穴を――秘孔をつき、一時的にファウストの身動きを止めることが。
普通の衣服ならばともかく、あの特殊な鎧では秘孔の位置を見定めることが困難。
遠距離ではまず外れる。
「――」
一度、構えを解いた。
冷静になれ、雷白野。
そう自分の心中に言葉を投げかける。
功夫が足らぬのだ。
そうだ、このような状況に至ったのは何故か。
油断したからでもない。
敵が強いからでもない。
「原因の全ては、この雷白野が弱いからに他ならぬ」
口にしていかにおのれが惰弱であるかに唾吐いた。
一瞬でも相手の天賦の才に嫉妬したか!
骨砕き、傷を作れど治るなど超人なれば容易きこと。
相手はその速度が異常に速いだけだ。
恥を知れ雷白野!!
全てはおのれの功夫が足らぬのが原因だ。
私の武が至らぬために、いまのところ勝ちに至らぬのだ。
それだけだ。
法家の『矛盾』を頭に思い浮かべる。
「何でも突き通す矛」と「どんな攻撃も防ぐ盾」の2つを売っている商人がいた。
ある者が問うた。
その二つが打ち合えば、さてどちらが勝つのかねと。
片方が本当なら片方は嘘ということになって、両立しない。
それこそを『矛盾』という。
――さて、眼前の男は最強の盾か。
違う。
ファウスト・フォン・ポリドロは最強の盾ではない。
なんでも跳ね返せる無敵の盾ではない。
なれば、そうであるならば。
それに打ち勝てぬ私が最強の矛ではないという現実に他ならぬ。
「嗚呼」
違うのだ。
そうであってはならぬ。
この雷白野こそが最強無敵、古今無双の無頼でなければならぬ。
子供の頃に夢を見た。
行軍の際の徴税を理由として、小さな村が焼き払われた。
フェイロン王朝の官軍に焼き払われた野原で、一人の子供が小さな夢を見た。
父は連れて行かれ、それに抵抗した母を失い、姉と死に別れ、妹に先立たれ、なれば単孤無頼の独人になりて、頼む方なかりけり。
そんな十にもならぬ私のような子供が見た夢は、最強になることであった。
フェイロン王朝への復讐でもなく。
超人の力を利用して仕官を願い、人生を酔生夢死の内に死ぬわけでもない。
もう二度と泣かぬようにと。
二度と誰かに泣き言を言わぬようにと。
この雷白野が、師母に弟子入りして願ったことは最強無敵の無頼になることであった。
こんな西洋の、話を聞けばどこが神聖なのか帝国なのかもわからぬ妙ちくりんな国家まで出張ったのは何のためか。
たった一つだ。
我が身を最強の矛に変えるためだ。
だから、違うのだ。
私が今叫ぶのは、天賦の才を得たファウストへの憎悪ではない。
「良いハンディキャップだ」
心底からそう口にせねばならぬ。
この雷白野はそうあらねばならぬのだ。
びっ、と指で自分の束ねた銀髪を叩いた。
気合いを入れ直そう。
戦術を練り直せ。
「――」
ファウストは強力な鎧を身に纏っている。
足は鉄靴を纏い、手は指の先まで鎧を。
ただ一つ、警護としての役目を全うするためか、視界を遮られるのを嫌がってか。
ヘルムまでは身に着けておらぬ。
ファウストの弱点を考える。
傷は治れど、痛みは明確に存在する。
常人と同じく関節の駆動限界があり、人体の構造も何も変わらぬ。
力自慢ではあれど、動きはこの雷白野と比べれば遅鈍の域。
浸透勁で点穴を――秘孔を突くことも、近距離であれば可能。
頭部は露わになっている。
ファウストに、剣を拾う余裕は未だ与えていない。
いいぞ。
勝ち筋は見えてきた。
「この雷白野はその気になれば竜さえ殺せるのだ」
独り言を口にした。
ファウストがそれに反応した。
「竜か・・・・・・フェイロンにはいるのか?」
どことなく、楽しそうな口ぶりだった。
私は答えてやった。
「残念ながら。見つからぬゆえに、竜退治は未だ果たせず。お前は?」
「こちらも残念ながら、西洋に竜はおらぬ。フェイロンでもいないのなら、やはりいないのかな」
ファウストは、本当に残念そうな口ぶりでそう呟いた。
小さな頃の夢がまた一つ破れたといった感じで。
男のくせに、妙な奴だと思った。
「いたら、竜に挑んだか。聖ゲオルギウスのように竜退治を果たしたか?」
「いや、一目見るだけで良いさ」
どうということもない会話を続けている。
お互いに隙をうかがっているのだ。
「自分の領地で、領民に私は竜だって見たことあるんだぞと自慢話ができる」
ファウストは笑っている。
いつか、死ぬ前の母が幼いころに見せてくれたような表情で。
竜か。
「残念ながら、やはりいないだろう。なれば、貴様が自慢話が出来るとするならばだ」
構えを作る。
これ自体に意味は無い、ただの虚仮威し。
右下勢独立(ヨウシアシンドウリ)の構えであった。
「私に勝利してフェイロン最強の女を打ち破ったこともあるのだと、自慢すると良い」
「そうしよう」
ばん、と地面を強く蹴った。
ただ前のめりに前進する。
数々のフェイントを仕掛けるが、ファウストはピクリとも反応しない。
ファウストは動かない。
視線だけは私の動きに合わせて、瞳孔が反応しているのが読める。
なれど、それだけだ。
超接近戦。
声も出さずに動いた。
ファウストの身体に飛びついて、両手の指でファウストの腹をぽん、と叩いた。
浸透勁で秘孔を突く。
筋肉の動きを一瞬だけ鈍らせる点穴であった。
もちろん、これだけでファウストをどうにかできると思っていない。
自由な動きを封じられたファウストの水月を蹴り、そのまま踏み台にして肩まで蹴り上がる。
無防備な顔面を蹴ることができる。
通常ならば、このまま相手の頭蓋を破壊し、死に至らしめることが出来た。
相手が超人であっても強烈なダメージを与え、戦闘は決着が付く。
だが、ファウストにその手段は通じぬ。
だから、私は頭を蹴飛ばさずに身体を丸め、ファウストの首を両手で掴んだ。
ここだ!
平手で首に強烈な衝撃を与えると共に、全力を籠めてそのままへし折る。
これが、私に与えられた勝利のチャンス。
そのはずだった。
「待っていたぞ」
何を?
一瞬だけ、耳に届くか届かないかのさえずりが私の耳に聞こえた。
蛇のようにぬるりと、樫のような感触で。
私の腹にファウストの両手が添えられるのがわかった。
みしっ。
と、私の両手の中でファウストの首の骨が軋む音が聞こえた。
嗚呼、駄目だ。
これでは、殺しきれない。
私の動きは止まらぬが、絶望の汗が背中を伝う。
ファウストは確かに私より遅鈍である。
だが、鍛えている。
馬鹿のように、盲目の愚者のように、ただひたすらに鍛えている。
回復の特技を生かした、最強の盾となるべくして、決して殺されることのないように。
きっと、子供の頃からずっと。
男だというのに、どんな狂った馬鹿な親が、どこまで子を想ってひたすらに鍛えたというのか。
この男の母の願いは、おそらく「何があっても子供が死なない」であっただろうと理解した。
この太い筋肉と骨で作られた首は、私の武全てを傾けても軋ませるのが限界であった。
ファウストの首はへし折れない!
呼吸を止めることもできない!
我が掌に収めたはずの血管は太く、血を流している。
あろうことか、この雷白野が純粋な筋力で男に劣っているのだ!!
「いくぞ」
ファウストが、私に言葉を投げかけた。
蛇のような両手が、樫のような堅さで私をぶんと振り上げた。
両手で腹を掴んで、筋肉の塊である大きな背中を反らし、バネを作りて。
ファウストが跳躍した。
私は抵抗するが、この状況では身を守ることを優先するしかない。
全身に気功を巡らせ、防御姿勢をとる。
軽功を、内功を、外功――なんでもいい。
これから何が起きるかはわかっている。
跳躍が最高点に達したその瞬間に、ファウストは全身のバネで私を大理石の硬い床下に投げつけた。
それは、技と呼べるかもしれないが、私の想像する限りでは技でも何でもない。
ただ全身全霊をかけた力の暴力と呼ぶべきものの所産であった。
全身が床にぶつかった瞬間、私の身体は陶片のように飛散するかのような衝撃を受けた。
私は理解している。
すぐさま起き上がらなければ、ファウストの鉄靴で、私の顔面は蹴られて骨ごと粉々になるであろうことを。
だが、この私はまともに起き上がることすらままならない。
このままでは――勝てない。