「ファウスト、なんか嫌な予感がするんだけど」
「奇遇ですね、私もです」
皇帝陛下との食事会を終えての帰り道。
横のファウストに語りかけるが、私の顔は月の光に照らされ、青ざめていることだろう。
「私の目的は、あくまで帝都商業ギルドに適正価格で物資を買い取って貰うことだけなんだけど」
「それは知っています。ですが、もはやそれだけでは収まらないでしょう」
血を望んでいる。
マキシーン皇帝は、明らかに市民参事会へのダメージと出血を望んでいた。
だからこそ協力を申し出たのだ。
「・・・・・・仮にマキシーン皇帝の期待を裏切ったのならどうなるかしら?」
「どうにもならないでしょう」
皇帝の反感は買うだろうが、それだけだ。
刃が敵の首元に食い込まなかったことを残念がるだけだ。
「失望の視線を受けるだけでしょう。別に、皇帝だって話のわからぬ輩ではないのですから。期待外れだったなで終わりですよ」
「そうよね、そうなるわよね。普通はね」
ヴァリ様はこくりと頷いて。
「で、皇帝の支援を受けられると知った私の身内が暴走しないと思う?」
「思いません」
なるほど、ヴァリ様の懸念はそこか。
話を聞けば、確実にザビーネたちは暴走するであろう。
状況を利用して、最大利益を目指して動くのは目に見えている。
だが――
「そこは殿下が上手く配下をコントロールしてですね」
「私が配下を上手くコントロールできたなら、今こんなことになっていないでしょうに! 誰も彼も私の言うことなんか聞いてないんだから!!」
そこはヴァリ様が甘くて、何もかもを任せきることまでは出来ないからではないか?
配下も勝手に動くしかあるまい、と。
私などは思ってしまうのだが。
「私としては、では今からコントロールできるように動くべきではと思いますが」
「どうやって?」
「まずは現場に出向くことですね」
さすがに現場にいるヴァリ様を無視して勝手な行動は出来まい。
そう思うのだが。
「・・・・・・じゃあ、今から。市民参事会の醜聞を流すって言ってる印刷所まで出向くけど、ちょっと付いてきてくれる?」
ヴァリ様の上目遣い。
私は婚約者としてそれに応じて、現場まで出向くのであった。
ヴァリエール様が館ごと借り切った屋敷に出向き、その地下へと踏み入る。
第二王女親衛隊からの発言はこうであった。
「市民参事会の醜聞が内容の半分。あとの半分は完全にエロ本を刷ります」
「今なんといった?」
ヴァリ様は信じられない目つきで部下を見た。
カルマ卿と言ったか。
名前を知るのは初めてであるが、片眼鏡をした第二王女親衛隊の一員であった。
「え、なんでエロ本? なんで?」
「低廉な誌面こそが、市民参事会に最大のダメージを与えるからです」
くい、と片眼鏡を傾けながらにカルマ卿がびっ、とエロ本をかざす。
そこには半裸の侍童が、複数の女性に襲われている絵と文章が書かれていた。
うむ、それの何がエロいのかさっぱりわからん私ではあるが、この貞操が逆転した世界ではさぞかしエロいのだろうなと理解する。
理解はしたが、この活版印刷機が貴重な世界で、わざわざエロ本作るってなんだよ。
「まずはエロで読者を引き寄せます。馬鹿な読者はエロが大好きです。表紙には官能的な男性の絵。ページを開くと、ポルノ小説や性的興奮をあおる記事を。後は市民参事会が今までにしでかした赤裸々な性生活の告発や犯罪を乗せます。なんとなく真実味を混ぜる形で」
いわゆる前世におけるカストリ雑誌というやつか。
まあ、市民参事会の名声を落とす手段としては間違っていないかもしれないが。
やり方として正しいのかどうか。
「・・・・・・」
ヴァリ様などは駄目だこいつらとばかりに、すっかり顔を覆ってしまっている。
いや、悪くない手段だと思いますよ。
「・・・・・・市民なんてものは字が読めても所詮低俗なものですし。まあ」
それとなく賛意を示す。
マジか、とヴァリ様がこちらを呆れた目で見るが、意外と効果的だと思うのだ。
「さすがポリドロ卿はわかっておられる。エロこそ欲望の根源ですよ、ヴァリ様」
「ええ・・・・・・市民参事会への攻撃のためにエロ本刷るの? 本気で?」
信じられないという顔つきで、ヴァリ様は嫌がっているが。
まあ任せてみようじゃないですか。
私はそう口にする代わりに、顔を覆ったままのヴァリ様の背中をぽんぽんと叩いた。
※
「やはり、ヴァリエール側の示した適正価格で買い上げても問題なかったのでは? ややこしいことは抜きにして、商売に専念すればよいではないですか」
市民参事会。
穏健派と呼ばれる参事の一人が正論を口にした。
正直言えば、それだけで済むならば同意見である。
口にはしないが。
「『損』だろう、それは。何度も話し合ったではないか? 最大利益を目指さなくて何が商人で、何が交渉と言えるのかね?」
強硬派の――今回の件にあたっては厳しい価格交渉をすべきだと。
そんな参事の一人が答えた。
「何の価格交渉もせずに、ただ唯々諾々とヴァリエールの――実質の交渉役は強盗騎士ベルリヒンゲンであるが。その申し出に従っては市民参事会が舐められる。マインツ選帝侯のようにして一方的にしてやられたのだと、悪評を被りたくはない」
そうだ。
結局の所、銭金だけの問題だけではないのが今回の難点であった。
穏健派でも強硬派でもない、ちょうど中立の参事の一人として口を開く。
「一当てして、拮抗した状態を作って交渉として負けるならば別によいさ。ただ、唯々諾々と従って財布になるというのはなんとも商業ギルドが、市民参事会が舐められているようで拙い」
それが私の結論だった。
ヴァリエール側の申し出た物資の買い取り金額は、正直法外とは言いがたい。
ベルリヒンゲンの奴めがこちらの懐具合を調査して、これならば利益は出るであろうという額を示している。
だが、それを素直に受け入れるというわけにはいかない。
価格ではなく、面子という点で。
だから、強硬派の主張に票を投じた。
「それに、ランツクネヒトにただ飯を食わしているというのが勿体ない。こういう時のために雇っているのだ」
そんな思惑もある。
たまには働かせねば、何のために雇っているのかわからぬ。
兵力をただ雇えるだけ雇って、それを全く使わないのはどうなのか。
「新聞社が焼かれたと聞きましたが?」
「小火だ。まだ死者も出ていない」
何も我らは愚かというわけではない。
これからの展開とて読めている。
「おそらくは新聞社の親方をあちらで雇って、我らの醜聞を市民に撒き散らすというのが初手であろうな」
先手こそとられてしまったが。
まあ別に良い。
我らの足を引っ張りたい連中など、市民の身内にも沢山いようが。
それを制圧できないのならば最初から参事になどなれぬ。
それこそ半年近くも念入りに衆愚が操られるような事態でなければ問題ない。
あの新聞社自体の信用がそこまでないのであるし。
「問題は、これからどうするかだ。こちらがどの手を打っていくかである」
強硬派から声が上がる。
意見はいいが――急に不安のようなものが湧き上がる。
強硬派もヴァリエール側を舐めすぎていないだろうか。
そんな様子が窺える。
「ランツクネヒトも使える。超人も何人か当てがある。毒薬と短剣の用意も。ヴァリエールは、我らの敵役はどこまでも甘い。甘すぎるほどに。なれば致命的なダメージを抱える前に撤退を判断すると考える。その状況ならば、多少の減額ぐらい呑むだろう」
「マインツ選帝侯を打ち破った相手を、舐めすぎではないか?」
「念入りに調査した結果だ。マインツは相手を、ヴァリエールを追い詰めすぎた。我らはそこまで愚かではないし、仮に正面から殴り合っても勝てる相手である。3000の弱兵では出来ることなど少ないさ」
それはどうだかな。
我らが愚かではないなど、どこに証拠があろうか。
成功体験だ。
かつて市長が皇帝を追放して、今のマキシーン皇帝とその父親を王宮に閉じ込めた成功体験が、悪い酒のように強硬派を酔わせているのではないか。
皇帝の去就さえ左右してみせたという成功体験が、我らを愚かにさせているのではないか。
そんな雰囲気がどこかにある。
口にはしない。
そんなことを仮に言っても、誰もが否定するばかりで何にもならないからだ。
「それで、どうするつもりか?」
代わりに出たのは、今後の方針への疑問であった。
強硬派の代表者が答えた。
「人質が一番スマートな方法に思える」
「ヴァリエール殿下をか?」
「そうなるな」
そうなるな、ではない。
なるほど、相手の王を捕えれば騎士として忠誠を誓ったなどと(あの強盗騎士が――どこまで本当やら疑わしいが)言われるベルリヒンゲン卿も交渉に応じざるを得まい。
だが捕えるのは、やや厳しいのではなかろうか。
「何も恐れる必要は無い。かつては皇帝さえ捕えたのだ。選帝侯の子女一人程度を捕えることがそんなに難しいと考えるか? 帝都は皇帝の庭ではない。我ら市民参事会の庭だ。帝都の城壁外から来たよそ者に何が出来ようか」
やはり、強硬派は成功体験に溺れている。
それを認識してしまえば、はっきりと嫌な予感がする。
だが、口にはできぬ。
今の状況では強硬派の意見が多数であるし、弱気な発言をしすぎれば参事としての立場さえ危うくなる。
『ならばお前だけヴァリエールと交渉すれば良いのだ。我らの本来支払う分までお前が呑め』などと言われればたまったものではない。
損を押しつけられるのは御免だ。
なれば――
「・・・・・・」
そうだ、交渉だ。
裏からベルリヒンゲンにこっそり交渉をしておくか?
彼女の提案には正直納得している旨だけを伝えればよいのだ。
最終的結論として、私は市民参事会での立場さえ守れればよく、強硬派の暴走に巻き込まれたくないというのが本音だ。
被害は最小限に抑えるべきである。
「ヴァリエールを人質に取ることを第一目標とする。ランツクネヒトや超人を動員するとしよう。それでも駄目なら、数百人を動員して一当てして、まあ結果的に多少の減額さえ呑ませれば負けてもいいさ。不要な食い扶持の数を減らせたならば、ヴァリエールの要求を呑んで良しとしよう。決まりだ」
強硬派の自信満々な口ぶりを聞きながら。
はて、そんなに上手くいくものだろうか。
何か抜けている点はないだろうか。
とんでもない失敗の要素を見逃しているかのような。
そんな怖気めいた予感を背筋に走らせている。
「賛成だが。いくつか確認したいことがある」
「何かね」
「懸念はないかね? 例えば我らを憎んでいる皇帝が協力するだとか?」
強硬派の代表者は少しだけ考えて、笑った。
「アレは何もしないさ。精々、帝都内の内部秩序を考えてランツクネヒトどもに表向きの不参加を呼びかける程度だろう」
「今帝都にいる三選帝侯がしゃしゃり出てくるとか?」
「連中は皇帝位を誰にするかでかかりきりだ。わざわざ表舞台には出てこない。仮に出てきたところで」
今集めただけの兵力では市民参事会が勝っている。
見込みは外れていないと思う。
だが、何か足りないような。
何かを見過ごしているような。
冬に坂から雪玉を転がして、その雪玉がどんどん大きくなってしまい、我らの家でも潰してしまうかのような。
そんな予感がするのだ。
「いいだろう。納得した」
私は表向きだけ賛意を示して、ベルリヒンゲン卿へと接触を図ることにした。
これは裏切りではない。
もしもの時の交渉役は、両者にとって必要だからだ。
※
「実際のところ、どこまでやるつもりなんだ。ザビーネ」
私室にて。
ザビーネに言い放ちながら、市民参事会の中立派からの手紙を開封した。
もしもの時の交渉役として役立つから、中立派・穏健派への手出しはしないで欲しいとの事らしい。
良い提案ではあるが――
「決まっているだろう。最後までだ。市民参事会を徹底的に追い詰める」
「帝都市民を敵に回すつもりか?」
「当然。お前はそのつもりじゃないのか、アメリア」
ヴァリエール殿下には命じられていないからな。
ヴァリエール様の落ち穂どもを引き連れて、ポリドロ領に移民するには十分な額を提示している。
価格交渉さえ成功すれば良いのだ。
そこまで追い詰める必要があるか?
そう疑問を口にしようとして――気づく。
「また何か変な命令でも、選帝侯どもから受けているのか?」
「ヴァリ様以外の言うことは聞きたくないのだけれどね」
私はザビーネから、彼女が密かに受けた命令を聞き出した後。
手にしていた手紙を、蝋燭の火にかざして燃やしてしまった。
体調不良につき
1ヶ月ほど更新を休ませていただきます
誠に申し訳ありません