本来ならば、私は新たなるポリドロ領民の改宗式に参列する立場であるが。
マキシーン皇帝陛下の父君の月命日と同日であり、誰かがアンハルト王族の名代として参列せねばならぬからと、私が指名されて赴くこととなった。
断ろうと思ったが、アナスタシア様の命とあっては断るわけにもいかぬ。
選帝侯継承式で何分忙しいことでもあるしと、納得をした。
だが、そうして当日動く早朝にだ。
「と、いうようなことをアナスタシアは考えているに違いない。それが今の状況だ」
「・・・・・・」
突然現れたテメレール公爵に現在全ての状況を詳らかに教えられて、押し黙る。
皆、私の事をなんだと思っているのか?
考える知能を持たぬ猪騎士とでも考えているのか?
否定はできぬが、ひどい扱いを受けたものだ。
「今すぐケルン派の改宗式に向かうことにします。アナスタシア様の計画など知ったことじゃない」
「まあ待て」
怒りで待てるか!
そう吐き捨てようとするが、全てを正直に教えてくれたテメレール公爵の言葉をはね除ける訳にもいかぬ。
「テメレール公爵は、ヴァリ様が、我が婚約者が拉致されてもよいと仰るのですか?」
「そうは言ってないし、そうはならない」
努めて冷静に。
彼女はいつも通り女教師風の雰囲気で、短く切りそろえた金髪が輝いている。
水晶で出来た眼鏡に手を伸ばし、それを撫ぜながらに答えた。
「ファウスト。お前は怒るが、まあアナスタシアの判断は間違っていないよ。間違っていない。おそらく私も賛同するであろうと見越して、私には話もかけてこなかった。相談ぐらいして欲しいものだったがな」
「状況は間違っているかどうかではありません。私は納得しておりません。大義名分のために、わざと拉致させるなどと」
「聞け、ファウストよ」
侮辱したようでもなく、何かを嘲笑う様子でもなく。
何か、もっと虚しいものに微笑したかのようにして公爵が微笑む。
「皆勘違いをしておるのよ。アナスタシアもアスターテもナヒドも。判断は間違っていないが、帝都のことを、ランツクネヒトがどういうものかを真に理解しておらぬから、このような計画を練る」
「それは?」
「先ほども言ったが、私はヴァリエールが拉致されてもよいなどと考えておらぬ。だが、そもそもその懸念をする心配などどこにもないのだよ」
言っている意味が、よくわからぬ。
「あれだ、誰も気づいておらんだろうな。レッケンベルの育てたカタリナやニーナも、それこそザビーネやベルリヒンゲンなどといった知恵者でさえも理解できておらんのだよ。ランツクネヒトの雇用主であるマキシーン陛下や、市民参事会ですら理解に遠い。おそらく、状況を真に理解できているのはこのテメレールぐらいのものであろう。何せ、戦場で敵対した事があるのは私のみであるからな」
「何を仰っているのか分かりませぬ」
テメレール公爵の仰っていることが何も理解できぬ。
ゆえに、問うた。
「公爵、何が言いたいのか教えてください」
「ランツクネヒトこそが憐れなものだ。出来もしないことをやろうとしている。出来もしないことをやろう! やろう! と意気込んで、1000なる隊伍を組んで、ケルン派の改宗式に押しかけようとしている。ヴァリエールを拉致しようとしている。改宗式を無茶苦茶にしようとしている。ヴァリエールの落ち穂どもの神聖なる儀式を破却しようとしている。何を馬鹿な! そんなことを、おまえらがこの世で一番出来ない癖に――嗚呼」
独り言。
まるで独り言のように、言いたいことだけをいって、公爵が押し黙る。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
答えてくれぬならば、私も何も言えぬ。
こんなことをしている暇があるならば、今すぐ愛馬フリューゲルに乗って改宗式に向かわねばならぬというのだが。
奇妙な雰囲気を。
何か、本当に悲しいといった表情で公爵が黙っているので動けぬ。
「一言にすればなんと呼ぶべきか。ただただ憐れというべきか。それとも――しょうもない連中だと言うべきか。いや」
「・・・・・・」
「悲しい事が起きるよ」
公爵が吐き捨てた。
まるで、自分の友人が苦しんでいるかのような表情で。
公爵はランツクネヒト共を哀れんでいるというのか?
敵同士であったというのに。
「私は今回の件について、落とし所を探ろうと思う」
「テメレール公爵。思うところがあるのかもしれませんが、すでにランツクネヒトは私に喧嘩を売っております。タダで済ませる気などありません」
「わかっている。わかっているさ」
本当に悲しそうに、公爵が頷いた。
「何もかも理解しているんだ。同時に、今回は私だけが状況をコントロールできると思っている。約束しよう、ランツクネヒトには仕置きを加えるさ。ただ、それは改宗式においてやるべきではない」
何故?
母と領地領民を侮辱した連中など殺して終わりだ。
そう吐き捨てようとするが。
「ランツクネヒトは改宗式において全くの無力だ。どうせ何もできやしないのさ」
「それは?」
つまるところ、公爵は何が言いたいのか具体的なところをまだ話していない。
私は再び尋ねる。
「すでに手配が終わっていると言うことですか? 例えば、テメレール公爵が解決策を手配してくれていると?」
「している。もしもの時のために、予想が外れた時のために――必要ないと思うが。領地からも呼び集めた『狂える猪の騎士団』超人30名に騎兵100名を準備させている。もしヴァリエールを拉致しようとしたならば、その場で突撃させてランツクネヒトを皆殺しにする準備だ」
準備しているのではないか。
それならば安心だが――だが、必要ない準備?
「・・・・・・私の予想が外れることなどないと思うのだがな。まあ絶対死ぬはずのないレッケンベルも死んだ。この世に絶対などない。準備だけはしておくべきだと思うから、やった。だがな、ファウスト。どうせランツクネヒトは押しかけるだけ押しかけて、何もできやしないよ」
「・・・・・・何故? ヴァリ様を拉致しにくるんでしょう?」
「来るだろう。そして何もしないだろう」
断言するように、公爵は吐き捨てた。
「ただただ、羨ましそうに眺めて、何も出来ずに帰るだけだろう」
「何故?」
「ファウスト。お前にはわからんだろう。現状でこのことを理解できる者など、殆どおらんのだからお前が悪いわけではないがな」
分かっていない者をさきほど数えただろう?
どんな知恵者でさえわからぬことだ。
私が養女にと望んでいるマルティナさえも理解せんだろう。
わかっているのは、レッケンベルとランツクネヒトに敵対したこのテメレールのみよ。
「ヴァリエールの落ち穂どもが一番よくわからずに混乱するだろうな。混乱して、慌てて誰もが歯を剥き出しにしてヴァリエールを守ろうとして――それを羨ましそうにランツクネヒトは見つめるだろう。それだけだ、他に何も起きはしない」
「テメレール公、すでに落ち穂どもとランツクネヒトは小競り合いを起こして、死者も」
「想像力が全く及んでおらんから、実感がわかんから、そのようなことが出来ているのだ」
はあ、とため息をついた。
テメレール公の仰っていることがよく判らぬ。
私が判らぬ事を、知恵者揃いの味方も理解していない。
ただただ、彼女だけがたった一人判ったように状況を口にしている。
「約束をしよう。ファウスト。私はヴァリエールを守ろう。すでに騎士団を手配し、準備も整えているしな。だがな、結局は何も起きないことを約束しよう。それが本当にその通りの結果であったならば、今回の件を全て任せてくれないか?」
「・・・・・・」
考える。
何も判らないが、少なくともヴァリ様の安全だけは保証されている。
なれば、私に言うべきことはない。
――このまま、テメレール公を無視して改宗式に向かう必要は無かった。
「任せるとは、ランツクネヒトとの闘争含めてのことでしょうか」
「そうなる。闘争の準備も私が整えてやろう。一つ質問だが――ファウストは蟻のように集られることだけは嫌がると聞いたが、実際のところ一人で何人ならば倒せるのだ?」
「死に物狂いのランツクネヒトでも、50人なら容易ではあります。100となると辛いですな。また、条件としては場所が広ければ可能なだけで、室内だと30人相手でも負けますな」
「よかろう。その程度が一番良い具合であろう」
公爵が何を考えて、この質問をしているかはわからぬ。
ただ、この時ばかりは何もかも任せて良い気がした。
少なくとも彼女は私より賢いし、約束は守ってくれるだろう。
「それでは、ファウストの代わりに改宗式を見届けにいくとしようか。全く気に食わんことであるが私もケルン派であるから、参加しても問題ないしな」
そう吐き捨てた公爵は、どことなく寂しげであった。
かつての仇敵の惨めな姿を見に行かねばならぬかのように。