彼女の下、一つの騎士団が現われ出で笛や太鼓で諸国を廻る、これぞランツクネヒトと申すもの。
靴(シュー)を自分の顔が写るほど「ぴかぴか」に磨きあげて、ほつれ一つ無いズボン姿に身を包むもの。
どうせ死ぬ我らに許された傾いた一張羅。
その姿、我ながら見事なり。
誰よりも猛き愚か者どもよ。
「皆ども、参るぞ!」
「ヴァリエール・フォン・アンハルトの身柄を拘束するために!!」
こうして隊伍1000を組み、ケルン派の改宗式に押し寄せたのだ。
ケルン派の集まりは500に、非武装の商人さえ入り混じる貧民揃いなりて。
その姿見窄らしく、貧しい者が今日限りだけは晴れの日だから精一杯身繕いをしましたとツギハギの服を着るのがやっとの有様である。
我ら見事な死に装束に身を包んだランツクネヒトの姿とは大違いだ!
「警戒すべきは!?」
「ヴァリエールの親衛隊であろう! 彼女たちだけはマスケット銃にギャンベゾンで武装しておる!!」
「ケルン派の神母ではないのか?」
「改宗式の際は彼女たちとてメイスにピストル程度の武装しかしておらぬ、戯けた聖職者どもだ。心配はいらぬ!!」
我らの拉致計画は読まれていようが、それならば罠があろうと突き破るだけだ。
おそらくは我らが『拉致を成功させるまで』が相手の望むところであろう。
その状況を利用するつもりなのだろう。
それでも構わぬ。
どうせ死に場を求めるだけの集団が我らだ。
「隊伍を崩すな、このまま――」
改宗式に突っ込む。
遠目には、野外に設置された粗末なばかりの演台にてヴァリエールが洗礼を受ける姿が見えている。
いたるところにヴァリエールの落ち穂ども、そのケルン派のクロス・アンド・サークルの旗が掲揚されている。
いくつか、その旗が揺らめくのが見えた。
改宗式に列座する喜びにたまらなくなった騎士が、玩具のように振り回しているのであろう。
「このまま」
突っ込むぞ。
そう呟こうとしたときに、ふと演台にてヴァリエールの姿を遮る二人の騎士が見えた。
ザビーネとベルリヒンゲンと言われる女どもであった。
二人とも何やら声を挙げている。
おそらく台詞は『ヴァリエール様を守れ!』と言ったところであろうか。
こちらに気づいたのであろう。
ザワついて、こちらに振り返る者が沢山いるのが見えた。
遠目でもわかる。
状況に戸惑いながら、子を守るために歯を剥き出しにする母狼どもの姿だ。
他愛なし。
無手の雑魚どもなど容易く葬ってやる。
そんなときに。
「改宗式を続行する。皆ども、静まれ!!」
聞き覚えのある声が聞こえた。
あれは――何だったか。
何年か前に、戦場で聞いたことのある声だった。
たしか、レッケンベルに五回も挑んで、五回も負けた愚か者。
テメレール公爵の声だった。
私たちは行進を一度停止し、相手の出方を窺った。
※
「何を言っている! 今すぐ親衛隊を整列させて、マスケット銃の蜂の巣にしてやる!」
「それにだ、商人といった非戦闘民は避難をさせろ! いくらヴァリ様のためとはいえ楯にするわけにもいかぬ!!」
ザビーネにベルリヒンゲンが愚かな事を口走っている。
この知恵者二人でも理解できんのだ。
これから何が起きようとしているのか。
いや、何も起きないということが。
「必要ない」
私は容易く切り捨てた。
首を横に向ける。
「ヴァリエール卿、まだ神聖な改宗式の途中である。問題ないから続けよ」
「で、でもテメレール公爵。ランツクネヒトが攻め込んできているのよ!?」
「どうせ奴らには何も出来ぬ。心配はいらぬし、少しでも近づけばだ。来たときに説明したように」
手を挙げる。
丘の向こうに立つ、我が狂える猪の騎士団の副団長である『忠義者』が手を挙げた。
この手を振り下ろせば、突撃してランツクネヒトを駆逐する。
「だから何も心配はいらぬ。改宗式を続けよ。それだけでよい」
それだけでよいのだ。
それ以外に何もする必要は無い。
「本当に大丈夫なのね?」
「大丈夫だ」
目の前のヴァリエールは、見所がある。
おそらく為政者としての才能など乏しいであろうし、国一つ任せればあっという間に潰すであろう。
なれど、いざという時の度胸だけはある。
このテメレールの言うことを素直に聞き、演説を始める。
眼前には声を拡張する水晶玉が置かれている。
「皆、落ち着いて聞いて。改宗式を続けるわ」
静かな声だった。
妖精のような容姿と、凛とした花香のする声と――どんな身分の者であれ差別や侮蔑をする気は無い。
そんな声であった。
「・・・・・・神聖な儀式の最中よ。何も心配はいらないから、私の声だけを聞いて」
ランツクネヒトの方を見る落ち穂どもがこちらを向き、ザワつきを収めるのが見えた。
ヴァリエールの声にはその徳性があった。
「よろしい。改宗式を始めるわ。・・・・・・これより、私たちはケルン派へと宗派を変え、ポリドロ領民となる。それに当たって言わなければならないこともある。よく聞いて」
ヴァリエールの親衛隊が見守っている。
肩にマスケット銃を抱え、ギャンベゾン姿に身を包んでいた。
落ち穂共の中で、唯一マトモといえる服装の者ども。
そのギャンベゾン姿でさえもツギハギだらけで、人によってはみっともなく見えるであろう。
「私の民になるということは、私があなたのために何かをするかではなく、あなたが私のために何を出来るかと問うことでもある」
何一つ輝きなどない。
古ぼけた中古品を買い漁って補修し、なんとか見栄えを整えたのであろう。
「それと同時に、私があなたのために何ができるかと問い続ける戦いでもある。私はかつて言った。私がこの手で何もない土地に古ぼけた鍬を入れると。この手で石を取り除いて、この手で種苗を植え、この手で陶片を配って命令を与えて、この手で開拓の書物を読むと。広大なポリドロ領の土地における未開拓の、何もないところで私が村を開拓しようと」
親衛隊と比べて、落ち穂などもっと酷いものだ。
誰一人として人生で新品の服など買ったこともないであろう者がほとんどよ。
唯一、プレティヒャ卿などが産まれて初めて、今回のために服を新調したなどと浮かれていたぐらいか。
その浮いているプレティヒャ卿が、ヴァリエールを見つめている。
「容易ではないでしょう。きっと、爪の中まで泥で茶色に染まるでしょう」
キラキラとした瞳だった。
愛されぬ5歳の少女が、生まれて初めて玩具の人形を与えられたような顔をしていた。
彼女だけではない。
「肌は陽でボロボロに灼けるでしょう。気候など曖昧で、種苗が上手く育たないことなどよくあることでしょう。だって、私たちには何の知識も無い。畑を耕すなど初めてで、それこそ経験のない我らには苦難の道でしょう」
ツギハギだらけの服を着て、それでも一番見栄えの良い服をこの日のために用意してきた者どもが全員同じ目をしている。
「だけど、あえて言いましょう。恐れるべきものは恐怖そのもので、危機的な状況にあっても、我々の困難は資質不足によるものではない。かつてポリドロ領の先人が向き合った困難に比べればまだマシな状況だということ」
瞳には一人の少女の姿しか映っていない。
アンハルト王族の次女だった。
「もし開拓が失敗に終わるとすれば、恐怖を認めて逃げ出した場合のみ。そして、私は逃げ出さないと誓うから。あなたも一緒に逃げないようにしましょう」
誰もがあどけない子供の目だった。
500人からなる1000の瞳が、ただただ一人に集中していた。
誰もがヴァリエールを見ていた。
私には見覚えがあるのだ。
かつて見たことがあるのだ。
このような連中を。
「これより改宗式を執り行います。・・・・・・まず、私が神母から洗礼を受ける。そして、一人ずつ壇上に上がりなさい。私が貴女の手を取って、神母のところに連れて行きましょう。そして洗礼を受けましょう。それから――それから」
レッケンベルが剣で肩を叩いた者たちの群れだった。
シュー(靴)の中は血塗れで、ほつれだらけのズボン姿に、瞳だけをギラギラとさせた。
「帝都での全てが終わったら、ポリドロ領まで一緒に歩いて行きましょう」
かつての仇敵の姿。
ランツクネヒトなる寄る辺なき者たちの、かつての姿だった。
そんな連中。
今はもう何処にもいない。
何処にも行く当ての無い、憐れなものたちがいるだけだ。
「嗚呼」
思わず言葉を漏らした。
テメレール公爵は丘上の部下に向かって首を振り、振り上げていた手をゆっくりと下ろした。
※
誰も何も言葉を発さなかった。
ヴァリエールが一人一人の手を引く姿は、見覚えがある光景だったからだ。
いつだろうか?
ランツクネヒトの入隊式であった。
数百もの剣を天に掲げて、打ち鳴らし重ねて出来た剣の道を歩いた時であった。
金などなかった。
元々の生まれが農奴や三女四女などだから仕方ない。
自分の皮膚、身体、つまり自分の生身における一切合切だけが財産であった。
何もかも借金で酒保から買い叩いた。
だから靴(シュー)も服も、剣鎧もボロボロであった。
だけど、自分が見窄らしいとは思わなかった。
そんな私たちの肩を剣で叩く女がいたからだ。
彼女が蔑みの目で私たちを見るなど、何があってもあり得なかった。
私たちの価値が査閲されたのは兵士としての覚悟だけであり、今は。
今の姿を見た。
靴(シュー)を自分の顔が写るほど「ぴかぴか」に磨きあげて、ほつれ一つ無いズボン姿に身を包まれている。
皇帝や市民参事会からの雇用金があり、今は金になど困ってはいない。
だけど、だけど。
なんで私は彼女たちよりも見窄らしいのだろうか。
見窄らしいように『思える』のではない、明確に見窄らしいのだ。
我らはすでにかつての我らより劣っていることを思い知ってしまった。
私たちは、もうあのようなキラキラとした目をすることができない。
隣を見ても見窄らしいものがいるだけで、私が探し求めた者はいない。
冬のバラのように、不思議な香りのする女であった。
あの女はもういない。
レッケンベルはもういない。
静かにそれを噛み締めた。
「どうする?」
誰かが呟いた。
呟いたのだ、話しかけたのではない。
ただの独り言であった。
「どうもしない」
だが誰かが、その独り言に返事をした。
どうもしない。
何かをする気にはなれなかった。
あの改宗式の邪魔をする気にはなれなかったのだ。
かつて我々が骨身まで味わった神聖な儀式をどうして邪魔することができよう。
かつて我々が歩いた剣の道を、どうして塞ぐことができようか。
「もう帰ろう? もう嫌だ。こんなものを見て何になるというのか?」
誰かが言い出した。
錯乱を交えた言葉だった。
ヴァリエールの拉致という目的を忘れてしまったように。
まるで、そんなこと耐えられないとでも言いたげに。
何もかも見たくないと、苦しげに言葉を発した。
「何処へ?」
誰かが返事をした。
どこにも行く宛もなければ、帰る場所もなかった。
それがランツクネヒトと言われる存在の現状だった。
だから、私は、私たちは。
羨ましげに改宗式を見つめて、腐った目でただ佇むしかできなかったのだ。
たった一つだけ持っていた玩具を取り上げられた、愛されぬ少女のように。
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