死体が転がっている。
傷の無い死体など、何処にも有りはしなかった。
何かしら部位が欠損し、そこから動脈が弾けて夥しい出血をしている。
熊が如き化け物が、ただただ力任せに爪を振るい暴れまわった挙句に、屍山血河が築かれた。
事実だけを語れば、それのみにすぎない。
「……」
無駄だ。
無意味であったのだ。
ランツクネヒトの、小さな共同体の強さはグズグズに、ぬかるんでいた泥のように踏みつぶされてしまった。
彼を見よ。
ファウスト・フォン・ポリドロ卿には疲れた様子さえない。
彼女たちが命懸けで与えた傷でさえも、もはや塞がっているのかもしれぬ。
そう錯覚を覚えるほどに、卿は強かった。
「バウマン」
私は決闘の見届け人である。
ランツクネヒトの旗持ちであった。
今、私はどうしようかと迷っている。
もうよいではないか。
「……やるのか?」
ランツクネヒトの目的は果たした。
ポリドロ卿への侮辱に対する責任を、公然と命を投げ捨てることで果たした。
彼がレッケンベル卿を確かに一騎打ちにて葬ったのだと得心させた。
我らはもうどこにも行く当てがなくなった、迷い人なのだと理解させた。
そして――古強者として、ランツクネヒトとしての抵抗をポリドロ卿に示した。
だから、もう。
ここからはバウマンのみの名誉に関する闘いだった。
彼女が退くと言うのならば、それでも良いように思えた。
とても勝てはしないと認め、決闘しなくてもよいだろうと。
もちろん。
バウマンがその提案を受け入れるとは思っていなかったが。
「どうでもよいと思っていたが」
バウマンが口にする。
どうでもよいのだと。
事実、どうでもよかったのだろう。
今、周囲に転がっている古強者の昔仲間の覚悟も。
そして、バウマン自身の命も。
どうでもよいのだというのはわかっていた。
「何もかもどうでもよいと思っていた。ポリドロ卿を殺してもよいし、逆に殺されても良い。だが……」
手を伸ばされる。
私が持つ旗に対してであった。
掲げた旗棒から、旗のみが力任せに引き千切られる。
「私もランツクネヒトの一員だ。私の前座として逝った彼女たちを見捨てて、ここで退く気はない」
バウマンが軍旗である『バラのはながら』を掴んだ。
装飾は白い糸でできた花骸であった。
力任せに引きちぎられた旗が、古強者達の死骸にかぶせられる。
自然、血を吸う。
赤黒い血を吸って、白い花躯が少しずつ赤く染まっていった。
「……かつて、この花を咲かせようと誰もが望んだ」
バウマンが語る。
『花を咲かせよう』の意はクラウディア・フォン・レッケンベルを皇帝陛下にしようと企んだことを意味するのだろう。
我々は、枯れて萎んだ花弁の花をもう一度咲かせられると考えた。
現実では叶わなかった。
「きっと、我らランツクネヒト全員の血を吸っても咲かぬのだろう。萎んだ花弁がもう一度花開くことはない。そういうものだ」
赤黒い花弁が萎んだままである。
旗持ちの私はそれが悲しく思えた。
結局、我らランツクネヒトはレッケンベルをなくしてはただの賊も同然の連中にすぎぬのだ。
ただ。
花弁の下に眠る彼女たち古強者は、最低限の勇気と覚悟だけは示した。
愚かなるランツクネヒトの、どんな強者にも怯まぬという戦士としての最後の誇りだけは示したのだ。
「先に死者を弔うか? 待ってやっても良い」
威風堂々とした声。
ポリドロ卿が剣を抜いている。
大きなグレートソードだった。
バウマンが持つ、直々に与えられた特注のツヴァイハンダーとそう変わらぬ大きさである。
あんな剣、実用で使う人間がバウマン以外にまさかいるとは思わなかったが。
「必要ない。死ねばただの血と肉の塊よ! 運が良ければ、埋葬されずとも古強者達の魂はヴァルハラへといざなわれるだろう!!」
バウマンが叫び返した。
死体を片付ける必要はない。
目的を果たした幸福なるものに、これ以上の情けはいらないのだと。
そう言いたげでもある。
事実、死体の顔はどれも苦痛に滲んだ顔ではなく、やっと死ねたとばかりの安息の顔さえ目立つようであった。
「殺し合いをしよう、ポリドロ卿。時間を置く必要はない」
「……そうするか」
コロッセウムの盤面は血で汚れている。
酷いところなど臓物や体の破片が転がっていた。
だが、そんな悪条件、どちらも苦にはしないのだろう。
「名乗り合いはするか? 実は君のことを良く知らぬ」
「安心しろ、ポリドロ卿。実は私も大してお前のことなど知らん」
かたや左のポリドロ卿。
クラウディア・フォン・レッケンベルを殺した男騎士。
それ以上のことなど、実のところランツクネヒトの誰も興味はない。
ただ、その一つのことだけが何よりも『罪有りき』であった。
かたや右のバウマン。
ランツクネヒトの中で一番強いと言われた女騎士。
『私よりも強い』とレッケンベル卿に褒められて、誰からも嫉妬された女。
それぐらいしか取り柄がないから、それ以外に何の逸話もない。
ただただ煩悩具足の凡婦がひたすら強いだけである。
それ以外に何の価値もなかったし、そしてポリドロ卿もそれ以外に何も知らない。
「テメレール卿の超人騎士達との一騎打ちは知っている。お前は相手に一々境遇を聞く奇妙な癖があるようだが、私はそれを語る気がない。語ってもどうせ面白い話はできん」
「そうか」
バウマンは会話を拒んだ。
その気持ちが、ただの旗持ちにすぎぬ私には理解できた。
嫌だよな。
レッケンベル卿を殺した男に気持ちを理解されて、慰められたところでどうするんだか。
主犯は貴様だ。
その気持ちが消え去ることはない。
「では、やるか」
「そうだな。そこの旗持ち、決闘をちゃんと見届ける気があるなら、コロッセウムの闘技台から降りておけ」
間近で見られるならば、別に死んでもかまわぬのだが。
この先、良いこともないだろう。
なんなれば、私も古強者達と一緒に死にたかったのだ。
そんな愚痴を口走りそうになるが、ハッキリ言って私はもはや邪魔者であった。
ならば大人しく立ち去って、遠くからこの決闘の見届け人になるしかない。
私は旗の無い旗棒を肩に掲げ、黙って闘技台から降りる。
そして歩く。
一歩。
二歩。
三歩進んだところで、ヴィレンドルフ選帝侯であるカタリナの声が張り上げられた。
「これより、アンハルト最強騎士ファウスト・フォン・ポリドロ卿とランツクネヒト最強騎士バウマンの決闘を始める!!」
私は十歩ほど進んだところで後ろを振り向いた。
壇上の二人はどちらも目を逸らすことなくお互いを睨みつけ、剣を構えていた。
嗚呼。
この試合、どちらが勝利したところで、得られるものはバウマンの納得だけだろう。
ポリドロ卿は死にたがりの暴走に付き合ってくれているだけだ。
そう考えると少し申し訳ない気もするが。
いいさ。
レッケンベル卿を殺したことには、それだけの責任があるのだから。
散々それだけの迷惑をかけてから死のう、バウマン。
私たちは何処までも命を燃やし尽くしてから死のう。
もしバウマンが殺されたならばだ、私は胸元の懐剣で喉を突いて死のう。
旗持ちとして皆と一緒に死ぬのだ。
そんな決意を固めて、薄く笑う。
嗚呼。
私の決意など、本当に小さなことなのだと無視するように決闘が始まる。
「――」
「――」
勝負は、闘技台のど真ん中で二人の得物が刃毀れもせず、火花を散らし合わせて相重なる。
そんな衝撃音がコロッセウム全体に響き渡る形で始まった。
まずは再開を優先したので、今回短くてすいません。
色々と長い連絡があります。
5巻発売されたら更新再開すると言っておりましたが
作者が予想しているよりも大分先の話になってしまいましたので(11月には出ると思っていた)、連載中止から半年が経過してしまう前に再開することにしました。
また、一応5巻の初稿提出も無事終わりました。
5巻出版予定日も決定しております
(来年を予定しておりますが、詳細まではまだ発表できません)
そして今までの概略図を書くと言う話でしたが、その作業も一応終わりまして
6章、特に10~12章を書籍版では大幅に書き直すことにしました。
Web版では書き直しはエターの原因になりますので、このまま進めることになります
以上、どうかお見捨てにならず、今後とも本作をよろしくお願いします。