愚者の構え。
雄牛の構え。
鋤の構え。
屋根の構え。
ヴィレンドルフ剣術における基本的構えの四つ。
バウマンはそのレッケンベルの教えに従って、放つ攻撃ごとに体勢を移行していた。
本当に教本通りの動きである。
別に彼女が真面目だからというわけではない。
単純に、それしか知らないからだ。
だが、それ以外に必要もなかった。
「騎士道を実践せよ。 汝を気高くし、戦いにおいて汝に誉をもたらす作法を学べ」
レッケンベル様の言葉。
バウマンにとって神の言葉にも等しい。
彼女にとっては騎士道とは興味の埒外であった。
埒外ではあったが、レッケンベル様の騎士には成りたかった。
だから、こうして全ての技術を。
「ヴィレンドルフ剣術は先、後、柔、剛、間、この五つに全ての作法が詰まっている。体幹を強く維持し、つばぜり合いで負けず、相手の攻撃に耐えうる姿勢を保て。徒歩であろうと、馬上であろうと、甲冑をつけていようとなかろうと、何も変わらん。姿勢を崩さない限り負けは決してない」
屈曲。
王冠。
猪突。
交換。
副次的な構え。
攻撃を加えるたびに構えを移行し、体幹を揺るがせず、相手に隙を見せない。
続けざまに攻撃を放つ。
ファウストの行動を先んじて読み、戦闘を支配する。
それが何よりも肝要であるようにバウマンには思えた。
バウマンには疑問に思っていることがある。
何故レッケンベル様は負けた?
油断していた?
戦場で油断するような騎士ではないが、まあ言い換えればそうであろう。
負けた理由はファウストの強さだけではなく、レッケンベル様の側にも当然あるように思えた。
一気呵成に攻めの姿勢でレッケンベル様がその技術で挑めば、どのような超人であろうと彼女に勝てる騎士など存在しないはずであるからだ。
ヴィレンドルフはおろか、グステン帝国最強の騎士といっても過言ではない彼女の技術が。
どう考えてもポッとでの辺境騎士にすぎぬファウスト・フォン・ポリドロに劣るわけがない。
だから、理由を考える。
実力を試した。
相手に猶予を与えた。
要するに、相手の攻撃を先んじて読み、戦闘を支配する攻撃的姿勢を取らなかった。
むしろ後手を選択し、ファウストの行動を許した。
彼に技術的優位を埋める猶予を与えた。
何故か。
生きたまま捕縛しようとしたのではないか?
男として欲しかったのか、敵国の超人を配下として手に入れようとしたのか。
自然、その結論が頭に思い浮かぶ。
そういうところがある人だった、と口にするまでもなく脳裏に思い浮かぶ。
ああ、そういう人だ。
レッケンベル様はそうやって人を試すのがお好きな方だった。
悪癖と言えるかもしれないが、それで何の問題もなかったのだ。
何せ強かった。
強かったのだから、そういう我儘も許された。
バウマンはそうレッケンベルを評価していた。
しかし、負けた。
負けてしまったのだ。
「――」
火花が飛び散る。
ファウストは完全に「後」に回っている。
戦闘を支配しているのはバウマンだ。
大したことがない。
そんな感触さえ感じる。
バウマンが全力で思うがままに膂力を振るい、ツヴァイヘンダーが暴風のように吹き荒れる。
剣風の嵐。
なれど、ファウストの膂力も疑いようがないぐらいの強さで、力のみで押し切ることはできない。
全ての攻撃は防がれている。
通常の騎士であれば、すでにお陀仏になっている。
少しでも当たりすれば、普通の相手ならば体が吹き飛ぶからだ。
バウマンの攻撃は『掠り』でもすれば、熊に殴られたごとく骨と肉が粉々になって相手は死ぬのだ。
問題は、ファウストの鎧であった。
僅かに、剣先が猫の引っ搔きのような浅さで甲冑に触れるが、それは通じない。
ファウストの身を包む魔術刻印が刻まれた全身鎧は、バウマンの膂力であろうと傷つくことはない。
そのファウスト自身も頑丈で、通常の打撃などは通らぬ。
それこそ致命打を与えねば、鎧も体も損傷しないだろう。
内部破壊によるダメージを与えることだって、ままならぬ。
「……」
調べている。
バウマンは、ヴィレンドルフで語り継がれる伝説の決闘について知っている。
ファウストとレッケンベルがどのような戦いを繰り広げたかは、伝聞にしかすぎぬが知っていた。
勝負を分けたのはスタミナ差だと聞くが。
本当にそうか?
バウマンは疑問に思っていた。
ずっと疑問に思っていたのではなく、このコロシアムの戦闘に至って初めて湧いた疑問である。
前座であるランツクネヒトが、彼女たちが示してくれたのだ。
彼女たちはファウストに傷を与えた。
自分たちの命を賭して、彼の身体にカッツバルゲルを食い込ませたのだ。
なのに、通じた様子がない。
まさか傷が回復している?
有り得ない話だ、と鼻で笑って捨てることはできなかった。
超人は回復速度が常人より早い。
肋骨が折れようが、腕が折れようが、常人なら耐えがたい苦痛を受けても行動することが出来た。
――再び、レッケンベル様が何故負けたかについて考えている。
ひょっとして、ファウストは疲れないのではないか?
疲弊しない。
負傷が信じられない速度で回復する。
バウマンは農奴の出自で賢くはない。
その自覚がある。
なれど、現実にあることを「常識の埒外であるから」と切って捨てるようなこともしなかった。
命を賭して前座である同胞が、彼女たちが命懸けで示した情報。
それに間違いはないように思えた。
「……」
剣を振るっている。
戦闘を支配しているのは相変わらずバウマンであり。
後手に回っているのは明らかにファウストである。
その戦闘がずっと続いている。
バウマンの剣技に押されるがままに、ファウストは受けるのが精いっぱい。
それが客観的に見た現状で。
そして、レッケンベル様が負けた決闘と何も変わらぬ。
このままでは勝てぬ。
そう心の底でバウマンは断じた。
――致命打を放つ必要があった。
ずっとこの戦を続ければ、やがて体力差で負けるだろう。
ゆえに、ファウストが想像もつかぬような受け切れぬ技で、致命的な一撃を加える。
技を放つ。
それには躊躇いがある。
レッケンベル様とてそうしたに違いないのだ。
だが、通じなかった。
いや、厳密には通りはしたのだろう。
ファウストの意表を突くことは間違いなくできた。
チェインメイルの鎖が弾け飛び、体を幾分か刻んで血飛沫を上げさせた。
勝負ありだ。
そうだ、勝負ありであったはずなのだ。
血を流せば、戦闘中に体力は削れていく。
普通の相手であったならば、それでレッケンベル様の勝ちであったはずだ。
ただ、この眼前の相手は普通ではないのだ。
嗚呼。
レッケンベル様は最後、首を刎ねられる瞬間笑っていたと聞くが。
それは何故だろうか。
あまりにもあまりな相手に笑うしかなかったのだろうか。
諦めて笑った?
違うな、そのような御方でもない。
もし本当に笑っていたとすれば、それまでの人生で有り得ぬほど素晴らしい決闘に笑ったのだ。
自分の終わりたり得る決闘に満足の笑みを見せたのだ。
そういう御方だ。
ヴィレンドルフどころか帝国中どこに探したっていない最高の騎士様だ。
「……」
色々な事を考えている。
複雑な心境がある。
ここに至って、バウマンはレッケンベルのこと、ファウストのことだけをずっと考えている。
レッケンベル様のことは知っていた。
ファウストのことはあまり知らない。
狂ったように鍛錬をしてきたことは判る。
こうして剣を重ねるたびに、いくらでも理解は深まる。
ファウストはひたすらに『死なない努力』を積み重ねてきたのだろう。
異常に受けが上手い。
『後』の技術に優れている。
この人間に剣術を教えた人間は、そうしていればファウストが負けないと考えたのだろう。
死なない技術を教えることだけが最善で――そして、それ以外に教えられる剣術などロクに知らなかったのだろう。
だから、とにかく受けだけは上手くしようと。
それだけをひたすらに覚えさせた。
そんなことを考えている。
考えて、考えて。
おそらくはレッケンベル様も似たようなことを、戦闘中に考えたのであろうな。
そんなことに思い至る。
益体もない。
考えている場合ではない。
こんなことを考えている間にも、徐々に不利になっていくことには気づいている。
バウマンの体力は疲労により削れていくが。
ファウストの体力に変動はない。
出鱈目だ。
一騎打ちするにあたって、ここまで出鱈目な相手も存在しないだろう。
やはり致命打だ。
一撃で殺しきる方法を考えるが。
あまり、手はない。
隙が欲しいな。
一瞬の隙でよい。
力を溜めるための隙だ。
「――」
引き換えにしよう。
自分の負傷と引き換えだ。
肉を切らせて骨を断つ。
一度でも負傷すれば、ファウストと違いバウマンの体力は削れていく。
もはや勝ち目はなくなるだろう。
だが、こうしていても勝ち目はないのだ。
何かを犠牲にする。
腕一本が必要か?
脚一本が必要か?
別に構いはしなかった。
自分の命など、どうでもよい。
後先考えていないのだ。
悩んでいる。
何を犠牲にしよう。
やはり命か?
それもよい。
相討ちでもよかった。
「――」
そうだな、相討ちでも良い。
もうどうでもよいのだ、この先を生き残っても仕方ない。
そう考える。
勝ったところで何が得られるわけではないが。
負けたところでもう何を失うわけでもなかった。
だから、命を犠牲にしようか。
それを引き換えにしてファウストを打ち破ろうか。
それでもよいな。
よい。
頭上に剣を構える。
屋根の構え。
自らに隙を作る。
ファウストは、その隙を見逃さずに高めの水平切りを私の胸元に加えようとする。
防御は間に合わんだろう。
間に合わせるつもりもない。
私の胸元が、鎧ごと切り裂かれることを覚悟するが。
「――」
寸前で止まる。
私にトドメを刺すのを躊躇った?
違う。
ワザと隙を作ったことを読まれたのだな。
ああ、そうだ、その判断は正しい。
だが、その躊躇いの一瞬で私にとっては十分であった。
私の秘剣を繰り出すには十分であった。
怒りの攻撃。
屋根の構えから、相手の上体に袈裟懸けに強く斬り付ける
それだけの攻撃であり、師範攻撃の一つで世間一般的には秘剣でもなんでもない。
ただ。
レッケンベル様からは、これだけをひたすらに練習させられた。
お前は、この一撃だけで人体を真っ二つに断ち割ることができるのだと。
お前にはそれだけの膂力があるのだと。
だから、それ以外に覚える必要さえない。
毎日何千本も同じ型を繰り返せ。
そういわれて、酒で腐る前まではそうしてきた。
レッケンベル様が死んだと教えられたその日まではそうしてきた。
だから秘剣だ。
たった一つの磨き上げた秘剣だ。
レッケンベル様から教えられた唯一つの。
「ア゛ア゛ア゛ーーーーッ!!!!」
僅かに錆びついていた、その秘剣を解放する。
錆など、咆哮一つで吹き飛んだ。
覚えているのだ。
この技だけは覚えているのだ。
どれだけ優れた鎧に身を包もうと、ファウストがどれだけ頑丈であろうと。
ただの一撃で真っ二つに出来る技だ。
バウマンの怒りの攻撃が、吸い込まれるようにファウストの身体に食い込もうとしていた。
ファウストが、その瞬間に何かを叫んだが。
バウマンの耳には、よく聞き取れなかった。