ファウストにとってヴィレンドルフ剣術と相対するのは初めてではない。
古きを言えばヴィレンドルフ戦役であった。
レッケンベル卿は鎗斧を用いていたため、彼女から剣術を『吸収』することはできなかったが。
他にも強き騎士など沢山いた。
ヴィレンドルフは尚武の国である。
戦場での怯懦は死そのものよりも恥ずかしい。
味方の勝利を得るがためであるならば誰もが命を投げ捨て、同胞の勝利がために身を張れる。
そこに『永遠の名誉』があると誰もが信じているのだ。
そのような価値観を以てして生きている者のみが、ヴィレンドルフ騎士を名乗れるのだ。
だから、弱くはない。
弱いヴィレンドルフ騎士など、この世に一人もいない。
相手の身体を板金鎧ごと切り捨て、砲弾を弾き返す事さえ可能にする。
そんな馬鹿力のファウストにとってさえも、ヴィレンドルフ騎士は強敵であった。
だが、それは戦場の話である。
多対一の取り囲まれた状況であれば、ファウストとてヴィレンドルフ騎士には死を覚悟する瞬間があったが。
しかし、一対一の一騎打ちでは異なる。
ファウストの剛力に立ち向かえる騎士など、常人には存在せぬからだ。
彼にとっては、同じ超人同士の戦い以外での一騎打ちは惰性に等しい。
正直、退屈さえ覚えた。
「――」
ただし、その退屈の中でも学び取れるものはある。
武術だ。
ファウストは見取り稽古で、一騎打ちの相手の持つ武術を学ぶことが出来た。
理由はわからない。
そのように生まれついたのだ。
パレード用のように馬鹿げたサイズのグレートソードを振り回す屈強な腕力。
使った傍から、泉のように湧いてくる体力。
血を流しても、骨が砕けようとも、即座に回復する異常な体質。
それに加えて、水のように、影を真似るように、相手の技術を吸収する。
ファウストの母マリアンヌは大した武術など知らぬ。
辺境地に小さなポリドロという名の領地を持つ小領主に過ぎぬ。
なれど、子の素質だけは理解できていた。
ゆえに異様な育て方をした。
『先』を捨てた。
攻撃手段と先手を下手に育てるよりも、『後』を何よりも優先した。
ただただ死なないように。
誰にも負けないようにと、子供に狂ったような教導を施した。
巨大な『要塞』を作り上げるために、ひたすら土台を積み重ねる作業だけを続けた。
ファウストの武術という物は、ヴィレンドルフ戦役まではただ区画整理されただけの巨大な土台であった。
「――」
考えている。
良い体験であったと考えている。
ヴィレンドルフへの和平交渉に出向いた際の、99人ものヴィレンドルフ騎士との一騎打ち。
あれは良かった。
どこにも無駄はなかった。
一騎打ち自体は手加減を加えたものの、武術についてのみはファウストよりも優れたる騎士は何人も存在した。
愚者の構え。
雄牛の構え。
鋤の構え。
屋根の構え。
ヴィレンドルフ剣術における基本的構えの四つ。
もちろん、全て見切っている。
その体勢からどのような剣技が放たれるかまで読めている。
バウマンが体勢を移行しながら繰り出す剣技の数々を辛うじて凌いでいるのは、その経験があってこそだった。
あの経験がもし無ければ、死にまでは至らぬだろうが。
少なくとも効果的な剣撃を幾つかは受けていただろう。
ファウストは武術について考えている。
武術とは何ぞや?
精神観念論を問いたいわけではない。
騎士としての魂を磨くための概念論ではなく、純粋に技術について問いかけて。
「――」
体格や腕力を活かす手段ではない。
むしろ、その逆である。
如何に『相手の暴力に対して、膂力で不利な側が打ち勝つか』の術であるとファウストは考えた。
要するに、不利な側が如何にアドバンテージをひっくり返すかである。
ファウストは心底の恐怖を覚えたことがある。
レッケンベル卿との一騎打ちである。
何故自分は勝てたのか?
どうして自分は生き残っている?
今でも不思議に思っていることであった。
膂力も同格で、武術に至っては圧倒的にレッケンベル卿に劣っていた。
だが勝てた。
最初から本気で来られていたら、間違いなくファウストが死んでいただろう。
それは理解している。
だが、どうあれ生き残ったのはファウストであった。
そして、その頃から一つのことに固執するようになった。
武術が欲しい。
戦う『先』の術を学びたいと。
レッケンベル卿ほどの超人に出くわした時にアドバンテージをひっくり返すための技が必要だと。
「――」
体系的な武術。
ヴィレンドルフにおける卓越した剣術。
それはもちろん欲しいし、すでに覚えている。
基本的な剣術は一騎打ちをしたヴィレンドルフ騎士達から学び取っていた。
だが、足りぬ。
ファウストにとって、それはあと少し足りない物であった。
所詮はレッケンベル卿に劣るからだ。
もし、もう一度『レッケンベル卿のような化物』と出くわした場合にファウストが勝てるかと。
そう問われれば、首肯しかねた。
おそらく勝てない。
だから、より別な武術もファウストは求めていた。
秘剣と呼ばれる技術。
それこそ小説や剣豪小説に出てくるフィクションの存在さえ求めた。
そんなもの、どこにもありはしないだろうがと、半ば期待薄で。
「――」
だが、結論から言えば『あった』という話になる。
テメレール公率いる『狂える猪の騎士団』との一騎打ち。
あれは良かった。
超人との一騎打ちほど、ファウストにとって経験が稼げるものはない。
中でも『サムライ』と呼ばれる彼女の強撃に関心を寄せた。
『渦巻』。
彼女の秘奥義である。
身体を仰け反らせる様にして、大きく捻るのだ。
背筋が、腹筋が、太腿が、脛肉が、いや、筋肉どころかその血管一本に至るまで、奇妙な捻じれを作るのだ。
超人という物体の弾性が、その行為に耐えうることで。
その全身の血肉が、剛力によって圧縮された超人の総身の血肉が、一つの爆発した力を産み出すのだ。
ファウストという人間が求めたフィクションじみた『武術』である。
サムライは愛用の長巻にて騎馬武者ごと一刀両断したことがあるという。
だが、『渦巻』は純粋な意味では剣技ではない。
超人にさらなる剛力を積み増す体術であるのだ。
ファウストはこれを好んだ。
この技を数回連続して用いれば、如何に超人とて身体は持たぬだろう。
それは誰でも同じだった。
知りうる限りの、ただ一人を除けば。
もちろん、その例外は自分である。
特異な回復能力を持つファウスト・フォン・ポリドロと言う超人だけはこれを連続して放つことが出来た。
「――」
もう一つの出会いは、雷白野(ライハクヤ)であった。
彼女は言った。
軽功を知らぬ。内功を知らぬ。きっと外功を知らぬ。フェイロン超人のなんたるかを知らぬようだな。
と。
事実、彼女はそれを知っているようだった。
気功か。
そんなものが存在するのか。
そうと知った時、ファウストは人知れずワクワクとした。
この世の中には魔法がある。
だが、別に炎を放ったり雷を放ったりとかそんなものはない。
それをマルティナから教わり心底ガッカリした時とは真逆である。
そうか、そうか。
この世には面白いものがあるのだなと。
ファウストはまだ気功を知らない。
さすがに攻撃を受けただけで学べるような技術ではなかった。
なれど、雷白野と同師母から教わったと言うユエ殿に聞けばわかる。
すでにその約束を取り交わしていた。
ファウストはランツクネヒトの争いなどに興味はない。
憐れみはする。
しかし、それだけだ。
それだけであった。
だが、バウマンとの戦いは心の底から楽しんでいた。
「――」
何か、ぼそりと呟きそうになる。
自分は何が言いたいのだろうか。
ファウストは悩んでいる。
どこか詰まって、出てきそうで出てこない言葉であった。
まるでその言葉が不謹慎であるかのように。
ただ、苛烈なバウマンの剣技をひたすら凌いでいる。
凌ぎながらに考えている。
そのバウマンが屋根の構えを取った。
最上段。
胸元がガラ空きになったので、水平斬りを加えようとして。
寸前で止まる。
フェイントであることが理解できたからだ。
いや、厳密にはフェイントでもないな。
犠牲だ。
自分の命と引き換えに、ファウストという敵の命を仕留める一撃を放とうとしている。
嗚呼。
バウマンはまさにヴィレンドルフ騎士だった。
レッケンベル卿がヴァルハラで、さぞかし喜んでいることだろう。
しかし、この一撃をどうする。
ファウスト・フォン・ポリドロ卿はどうすべきか?
自分の行動について悩んだ。
「楽しい」
漏れ出た言葉は、それだけであった。
そうだ、楽しいのだ。
どこか詰まって、出てきそうで出てこない言葉がぽんと出た。
ファウストはこの戦いを楽しんでいた。
バウマンとの命懸けの試合を楽しんでいたのだ。
殺し合いそのものが好きなわけではない。
そのような駆け引きが楽しいわけではない。
それは不純物であった。
つまり、要塞なのだ。
ファウストは自分の母マリアンヌが丹念に区画整理した用地に、武術と言う建築材料を集める作業。
海の浜辺で、巨大な砂の御城を建てるような。
それを楽しんでいた。
建築のための材料は、一騎打ちの相手が全て用意してくれるのだ。
「――」
ファウストはバウマンの攻撃を読んだ。
だが、ここで身を躱す事での回避でもなく、先んじて攻撃を加えて仕留めることでもなく。
『受け止める』ことを自ら望んだ。
そうでなければ見切れない。
そうでなければ覚えられない。
バウマンが繰り出す、超絶無比の剛剣を。
レッケンベル卿が彼女に与えた『怒りの攻撃』を覚えることができない。
全ての『レッケンベル卿の遺産』を引き継ぐことができなくなる。
「――渦巻!!」
ファウストが叫んだ。
その叫びは、バウマンの猿叫に搔き消されたが。
それ以上に、両者の剣から爆発するような轟音が鳴り響いていた。