両者の剣から爆発するような轟音が鳴り響いた。
いや、事実として破裂したのだ。
バウマンが操る剣は魔術刻印が刻まれたツヴァイヘンダー。
レッケンベルが彼女に貸し与えた、レッケンベル秘蔵の魔剣の一つである。
「からくれない」の意を汲んだ銘を持つ魔剣。
世間では『七つ刻み』と呼ばれている。
人間の胴を、ただの一振りで七つ刻んだことからそう呼ばれている。
彼女が剣を振るった相手は皆、真紅に咲くのだ。
バウマンはいつか、いつの日にか。
この魔剣を持ってしてレッケンベルの膝元に座り、騎士受任を得られるものと思っていたし。
周囲のランツクネヒトたちもそう信じていた。
愛用の魔剣を授けられたからには、そういう意味を持っているのだと誰もが信じて疑わなかった。
その魔剣が今。
「――嗚呼」
砕かれたのだ。
嗚咽のような、バウマンのただ一言の小さな慟哭とともに。
対して、ファウストもただの一言。
バウマンの剣から学んだ事実だけを告げた。
「――おぼえたぞ」
ファウストが操る剣は、魔術刻印が刻まれたグレートソード。
まるで馬鹿が作った馬鹿用の剣でございとばかりの、パレード用と見間違うばかりの。
それこそツヴァイヘンダーと丈が変わらぬ魔剣である。
世間では名などない。
ファウストからも、ポリドロ領民からも名など呼ばれない。
ただの「グレートソード」と呼ばれている。
それは武器として愛用していないからではないし、信頼しないからでもない。
銘など知らないからだ。
かつて初代ポリドロとそれに仕える領民が、命と引き換えにヴィレンドルフ騎士から数百年前に奪い取ったものであるのだ。
ゆえに、ただ単純に銘を知らぬのだ。
だが、一つだけ特徴があり、それは誰でも知っている。
先祖伝来の言い伝え。
『不壊』である。
斬れ味が良くなる魔法がかけられているわけでもない。
人体の脂を落とす魔法がかけられているわけでもない。
所有者の負担を軽減し、持ち手に吸い付くような魔法がかけられているわけでもなかった。
ただひたすらに、「壊れないように」と執着が込められた。
まるで呪いのように。
ファウストの母マリアンヌが、自分の息子に与えたような、呪いが如き祈りが込められていた。
鈍重にして、所有者が狂っていなければただの飾りと言わんばかりの、鉄塊のごとき剛剣であった。
事実、ファウスト以外にこの剣を扱えたポリドロ領主は存在しない。
「レッケンベル卿の剣術、確かに覚えたぞ」
ファウストが、慰めのように呟いた。
バウマンの耳にそれは届いたが、無価値であった。
剣が砕かれた。
レッケンベル様から借り受けた魔剣が。
バウマンにとって、それは我が身が裂かれたよりも辛いことであった。
この勝負、決してバウマンの技量が劣っていたわけではない。
かといって、ファウストの技量が劣っていたわけでもない。
どちらの膂力も互角だったからこそに、一方の剣が砕かれたのだ。
結果を見れば、ただ一言だ。
武器の差であった。
だが、ファウストはその慰めを口にする気にはなれなかった。
「――」
バウマンはじっと手に握る、ツヴァイヘンダーを見つめた。
砕けたといっても、刀身の半分だけ。
まだ片手剣としての役目ぐらいなら果たせる。
これを持ち、目の前の敵に襲い掛かることも出来るだろう。
だが、そんなことをしてどうなる。
敗北は目に見えていた。
いや、敗北さえ、もうどうでもよいことであった。
「――私の負けだ」
ただ、敗北を告げた。
結局、何にもなれなかった。
バウマンには結論が出てしまった。
己の中で決めた結論である。
自分が望んだレッケンベル卿の騎士になることも出来ず。
ランツクネヒトたちが願ったファウストを殺すと言う目的も果たせず。
そうして、自分の未練も粉々に砕かれた。
「からくれない」の銘を持つ魔剣。
バウマンにとってはレッケンベル卿の最後の形見である。
いつか返すはずであった。
その代わりに、自分の肩をその魔剣で叩いてもらうつもりであった。
それも、手元から奪われてしまった。
「もういい。もうどうでもよい」
何もかもが奪われてしまった。
この、ファウスト・フォン・ポリドロ卿という男騎士に。
ならば、もう自分の命をくれてやってもよかった。
心臓をえぐりぬかれ、鉄靴で踏みつぶされてしまえばよいのだ。
「殺せ、ポリドロ卿。殺してくれ。もう疲れ果てた。何もかも嫌になったんだ」
「――」
ファウストは動かない。
そもそも、好んで殺しをしたわけでもない。
別に殺しをするのが嫌というわけではなかった。
それを言い出すのであれば、周囲に散らばるランツクネヒトたちも最初から殺してなどいない。
かつてマルティナを、その母であるカロリーヌからの連座刑で殺すのを拒んだときともまた違う理由で。
ファウストはバウマンを殺すのが嫌であった。
「ここまででよいのか?」
まだ生きていてもよいのではないか。
ランツクネヒトたちを殺したのは、もうどうしようもなかったからだ。
彼女たちはもう、行き先などヴァルハラへのかすかな望み以外には存在しなかった。
だから殺した。
殺してやった。
ファウストの母、マリアンヌへの侮蔑に対する報復とともに。
だが――別に、バウマンからは侮辱を受けたわけではない。
彼女からの宣戦布告こそ受け取ったが、彼女は我が母マリアンヌを侮辱するつもりなど欠片もなかっただろうこと。
それはわかっていた。
むしろ、礼さえある。
レッケンベル卿から学んでいない、最後の技術を受け取ったことに対する礼であった。
「まだ、やるべきことがあるのではないか?」
バウマンには、まだやることが残っているように思えた。
具体的に何を、と言われれば困るが。
「何が? もう何も残っていない。何一つレッケンベル様が残したものなど残ってはいないのだ。剣も、誇りも」
問われる。
ファウストは困った。
口にこそしたが、良い考えがあるわけではない。
なんとなくそう思っているだけであるのだ。
視線をやる。
それはコロッセウムの賓客席にいる皇帝陛下であり、ヴィレンドルフの女王であるカタリナであり。
自分の主君にして婚約者であるヴァリエールであった。
だが、どれもバウマンを説得する人物ではなかった。
もっともふさわしい者、それは――
「バウマン!」
名乗りを上げていた。
死体が転がる闘技場に一人だけ近寄る存在がある。
たった一人の、目つきが鋭い少女。
ニーナ。
「……あれは」
バウマンが問うた。
「ニーナ・フォン・レッケンベル」
ファウストは短く、名前だけを口にした。
闘技場の階段を、バウマンの側から登って歩いてきている。
ファウストの背に隠れる気など毛頭ない。
そのように堂々とした姿であった。
「そうか。私を説得しようという腹か? その程度、農奴が出自の私でも読めるぞ」
バウマンはかすかに微笑んだ。
ファウストの魂胆は読めた、というように。
「いらぬよ」
破損したツヴァイヘンダー。
もはや片手剣としての用途しか為さない剣の刃先を、バウマンは自分へと向けた。
「殺してくれないならば自害する」
「止めよ!」
止める声。
叫んだのはファウストではない。
ニーナである。
レッケンベルの名を相続する彼女であるべきだった。
だから、ファウストはもう何も言わない。
「……近づくな」
ニーナは、もうあと十歩先まで近づいていた。
だからバウマンが、剣の切っ先をニーナに向けた。
自害の邪魔をされたくなかったからだ。
「このような時に」
ニーナが一言、呟いた。
声色はレッケンベルに近い。
雰囲気もレッケンベルに近い。
ただ、超人としての格はまだ満たない。
それには時間が必要で――
そんな思考がバウマンの思考によぎる、
「このような時に、クラウディア・フォン・レッケンベルなら何をするか? 母ならばどうするか? 私はそれを知っている」
近づいた。
ただ、近づいた。
ニーナはただ近づいて、向けられた剣の切っ先を自分の首元へと近づけた。
バウマンは、慌ててそれを遠ざけようとして。
「止まれ! バウマン!」
ニーナが、その遠ざけられようとした剣を握りしめた。
素手で。
壊れたといっても魔剣である。
優れた刃はニーナの指に食い込み、血が流れていた。
もしバウマンが退けば、ニーナの握りしめた指は全て落ちるだろう。
剣は、もう引けなかった。
バウマンにそんなことはできないのだ。
「……ニーナ、いえ、ニーナ様と呼ばせて頂きます。バウマンはもう疲れました」
大人しく。
まるでニーナから抱擁を受けたように。
「だから、もう死なせてください」
生まれてすぐ捨てられた野良猫が、初めて毛布に包まれて安心感を得たように。
バウマンは泣き言を口にした。
「断る。勝負はついた。生死の決定権はポリドロ卿が握っており、お前は死ぬことが許されていない。そして――」
ニーナが手を離した。
刃が食い込み、血まみれの指と掌であった。
その手でバウマンの頬を優しく撫でた。
「私も、このレッケンベルの一人娘にして、忘れ形見であるニーナもそれを望んでいないのだ。もし貴女に少しでも我が母クラウディアへ騎士としての忠誠があるというならば、このまま――」
バウマンの心は死んでいる。
もう何もかも終わりにしたいと思っている。
だが、視線にはレッケンベルの声色、雰囲気、そして未熟なる身体をした一人娘。
彼女が忠誠を誓うはずであった女の一人娘が残っている。
「私に仕える気はないか? もちろん、レッケンベル家の騎士としてだ。私がまだ、我が母クラウディアに至らぬことはわかっている。誰もがわかっている。だが――」
忘れ形見。
我が剣は失われてしまった。
レッケンベル卿から貸し与えられた、形見は失われてしまった。
だが、眼前にはまさしく忘れ形見である一人娘が残っている。
そして、その一人娘であるニーナとやらはこう嘯くのだ。
「私は我が母より大器であるかもしれんぞ。まあ、これからランツクネヒトたちも説得してやる。我が声をよく聞け! 聞いて驚け、見て笑え!! 私は我が声が母レッケンベルとよく似ていることを知っているぞ!!」
あの自信満々の、いつもの我々の傭兵団長。
クラウディア・フォン・レッケンベルの声色、雰囲気で。
まざまざと、彼女が忘れ形見であることを思い知らされて。
バウマンにはもうどうしていいか、わからなくなってしまった。
ただ、茫然と立ち尽くすのみであったのだ。