「素晴らしい」
感動していた。
神聖グステン帝国皇帝、マキシーン一世は感動していた。
素晴らしい決闘であった。
どちらか一方ではなく、決闘者双方に対する感想である。
バウマンも、ファウストも、何一つ欠けたる点の無い英傑にして超人であった。
自然と手が打ち鳴り、拍手さえしてしまう。
「なるほど、あのバウマンが死ぬ気で私に襲い掛かれば、私を殺せていたであろうな!」
マキシーンはそう告げてやる。
告げた先の、隣席に座るヴィレンドルフ女王カタリナは無表情である。
そもそも喜怒哀楽の感情が薄かった。
まるで無関心であるといった表情ではあるが――
「未だに、我がヴィレンドルフが皇帝陛下の暗殺を企んでいたとお疑いに?」
「事実ではないか」
少なくともマキシーンの中では事実であった。
マキシーンの一族とは関係ないが、アンハルト・ヴィレンドルフ・マインツの三選帝侯家(厳密に言えば、そのころ七選帝侯家ではなかった)が以前に「誇るべき聖戦」において「早く地元の領地に帰りたいから、さっさと殺すべ。こんな皇帝いらねえよ」とばかりに遠征中の赤毛の皇帝をぶっ殺した――厳密には河で溺死させたことがあるのは事実である。
皇帝側は、何一つ選帝侯家に信頼など置いていなかった。
別に皇帝家に実力がないわけではない。
だからといって、選帝侯家が三家も組んで、その気になれば覆せる程度の実力差ではあった。
正直言えば、地元に引きこもってさえいれば、攻め込まれたとて皇帝なんて怖くもなかった。
要するに、七選帝侯家は誰一人として皇帝に忠誠を誓っていないのである!
都合の良い存在としてしか扱っていなかった。
都合が悪ければ皇帝を殺せばよい。
そういう立場の存在であった。
今は亡きマキシーン皇帝の母が、必死にアンハルトとヴィレンドルフへの派兵要請を行った際に。
『命令』ではなく『嘆願』に近い状況であったのも、それを裏付けていた。
その両国が派兵に応じてマキシーンの親族である偽皇帝を討ち果たしたのも、皇帝の嘆願というよりも「皇帝王配を餓死させる浅慮の奴が、皇帝に成り代わってもロクなことにはならないだろう」とアンハルト王配ロベルトが進言してくれたことによる判断にすぎない。
マキシーンは、もう選帝侯家の誰も信じていなかった。
文通をしていた、唯一皇帝に優しかったロベルトでさえも、それからしばらく経って毒殺されたのだ。
信じていられる奴の方がおかしい。
なんなら、選帝侯家でもなんでもない猪突公テメレールでさえも皇帝の座を狙っているのだから。
だから、マキシーンはヴィレンドルフに疑念を口にした。
「違うならば、何故レッケンベルはバウマンを連れていかなかった? ヴィレンドルフに連れて行き、騎士にすればよかったろうに。わざわざ皇都に滞在させたのには理由があろう?」
「さて……」
首を捻る。
カタリナの表情は読めない。
ポーカーフェイスなどではなく、単に感情が薄いのだ。
「皇帝の身を案じてのことでは? バウマンのような護衛がいれば皇帝陛下も心強いでしょう」
「テメレールが私の暗殺をもくろんだ時に、アイツらランツクネヒトが何かしてくれたことがあったか?」
何もしていない。
ランツクネヒトの給金を払っているのは確かに皇帝であるというのに、何もしてくれなかった。
更に金を積めば幾らかの雑兵はまあ動く。
だが、別に皇帝に忠誠を誓っているのではない。
彼女たちは他の商人が金を積めば、平気でそちらの配下として仕事をこなす。
唯一の絶対者を除いて。
その絶対者がレッケンベルだった。
「レッケンベルは、バウマンを皇帝陛下の護衛に推薦していたはずですが?」
「レッケンベルから命令を受ければ、バウマンは自分が死んでもいいからと私を平気で殺すであろうが?」
カタリナは考えている。
色々な事を考えている。
それはそう。
皇帝の地位なんてそんなものさ。
そう言おうとして、さすがにまあ、言いすぎかなあと思ったので止めた。
色々と推測する。
レッケンベルについて。
彼女は本当に特別な存在である。
誰よりも深く考えているようで、誰よりも浅く考えている時もある。
彼女自身の能力があまりにも高すぎて、殆どの事はどうとでもなったからだ。
だから、マキシーン皇帝の言うことも事実は含んでいた。
マキシーンが愚かならば殺したであろう。
少なくとも、当時は無理であったろうが(具体的に言えば、ランツクネヒトたちにレッケンベルが皇帝の座に押し上げられてしまう)、それとてカタリナが育つまでの数年もたてば違った。
やがてカタリナを皇帝の座に押し上げたであろう。
それは事実だ。
だが、そうはならなかった。
「貴女が今生きていることが、レッケンベルがそんなことを考えていなかったという証明では? バウマンがおらずとも、貴女程度は殺せた」
「それが皇帝に叩く口か?」
「事実のみを言っておりますよ、皇帝陛下」
まあ、レッケンベルのお眼鏡にマキシーンは適ったのであろう。
幼い少女の立場でありながら、皇帝と言う至尊の座に相応しい程度には認めたのだ。
だから生きている。
殺すならば、いつでもランツクネヒトを使って殺せた。
バウマンを使って殺せた。
ヴィレンドルフが成り上がることを面倒くさがるならば、皇帝が本当に愚かならば、マキシーンを殺してテメレール猪突公を押し上げることさえ出来た。
それはレッケンベルによる傀儡の座であるが。
それでもテメレール猪突公は喜んだであろう。
ブツクサ文句は言っただろうが。
「バウマンは連れて帰りますよ、ランツクネヒトも。何もかも終わった後は、ヴィレンドルフで引き取りましょう。それでよろしいでしょうに」
「今まで私に給金を払わせておいて、そのような口を利くか。私の目の前であの素晴らしい決闘を繰り広げた英傑を、私の名目上の配下から引き抜いて、持ち帰ると抜かすか」
知ったことか!
どうでもよかった。
皇帝などどうでもよいと思っていたが、そうはいかんか。
アンハルトのアスターテ公爵の忠告を思い出す。
『モンゴルに勝とうとするならば、マキシーン皇帝一族の力添えが必要だ』とのこと。
まあ、理解する。
納得はしよう。
選帝侯家が三家も揃えば皇帝の地位などひっくり返せるが、逆に言えば二家にひっくり返されない程度の実力をマキシーンの一族は誇っていた。
皇帝の地位がそれを保証するのではない。
マキシーンの血のみがそれを保証するのだ。
血族でなければ、彼女たちは動かぬ。
マキシーンの一族は動かぬ。
だから、殺せない。
「……」
カタリナは冷徹な判断をしている。
マキシーンをこの場で殺し、皇帝の地位を奪うことはできよう。
それで、どうなる?
マキシーンの一族の権力を奪えるか?
無理だ。
海外に逃亡するであろう。
全て、アスターテ公爵の忠言通りであった。
モンゴルと戦うためには、それこそ皇帝、教皇、選帝侯家が一致団結して。
それでも『どうにかなるか? モンゴルに勝たずとも押し返せるか?』という疑問が浮かぶ内容でしかない。
だから、妥協が必要であった。
具体的にはアンハルト第一王女アナスタシアが「お前が皇帝になっても問題ない」と言質を私に預けた。
その言質を覆す妥協だ。
私が皇帝になるのは諦めよう。
「マキシーン皇帝陛下。私は、ヴィレンドルフは、皇帝の地位に就きたいとは思っていませんよ」
「何処まで信じられるか」
「少なくとも、現状では信じて欲しいものです」
色々と考えて。
ストレートに告げる。
今、この場にヴァリエールはいるが役には立たない。
アンハルトの王族がいない以上、告げるべき役目は私しかいなかった。
「貴女には、我々を率いてモンゴルと争って頂く役目がありますので」
「……」
「それまで死んでもらっては困ります。ああ、もちろん生き残ったら忠誠を尽くすことを約束しましょう」
脅迫ではない。
これは脅迫ではない。
脅迫とは、もっと具体的なことを口にするものだ。
「断れば?」
怯えているのではない。
マキシーンは死などに怯えぬ。
父親が眼前で餓死をした時に、自分を救うために凡才の母親が何もかもやり遂げて。
そして力尽きて死んだときに、自分は血族のために生きると誓っているのだ。
だから、彼女は死を怖がらない。
「どうもしませんね」
「本当に?」
ただ、無為に死ぬのは恐ろしかった。
何も血族のために役立たぬまま死ぬのは恐ろしかった。
マキシーンには役目があった。
一族の当主として、最良の血を繋ぐこと。
それだけが本願であった。
「モンゴルとの交渉役は必要なのですよ。このままでは勝てないと、アンハルトのアスターテ公爵は判断している。もちろん、勝つべき材料は今後揃えていきますが……それにしたって交渉役は必要だ」
「教皇は」
「もうアレは何の役にも立たぬでしょう。少なくとも教皇による交渉は破談だ」
そう断じた。
そういうものなのだろう。
マキシーンはそう思う。
教皇は破れ、聖職派閥における統率力を失った。
今ではケルン派の方が強いぐらいであろう。
だから、役に立たぬ。
「最悪の場合は、まあ負けを認める必要がある。譲歩を飲んでもらっての敗北を」
「甘いな」
そこまでカタリナが話して、マキシーンは鼻で笑った。
譲歩しての敗北?
有り得ぬ。
それだけはあり得なかった。
「譲歩などない。モンゴルは圧倒的な支配のみを望んでいる。皇帝の座も、選帝侯の座もすげ変わり、私たちに任されるのは恨まれる徴税官としての役目がせいぜいであろう。その立場でさえ金で売買される」
一度戦いを選んで、そうして敗北したら全てを失う。
妥協案などないのだ。
面子のために一当て、まあまあお前も強かったと名誉を守られて、敗北を認める。
それはグステン帝国の価値観にすぎない。
モンゴルには通じぬ。
だから、最初から全てを譲って、尻を舐めることをマキシーンと教皇は望んだ。
「お前らが今捕らえている、セオラとやらが皇帝になるのがモンゴルにとっての最大の譲歩であったのだよ。それが一番だった。その可能性がなくなった今、神聖グステン帝国は討ち果てるのみだ」
必ず負ける。
この、神聖でもなんでもない、どこが神聖なのかは誰も保証してくれない帝国は消え去る。
「勝てない」
そうマキシーンは呟いた。
そして、カタリナは否定した。
「勝てる。ファウストがいる」
「……」
マキシーンはコロッセウムの壇上の男騎士を見た。
ファウスト・フォン・ポリドロ卿。
マキシーンはあの男が欲しかった。
一族の棟梁娘が孕む子の男として。
それは認めよう。
「単体では勝てぬ」
だが、否定した。
欲しくて欲しくて仕方ない。
ファウスト・フォン・ポリドロ。
超人。
希血。
一応貴族とはいえ弱小領主で、我が皇帝家などとは縁遠い存在。
我が血族と混じっても、一族に悪影響を及ぼさない存在。
どう考えても、自分が子を孕む男として、これ以上は存在しないのだ。
海外をめぐっても巡り合えぬと確信できた。
「マルティナの『銃・砲・騎士』は?」
「読んだ。確かに面白い内容ではあったが、あれで勝利を確定できるほど世は甘くない」
マキシーンは悩んでいた。
海外に逃げようと思っていた。
一族を引き連れて、海外に逃げようと思っていたのだ。
皇帝の座など、ヴィレンドルフのカタリナに押し付けて。
だが、どうしよう。
決闘を眼前にした。
バウマンとの戦いを見た。
血が滾ったのだ。
あの男の子を孕まずに、帝国を去るのはあまりにも惜しい。
どうする?
マキシーンは考えて。
考えて。
とりあえず、留保した。
まだ猶予はある。
神聖グステン帝国の民全てを見捨てて、逃げ切る猶予だ。
「それより、カタリナ。ニーナはあれでよいのかね?」
「あれとは?」
カタリナは首を傾げた。
なので、揶揄してやる。
「あのレッケンベルの名にふさわしい行動が取れるのかね? と聞いているのだ。如何に雰囲気が似ていようが、声が似ていようが、ただの娘に過ぎぬニーナがレッケンベルの名を引き継げるのかと聞いているのだ」
無理だろう。
無理にもほどがある。
そういって、コロッセウムの壇上でバウマンの剣を握りしめ、手から流血しているニーナを見て。
「何の問題もない」
同じ光景を眼前として。
ヴィレンドルフ女王、カタリナは静かに告げた。
「レッケンベルの子、我が妹であれば何の問題もない」
本当に静かに、カタリナはそれだけを告げた。