「無茶苦茶怒ってたな。いや、最後には落ち着いて話を聞いてくれたし、聞き入れてもくれたが」
「私の事も許してもらえたから、とにかくよかった」
アナスタシア第一王女の居室。
ファウストと、その騎士見習いのマルティナ。
そしてヴァリエール第二王女が席を立ち、ヴィレンドルフへの遠征準備を開始するため去った後に。
アナスタシアとアスターテは、深く深くため息をついた。
「やっぱり、1か月で辺境領からとんぼ帰りは怒るか。とはいえ、もはやこれ以上ヴィレンドルフの案件を棚置きしておくわけにもいかん」
「今更だが、やはりどうしようもないのか。法衣貴族ども、ちゃんと仕事してるのかよ」
「してるさ。ちゃんと人選も私がした」
母上、リーゼンロッテ女王からは、ヴィレンドルフ対応は私に一任されている。
できるだけヴィレンドルフが侮らないような、交渉も武芸も出来る上級法衣貴族。
その武官を送り付けたが、やはり「弱き者の言葉など聞かぬ」扱い。
もはや、ぐうの音も出ないくらいの「強き者」を送り付けるしかない。
ファウストは、ヴィレンドルフでは間違いなく強き者に値するだろう。
心配なのは――アスターテが、私の心中を読んだように呟く。
「ファウスト、襲われるだろうなあ。いや、ヴィレンドルフが寝込みを襲うとは思っていないが、正面から決闘を大量に挑まれるだろ」
「挑まれるだろうな。それをクリアしてもらわねばならんが。まあ、その辺は心配無用だろう」
それが一騎打ちであるならば、100連戦して100勝するのがファウスト・フォン・ポリドロという男だ。
アイツが負ける姿など想像もつかない。
本人曰く、ヴィレンドルフの英傑、レッケンベル騎士団長だけは本気でヤバかったと呟いていたが。
今はその英傑も、ファウスト自身の手で倒された。
問題は無い。
「でもさあ、ファウスト。それだけじゃないだろ。あの筋骨隆々の姿。身長2mを超える大柄な体躯。そして英傑としての武力。どれをとってもヴィレンドルフの女好み。絶対口説かれまくるぞ」
「完全無欠のセックスシンボルみたいな扱いだろうな、ヴィレンドルフでは。何と言うか、歩くセックス? だからこそ、丁重に扱われる事を期待して送り出すわけだが……」
正直、ファウストの貞操が心配である。
だが、ファウストは身持ちの固い男。
そう簡単に、誰かに股を開くとは思わん。
でも、心配ではある。
その身が誰かに汚されるかと思うと、発狂しそうになる。
だが、もうどうしようもない。
すでにファウストをヴィレンドルフに使者として送る話は決定してしまった。
ドアから聞こえる、ノックの音。
「誰だ」
「私です。お茶をお持ちしました」
「ああ……丁度、喉が渇いていたところだ。入ってくれ」
第一王女親衛隊の親衛隊長が、部屋に入ってくる。
その手のプレート上には、二人分の茶が用意されていた。
机の上にそれが置かれ、お互いにカップを手にする。
アスターテが茶の香りを楽しみながら、再び口を開く。
「けっきょく、どうなのよ。ヴィレンドルフは停戦期間終了と同時に、ウチに攻め込んでくると思うか」
「何とも言えん。レッケンベル騎士団長不在の影響がよくわからんのだ。ヴィレンドルフの女王の内心が掴めぬし、内偵もイマイチ……戦争準備はしていないようだが。あの国は戦を起こすとなると、国民が即応するからな。すぐ戦時体制に入れる国だ。油断は一切できん」
ファウストは、本当に良い仕事をしてくれた。
レッケンベル騎士団長。
まさに悪名高いヴィレンドルフの怪物と呼べる代物を倒したのだ。
今のヴィレンドルフ女王、それが第三王女であった時代はその相談役となり、遊牧民族対策に奮戦。
いや、奮戦どころか叩き潰してしまった。
部族の幾つかは、族滅にまで至らしめたと聞く。
その手段は、遊牧民族のコンポジット・ボウの射程すら超える、魔法のロングボウによる族長、次に弓手の射殺。
その後は自らが陣頭に立ち、騎兵突撃による一方的な遊牧民族の虐殺。
話を聞けば、やり方はまあ判らんでもない。
ヴィレンドルフの騎兵は、正直言ってアンハルト王国のそれより強力だし。
だが、言うは易く行うは難し。
当国ではマネが出来ぬ。
そもそもワンショットワンキルで、レッケンベル騎士団長がその弓矢を戦場で外した事は一度も無いとまで、ヴィレンドルフ方面から流れてきた吟遊詩人の英傑詩では謳われている。
この世にはたまに出るのだ、ファウストのように訳の分からないレベルの超人が。
ファウストが殺してくれて、本当に良かった。
「レッケンベル騎士団長は武力にも優れていたが、戦略にも、政治的にも優れていた」
「ああ。第三王女であった女を教育、強力に補佐し、女王にまで押し上げた女だしな」
蛮族、ヴィレンドルフの女王は。
いや、ヴィレンドルフという国家全体の、青い血の後継制度は長姉相続ではない。
その限嗣相続は決闘で決まる。
姉妹同士が決闘しあい、勝った者が全てを得るのだ。
負けた方の姉妹は大人しく家長となった者の補佐をするか、それとも家を出ていくかだ。
それで恨みっこなし、といういっそ清々しさを感じさせるほど、というか。
よくそれで国がまかり通っているよな、と疑問を感じさせる制度だ。
文化がアンハルト王国と、余りにも違い過ぎる。
まあ、補佐をする者は食べてはいけるし、家を出ていくことを選んだ相手にも、もはや青い血は名乗れずとも食べていく道ぐらいは保障する。
その程度の義務が相続者にはあるというか、普遍化した常識が存在し、それを外れた者は青い血としては見なされない。
そういう、我が国から見れば妙ちくりんな価値観で国家が形成されている。
まあ我が国と同じく、ヴィレンドルフの代替わりは早い。
およそ長姉が20歳前後になった際には当主としての相続が行われる。
よって、長姉が勝ち、末子であればあるほど負ける可能性は自然高くなる。
幼いからだ。
だが、ヴィレンドルフの女王は末子、第三王女でありながら勝利した。
当時14歳であったらしいが。
これもレッケンベル騎士団長の薫陶あってのものであろうな。
そう考える。
ともかく、ヴィレンドルフ戦役を思い返すと、気持ちがしんどくなる。
「なあ、アスターテ。お前、ヴィレンドルフ戦役で何べん死んだと思った」
「想像もつかない。アナスタシアの本陣が襲われた時が一度目、それで焦って常備軍の統率を乱したときが二度目。そこから先は、ファウストの一騎打ちの勝利後のことは、終始有利に進めたつもりであるが、というかそうじゃなきゃ勝ててないんだが」
アスターテが、茶を一口飲み。
合間をおいて、答える。
「まあ、30回は、あ、これ自分死ぬんじゃないかなと思った。ファウストと一緒に最前線だったし」
「そうか」
アナスタシアが死ぬと考えたのは、本陣が攻め入れられた時。
その時と、度々最前線のアスターテとの通信が不通になった時。
ひょっとして私はこの初陣で死ぬんじゃないかな、と覚悟した。
考えれば数え切れない。
よく勝てたもんだな、あの戦役。
――だから、次は勝てない。
勝てるイメージが、私やアスターテ、そしてファウストの三者にはどうしても浮かばないのだ。
だが、しかし、だ。
「本当に、ヴィレンドルフの女王が何を考えているのか判らん。相談役であったレッケンベルを失い、もはや我が国と戦をする気等無くしているのか。それとも復讐に心を燃やしているのか。北の遊牧民族対策は、何部族か族滅するにまで至ったとはいえ、完全に終わったわけではない。そちらへの対策は今後どうするつもりなのか」
何も判らない。
ちゃんと内偵はしているのではあるが。
今の状況では、法衣貴族が女王との謁見すら叶わず、ほぼ門前払いの時点では。
何も判らないのだ。
「案外、こっちのリアクション待ちという事も有り得る」
「というと?」
アスターテの意見を聞いてみる。
「ひょっとして、ファウスト・フォン・ポリドロ待ちだったとか」
「まさか」
我々が上手く踊らされたというのか。
その可能性は考えないでもなかったが。
そこまでファウストに執着するものか?
「判らないぞ。ファウストという人物は、ヴィレンドルフの価値観にとっては本当に特別な存在だ。容姿は完璧、闘う姿は美しき、非の打ち所がない完璧な玉のような存在だ」
「その玉を通して、我々のリアクションを図っていると?」
「アンハルト王国、侮りがたしと受け取れば、戦争回避。所詮噂先行、このような物かと受け止められれば、戦争再開」
バカげた話だ。
アスターテ公が下手な口笛を吹きながら、おちゃらけた姿で言いつのる。
「でもさあ、案外間違ってない予測だと思うぞ。全てはアンハルト王国のリアクション待ち。それから全て決める!」
「ヴィレンドルフ側も、こちらの行動が予測つかないということか?」
「そう言う事。何だかんだ言って、我々は勝利した。私はヴィレンドルフに皆殺しのアスターテなんて言われる程の報復も果たした」
土地を奪い取るのではない。
アスターテはヴィレンドルフの村々を襲い、ありとあらゆるものを略奪し、更地にした。
そのヴィレンドルフでの悪名は計り知れない。
まあ、アンハルト王国も、ヴィレンドルフに似たような事やられてるから、正当な報復ではあるんだが。
「今、アンハルト王国は北方の遊牧民族対策に、王軍の多くを割いている。各地方領主の軍役もだ。だからヴィレンドルフ対策に軍の多くを割くことはできない」
「それはヴィレンドルフも知っている事だ。だから私は再戦を恐れている」
「だけど、ヴィレンドルフではレッケンベル騎士団長がボロ屑のようにそれを叩きのめした経緯もあり、アンハルト王国がそれをできないとまでは考えない」
「ふむ」
私達がヴィレンドルフの全てを理解できないように、相手もアンハルトの全てを理解できないだろう。
それは判る。
「つまり?」
私はアスターテに尋ねる。
「だから、リアクション待ち。全てはファウスト・フォン・ポリドロに掛かっている。ヴィレンドルフ女王はその姿を見て、今後の全てを決める。あながち、この予想は間違ってないと思うんだよねえ」
「うーむ」
案外、そうなのかもしれない。
相手の頭の中までは、例え希少な魔法使いでも読めない。
判断材料があるとすれば――それは英傑レッケンベルの保護下に置かれていた。
その幼少期から構築されたヴィレンドルフ女王の価値観。
「我がアンハルト王国の英傑、ファウスト・フォン・ポリドロを見て、それから何もかもを決めると」
「そうさ。私ならそうする」
アスターテは、仮に自分がヴィレンドルフ女王ならばそうする。
その思考をトレースして、そこに至ったか。
我が相談役、我が片腕アスターテよ。
今回は、お前の智謀を認めるとしよう。
「では、なおさらファウストにみすぼらしい格好をさせるわけにはいかんな」
「あのチェインメイル姿か?」
格式ばかりに気を取られ、金のない貴族など珍しくもない。
そして弱小領主騎士であるファウストは本当に裕福ではない。
だからチェインメイルなど着ている。
「私の歳費で、アイツ用のフリューテッドアーマーを製作しよう。宮廷魔法使いによる、軽量化や強度の付加も」
「間に合うのか? 使者に向かわせるには時間が……」
「鍛冶師など何人使ってもいい。一か月で間に合わせる」
無茶苦茶な。
アスターテがそんな顔をする。
だが、これは必要な事だ。
ファウストを、我が国の英傑をチェインメイル姿でヴィレンドルフ女王に会わせるのは、アスターテの話を考えると拙い。
我が潤沢な歳費を用い、鎧一式を仕立てる。
これは好都合だ。
その事情が事情故、財務官僚にも文句を言わせず、ファウストの好感度を買える。
「アナスタシアさあ、これでファウストの好感度が買えると思ってないか。いや、確かにファウストの好感度はお金で買えるんだけどさあ。その心の深層までは売ってくれないんだよ」
王家の、第二王女相談役としてファウストに与えられた下屋敷。
そこを常に監視し、ファウストの嗜好と傾向を隅から隅まで理解してる――くだんのマルティナ助命の際にはそれでも読み間違えたが。
そのアスターテが、忠告する。
だが、しかしな。
「これは必要なことだと思うし、それにだ。私なんかファウストに嫌われてないか?」
「いや、戦友だとは思われてると思うよ。死地の最前線に送った相手とは言え、アナスタシアも苦労してないわけじゃないし。だけど、お前さあ、怖いんだよ」
「怖い? 何が?」
アスターテの言いたいことが判らん。
「目が怖い」
「それだけで嫌われるわけがないだろうが!」
「実際、妹のヴァリエールに最近まで怖がられてたじゃん!」
ああ言えば、こう言う。
「それはヴァリエールに問題があるのだ! 本当に子供の頃から私を怖がりよって! 最近は姉さまと逆に妙に懐いてくるようになって可愛いが」
「あ、可愛いんだ。姉妹仲が改善されたのは何よりだけどさあ」
アスターテが呆れた顔で、私とヴァリエールの姉妹仲に口を挟む。
ほっとけ。
同じ父の、血の繋がった妹なんだ。
そうと一度認めてしまえば、可愛くないわけないだろ。
別に王位を争う気は、ヴァリエールには無い事がアスターテの報告で知れているわけだし。
将来は、僧院になど追いやらず、ちゃんとどこかの嫁に送りだしてやりたい。
それが私のせめてもの愛情だ。
「まあいいや。もういいよ。とにかく、魔法のフリューテッドアーマーなんか与えた日にゃ、そりゃファウストは大喜びするよ。でもそれで股を開いてくれるとまでは思わない方がいいと思うよ」
「思うか!」
どんなハレンチな事を考えてるんだ。
私はこれをいい機会にして、ファウストの好感度を稼ぎたいだけ。
そしてヴィレンドルフとの和平交渉を上手く運びたいだけ。
ただそれだけだ。
アナスタシア第一王女は、はあ、と溜息をつき、すっかり冷たくなったカップの茶を飲み干した。