白百合であった。
ファウスト・フォン・ポリドロは、白百合の花束を持参しており。
マキシーンが案内した、その父親の墓地にてそれを捧げる。
心が読める。
マキシーンは、『人の心を少しだけ読める』能力を持ち得ていた。
だから、ファウストの心を読もうとしたのだ。
この皇帝という私に対して、その父君に敬意を示せば好意を勝ち取れると言う「おもねり」ではないか?
それをすれば、この私がファウストという男に対して、騎士に対して、心を許すとでも思ったのではないか。
好感を勝ち取れると、あくまでも計算で行った仕草ではないのか。
そう考えるのが普通だった。
事実、そういった輩が今までに存在しなかったわけではない。
だが、ファウストは。
ファウスト・フォン・ポリドロはまるでそういったことを考えていない。
誠意しかないのだ。
それはポリドロ卿の打算無き純真であった。
「……」
白百合を捧げ、膝をついて、額・胸・左肩・右肩の順に十字を切り、両手を胸の前で合わせて。
ただ祈りを捧げる。
だが、それは主に対してではない。
眼前の墓に眠る、我が父に対してであるように思えた。
――彼にとって。
ファウストという男にとって、それは当然すべきである行為であり。
餓死してでも私を守り通した「本物の男」に対する敬意である。
それをただただ、示したいだけなのだ。
その言葉に全くの嘘はない。
不純物など存在せぬ。
ただただ、花を捧げるに相応しい。
弔うに相応しい相手だと認めていた。
このマキシーンの、皇帝の父親だからではない。
同じ境遇であるとするならば、それが乞食の父親に対してでもファウストは最大級の敬意を示したであろう。
それが心を読めるマキシーンには、心底から理解できた。
だから、だから。
不思議な感動が湧き、自然と言葉が口に出た。
「有難う、ポリドロ卿」
と。
胸から突いて出た、感謝の言葉であった。
声は若干震えていた。
今まで、一族以外の部外者で、ここまでの誠意を我が父に示してくれた者はいなかったのだ。
ポリドロ卿は祈りの行為を全うして。
その後で、私に対して返事をした。
「いえ、不躾な申し出を致しました。どうかご不快にならぬよう」
不快になどなるものか!
これが皇帝への、私マキシーンへの「おもねり」であったならば八つ裂きにしても足らぬが。
ファウストは何処までも純真であった。
見返りなど欠片も求めておらぬ。
ここに来ることが決まった時点で、最初からこうするつもりであった。
なんなら、私の許可を取る必要もないと思っていれば、誰にも知られずに我が父への弔いを示したであろう。
そんなこと容易に知れた。
そうか、つまり。
ファウスト・フォン・ポリドロ卿とはこのような男なのだ。
「ポリドロ卿に問いたい」
興味が湧いた。
この男が強いことなど知っている。
あのレッケンベル卿さえも打ち破った、神聖グステン帝国で最強の騎士であると知っている。
コロッセウムにて、ヴァリエールと同席した際に、ランツクネヒト最強の女であるバウマンとの闘いを見た。
凄まじい戦いであった。
それこそ、仮に敵であったならば、彼が単身斬り込んでくるだけで味方が恐慌をきたすほどの。
事実、マインツ選帝侯はその方法にて、ヴァリエールとの戦に敗れている。
だが、それについては今この場において、どうでもよい。
「貴殿は私の父についてどう思っている?」
知りたいのはそれだけ。
何故、ファウストという男がここまで純粋に――我が父に敬意を示すのか。
それが知りたかった。
繰り返すが、マキシーンは心が読める。
ファウストの誠意に嘘偽りがないことは読める。
なれど、何故彼がその誠意に至ったかまでは知り得ることができないのだ。
ゆえに問うた。
「どうと言われましても。娘である貴女を、たとえ餓死してでも必死に守ろうとした『真の男』であるとしか」
「愚かであると思わぬか?」
死に物狂いで守られた。
その娘である私が、父を否定する。
実際に、口さがない者がそう言う言葉を口にしていると耳にしたことがある。
娘など見捨てて、自分が生きのこれば良かったのにと。
そんな声だ。
「愚かとは?」
如何にも不思議な事を言うと、ポリドロ卿は想像の埒外であるとばかりに言葉を返した。
「娘などまた作ればよい。娘のパンを奪ってでも自分が生き延びて、また母と新しい子を為せば良かった。そう口にする者もおる」
間違いでもない。
私はその言葉を否定することが出来なかった。
何も父が死ぬ必要はなかったのではないか――そんなことを考えている。
今でも、ずっと。
そんな考えを口にして。
「どの愚か者がそのような事を口にしたのです!」
ポリドロ卿は突如、激発した。
まるっきり怒りを隠そうともしなかったのだ。
私はそれに少しだけ驚いて――ああ、これが「憤怒の騎士」とやらか。
時折、彼の譲れぬ点に触ると激情を起こすという、アンハルトでは有名な彼の側面を眼にした。
私は驚きつつも、冷静を装う。
「別に珍しい考えでもないさ。男は希少だ。それも我が父は遠洋の海洋国家から我がグステン帝国に迎えられて――何も死ぬほどの愛情を私に示す必要はなかったのだ。子などまた作ればよいと、その考え自体は別に不思議ではない」
「マキシーン様」
彼が私の名を呼んだ。
だが、私は話を続ける。
「なあ、ポリドロ卿よ。もし、もしもだが――我が父の選択が本当に正しかったと君が思うているならば。意見を聞かせてもらえぬか」
不思議であった。
我が父は笑っていたのだ。
餓えに苦しみながらも、私を守り切れたことに笑っていたのだ。
当時5歳の私に、その苦しみを悟られないようにと。
それがいまだにわからぬ。
私などにその価値があったのか、未だに認められぬのだ。
だから問う。
ポリドロ卿はこの件について、どのような回答を出す?
「男とはそういう生き物でなければならぬのです」
ポリドロ卿の返事は、まるで不可思議な物だった。
そういう生き物でなければならぬ?
「たとえ餓鬼に落ちぶれど。子供に対してのみは立派な姿を見せなければならぬのです。血を繋いでいくとはそういうことだと私などは思うております」
「それが例え、自分の命を犠牲にしても?」
「子が親の屍を越えていく、そのような言葉を、このファウストは耳にしたことがありますが」
震える唇。
その唇の持ち主は私でなく、ポリドロ卿であった。
彼は告げる。
「子が親の屍を越えていくのではありません。親が子供の歩く道を作るために死んでいくのです」
ファウスト・フォン・ポリドロの価値観。
それは些か、私には特異な物に思えた。
グステン帝国で、男はそういう生き物ではない。
ある時は調度品で。
ある時は子をなすためだけの道具にしかすぎず。
人に見せびらかせてマウントを取るための、番に過ぎなかった。
「私は貴方の母君のことを知りました。自分の面子を投げうって、アンハルトやヴィレンドルフに頭を下げてでも、全ての選帝侯に泣き言を口にしてでも、マキシーン様と父君を救出しようとしたと」
「――ああ、その通りだ」
私の母は無能だった。
超人ではなく、精々が少し優秀なだけで凡人の域を出なかった。
その全方位への土下座に等しい行為は、皇帝としての求心力を大いに落とした。
「マキシーン様、貴女はそこまでして護られようとしたのです。父君は愛されていたがゆえに、飢え死にしてまであなたを守ろうとしたのです。貴方は御両親にとって、たとえ自分の全てを投げうってでも護るに値した子なのです」
ポリドロ卿にとって、それらの行為は決して愚かなものと見下すべき行為ではなく。
ただただ、私への愛情を示した行為であると看做した。
「私ごときが、貴方の父君と母君について詳しくない私ごときが、何も知らぬ分際で。どこまで口にしてよいのかはわかりません。ですが、貴女は御両親に愛されておりました。それこそ全てのプライドも、自分の命も、地位も名誉も打ち捨ててでも救わんとした命なのです」
ポリドロ卿は自分でも口にしたように、何も知らぬだろう。
あの両親の行為が、どこまで皇帝の権威を貶めたか。
だが。
「私は、少なくとも貴方の御両親を素晴らしき御方であると考えております。親とは、子を守るためにかくあるべきなのです。それを笑って侮辱する卑怯下劣なる者がおりますならば、このファウストめが即座に殴り倒してご覧に入れましょう」
「――」
「どうかマキシーン皇帝陛下に於かれましては、そのご両親を恥じぬよう。自分などを見捨てて、御両親が別な跡継ぎを用意すればよかった。そのような――」
ここでポリドロ卿は口ごもった。
私は彼の言いたいことを読み取り、話を繋げてやる。
「愚かな事か?」
「そうです。愚かと私は考えております」
ファウストは、言を左右にしなかった。
「ただただ、皇帝陛下に於かれましては。ご両親を誰よりも誉れに想い、皇帝としての道を邁進することがご両親にとって何よりの事であると私は考えます」
「――」
嬉しかった。
それについては言葉もない。
純粋なこの男の両親に対する敬意が、どこまでも嬉しかったのだ。
ファウストは、心の底から、真剣にこのマキシーンの両親を誉れ高き存在であると認識し。
このマキシーンを皇帝としての至尊と考えているのだ。
だがな。
だがなあ、ファウストよ。
一つだけ違いがあるのだ。
我が母の最期の言葉は。
嫌になったら皇帝の座など打ち捨て、逃げてしまいなさいだったのだ。
お前さえ助かればよい、それが父の最後の遺言であったことも。
「……」
だがそれは口に出さぬ。
軽蔑されたくなかった。
父よ、母よ、どうしてだか、この男にだけは貴方たち両親を軽蔑されたくないのだ。
いや――
たとえ、これを口にしても。
このファウスト・フォン・ポリドロという存在は、その親の愛情を否定しないかもしれない。
そんなことも考えたが。
――やはり、このヴァリエールやその側近、私の側近が様子を見守る満座の場で口にする言葉ではない。
「ふふ」
わざとらしく笑う。
それは何も知らぬファウストへの侮辱ではない。
彼のあまりの打算無き純真への好意に対してであり。
同時に、我が両親に対する彼の純粋なる敬意に対しての気恥ずかしさでもあった。
「お前の存念は理解したぞ。ファウスト・フォン・ポリドロ卿。少しなれど我が心、慰められたぞ」
これも嘘の言葉ではない。
事実、私の心は、懊悩は少し和らいだ。
子が親の屍を越えていくのではありません。親が子供の歩く道を作るために死んでいくのです。
ポリドロ卿の言葉は正しいように思えた。
なるほど、きっと我が愛する両親はそう考えて行動に移したのだ。
私はどこまでも果てなく愛されていた。
「……」
だからこそ、生きなくては。
それこそ、たとえ。
この国を売り飛ばす売国奴になってもだ。
我が心は未だ揺り動かぬ。
なれど、そうだな。
「ポリドロ卿、我が父への弔い。そして我が質問への回答。ともに有難く思う」
少なくとも、私には少しだけ見る目があるようだった。
私がこの男を、子を産む番の候補として選んだことに間違いはないようである。
それだけは確信して、私は会話を終えた。
どうにかして、この男の子供を私は孕まねばならぬ。
そんな密かな計画は、まだこの男には口にできそうになかった。