ヴァリエール・フォン・アンハルトと会話を済ませ。
ファウスト・フォン・ポリドロという男を知った。
では次に何をすべきかと、マキシーンは考えた。
「――しかし、あのポリドロ卿は本当に良い男でございますな」
私からの信頼、その全てを寄せるに値する我が従者がそのように口にした。
それは全くそうだ。
容姿は確かに醜いだろう。
身長は高く、体つきは調度品というより武骨なカイトシールドのような胸板。
感情は熱く、常に沸騰している。
だが、人格という意味では、実用品の男という意味では。
「あれほどの男は神聖グステン帝国どころか、世界中を探しても――いえ、マキシーン様の父君は別格としてですが。それこそポリドロ卿が褒め称えてくれたように」
従者がそのように評する。
そうだな、仮にあれより良い男がいるとすれば。
私にとっては、やはり父上であろうか。
いや、違うな。
あの父上がポリドロ卿のような超人であれば、私を抱えながらに市民参事会などブチ殺して逃げおおせたであろう。
そういった意味で、我が父上は少しだけ劣るか。
本当に少しだけだが。
「ふふ」
私は微笑む。
腸が煮えくり返るほどの怒りを抱いていた市民参事会も、今は半殺し(半数ほどブチ殺した)の目にあった。
生き残った半分の財産も『えげつなく』ヴァリエールがむしりとった。
大層に愉快である。
これほど愉快な話があったものか。
楽しいなあ。
「マキシーン様、これはやはり彼の正式な婚約者であるヴァリエール卿を通して、その、子種を……」
少しだけ言いづらそうに。
それでいて、これが本意であろうという風に従者が進言する。
まあ、そのつもりではいる。
最初からそういう話をしていたのだが。
「ちょっと気が変わった」
「と仰いますと?」
「何、急く必要はないと思ったのだ。ヴァリエール一行は一か月程の滞在となる」
両手を広げる。
華奢な手を広げて、ニヒルに笑顔を浮かべ、精一杯の威厳を示しながらに。
私は従者に語り掛ける。
「のんびりやろうじゃないか、のんびり。そうだな、まずは夜食を」
「体調はよろしゅうございますか?」
夜食など、無理をしているのではないかと。
従者は心配するが、そうではないのだ。
「単純に腹が減っているのだ。あのポリドロ卿の熱量に、胃の中が燃やされたのかな? 或いは全身がか?」
ただただ腹が空く。
脳が食事を求めているのだ。
「では、直ちに。先日のような、蜜のように甘いワインもグラス一つお付けしましょうか?」
「良いな。大変良い」
人指し指をひとつピンと立てる。
それがよい、そうしよう。
私は満足げに頷いた。
従者が少しだけ席を外し、私は小さな息を吸う。
さて。
「どうしようかな?」
ここで逡巡が生じる。
当初の計画を考える。
私はどうするつもりであったか?
ファウスト・フォン・ポリドロの子を孕み、この神聖グステン帝国を見捨て、故郷に逃げる。
モンゴルが故郷まで押し寄せれば、更に遠くまで逃げよう。
父上の故郷にまで逃げるというのもいいな。
そこまでは考えた。
そこから先は、ハッキリ言ってノープランだ。
「死ぬかもしれんしな」
お産というのは命懸けだ。
一つの命を生み出すというのは、その母の生命をギリギリまで振り絞って行う行為である。
私の貧弱な身体では、本当に命懸けになるだろう。
「……」
だから、まあ体力をつけよう。
食事を十分にとるのが良いな。
ヴァリエールとの食事の機会を増やそうか。
きっと楽しくて美味しい食事になるに違いない。
あの娘を見ていると、どこか心が和むようだった。
もちろん自分の本願であった復讐の代行者であるという好感が大前提としてあるが。
それだけでなく、どこか少女性というか、奇妙な魅力を感じていた。
ふと気が付けば、彼女が何を考えているか心を読もうとしている自分がいる。
結論は?
何も考えていない。
ヴァリエールとは純粋に他者の事しか、自分の配下をいかに幸せにしてやれるか以外は何も考えていない。
そんな健全な異常者なのだ。
「だからマインツ選帝侯に勝てたのかね? 彼女の兵は皆が死兵か? 彼女の存在は、彼女の配下にとって自分の命よりも重いかね?」
絶対に勝てない戦であった。
後世の歴史家は誰もがさぞかし混乱するであろう。
誰がどうみても勝てっこない戦であるからだ。
そうだ、勝てないのだ。
神聖グステン帝国中の力を結集しても、モンゴルという強力な騎馬民族国家には絶対に勝てないように。
私の優れた頭どころか、どのような愚か者を以ってしても明確である。
会敵すれば死ぬ。
確実に死ぬ。
おそらく全ての抵抗する者を踏み潰して騎馬軍団は行進していく。
何もかもを持っている大帝国の史上最強のカリスマが、最大限の力を込めた握り拳をぶつけてくるのだ。
抗えるわけがない。
「――」
だが、それを言うならヴァリエールとマインツ選帝侯との戦とて同様ではないか。
誰がどう考えても馬鹿試合である。
何故?
どうして?
どのようにして?
どこに勝算の余地があった?
何度も繰り返すが、後世の歴史家は本当に頭を悩ませるだろう。
意味が分からない戦であるからだ。
彼女の兵の全て何もかもが、自分の存在全てよりも主君が大切であるという忠誠を誓う。
世界に偉人と称された者は数あれど、そのような原始的忠誠を、前提条件を達成したものなどどれだけいるであろうか。
だから――
そのように『意味が分からない、予測不可能な超暴力』を。
横合いから強烈な握り拳をぶつけることができれば、如何にモンゴルとて。
世界最大の大帝国でさえも。
「くだらぬ」
私は妄想を振り切った。
絶対に勝てない。
モンゴルの事はよくテメレール公が調べたのだ。
本当に仔細に説明してくれたよ。
神聖グステン帝国中の力を結集せねば。
指揮権を統一せねば。
いや、それだけではまだ足らぬ。
何もかも足らぬ、足らぬの言葉が目立つ。
国外からも傭兵団どころか、それこそ王クラスの招聘が必要だろう。
今まで何度も殴りあった連中と合力し、固く、固く、鉛すら握りつぶす握力による拳を。
そんなこと――
「誰ができるものか」
可能な者がどこにいるのか。
いるではないか?
きっと、そう口にする女がいる。
アンハルト選帝侯家の女、あのアスターテ公爵という女狐である。
あの女はずっとこう考えていた。
一人だけいるではないか、国外から戦力を呼び寄せることができる存在が。
国内からも国外からも良血を集めた青い血が。
それは貴女だ、マキシーンと。
アスターテ公爵はそんなことを考えているのだ。
馬鹿なことを。
「――」
知っているだろう。
私はそんなことに付き合いきれない。
血を繋がねばならぬ。
選帝侯たちとて、別に神聖グステン帝国が滅ぼうが滅ぶまいがどうでもよいのだ。
それは皇帝とて同じだ。
自分の一族が繁栄さえできれば、安泰であれば、もうそれでよいのだ。
こんな国など滅んでしまえ!!
我が父を、我が母を死に追い込んだ帝国など滅んでしまえ!!
そう考えている。
だが。
「――」
やはり、その決断を下すのはまだ早いし。
その一族の血を絶やさぬために、やるべきことをやっていない。
「マルティナ・フォン・ボーセル」
九歳児の天才少女の名を、ポツリと呟いた。
従者も席を外し、衛兵のみがドアの外で立つ部屋で。
執務室にて少女の名を口にする。
机の上に転がっている、一つの本のタイトルを目にする。
『銃・砲・騎士』と書かれていた。
「――」
その本の表紙をなぞる。
何度も何度も読み込んだ。
このマキシーンとて何も考えなかったわけではない。
モンゴルに勝つ方法がないかと模索しなかったわけではない。
だから。
その勝つ可能性を少しばかり上げるため、それこそ勝率1パーセントを2パーセントにするためだけに、マルティナという少女と会話するというのも悪くなかった。
「せめて、どうしても闘いたいという連中のためには何か残してやる。それも悪くないだろう」
あの九歳児の少女も、おそらく戦場に赴くだろう。
ポリドロ卿が行くのだ、付いて行く。
そして死んでしまうだろう。
ヴァリエールも、ポリドロ卿も、マルティナも、誰も彼もが。
だから。
何か少しでもモンゴルに握り拳をぶつける余地を残してやるために、協力してやろう。
私がそんな心算になったとして、誰が責められよう。
これは決断の先延ばしではない。
取引である。
マルティナは私に最新の技術を、ケルン派から得た知識を、戦場における未来を私に教えて。
私はそれに対し問答し、注釈を加える。
あるいは反論する。
それぐらい。
それぐらいならば、悪くないと思えた。
それら全てを終えてから本題を切り出すのが良かろう。
まだ我々には相互理解の時間がある。
だから、私は、このマキシーンは、まずありとあらゆる会話を試みることにした。
まずは、マルティナから。
それが一番よかろうという決断を下した。