相変わらず目つきの悪い容貌。
その険のある視線にて、アナスタシアは従姉妹を見つめている。
「基本的には上手くいっている。今のところはだが」
常人なら怯える視線にも、全く躊躇せずに。
むしろ愛らしいとさえ思いながら、アスターテ公爵はそう口にして微笑んだ。
「今のところは、か」
「今のところは、だな」
トントンと、指で計画表をつつく。
「テメレール公は?」
「皇帝の親戚との会食に大忙しさ。こちらも今のところ上手くいっている。あの猪突公、年の功だけあって我々よりもやるものだぞ」
「私たちが出る必要は――ないか。彼女に言わせればむしろ邪魔だと言われるのがオチさ」
また、指で表をつつく。
工程表であった。
タイトルは特につけていないが、モンゴル対策にあたっての進捗表である。
進捗は三区に分かれている。
一区は皇帝本人の説得。
これはファウスト、ヴァリエール、マルティナが担当。
二区は戦力の増強。
これはアナスタシア、カタリナ、オイゲンが担当。
三区は皇帝縁戚の説得。
これはテメレール公が担当。
そして全ての進捗を管理しているのがアスターテ公爵だった。
「まあ、皇帝本人の説得も今のところは順調。皇帝の親戚に対する説得も順調。ランツクネヒトの戦力化だって、少しずつ進んでいる。だがなあ――ここに瓶の首がある」
トントンと、二区の進捗状況を指でついて、つつとなぞる。
「瓶の首?」
「ボトルネックとでも呼ぼうか。要は一区の皇帝説得がままならんと、二区は途中で立ち往生となる」
なぞった先には、『国外戦力の追加』と記載されている。
「ここからは確実に皇帝の血縁と、名義が必要となるんだ」
「三選帝侯だけの説得では話にならんか」
「ならんね」
すっと、工程表のその手前で下に指を引いた。
これで終わり、終了、さよなら。
進捗はままならず、計画は失敗となる。
失敗とはつまり、神聖グステン帝国が滅亡そのままを意味する。
「さて、三区はいいだろう。テメレール公は、確かにあの女は放っておいてもやり遂げるだろう。問題は一区だ。もう殆どの手札は切ったのだろう? 次に何を見せるかね」
ライフルドマスケット。
ミニエー弾。
大砲とキャニスター弾。
まあ大体のカードは切った。
だが、マキシーン皇帝は首を縦に振らない。
まあわかってる。
そもそも現状の戦力だと勝てないのはわかりきっている。
わかっているから三選帝侯が雁首ならべてゴチャゴチャ言っているわけで。
はてさて、どうしよう。
兵も足りなければ指揮官も足りなかった。
はっきりいって外国から傭兵を雇わなければ勝ち目はない。
いや、傭兵というよりも。
他国の王族が所有するレベルの戦力を引きずり出さねば、お話にならないだろう。
「アンハルトは金を出す。テメレール公も金を出す。皇帝からも金を出して、さらにその血縁と名義から芋づる式に戦力を引っ張り出してもらわねばならん。あれだ、教皇と皇帝が最初から負けを認めて腹を見せて這いつくばろうと。そういう決断を下したのは状況を知れば知るほど責められんよ」
アナスタシアは、長い付け爪をつけたままに自分の顎を指で撫ぜる。
わかっている。
まあ、皇帝の判断とて何も間違ってはいないのだろう。
だがーー
「それで犠牲になるのはアンハルトとヴィレンドルフだ。我々は確実に生け贄にされる」
だからお前らは代わりに滅んでもいいよねと言われたら、断じて嫌であるのだ。
アナスタシアは鼻で笑って、そして話を元に戻す。
「さて、アスターテ。ここでお前の出番となるわけだが、大丈夫そうかね」
「もちろんだ。さすがに何でもかんでもファウスト任せにする気はないさ。本題はどうしても任せることになってしまうんだが」
アスターテは、パチンと指を鳴らした。
「明日には皇帝と話をしよう。そして論争をしよう。人と人とが会話し、理解し合う。とても文明的な戦いを」
「その準備は?」
「すでに整っている。とりあえずの交渉材料は見せた。今頃皇帝の頭はグチャグチャになっているだろう」
ファウストが欲しい。
マルティナの論は果たしてどこまで戦場で通用するだろうか。
どうすればよいのか、どうすれば愛らしいヴァリエールに多少なりとも慈悲を与えられるか。
貢献に対する報酬は与えられてしかるべきだろう。
そんなところだろう。
皇帝は善良だった。
冷酷さはある、過去に手ひどい経験を受け、冷徹に眼前に転がる問題を処理することはできる。
だが。
「ファウストの行動は良かった。父君の墓前に対する、真心からの行為。あれで完全にマキシーン皇帝はファウストに執着し始めている」
まずは一手。
「ヴァリエールの善性は良かった。あの子は心の底から皇帝への敬意を抱いている。皇帝に対する貢献もした。であれば、それを酷薄に見捨てることはもう皇帝にはできない」
二手。
これも悪くない。
「マルティナの理論も良い。あの異質な少女は、ファウストという庇護の下で大きく花開こうとしている。これでこそ命を助けた甲斐があったというものだ。別に皇帝とてモンゴルに降伏したくてするのではない。絶対勝てないと考えているからそうしているだけで、それを揺り動かす材料になった」
この三手で。
すでに脳が焼かれ始めているのだ。
マキシーンにとって最大の欲望である、一族を繋げるための最選良の血。
それをファウストは有している。
それを得るためには、どうしても今後も良好な関係を続ける必要がある。
その背景には我々がいる。
「だが、それだけでは動くまいよ。我らに話を通す必要などないと基本的には考えているはずだ」
事実、別にファウストに、そしてヴァリエールに話を通しさえすればよいわけで。
わざわざ皇帝は、アナスタシアやアスターテに話を通す必要性は感じていない。
それでも会話をしようと試みるのは。
「だが、あのファウストとヴァリエールは、実のところ利益を提示したところで、その価値すらわからない。ある意味で、あの二人は究極のボンクラなのさ」
アスターテは笑う。
別に二人を馬鹿にしての笑いではない。
ボン・クラージュ。
『信念を貫く愛すべき馬鹿人間』なのが、あの二名だ。
領地の民の幸福以外何も価値を感じていない、朴訥な辺境領主たるファウストに。
自分に付き従う者の幸福だけしか願っていない、そんな王族失格のヴァリエールに。
何か代価を支払ってやるとすれば、それは単に金銭をぶら下げても通用しない。
「マキシーン皇帝陛下は、仕方なく、このアスターテを会話の相手に選ぶことになってしまう。さて、この段階だ。ここで皇帝の説得に失敗すればすべてオジャン。責任の重みをひしひしと感じているよ」
アスターテは、更に笑みを浮かべる。
これだけの重圧感を感じたのはいつの頃だったか?
そうだ、ヴィレンドルフ戦役だ。
あの地獄の戦場以来のストレスとプレッシャー。
「やれるのか?」
それをお互いに感じつつ、アナスタシアは尋ねた。
「愚問だな。やれるのかじゃない、やるんだ」
何も変わらない。
何一つ変わらないのだ、あの無茶苦茶なレッケンベルという化け物と戦う羽目になったときと。
嘆いたところで何が変わる。
小石を投げたところでイノシシは殺せまい。
なれど、湖に波を一つ、ちゃぷりと立てることは出来る。
「ここまでは思惑通り。同時に、それでもマキシーン皇帝を説得するのは難攻不落の城塞を攻めるようなものと私は認識している。明日は死ぬ気でやるさ」
頭に石が城壁の上から投げつけられれば、壁に必死にへばりつけばいい。
たとえ煮えたぎる油を浴びせられても、上手く生き残ればハシゴを駆け上がって一番槍だ。
「良いところ探しをするなら、チャンスは一回ではないことだ」
アスターテは、何度かの交渉機会を得られると考えている。
おそらくは三回か四回。
それまでに本丸を落とせるか。
「さて、勝負どころだ」
アスターテは両手を大きく叩き、まるで自分を励ますように拍手をした。
彼女は神など信じていなかった。
ただ自分の才覚と、頭脳だけを信じていた。