貞操逆転世界の童貞辺境領主騎士   作:道造

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第81話 私にはわかる、消え失せてしまったことが

顔面を殴打された。

地面に倒れ、這いつくばるようにして、私を殴った相手を見つめる。

この王国アンハルトを統治するリーゼンロッテ女王陛下の王配、ロベルト様であった。

 

「馬鹿な事を口にするな! まさか、他の場所で口にしていないであろうな!!」

「決して、決して、そのような事は」

 

這いつくばる。

這いつくばらなければ、ならなかった。

頭の上に落ちる、怒号。

今は、どうにかしてロベルト様に怒りを静めて頂くしかなかった。

背筋に走る怯え。

何もかもが台無しになる事を恐れながら、発言したことを後悔する。

 

「全てを台無しにするつもりか! 状況を理解しているのか!!」

「しております。何もかも、私達の立場を理解しております。なれど、なれど――」

 

後悔はしている。

それでも、口にしなければならなかった。

元より、このような望みが受け入れられるわけがない。

そんな事は私にさえ、判り切っていた。

だが、だが。

 

「私達と同じように、苦境に直面している放浪民族へ、救いの手を――そんな事、叶わぬのは判っております。文字すら書けぬ無教養の私にすら、判っております。ですが、他の放浪民族からの嘆願を受けた以上は口にせぬわけにも!」

「お前の元に訪れるであろう放浪民族は全てアンハルトから追放すると、最初から言っておいたはずだ! お前は私の歳費が無限にあるとでも勘違いしているのか? ポケットに入れたビスケットのように、それを叩けば金貨が二枚に増えるとでも思っているのか!?」

 

神聖グステン帝国、その皇帝と教皇に対する最高権威を認めた加盟国。

選帝侯たるアンハルト王国において、我が旅団に定住を認め職を与えたロベルト様の施策は、放浪民族に伝わりつつあった。

それこそ、神聖グステン帝国中の全ての放浪民族に。

当然の流れであったのだ。

苦しい放浪生活から我らも救われたいと、他の者達が望むことであるのも。

そして――。

 

「座長よ。お前は、本当に理解しているのか? 私はすでに告げたはずである。救うのは、私が救えるのはお前達旅団のみである。これは、神聖グステン帝国中の領内において放浪する放浪民族の最終的解決に向けた実験にすぎぬのだ」

 

そんなこと、ロベルト様はすでに読んでおられる。

事前に言い聞かされていたのだ。

私の元に一縷の望みをかけて訪ねてくる者達がいるであろう事も。

 

「私はすでに何度も発言した。当然覚えているであろうな? 復唱せよ」

「……私達へ職を与えたのは、居場所を与えたのは、放浪する君らによる犯罪を撲滅するためである。そのための手段は問わない。皇帝陛下は最初『放浪民族を殺しても基本的には罪に問われないこと』とする案を考えていたと」

「私はその案だけは避けようとした!」

 

それには感謝している。

心の底から感謝しているのだ。

苦渋に満ちた顔の、ロベルト様と視線を合わせる。

 

「なんとか救えぬか、そう考えた。君らが放浪する犯罪者の温床と考えられ、都市では放浪民族が現れたら教会の鐘を鳴らして合図し排撃されるような。我が領邦の人々が、皇帝陛下に与えられた大義名分を手に放浪民族を狩りだすような。そのような地獄が出現しては、人々の心は荒廃していく一方であると考えたからだ」

「承知しております」

 

地獄は出現しなかった。

ロベルト様が、必死の抵抗をされたからだ。

神聖グステン帝国の皇帝陛下、教皇猊下と文通をしているロベルト様の発言力は高かった。

議論を交わし、最も良い解決方法を模索し、ロベルト様が一つの結論を提案した。

この問題の最終的な解決策として、アンハルト王国内にて放浪民族に定住の地と職を与える施策を試みよう。

もちろん、障害はある。

皇帝陛下が反対し、教皇猊下が反対し、妻にしてアンハルト王であるリーゼンロッテ女王陛下が反対し、その配下である貴族が反対し、平民のギルド代表者達が反対した。

要するに、放浪民族など死んでしまっても構わないではないか。

苦しむのは我々ではない。

それが残酷なまでの本音であり、唯一ロベルト様だけが反対していた。

全て知っている。

全てを、ロベルト様に教えられ、知っているのだ。

これは別にロベルト様が感謝を求めたのではなく、庇護される放浪民族の代表者が知らなければならない現実として教えられた。

全ての人の理解を得て施策を進めるのが、ロベルト様の在り方であった。

その優しいロベルト様が教えてくれたのは、正直聞きたくもない現実。

放浪民族は絶滅政策すら考慮される状況下にあるという悲惨な現実であった。

我らが何をした?

いや――被害者ぶるのは、止めておこう。

我らは決して謂れなき被差別民族ではない。

それだけは、それだけは。

最後の放浪民族の誇りとして、認めなければならなかった。

ロベルト様が酷く嫌う、狂ったような鳴き声を発するだけの、自助努力をしない生き物。

ただ困窮した、困窮した。

私は恵まれていない、恵まれていないとオウムのように被害者意識でひたすら繰り返すだけの吐き気を催す屑にはなりたくなかった。

それだけは、最後の一線であったのだ。

我らは神聖グステン帝国において定住を許されなかったが、我らも文化として定住を望もうとしなかった。

だが。

その生き方は、もはや許されぬとロベルト様が仰ったのだ。

 

「時代が変わったのだ」

 

私の復唱に満足したのか、ロベルト様が語り始める。

この語りも、何度も聞いたもの。

 

「時代は変わった。数世紀まではその日を食うにも困っていた我らの祖先は、もうおらぬ。神聖グステン帝国における、我らの灌漑技法は向上し、輪作が考案され、農業の効率が大きく向上した。何度でも言おう。権利と義務を自覚し、自治と連帯を志向するようになった市民意識は、アンハルトにおける諸侯の領邦において目覚めている。自立を進めて国家の体裁を整えつつあるのだ。国家主権とでも呼ぶべきそれ、そこに放浪民の居場所は無い。君ら放浪民の居場所など、もはや何処にも無くなってしまった。君らの居場所は、この先なくなる。このアンハルトの定住民たちが、君ら放浪民族の権利を認めるには、同化以外の手段がない」

「我らにも、文化……ロベルト様の仰る文化がありました」

「文化とは、人が食べていく手段に過ぎないと考える。もちろん、私は放浪民族に文化など無いとは言わぬ。占い師がいた、芸人がいた、鍛冶師がいた、博労がいた、大工がいた、医者がいた、私はだ。君らは一つの民族集団であり、手工業や芸事においては卓越した物を為すと考えている」

 

ロベルト様が、私を宥めるのではなく。

心の底から、それを理解するようにして呟いた。

そして、完全に否定した。

 

「だが、その放浪民族の文化は、もはや何の役にも立たぬ。君らの生活を守るうえで何の役にも立たぬ。剣にもならねば楯にもならぬ」

 

ロベルト様は優しいが、酷く現実的な人であった。

冷酷な事実は、冷酷な事実として告げるのだ。

ありのままに、私の目の前に示すのだ。

 

「かつて我々の祖先では、君ら放浪民族を公爵や伯爵と言った人間が、軍人として雇え入れる事すらあった。だが――今において、それはないのだ。信用が出来ぬからであり、何より」

「いらない」

「……そうだ。農業生産性が向上し、常備兵が整えられるようになった現状においてはな」

 

優しいロベルト様でさえ、ハッキリとは言わなかった言葉を口に吐く。

いらない。

いらないのだ、もはや我々は。

我らは我らなりに文化を積み上げてきた。

放浪者として、食べていくための技術を蓄積してきた。

だが、それは定住者にとっては、もはや手工業ギルドが整い、常備兵を整えられる。

この時代においてはいらぬ。

無用の長物となってしまった。

 

「……パンを焼いたことはあるか」

 

ロベルト様が、呟いた。

正直に答える。

 

「ありませぬ」

「小さな領地では、領民が集まってパンを焼く日があるそうだ。何せ、パン窯は一つしかない。領民の愚痴を聞くために、まあ小さな領主であれば、その場に現れる事すらあると聞く」

 

ロベルト様が呟く言葉。

このパン窯については、初めて聞く話である。

一体、何を仰りたいのか。

 

「この平民達が皆でパンを焼く習慣も、一つの文化とは言えよう。だが、それは製パンギルドが一手を担う事によって、その文化は消滅する」

「つまり」

「文化は歴史の進歩と同時に消滅する。私は、放浪民族の文化は殆どが定住化の際に滅ぶと考えている。そして、同時に」

 

その滅びに、剣にも楯にもならぬ文化に、何の価値も無いと考えている。

実質的な、ロベルト様に拠る宣告であった。

汝、定住化のために放浪民族の文化を捨てよ、と。

 

「放浪民族にして、王都における歌劇場の座長よ、告げよう。音楽や芸事を残して、放浪民族の文化は一度滅ぶと思え。その技術を継承したいと言うなら、私は邪魔をせぬ。子を親から奪う事はせぬ。だが、教育は受けてもらう」

「あの、放浪民を信徒にしようと望む宗教家たちによる教育でありましょうか」

「元より、上っ面の改宗など慣れていよう。信じろとまでは言わぬ。必要なのは、読み書きができる事だ。教養という物は、それそのものが生きていく上での剣と楯に他ならない」

 

ロベルト様は、放浪民族の定住化施策を考えておられる。

それはどこまでも徹底していて、二度とアンハルトから出られぬような。

全てを与えられ、それでいて雁字搦めの慈悲であった。

権利に対しての責任を。

当然の事ではある。

 

「君らは、轍なのだ。アンハルト王家で行われた最終的解決を見届け、それに続く他の領邦における放浪民族の馬車が定住化に向けて通るための轍なのだ。何もかもが上手くいかなければならない。一つでも失敗をしてしまえば、全ては水泡に帰す。定住化など無理であったと、それで終わってしまう。グステン皇帝陛下は冷たい決断を行うであろうよ」

「……」

 

結果を出さなければならない。

このアンハルト王国にて、定住化に成功したとの実績が。

それが、それが達成しなければ。

放浪民族は――今の状況など夢そのものとさえ思われるような苦境に遭い、絶滅されるであろう。

 

「私が言いたいことは以上だ。理解したか? お前を訪ねて来た者はすぐさまアンハルトから退去するように命じろ。それはお前の仕事である」

「承知しました」

「しばし、このローズガーデンにて冷静になれ。騎士と侍童も連れて行く。そのガーデンテーブルの茶でも飲みながら、一人で考えを纏める事だ」

 

ロベルト様。

それに付き従って、騎士や侍童が離れていく。

ローズガーデンには、私一人となってしまった。

何もかもが正しい。

一人になり冷静に考えたが、何もかもロベルト様が正しい。

そんな事は最初から判り切っていた。

一足飛びに問題を解決する力は無いし、ロベルト様はどこまでも賢明であられた。

私は。

私は、本当に、ロベルト様を殺すつもりなど欠片も無かった。

悪心は、私の暗がりから起きた。

国々を彷徨い、定住する事が出来ず、その日の路銀にも苦しんだ。

放浪民族の座長としての心から起きたのだ。

醜いものだ。

麗しいローズガーデンを眺めていると、どうしても、どうしても。

「全てを生まれた時から持っていた」としか思えない、ロベルト様が何を言うのかと。

「全てを生まれた時から持っていなかった」座長としては言いたくなる。

我々は轍となるであろう。

ロベルト様の指示に従い、ロベルト様に与えられた歌劇場を職とし、定住地としよう。

その、我らの職である歌劇場の利益から、夫を旅団に迎え入れるのだ。

それで放浪民族の女との血を混ぜれば、あっという間にハーフの出来上がり。

すぐに、同化など上手く行くまい。

だが、3代経てば、4代も経てば違う。

我々は放浪民族としての文化を失う代わりに、定住民としての地と、職を得る。

それを子孫が引き継いでいくであろう。

我々が作ったその轍を参考に、神聖グステン帝国中の領邦が、最終的解決策の参考として馬車を走らせるだろう。

それは良い。

とても良い事であった。

だが――どうしても、引っかかるのだ。

愚か者の嫉妬、そういうものとしか呼べない。

一言で言ってしまえば。

 

「公爵家に産まれ、王配として迎えられ、誰からも愛されるロベルト様」

 

貴方はどのような苦労にあってきたと言うのだ。

苦労などしていない。

我らが歩いてきた「暗がり」など少しも知らない。

常に、明るい道だけを歩いて、愛されてきた人物であった。

貴方に――

 

「貴方に、何が判るのか」

 

地面にひれ伏したまま、袖の一部を引っ張る。

悪癖。

習慣であり、悪癖である。

最後の武器、この小指ほどの小さな薬瓶を忍ばせる習慣が、私にはあった。

 

「バラを」

 

このバラ園の何千輪ものバラを、たった一輪。

たった一輪だけ、枯死させてしまいたいという願望にかられた。

だって。

だって、余りにも、ロベルト様が眩しすぎた。

何もかもが正論に満ちていた。

明るい道しか歩いたことのない顔で、ひたすらに正論を吐き続ける。

私はそんなロベルト様の事が、憎らしかった。

 

「貴方に、何が判ると言うのだ」

 

人食らいと呼ばれた事があるか。

人さらいと呼ばれた事があるか。

訪れた街で「街に入りたければ、その死体を片付けておけ」と。

犯罪者や放浪者、また時には、私達と同じ放浪民族であった芸人の死体。

それを埋めた事はあるか。

犯罪者や放浪者として、それらと同様のものであると扱われている我らの気持ちがわかるか。

ロベルト様は、明るい道しか歩いた事が無い。

我々が抱く、憎しみ、嫉妬、もちろん、それは知識として理解できていよう。

それだけだ。

この、心の奥底にある、ロベルト様への羨望だけは理解できるまい。

我ら暗がりの者が、暗い道をひっそりと歩きながら抱える憎しみ等は判るまい。

羨望が。

貴方のような、明るい人間に対して、暗がりの者がどれだけ酷く酷く醜い感情を覚えるかはわかる方法がない。

だから、私は小さな報復をした。

一言で言えば、穢したいと思った。

このローズガーデンの一輪を。

あの完璧なロベルト様の、少しばかりを穢してしまいたいと思ってしまった。

 

「……」

 

ふわり、と宙に浮いたような気持である。

ガーデンテーブル傍のバラの垣根に近づく。

一輪。

たった一輪だけであった。

それを枯死させたいと思った。

ロベルト様の愛するバラ園の一輪でも枯らす事が出来れば、あのロベルト様がそれに気づき、少しでも悲しい気持ちに陥るならば。

――それは、私にとってはどうしようもない興奮であった。

軽やかな昂奮であった。

同時に、惨めな昂奮であった。

私は、あの穢れの一片も無いロベルト様のバラ園に、一つの穢れを与える事の出来る妄想に浸っていた。

だから、私はあの時、そのバラに毒を塗った。

そうだ、毒を塗ったのだ。

私は殺意など無かった、だがロベルト様はそのバラに触れ死んでしまった。

おそらくは枯死したバラを心配し、他のバラを病から防ぐため剪定しようと。

毒が塗られた、その棘にロベルト様が触れた結果として、死んでしまった。

そうだ。

ファウスト・フォン・ポリドロ卿が予想したように、私に殺意など欠片も無かった。

同時に、その言い訳など出来る余地もなく、私はロベルト様を殺した殺人犯である。

それを否定するつもりはない。

その辺りを、よくよくポリドロ卿に伝えて欲しい。

ロベルト様と同じく、明るい道しか歩いた事の無いポリドロ卿には、この人々が持つ心の暗がりを知る事は、自らの身を守る上で役に立つであろう。

殺すつもりなど無かった。

私は殺すつもりなど、本当に無かったのだ。

あの優しいロベルト様を殺すなんて畏れ多い事、この世の誰が考え付くものか!

それを為してしまったのが私であった。

もうよいか?

もうよいであろう?

頼む。

死なせてくれ。

それだけに縋って生きてきた。

私が、この罪を僅かながらも償える日が来るのを、心待ちにして生きて来たのだ。

例え我らを救わぬ神が、私を地獄に連れて行くとしても、それは当然の結果であると考えながら、ロベルト様を殺してしまった後の5年間を生きて来たのだ。

ミハエルよ、お前は、私の懺悔に吐き気すら催すであろうが。

お前の母親が、お前を人畜として扱った事に対し、何の罰も与えず。

路銀の足しのなるならばそれでよいと、あのロベルト様が我らに与えたような大いなる慈悲の欠片も無しに、ただ苦しい放浪生活のために。

たかが、それだけのために、お前の生殖能力を奪った事を許した。

そのような邪悪が、私であるのだ。

私は、ロベルト様に御会いして、その優しさに触れて、初めて理解した。

自分が吐き気を催す邪悪であると、ようやく理解したのだ。

私など、産まれてこなければよかった。

ロベルト様を殺してしまう私など、この世に産まれてこなければ良かったのだ。

だから、だからだ。

この世から、私という邪悪を消してくれ。

あの優しいロベルト様を、殺した愚かな私を。

この現世から消し去ることを許してくれ。

地獄へと送ってくれ。

私には、私だけには判っていたのだ。

あの優しいロベルト様を殺した私にだけが、5年前から判っていたのだ。

私という吐き気を催す邪悪によって、この世の善の顕現というべき存在が、消え失せてしまったことを。

 

 

 

 


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