貞操逆転世界の童貞辺境領主騎士   作:道造

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第82話 檸檬と薔薇

なるほど、放浪民の言い分は理解した。

結論として、相互理解が不可能な例など、この世にはままあるのだ。

私はそれで話を終えてしまう事としたいのだが。

どうにも、思考は止まらぬ。

 

「阿呆が」

 

反吐が出る。

私は前世において、近代文明人として暖衣飽食の身の上で育った。

そして現世においても青い血の跡継ぎ、辺境領主騎士として育てられた。

我が領地はそこまで豊かではないが、私自身は食うにも着る物にも困った事は無く、周囲からその存在を認められて育ってきた。

放浪民にとっては、さぞかし明るい道しか歩いた事の無いように見えよう。

我が母マリアンヌが狂人として扱われてきた屈辱に、歯を軋ませた事も。

我が血族を繋いできた先霊、そして領地や領民のために命を捧げることを騎士として誓っている事も。

それでさえも、明るい道と見えるであろう。

教育の欠如、貧困を原因とする生きるための犯罪。

そのどうしようもない困窮者の立場からすれば、私やロベルト様は常に明るい道を歩んでいる。

それは否定しないし、事実そうであろう。

我々は最後まで自分の意思に忠実に生き、立場により行動は狭められど、それすら人生の美しさであると、個人の価値観に基づく真善美のままに死ぬのだ。

恵まれた生き方をしている。

嫉妬もされれば、憎まれもしよう。

たとえ、その言葉がどれだけ正しかろうと、なんとなく気に食わないのは判る。

届かない相手がいるのは、私にだって理解できるのだ。

 

「……全くもって理解できないとまでは言わんが」

 

繰り返そう。

結論として、相互理解が不可能な例など、この世にはままあるのだ。

この夜半に毒をあおって、自裁を行うであろう。

あの放浪民の座長には、最後までロベルト様の価値観は理解できぬのだ。

だが、前世において稀に見られた本当に愚劣な人間と比較すれば、まだマシであった。

ロベルト様が酷く嫌う、狂ったような鳴き声を発するだけの、自助努力をしない生き物。

自助努力すらできない本当に困窮した立場ではなく、他人から与えられない事に、餓鬼のように不満を漏らす気味の悪い存在。

「自分がいつも被害者だ」という誤った意識を常に持ち、自分が加えるあらゆる攻撃は「反撃」として認知し、そこに論理的な正当性が有るか否かを考えようともしない。

そういう存在ではなかった。

嗚呼、彼女達、放浪民はそのような悪意の塊たる存在ではなかった。

確かに、それを認めよう。

だが。

結局、座長たる彼女は如何にロベルト様に正当性が有ると理解でき、その存在を崇拝すらすれど。

小さな悪意までは、捨てきれなかったのは何故であろうか。

私こと、ファウスト・フォン・ポリドロにはどうしても理解できないのだ。

被差別民たる彼女達の「心の暗がり」が理解できなかった。

いや、そもそも今回の事件において、本当に出自や教育の有無が関係あるのだろうか。

放浪民の座長たる彼女曰く、動機は「心の暗がり」であるというが。

私には、そもそもの論点が違う気がするのだ。

 

「……梶井基次郎」

 

一人の日本人小説家、その名前を思い出す。

誰もが知っているであろう、有名な短編小説たる「檸檬」。

「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた」という魅力的な一文から語られる。

たった5000字程度の物語。

貧乏で、酒飲みで、肺病で、神経衰弱で、背を焼くような借金を背負っている。

酷くどうしようもない存在。

それが檸檬という一つの果実に対して、「すべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さ」を見つけた時に。

あまつさえ、それを爆弾として見立て、美術の棚から木っ端微塵に大爆発する丸善を想像して、愉快な気持ちを得た時に。

あの小説を最後まで読んだ時、私は一つの感想を得た。

「えたいの知れない不吉な塊」とはつまり、主人公自身の事ではないのか、と。

 

「……」

 

その感想は、周囲から酷く否定されたのを記憶している。

妄想が過ぎるとすら言われた。

作品のモチーフたる檸檬の歌「秘やかな楽しみ」からして、そのような話ではないと。

まさに、お前のような妄想家が狂人芝居を演じた滑稽な姿を、作家が美しい文章で書いたにすぎないと。

だが、小説一つに区切っての感想など人それぞれであろう。

私の短編小説「檸檬」に対する感想は変わらない。

あの小説の主人公たる「私」は、この世で本当に不吉な塊とは、自分自身であると理解していたのではないか。

「見すぼらしくて美しいもの」に強く引き付けられたのは、世渡りままならず、金もない世の中で、本当に美しい物を見出そうとしていたのではないか。

そして、作中で見出した最も美しい物に対する結末は――。

 

「今回の犯人である、座長に当てはめるとな」

 

救われない。

私自身の妄想に過ぎないが。

どうにも救われない。

出自に恵まれず、自助努力もままならぬ被差別民の旅団長にして、現在の歌劇団座長。

彼女は、この世で本当に邪悪な塊は、自分自身であることを微かに理解しており。

彼女が、どうにもならぬ世の中で見つけた最高に美しいものとは、ロベルト様そのもので。

ロベルト様を象徴する麗しいローズガーデンのバラに対し、彼女は「すべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さ」を見出してしまった。

彼女は本当に、ロベルト様を害するつもりなどなかったのだ。

ただ、檸檬のように爆発させてしまいたかった。

手に入らぬこの世の美しい物全てを、美しいそれを起点として粉々に破壊してしまいたかった。

そのような、悲しい空想だけがあった。

 

「……」

 

だが、現実に起きてしまった。

それだけだ。

それだけの事では、ないのだろうかと考える。

目を瞑り、呟いた。

 

「妄想にすぎない」

 

文学青年であった、前世における、かつての自分を思い出す。

若かった。

現実など知らなかった。

今では酷く後悔しているが、本に没頭し、妄想の中に生きており、親子の交流など乏しかった。

前世における父の顔も母の顔も、もはや思い出せぬ。

自分の愚かさと醜さに反吐が出そうであった。

前世でも、現世でも親に報いることが出来ていない。

そのような人物が、前世の私こと「――」であり、現世での「ファウスト・フォン・ポリドロ」であった。

知識の代わりに妄想を詰め込み、ただ流される様に生き続けてきた前世。

与えられた超人の力に良い気になって、母の深い愛情に気づけなかった現世。

なれの果てが、この身体である。

せめて、生きなければならない。

恥じぬよう、世の中を憂う暇など無いよう、ただひたすらに真善美を貫いて生きなければならない。

青い血としての騎士教育と、前世の日本人的道徳感が悪魔合体を果たした。

この誉れのままに、最期の最期まで、生き抜かなければならない。

それだけが唯一報いる手段だと考えているのだ。

 

「人間の醜さは変わらぬ。私もまた醜い」

 

もはや、あの座長も、わが身も同じ。

結論として、人はみな醜いのだ。

その事に気づけた事だけには感謝しよう。

座長が最後に残した忠告。

明るい道しか歩いた事の無いポリドロ卿には、この人々が持つ心の暗がりを知る事は、自らの身を守る上で役に立つであろう。

それを素直に受け止めようと思うのだ。

確かに、私は前世と現世における親からの愛情により、人々が持つ心の暗がりを知る事は無かったのだ。

 

「……」

 

だが、それはそれとして。

何度でも繰り返そう。

結論として、相互理解が不可能な例など、この世にはままあるのだ。

あるのだが。

殺されたロベルト様ならば、私に言われるまでもなく、そのような事は判っておられただろうとも、思えるのだ。

人の心をどこまでも読み通し、何もかもに配慮をし、重ね重ねの努力による真善美を貫いていた。

ただ、ひたすらに惜しいと思える。

殺されてしまった後の話を聞いてすら、そう感じるのだ。

生きているロベルト様に御会いする事が出来れば、この領主騎士として領地領民のために生きる私すら、心服させたかもしれない。

まあ、もはや有り得ぬ未来ではあるが。

 

「……」

 

雑考を止める。

これらの長々とした思考は、何もかもが無意味である。

誰もが望まぬ結果であり、実の所で今回の事件解決において救われたのは、地獄に落ちるのを心待ちにしていた座長ぐらいのもの。

王家も、ミハエル殿も、ヴェスパーマン家も、死を望む座長に取り残される放浪民達も、誰も得などしなかった。

後はただ一人。

このファウスト・フォン・ポリドロがどうするかのみである。

ぐだぐだと、くだらぬ妄想はどうでも良い。

それが許されるのは、かつて近代人として生きて来た、前世の私だけである。

現世における私ではない。

今の領主騎士として生きる、ファウスト・フォン・ポリドロが続けて良い妄想ではないのだ。

 

「……」

 

熱狂者として働かねばならなかった。

私は、必ずや、リーゼンロッテに。

いや、リーゼンロッテ「女王陛下」に心の安寧を届けると誓った。

その誓いは必ずや、果たさなければならなかった。

私は騎士である。

歌が、聞こえていた。

ミハエル殿が、そのソプラノ、女声の高い音域で、王宮の庭にて歌いだしたのである。

レクイエムであった。

レクイエムの意味は。

 

「安息を」

 

前世におけるラテン語で、その意味を示す。

女王陛下の心の安寧を、安息を、私は熱狂者としてあるがままに、求めなければならぬ。

事件解決など、リーゼンロッテ女王陛下が最初に望んだとおり、どうでも良いのだ。

あの美しい「リーゼンロッテ」という、私が一人の騎士として誓った女性への約束を守らねばならぬ。

この世界は、あべこべ世界である。

貞操観念が逆転しており、男たる私が女性の幸せを望むなど、ちぐはぐであった。

だが、知った事ではない。

私の男として、騎士としての誇りを見せつけてやる。

私には、女王陛下の心の安寧を、安息をもたらす方法など、いまだ考え付かぬ。

だが、この女王陛下の私室のドアを、ノックせぬわけにはいかぬのだ。

私は一騎当千の英傑としてではなく、ただの一人の騎士として、絶対に破れぬ女性への約束を果たすためにここに立っている。

覚悟せよ! ファウスト・フォン・ポリドロ!!

ドアをノックする。

一撃である。

二度ではない、たった一度の返響であった。

たった一度のドアノックを行い、立ち尽くす。

 

「入れ」

 

リーゼンロッテ女王陛下の一言は、ただの行動を要求していた。

ドアを開き、その中へと入る。

明かりは僅か。

蜜蝋によって作られたロウソクが僅かな明かりを、室内を照らしていた。

床には空となったワイン瓶が転がっていた。

――食事は、取っておられるのか。

心配するが、そのような事を質問するまでもなかった。

リーゼンロッテ女王陛下は、瘦せ細っておられたのだ。

この数日の間、満足のいく食事など取っておられるはずもない。

食事を絶った、もはや満足に行えぬ、苦悩の末の姿であった。

 

「――よい、何も語るな。何も無かった。何も無かったのだ。有り得て良いはずがないのだ。私の夫が、この世で一番愛した男がこの世で為した事が。何もかもが、無駄であった愚かな男であるなどと」

「報告いたします!」

 

私は、この先を語る権利があるのか?

疑問を抱きながら、語らぬわけにもいかぬのだ。

女王陛下は懊悩の果ての末に、今にも死んでしまいそうであるが。

たとえ、その爪で顔面を引っかかれようとも。

ワイン瓶で酷く殴打されようとも。

これだけは、真実だけは、告げぬわけにもいかぬ。

 

「犯人は――放浪民の座長でありました。もちろん、彼女に殺意など有りませぬ。無かったのです。彼女が穢したかったのはロベルト様の生命ではありませぬ。彼女が穢したかったのは――」

「薔薇園、つまり、ロベルトが侍童の時分から積み上げてきたもの。その善にして美である、全てであったと発言するつもりか」

 

憔悴していた。

瘦せ衰えておられたのだ。

長髪の赤毛は輝きを失っており、目の周りは酷く黒ずんでおり、身体の芯は痩せ細っている。

調査を行った、この数日の間、ワイン以外の何も口にしていないのであろう。

それを口にしながら、私の発言から、ずっと考えておられたのであろう。

ずっと、ずっと。

この5年間もの期間、考えておられたのだ。

犯人が放浪民の可能性すら、考えておられたのかもしれない。

だが、否定した。

何の利益も無い、それだけは有り得ないし。

有ってはならない事であると。

だが。

 

「発言致します。自白をしました。犯人は――放浪民の座長でありました。今夜にて、自裁を要求しました。今頃、毒を呷っている事でありましょう」

「――」

 

声にもならぬ。

リーゼンロッテ女王陛下が、声にもならぬ悲鳴を上げた。

後悔する。

私とて、愚かな私とて、一手一手に、その選択を誤った事ぐらいは判るのだ。

私は今、選択肢を明らかに間違えたのだ。

リーゼンロッテ女王陛下が、手に持っていたワイン瓶を、私の頭に投げつける。

その投擲は、私の額にて破砕し、超人より強度の弱い一撃は、無為な破片となって床に落ちていった。

せめて、痛打の一撃も私に加えてくれれば、リーゼンロッテ女王陛下の心の慰めにもなったかもしれない。

無意味であった一撃を見やり、苦渋に満ちた顔で、そう考える。

 

「これならば、真実などいらなかった! お前は、何を考えて、このような事をしてくれたのだ!」

 

酷く、痛烈な一言であった。

ワイン瓶による一撃など、もはや意味もない。

リーゼンロッテ女王陛下の声は、それ以上の悲痛に満ちていたのだ。

 


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