花束を。
薔薇の花束を手に、王族の墓へと歩いていく。
きっと、呪われたものなのだ。
リーゼンロッテ女王陛下も、ミハエル殿も、きっと呪われてしまったのだ。
ロベルト様の深い愛に、呪われてしまったのだ。
だから、あの二人は未だに生きている。
女王陛下は、この世に少しばかり。
ミハエル殿は、何もかもに嫌気がさしながらも、生きている。
「ロベルト様にはお聞きしたい事がある」
墓前への道中にて、一人呟く。
あまりにも。
あまりにも、頭が良すぎる。
なるほど、今は我がポリドロ領にいるマルティナのように、この世界には頭脳明晰なる超人もいる。
レオナルド・ダ・ヴィンチのように、史実における万能の超人もいるであろう。
だが。
その感性は、どうにも。
この色々とちぐはぐで狂った世界においてすら、奇妙奇天烈なものである。
まるで、私のようにだ。
墓前に辿り着いた。
だから、尋ねよう。
墓から答えが返ってこない事は、理解しているが。
「貴方は同郷人だったのですか?」
同じ故郷という意味。
厳密には、それではない。
少なくとも行動においては、日本人のそれとは違う。
最低限、前世にて「私が生きた時代」はそうではなかったのだ。
自助努力ままならぬ放浪民族への積極的格差是正措置を実施するなど、明らかに一般的日本人の行動力ではなかろう。
私ならば、放浪民族など完全に見捨てるし、領内に入って領民に何か悪さをやらかそうものならば即座に殺すのだ。
青い血としての騎士教育と、前世の日本人的道徳感が悪魔合体を果たした観念のそれ。
それを以てすら、救うなどと言う考えには至らないのだ。
私がこのちぐはぐな世界に転生したように、ロベルト様も転生していた可能性は決してゼロではない。
「……」
かつて、前世の史実における『女帝』は、放浪民族問題における最終的解決。
啓蒙思想がゆえの、近代化政策からくる人道的な定住化を選んだ。
それは、後世において一定層から否定されている。
当時の前世から見て、それが如何に人道的であったところで意味を為さない。
失敗という結果と、その方法において彼女は否定されているのだ。
文化の総てに理解を示さず、守らなかったと言う事で批判されるのだ。
当時の為政者や国家ができる限界や、その時代の価値観を考慮される事など無く。
あれが足りなかった。
これが足りなかった。
保護されるべき哀れな被差別民族に対して配慮が足りなかった。
そう批判をされる。
後世から批判されるのは『女帝』彼女自身の失敗というより、当時の自文化中心主義による啓蒙主義であり『女帝』は何も悪くない。
そう言う賢人も言おうが、私が前世で読んだ書籍に書かれるのは『女帝』はこんな酷い事をしたという批難のみである。
「後世の価値観においては否定されるのです。貴方は。ロベルトという人物はその時代の誰もがやらなかったよりも、むしろ行動した事で非難を受けるのです」
知っていたと思うのだ。
もし、ロベルト様が私と同じ同郷人であるならば、それは知っていたと思うのだ。
知っていて、厳格なリアリストとして、為るべきと為らない事を知りながら努力した。
これは、仮定である。
仮定であるとする。
なれば、何を考えていたのか、この現世におけるファウスト・フォン・ポリドロなる身にはどうにも判らぬ。
母マリアンヌにより産み落とされる事により、この世における存在を許された。
この一人の辺境領主騎士には理解しかねる。
成功したところで、批判される事には変わりない。
ロベルト様は非情なリアリストという点だけを論われ、後世において酷く批判されるのだ。
それは浅学非才なる、この身にすら理解できている。
である以上は、私などよりも英明たるロベルト様ならば、完全に理解できていたと私は考える。
その覚悟ですら、何もかもを、自分が行動する全てにおいて捧げたと言うのか。
あれ程までに、リーゼンロッテ女王陛下に愛されながら。
何もかもが判らぬ。
ロベルト様の為した、その行動原理が判らぬのだ。
その行動の結果として、死んでしまった。
ロベルト様は、自分が為した何もかもに裏切られた。
誰もがそう思うであろうが。
「……」
だが。
そう断じてしまうのには、どうにも無茶苦茶にロベルト様は「やり切った」感がある。
私は、リーゼンロッテ女王陛下は、ミハエル殿は、ヴェスパーマン卿は、この事件解決に対して自由に動けたか?
自由に動けたなら、ヴェスパーマン家がとうの昔に解決していたようにすら思えるのだ。
誰も彼もが、ロベルト様のご機嫌伺をしながらに、動いた感が残っている。
我々の行動は縛られていた気がするのだ。
何もかもが、ロベルト様の生前の行いのままに。
だからこそ同郷人たる私だけが、真実に辿り着けた。
「うん」
色々と考えはした、知らぬ。
ファウスト・フォン・ポリドロの、この身はそのような事を知らぬ。
散々、悩みはしたが、死人の声など耳には出来ぬ。
振り切ってしまおう。
何を考えたところで、ロベルト様が亡くなってしまった以上は真意などわからぬ。
花束を、墓前に捧げる。
「……」
結論として、このファウスト・フォン・ポリドロとしては、ロベルト様が判らぬ。
ロベルト様は、好き勝手に生き過ぎているのだ。
私には眩しすぎた。
数日前、ロベルト様の墓前に花束を供えることをリーゼンロッテ女王陛下に頼まれ、ここに訪れるまでに幾度も考えたのだが。
このまま考え続けると、気が狂ってしまう。
私がロベルト様に抱く、この感情は。
放浪民族の座長が、ロベルト様への悪意を抱いた構図にも似ていた。
あまりに眩しすぎると、このような感覚を得るのか。
「あの麗しいリーゼンロッテ女王陛下を悲しませ、悩ませてでも、やるべき事だったか?」
文句が口に出る。
知らぬ、と決めつけてしまいたいが、どうにも違和感があるのだ。
しっくりと来ない。
ロベルト様は、この真善美の全てを持っていた人間が、出会いさえすれば私すら心服せしめたであろう男が。
本当にやりたかったことは。
――リーゼンロッテ女王陛下の独白を、思い出す。
本当にやりたかったこと、それは。
もはやロベルト様の前世にすら全く関係ないことであり。
「ひょっとして貴方、どうしても嫁さんが後世で悪く言われるのが嫌だっただけとか?」
酷く、最初は可能性が低いと思えた事。
その結論が、ふと口に出た。
それだけ。
本当に、それだけ?
自分が表舞台に出たのは、放浪民族に対する施策は全て王配ロベルトが行った事だと世間に示すためで。
その成果を自分の手柄と誇りたいどころか、後世においては批難されるであろうことを覚悟していて。
確かにそこに放浪民族に対する哀れみや、自分の持つ真善美からの制約は間違いなくあったろうが。
結局、世の中と、その時代にいる皆の全てを巻き込んで、無茶苦茶やったのは。
何もかもが、自分の妻に対する愛であったと。
「いや、そう考えれば、少なくとも私は……」
顎に手をやる。
何もかもが、惚れた女のためと考えれば、自然としっくりきた。
誰が認めずとも、私だけには。
ロベルト様は惚れた女が意に沿わぬ、放浪民族に対する絶滅政策を行うなど好かぬであろうし。
後世において、批難される事も嫌であった。
それだけ。
そうなるくらいなら、自分がやった方がマシだというのが、彼の導き出した結論だったのではないか。
……無論、真実かどうかなど、判らぬ。
可能性は低いだろう。
私は前世において、妄想家であった。
思考が宙を舞っていると言われた。
だがまあ、ロベルト様ならば、このファウスト・フォン・ポリドロの思考なんぞはどうでも良いと仰るだろう。
「帰るか」
膝を叩く。
妄想を止めたくても、妄想が止まらぬ。
このアンハルト王配たるロベルト様には、ここ数日酷く悩まされるのだ。
貴方は何を考えていたのかという事に想いを馳せると、どうにも止まらなくなる。
だが、私はそろそろポリドロ領に帰らねばならぬ。
現実に戻るときが来たのだ。
「さようなら、ロベルト様。貴方が私にとって妄想上の人物そのままだとすれば――」
心服できたであろう。
騎士としての全てを捧げられたであろう。
まあ、ポリドロ領と言う領地と領民に縛られる辺境領主騎士の身の上を前提に置いた上であるがね。
くすり、と笑う。
ともあれ、何を言えども、まあ貴方の事は嫌いになりきれなかった。
ファウスト・フォン・ポリドロは、結論としてあるそれだけを置いて、その場を去る事にした。
※
何言ってんだババア。
そう思う。
「あの、もう一度言ってくださいますか?」
「まあ、何度でも構わんが。聞こえてなかったのか?」
「私は最近色々な事が有り過ぎて、その疲れからきたものと自分の耳を疑っているのです」
アンハルト宮殿、女王陛下の居室。
ポリドロ卿が、その王家の墓前に出向いている間、私ことミハエルとリーゼンロッテ女王陛下は会話をしている。
あの時、あの僅かに月が欠けた夜に。
リーゼンロッテ女王陛下は仰った。
私は一つの決意をした――と。
その決意が知りたかった。
これ一つで、何もかもが救われるという、その考えが知りたかった。
だから、尋ねた。
それの返答が、今リーゼンロッテ女王陛下が吐く言葉である。
「私はファウスト・フォン・ポリドロの子を孕もうと思うのだ」
何言ってんだババア。
頭イカれてるんじゃないのか?
それを口にしなかったのは、まだ私ことミハエルに理性が残ってる証左であった。
「リーゼンロッテ女王陛下、失礼ですが、御歳は……」
「32歳で二人の娘を産んだ経産婦である。何の問題も無いと思うが」
「いえ、それは確かに仰る通りなのですが」
なるほど、年齢を思わず口にしてしまったが、まだ子を産める歳である。
何の問題も無い。
少し、言葉を誤った。
私が口にしたいのは、そも産める産めないの問題が論点ではない。
「32歳の酸いも辛いも知っている女王陛下が、何を色に血迷っておられるのですか」
「血迷ってない。これはよくよく考えた事である」
ふんす。
そう、鼻息荒げに、顔を紅潮させながら、リーゼンロッテ女王陛下は陶酔した顔で呟く。
冷静にさせねばならない。
「あのですね、リーゼンロッテ女王陛下。第三子を産んでも王位継承権の問題がありますよ」
「その頃にはアナスタシアに王位を譲っておるし、あの子も妹を虐める趣味は無い。第三子に適当な貴族位を与える事ぐらいは許してくれよう。私が王位を譲渡後も残る権力をもってすれば、子の無い家という養子先を見つけることも簡単である」
「うーん」
言いたいことが色々とある。
それは32歳のリーゼンロッテ女王陛下が、22歳にして娘の婚約者であるポリドロ卿に血迷っていることであり、王位継承権の問題であり、このミハエルにとって何よりの問題は。
「陛下、私を説得する際に天国に行こうが、地獄に落ちようが、ロベルト様を愛していると仰いましたよね」
「言った。同時に、ポリドロ卿を愛している事も告白したぞ。愛欲を綯い交ぜしておる。私は思うのだよ」
握り拳。
小剣程度ならば、その膂力でへし曲げる事すら出来ると言う狂戦士の血を引き継ぐ超人たる、その手で握り拳を作って目の前に突き出す。
閉塞した社会へのパンチであった。
「ロベルトとファウストを、自室の寝室で同時に抱ければ最高であったな、と。もう、その妄想だけでパンが3人分は美味しく食べられる」
どうしようもねえな、このババア。
私は思わず顔を覆った。
なるほど、男の数が極端に少ない世、男一人を多数で共有することが珍しくないとはいえ、逆に女一人で男を数人囲う権力者がいないわけではない。
だが目の前の32歳未亡人は、色欲で完全に目が曇っているとさえ思えた。
とはいえ、目の前の人物は腐っても神聖グステン帝国選帝侯にしてアンハルト女王。
何が性質が悪いかというと、このババアはババアなりに、愛欲の結果で産まれる事となる子の世渡りも色々考えているであろうということであった。
だが、ババアよ。
「陛下。そもそもポリドロ卿はどう考えておられるのです。あの生真面目で朴訥なポリドロ卿が、リーゼンロッテ女王陛下のそのような誘いに応じるとはとても――」
「マリーナがなあ、あの小娘が気に食わなかった。たまにファウストに対して酷く嫌らしい、好色な目を向けよる。そもそも娘とどっちつかずの蝙蝠女郎は好かぬ。腹が立っていたので、事件も解決した事だし、ローズガーデンで半殺しにした。肋骨の二・三本でもへし折ろうと思ってな」
ロベルト様の遺したローズガーデンで、ヴェスパーマン卿に私刑するのは止めて欲しい。
卿の事はどうでもいいが、バラが傷ついたらどうする。
そんな事を考えながら、何故そのどうでもいいヴェスパーマン卿の話になったのかと訝し気に思う。
「そしたらあの小娘、腕をへし折ろうとした際の痛みに耐えかねて口を割りおった。まさか、まさか。あのポリドロ卿がなあ。純潔を保ちながら、そんなにも性への興味があったとは」
ババアの表情が淫靡に歪んだ。
ヴェスパーマン卿が何を口から吐いたのかは知らぬ。
痛いよ、ザビ姉、痛いよと泣き叫びながら折れた腕を抱えて宮殿を歩いており、彼女の実姉にして第二王女親衛隊長のザビーネ殿が致命的なミスをやらかしたアホを見る表情で、それに付き添っていた理由。
まあその原因は知ることが出来たが。
ヴェスパーマン卿がポリドロ卿について、何を吐き出したのかは知らぬ。
だがまあ、脅迫するなり、懐柔するなり、泣き落とすなり、何らかの手段でポリドロ卿を落とす算段を、目の前のババアは付けたのであろう。
で、だ。
「結局、これ一つで、何もかもが救われるというリーゼンロッテ女王陛下の御言葉。あれは何だったのですか?」
大きなため息を吐く。
私はロベルト様の愛息であるという、その呪いのような祝福のような言葉で、もはや死ねなくなった。
だから、関係ないと言えば関係ないのだが。
それはそれとして、あの言葉は気になった。
リーゼンロッテ女王陛下が微笑む。
「お前の妹――可能性は少ないが、弟を産もうと考えるのだ。もし私の望みが叶ったなら、兄として可愛がってやってくれないか? アナスタシアは王位を継ぐもの、ヴァリエールはそのスぺアとして育ててしまったから、お前と特別親しくもなかったが。これから産む子供は少し違う生き方になると思うのだ」
その微笑みの次に吐き出された言葉には、少しばかり思うところがあり。
子を作れぬ私には、少しばかり悲しくて。
それでいて、リーゼンロッテ女王陛下は、私ことミハエルを息子も同然と認める発言をしており。
もし自分に妹や弟ができたなら、と妄想をすると。
それは、もはや無視が出来ない程に、あまりにも魅力的な言葉であった。