模擬戦が続いている。
無論、本気で剣や槍で殴り合うと死傷者が出ることになる。
万一の怪我の無いよう、槍の穂先は布でくるみ、剣を抜く事は無い。
ましてクロスボウやマスケット銃の出番はなかった。
剣戟音などはなく、ただ従士長ヘルガや各従士の命令ばかりが響いている。
兵の個々に戦闘力を与えるための訓練とはまた違うのだ。
命令に従い、陣形の維持を続け、或いはダース単位となった他の集団との離合集散を繰り返す。
私ことマルティナには奇妙な光景である。
ボーセル領ではこのような訓練を行っていなかった。
「キエエエエエエエエエエエエ」
奇怪な叫び声。
キエエではない。
お前、そんなんだからファウスト様は戦場に連れて行かないのだ。
あの叫びっぱなしの助祭は明らかに邪魔な存在――と言いたいところだが。
部隊の移動の妨げにはならず、ちゃんと従士の指示に従っているところが厄介である。
兵士として劣っているわけではなかった。
それは余計に腹が立つのだ。
「さっきから、何をお考えですか?」
「……」
返事無し。
ファウスト様は模擬戦の様子を眺めながら、何やら考え事を続けている。
先ほど、戦列という言葉を口走ってから何かを考えている。
「あまり関係の無い事だ」
「仰ってください。また自己完結されるにせよ、聞き手は居た方がよいでしょう」
ファウスト様が少し眉を困らせながら、ポツポツと喋り始める。
「本当に関係が無いのだ。資力にも兵数にも乏しいポリドロ領民には全く関係が無く、縁遠い幾つかの陣形について考えていた」
「というと?」
「昨夜の夕食にて話した、火器がもたらす事による戦場未来予想図についてだが。いや、本当にポリドロ領には全く関係がない事に加えて、知識が浅いので自信が無いのだが……」
ゴツゴツした手の、太い人差し指で自分のこめかみを抑えながら。
ファウスト様は一つの質問を口にした。
「火器を用いるにあたって、最も有効的な陣形は何と考える? マルティナ」
「はあ」
幾つかは思いつくが。
こちらとて、知恵が足りない。
考え込むのも何なので、単刀直入に返す。
「火器の発達度合いによって変化するので一概には言えませんが――そもそも、最も重要なのはマスケット銃を持った銃兵なのでしょうか?」
逆に、尋ね返す。
陣形は確かに大事だが、ファウスト様の論点は現実から少しずれている気がする。
戦場未来予想図と言うのならば、より革新的に変える存在があるのだ。
模擬戦に視線を向けたまま、ファウスト様は不思議そうに眉を顰めた。
「というと?」
「順序が逆なように思えます。戦場の様子を一変させるのは、火器といってもマスケット銃等ではなく、もっと大きなもの。ああ、何といえばよいか」
「火砲か?」
そうだ。
そう呼ぶべきだろうな。
「いみじくも、ファウスト様が昨夜の夕食にて話された、一方的な殺戮を行うのであればマスケット銃ではなく火砲によるものが最善かと。現在の神聖グステン帝国における最強戦術は何かと考えますと、やはり重装甲騎兵による突撃となりますが。そこに火砲による一撃を加えれば、敵は五体が千切れて死ぬのでは?」
ケルン派の火力至上主義のような頭悪い結論かつ酷く大味で嫌なのだが、これが基本となるはずだ。
9歳児の私が考え付くのだから、ケルン派も考えているはずだ。
「ケルン派の火器開発状況が知りたいところです」
「それを私が知る事は出来ない。私はケルン派信徒にして領主騎士であるが、ただそれだけである。アンハルトにて知ることが出来るのはリーゼンロッテ女王陛下、アナスタシア第一王女、アスターテ公爵、大教会の司祭ぐらいのものだろう。私からは尋ねる事すら恐れ多い」
でしょうね。
そのような軍事情報は、明らかに機密事項である。
なので、この9歳児の知能を総動員で働かせ、幾つかの想像を行う。
「戦場に火砲を持ち込むにあたって、何を飛ばすかが重要であると考えます」
「鉄球ではないのか?」
「いえ、マスケット銃の弾丸を何らかの容器に大量に詰め込み、空中にて飛散させることで、戦場の面制圧が可能になるのではと考えます。勿論射程が短くなるなどの諸問題は生じますが」
ああ、とファウスト様が頷いた。
頭の悪い方ではないので、一言いえば理解できるはずだ。
そもそもファウスト様の戦場における理想的光景である。
対人用砲弾の開発により、一方的な大量虐殺が可能となるのだ。
「言いたいことは判る。言われて思い出し――いや、思いついた。だが、すまないが、そもそも可能だとは思っていなかったのだ」
「開発状況が判りませんので、私も断言はできませんが。少なくともケルン派ならば、すでに思いつき、開発を鋭意進めているのではないかと」
敵を殺せば殺すだけ味方は救われるのだと考える、あの火薬狂いどもが思いつかないはずがない。
必ずや開発を進めているはずだ。
「火砲の出現こそが、戦場を一変させるのではないかと。大砲運用を専門にする兵科である砲兵が出現すると思われます」
「全くもってお前が正しい。マルティナ。私はもはや言う事が無い」
そう言って、ファウスト様は黙る。
その視線はずっと模擬戦を眺めている。
いや、黙られても困るのだが。
自己完結しないで欲しい。
「私はファウスト様の話を聞きたいのですが」
「私が考えていたのは砲兵という兵科の登場ではなかった。正直、マルティナの叡智と比べると恥ずかしくて口に出したくない」
「いえ、自己完結してないで、ちゃんと話してください」
なんでこの人は、9歳児相手に心の底から恥じ入っているのだろうか。
頬を少し赤く染めているファウスト様に、話の続きを促す。
「私は火器であるマスケット銃の進化、銃兵の強化だけを考えていた」
「というと」
「戦列歩兵というべきか、火器の発達により――先日話したようにテルシオから進歩、というには違うな。つまりなんだ」
ファウスト様は、自分のこめかみを触っている人差し指を、くるっと回転させた。
「たとえば銃兵を3列横隊に並べて一斉射撃を継続的に行わせる。なんだ、私も正直そこまで理解してない。想像上の物でしかないが、最前列の銃兵が発砲を行った後はすぐに最後列に入れ替わり、弾丸の再装填を行うような――」
「例えるなら斉射というべきものでしょうか?」
ファウスト様の、あやふやなのか具体的なのか、少しよく判らない言葉を一言で片づける。
「マルティナは本当に頭が良い」
一言褒められる。
そして、ファウスト様はまた黙る。
やはり顔を赤く染めている。
「いや、喋りましょうよ!」
「私は要らないだろ?」
「なんで拗ねてるんですか! 止めてくださいよ!!」
別に今回の発言について、ファウスト様は何も間違ってないだろうに。
だから黙るのは止めて欲しい。
――少し、嫌だった。
私の質問に対して、いつでも困った顔を見せていた母カロリーヌの事を思い出す。
あの人もいつも私の質問に答えあぐね、従士たちや聖職者に声をかけては相談を行い、なんとか回答を探し出し、なんらかの返答をくれた。
騎士として必要な物。
礼儀作法や教養、人心掌握術なんてものの類はよかったものの。
軍事学、歴史。
多くの知恵。
領民1000足らずの封建領主の孫娘が学べるもの以上の多くを、求めてしまったと思うのだ。
だから、母はいつも困っていた。
ボーセル領を継ぐ権利すら持っていないスペアにすぎなかった母カロリーヌは、いつも困った顔をしていた。
私はあの頃、母の気持ちなど何も考えずに愚かな事をしていたのだ。
「……どうした、マルティナ」
「なんでもありません。会話を続けましょう」
苦渋を口に覚え、その表情をファウスト様に見とがめられた事を恥じる。
もう、どうにもならない事だ。
「ともかく、まあそのような事を考えていた。よく考えれば、密集したら砲兵に撃たれるな。戦列歩兵は強いと思うのだが――いや、そもそもポリドロ領では実現不可能だから、やはり意味が無い」
「確かマスケット銃の運用については、ザビーネ殿にも話してましたよね?」
「うん? あ、よく考えればザビーネには火器の運用について、かなりの質問をされた気がする。ヴィレンドルフに出向いた時だったな。ああ、確かに私は話した」
あの第二王女親衛隊長たる気狂いザビーネは、ファウスト様の案を有効と判断した。
実際、有効である。
別に間違った事は言ってないのだ。
軍事訓練と陣形により、銃兵の再装填や行動をより精緻にし、効率的にすれば斉射は強力である。
火力を継続的に吐き出す横陣の完成だ。
「ファウスト様、この件は手紙にしてアスターテ公爵に伝えても宜しいでしょうか?」
「それに何の意味があるんだ?」
「アスターテ公爵のように、強力な常備軍と富を持つ領主には有効であると考えます」
確かにファウスト様の率いる軍には何の役にも立たないが、それは他者にとって何の役にも立たないと言う事ではない。
なんにせよ、報告だけはしておくべきであった。
まあ、アナスタシア第一王女やアスターテ公爵ならば、すでに考案しているかもしれないが。
一応はスパイとしての仕事を、こなさなければならないのだ。
「まあそれは構わん。ともあれ色々考えたんだが、結局どうも私には判らない。それはマルティナが先に口にした、ケルン派の火器開発状況を私が知る事などできない点にある」
「知ることが出来れば?」
「多少のアイデアは出せるかもしれない。やはり、火器による兵科を導入する金などないポリドロ領には何の関係も無い話ではあるが」
少し、考える。
アスターテ公爵は、ファウスト様が何をしているかを知りたい変態根性で、私をスパイに仕立てたと考えていた。
実は少し違うのか?
公爵が直接訪ねるのではなく、私というクッションを挟んで、ファウスト様のアイデアを絞り出そうとしている?
そんな事を考える。
気狂いザビーネが聞き出したように、直接聞けば良いのではないかとも考えるが――
まあ、ファウスト様の全てを知りたい変態的欲求と、時に知性の煌きを見せるアイデアを拝借したい。
どちらも本音なのかもしれない。
「とりあえず、まあ駄目元でアスターテ公爵に尋ねてみましょうか。こちらからもアイデアを提供できる旨を報告すれば、あちらも情報を明かしてくれるかもしれません」
「まあ、その辺りはマルティナの良いようにしてくれ」
ファウスト様はどうもやる気が感じられない。
その様子に溜息を吐きながら、尋ねる。
「ファウスト様、一応は戦友なのですから、アンハルトの軍備増強に努めようとは思わないのですか?」
「考えてはいる。遊牧騎馬民族国家が7年以内に訪れると発言したのは私であるし、それに対する有益な手段が構築できるなら協力もしよう。だがなあ」
ファウスト様はこめかみに立てていた人差し指を外し、だらんとその腕を下げる。
模擬戦が終わりに近づいている。
興味を失ったようにして、その視線は私の顔へと移った。
「私は所詮一介の武の超人に過ぎんのだ。戦略ならばアナスタシア第一王女、戦術ならばアスターテ公爵。そう呼ばれるような能力の立ち位置ではないのだよ。私が考え付く事ならば、あの二人も考えてる。マルティナ、お前が私の発言に対して、私ごときの思惑には終わらずに別な視点を示したようにだ」
私を、あの二人の超人と同じように考えているのだろうか?
まだ私は9歳児なのですが。
「私は神聖グステン帝国にいずれ訪れるであろう脅威については警告した。だが、そこまでなんだ。後は、二人にお任せだ。私は彼女達より劣っているという事を知っている。多少の知恵こそあれど、小領主としての自分の限界も判ってるんだ。私が出来るのは、アンハルト王城で必死に立ち回り、禁忌たるゲッシュを誓うところまでだ」
「……アナスタシア第一王女とアスターテ公爵を、信じておられるのですね」
「戦友だからな」
ファウスト様の口が、にこやかに緩む。
「まあ、アナスタシア第一王女殿下は日ごろから人肉を口にしている疑いがありそうな蛇目姫であるし、アスターテ公爵は私の尻を揉むのが大好きなド変態なのだが。二人とも良い人だぞ」
「今ボロクソに言いましたけど、まあファウスト様の交友関係を否定はしません」
あの二人の庇護が有るからこそ、ファウスト様は何とか貴族社会でやっていけそうという話でもある。
同様に、私も最終的にはあの二人に気に入られなければ、王都勤めの官吏には成れないだろう。
「ともあれ、私の知恵が多少の役に立つかもしれないなら、やっておくべきではあるな。ちょっと色々と文章に纏めてみる。雑多な内容になるが、マルティナが補足してアスターテ公爵に手紙を送ってくれないか」
「承知しました」
私のスパイとしての任務も果たせ、ファウスト様からの公認も得られる。
仕事しては悪くないと言えた。
それにしても、知りたいのはケルン派の火器開発状況であった。
「キエエエエエエエエエエエエ」
あの奇声を発している危険人物を構成員とする集団には、今何が見えているのか是非とも聞きたいところである。
だが、あの助祭が知るわけないし、ケルン派とて口を割らない。
皇帝陛下や教皇猊下に直接お会いして軍事機密を明かされるような機会が無ければ、最新情報は得られない。
ファウスト様や私がそんな機会を得ることは、何をどうしたところで一生ないだろう。
私はそんな事を考えながら、所詮は単なる小領主と9歳の騎士見習いに過ぎないのだと、自分ら二人を笑った。