「〈
今の僕では無理だ。
あれ程の魔物を相手にすることでは出来ない。
早く逃げないと。
「し、シアちゃん!!」
「う、うん……でも、皆が」
「ぁ……」
抱えてすぐに逃げようとした矢先、ぽろりとシンシアが言葉を漏らした。それは、自分の安否ではなく、万民を気遣う優しさだった。
なるほど、これが王女の素質か。
自分の身に危険が晒されても構わない。
無辜の民草を守る使命をこの小さな身に背負って生きている。自分の強さなど関係ない。
この国の上に立つ人間として───、国民を守る事がこの子の使命なんだ。
魔物は紅色の双眸をギョロりと動かして、騒ぎ立てる人間を凝視した。
肩や腰からは元地面だった瓦礫跡。
つまりあの魔物は地中から現れたという事。
「シアちゃん、ここの地下って何があるの?」
「《アラネアの地下迷宮》があるよ。《冒険者ギルド》の皆が報酬稼ぎによく来るからって一般開放してるんだけど、今までこんなこと……っ」
シンシアの動揺が見て取れる。
魔物が集う地下迷宮をこんな王都の地下に残しておくのは些か危険だ。けど、曲がりなりにも知識を持つ僕は、《冒険者》という職業の存在を知っている。
《
しかし、数ある《冒険者》の中で、《クエスト》の取り合いはよくある事だ。
一方で、魔物の討伐部位の引き取り、そして《魔石》という『
そうやって儲けを出すやつが殆どだ。
《冒険者》の救済処置、王国側が《冒険者》の存在を認知しているからこそ、地下迷宮をあえて放置し、《冒険者》の溜まり場を作ることで経済を回しているんだ。
そんな中で起きた、《
到底、無視できる案件じゃない。
聞いた話じゃ、地下迷宮は階層別攻略型ダンジョン。
そんな階層という概念を突き破ったイレギュラー因子。
あれは、危険度S相当の化け物だ。
『デスモウス街道』に現れた異形の化け物は、立ち並ぶ出店や商店を軒並み吹き飛ばした。
頽れた残骸から灰燼が舞い、一面は火の海と化した。
爆音が爆ぜ、人々の阿鼻叫喚の音が耳を劈く。
嗚呼、もうここは「当たり前」の場所じゃない。
既に戦場だ。
だけど不思議だ。先程までの不気味な動悸が何故か収まっていく。緊張が解けたのか? いや、違う。
ただ、"終わり時"を見つけて安心しているのか。
ふらふらと、僕はその魔物に向かって歩いた。
何か考えがある訳でもなく、ただ体は無意識のうちに「死」を求めていた。
折角だ、僕もあの塵芥に変えてもらおう。
目からハイライトが消え、「希望」も失った。
「ど、どうしたの!? お兄さん!! 行っちゃダメ!!」
シンシアが僕を突き飛ばした。
刹那、巨大な瓦礫が地面を抉る。
身が震える程の轟音が心臓を鷲掴みにし、さらなる恐怖を与えた。
「……痛た」
「シアちゃん!?」
ドレスの下が一部破け、陶器のような美しい肌が顕になっていた。高級な石鹸を使い、丁寧に手入れされているであろう柔肌からは赤黒い血が滲んでいる。
苦悶の表情を浮かべ、シンシアは薄く額を濡らす。
ダメだ……また失う。
僕が関わる人は皆───ッ!!
何を血迷っているんだ僕は。
逃げるか闘うかしないと、みんな死んでしまう。
闘う……? 僕が!?
無理だと冷静な僕が制止する。
あれは、《冒険者》が束になっても勝てない正真正銘の化け物だ。
今頃《
だが……ッ!!
それまでにどれほど多くの人が死んでしまうのか。
「クソッ!!!」
またなのか。僕はまた、無力のまま……ッ!
心臓が疼く。
知らぬ間に握りしめた拳からひりつく痛み。
見れば鮮血がポタポタと零れ落ちていた。
「守らなくちゃ」
シンシアは言った。
僕のことを「勇者」と。
やはり僕は死にたくないらしい。
ここに来て四肢の震えが止まらない。
「恐怖」に身体を支配され、鉛のように動かない。
けれど、行かなくちゃ、みんなが死んでしまう。
また僕から「日常」を奪われてしまう。
それは嫌だ、もうあの惨劇を繰り返させたくはない。
「うぁ……ァァアアアアッ!!!」
絶叫じみた咆哮と共に、僕は魔物に突撃した。
散乱した家屋から飛び散った道具の数々。
血塗られた床には一振の鉄剣。
おそらくは犠牲になった《冒険者》の遺品か。
「借りるぞ……ッ」
力強く地面を蹴り、魔物に肉薄する。
魔物の体長は五メートルに近い巨体。
各関節には赤い水晶玉のようなパーツがあり、心臓部には幾何学的な紋様が張り巡らされている。
手足は存在し、二足歩行はできる模様。
要塞のように力強い迫力と無駄に高い防御力それは、一般的な《ゴーレム》を想像するとわかりやすい。
しかし、段違いな運動エネルギーを誇る剛腕から放たれた一撃は、僕が踏み込んだ地面を抉り、体勢を崩させた。
「なんだ、この威力……っ」
あの一撃だけで、地面は吹き飛び、舗装された道路は剥けて補強した鉄筋だけが奇跡的に残った。
恐らくさらにこの地面をつき破れば、いずれ地下迷宮へと繋がるのだろうが……、戦うための地面だけは残して欲しい。
しかし、最悪の形で対峙してしまったな。
今の一振の余波でかなりの距離を稼がれてしまったし、間合いを取られては今度は奇襲ではなく正々堂々距離を詰める必要が出てくる。
「シューーーー」
鼻息荒く、僕を凝視する。
完全に僕を「敵」だと認識した顔だ。
刃を向けた事自体を後悔させると言わんばかりに。
「オォオオオ……ッ」
振るわれた左腕。反射的に構えた剣の腹を拳が横切る。
力を外側に加え逸らすことに徹するが、まるでパワーが足りない。
「あがっ!?」
腕の中央部で剣の方がやられ、刀身はものの見事に破壊された。その反動で僕は肩口から強かに地面に打ち付けられた。
鋭い痛みが、肩付近に迫る。
「はぁ……はぁ」
ふざけた力だ。これは戦闘などではない。
単なる嬲り殺しだ。
対等に殺り合う気持ちには到底なれない。
「どうやってこんなの……」
言い終わる暇もなく、再び今度は右腕が振るわれた。
豪快に腕を引き、力の尽くす限りを僕に目掛けてうち放つ。
折れた刀身でどうにか捌こうとしたが、もはやその余力すら見せず、派手に吹き飛ばされた。
「───痛、すぎる……ッ」
スギンズキンと痛む背中。肺までダメージが通ったかは不明だがなんとか受け身を取れていたのだろう。
当たった拍子に幾つかの戸棚をぶち破ったみたいだ。
どの道破壊される運命を辿る以上、結果は同じだが。
ふと、背後を見る。
すると逃げ遅れた老夫婦や僕の戦闘の様子が気になってやって来た街の人々がそこに居た。
その中にはシンシアの姿も。
「どうして……早く逃げてっ!!!」
何故だ、何故逃げない。
今僕がこうして体を張って戦っているのは、街の人達全員が逃げられるように時間を潰しているためなのに。
それをどうして、僕の戦いとも呼べないお粗末な攻防を心配そうに見つめているんだ。
それでは僕の苦労が報われないじゃないか……!
「……坊や、あの怪物を倒すおつもりかい!?」
婆さんが一人、僕に駆け寄る。
ダメだ、守りきれない。
「来ちゃダメだ!!」
「いいや、あんたを見捨ててあたし達が引き下がれるかってんだい。だけど、どうやらあの怪物とまともに戦えるのはお前さんだけしかいないようだ」
そりゃそうだろう。
腕の立つ《冒険者》がコテンパンにやられたからこそ今こうしてあの魔物は地上に現れたんだろうから。
じゃなきゃ、あの魔物が今尚猛威を振るうのは道理に合わない。
「だからってどうするつもりなの……?」
「これを使いな。今あんたがぶっ飛ばされた商店はあたしの店さ。
白い布に包んだ物から、その全貌が顕になった。
「店のいちばん高級品さね。危ないと思って持ち逃げてはいたが、どうやらお前さんに持たせた方がええみたいね」
白銀の短剣を片手に、さらに残り物のうち質のいいもう一本を選んで後ろ腰に装備する。
吹き飛ばした張本人たる魔物がだんだん僕に近づいてきた。これ以上の余裕は無さそうだ。
「頑張れーーー、ソラァァァ!!!」
シンシアが僕の名を呼んだ。
どうして僕の名を……と思って最初に会った時を思い出した。
「あの独り言……聞いてたのか」
そうだ。諦める訳にはいかない……っ。
今の僕は皆の期待を背負って生きている。
「ソラって言うのか! 坊主、こいつは俺様の愛剣だァ、貸してやる!!」
「ソラ少年! ポーションを君にくれてやるぞ!!」
次々と皆が僕に物をくれた。
こんなに一気に渡されても使いきれる自信が無いよ。
でもありがとう、そのお陰で戦える気がしてきた。
「危ないから皆は離れて」
そして僕と〈
「──僕は……、僕は【勇者】ソラだ……ッ!!」