穏やかな暖かみが、身体を包んだ。
差し込む朝日が眩しくて目を細める。
平和、というには十分な──理想的な日常が僕の目の前で繰り広げられていた。
柔らかい布団と、遅起きな僕を困った顔で見つめる妹の……ルナの姿。
メリナに会う以前の、僕の生活だ。
何も変わらない。何も求める必要も無い。
自らを取り巻く環境の全てが居心地が良くて───。
僕の理想だとさえ言えた。
嗚呼、そうさ。これは───夢だ。
僕は今、夢を見ている。
もう失ってしまった、僕の幸せを。
目頭が熱くなる。
零れる涙が視界を乱す。
そしてその幻想は、完全に───消えた。
…………
……
「は……っ」
最初に見えたのは見知らぬ天井だ。
前後の記憶が曖昧で、あまり良く思い出せない。
メリナが消えた後、僕は一体……。
体を起こす、が節々に走る痛烈な痛みが上体を起こす事さえ許されなかった。
ぼすん、と音を立てて再度横になる。
鼻から入る空気には微妙に薬品の香り。
ここは病室か何かだろうか。
今度は手を使って時間をかけて起き上がる。
その間も絶え間ない痛みが僕を襲うが、状況を確認するのが先決だ。ここはどこなんだ……
ちらりと左右を見渡して──、なるほど。僕が寝ているベットと同じ物が何個も備え付けられていて、病室であることを確信する。
「おお、ようやく起きたかい? ソラくん」
その時、僕に声をかける存在がいた。
眼前には甲冑をつけた騎士の男や、白衣を着た医者など、多くの人が僕の目覚めを喜んだ。
医者が再び話す。
「いや……まさか丸一日以上目を覚まさないなんてね。余程の重体かと些か驚いたが、目が覚めてくれてよかった。まだいきなりで困惑しているだろうが、次第に落ち着いてくるはずだ。取り敢えずはゆっくりしたまえ」
丸一日。生死を分ける熾烈な闘いから既に一日が経過したというのか。
「ここは、ハイネル・シュバリッツ王国の王都『ヴェルトラント』。その中にある王宮の救護室で君を休めている」
「……はぁ」
今度は騎士が僕に説明する。
僕は王都の王宮に今いる、と。
「君は、例の惨劇にて、君が保護できた
「あの……今なんて」
「……怖かったろうに、だが安心してくれ。我々 《
「だから───あの」
聞くのが怖い。怖くて、堪らない。
零れた刃はもう元には戻らない。
もはや再起不能の──この上ない弱者だ。
「なんだ」
「なんでも、ないです」
そこからは話半分で聞いていた。
正直どうでもよかった。
宮廷魔導師の手解きにより、僕の体は即座に治癒されその日にも歩けるようになった。
だから何と言うこともない。
行く宛もなく、話す相手もいない。
病室を抜けた僕は、レッドカーペットの敷かれた無駄に長い王宮の廊下を歩いた。大理石の装飾が施された柱を伝い、硝子で作られた窓に映る生気の無い僕の顔を呆然と眺め、ただ一言。
「僕は、何をしているんだろう……」
どうやら僕は知らぬ間に、「保護」されたらしい。
やったじゃないか。これで僕の安全は保証された。
「は……はは」
乾いた笑みが僕の口から漏れた。
保護……、保護か。
誰を保護するって? よりによって僕を!?
馬鹿げている。
嗚呼そうだ、こんな世界。嘘だ、詭弁だ、欺瞞だ。
「僕はもう──」
その時、ガチャリと背中で音が鳴る。
ほぼ無心に病室を出て気づかなかった。
背中の鞘に収まる氷晶の剣。
一時は『
身体の一部と思えるほど、驚異的な共鳴度合いを覚えたその剣は今や、効力を失っている。
そういえばあの時、メリナが転移魔法で連れ去られる時のことだ。
例の『
確か……
「───【
「わー、勇者様だ!」
「へっ?」
気がつくと、美しい銀髪を肩で揃えたショートヘアの少女が僕の背中から抱きついて騒ぎ立てた。
青と白を基調としたプリンセスドレス。
スカートの下部分には青色のフリルが付いている。襟元には青の下地にサファイアのような宝石の装飾がある。
ここは王宮の廊下、となればこの子は王様の親族か何かだろうか。
と言っても相手は僕より5つは下であろう幼女。敬語を使うにはやや抵抗があった。
「えっと君は?」
「シンシアって言うの。ねっ、それよりお兄さんもしかしなくても【勇者】でしょ!」
「えっ、なんで分かるの?」
「だって、【神器】持ってるし!」
幼女の目には僕の背中の剣が【神器】に見えるのか。
だが辛い現実は、この剣は既に無力な棒きれ。
【神器】と語るには力不足だ。
えっへんと、平らな胸を張ってシンシアは僕に自慢する。
「……そんな事も分かるのか。えっと──」
「シアでいいよ、お兄さん」
「シアちゃん。僕はちょっと外に出るから」
「じゃあシアも行く!」
困ったな。連れて行こうものなら、僕が勝手に誘拐したと思われかねない。
とは言え粘着されれば振り解けないのも事実。
その時、ベストタイミングで白髪の執事が、小走りで廊下を駆けてくる。
「お、お嬢様。お待ち下さい……っ」
「あー、爺や。見つかっちゃった〜」
なんだ、鬼ごっこの最中だったのか……?
荒く息をする執事に道場の目を向けつつ、僕は視線を逸らした。今の僕に落ち着いた会話は向かない。
「それじゃあ僕は」
「あっ、お兄さん逃げるつもり!」
「ええっ、でもシアちゃん。あまり執事さんを困らせない方がいいよ」
僕らのやり取りを見た執事は意外な顔をするが、やがて僕の剣に目が止まる。
どうやら王宮内で【勇者】の存在は、意外と知れ渡っているものらしい。
「お嬢様。もしや、そこの御仁と共に外に散策に行かれるおつもりですかな」
「うん、そのつもり!」
「ふむ……」
あれ、考える必要なくない?
シンシアって子の素性は未だ不明だけど、僕の勘はお姫様だって警告音をビンビンならしているんだが。
胸元の宝石に酷似した淡い蒼色の双眸を僕に向けて、ニヤついた笑みを見せた。
「いいよね、爺や!」
執事は白の手袋をした手を顎に当て、熟考する。
そして決断を出した。
「【勇者】が隣にいるならば安全ですかな。念の為《
あるぇ? 事実上今の僕は戦力外なんだけどな。
町に出るくらいは心配ないって事かな。
いや、もう言うのはいいや諦めよう。
この子がついてきたいと言うなら、それに従ってみるのも一興かも知らない。
「仕方ない……、外に出ようか」
「うん!!」
シンシアと共に僕は外をぶらつく事にした。
□■□
ヴァルトラントの街並みは予想以上の凄さだった。
そもそも辺境の村出身の僕に、この人の多さは予想の範疇を超えている。
王都のメインストリート『デスモウス街道』の賑わい方は底知れず、幾人の人々とすれ違う。
服装の種類も多岐にわたり、村には見慣れないデニムやニット調の服も目立つ。
素材が豊富にあるとファッションにも彩りが湧く。
ここが都会。
「……っ」
「?」
僕が顔を歪ませると、隣を歩くシンシアは目敏く反応し怪訝な表情をして見せた。
「どうしたの?」
「いや……ただ、みんな幸せそうだなって」
「当たり前」を過ごしている。
こうして当たり前に買物をして、硬貨を払う。
村を出た大人が度々帰ってくると村の子供は総じて都会のルールや情勢を嬉嬉として聞き出したものだ。
思い描いた通りの繁盛具合に、だがその日常もいつかは滅びるやもしれないと思うと心が痛む。
「お兄さんは幸せじゃない?」
「どうだろ。まだ分かんないや」
幸せな訳あるか。
大切なものを奪われて、幸せ?
保護されて、他人の背中に縋って生きる世界を「幸せ」と呼べるのだろうか。
一度「血」の味を知った僕はもう、物足りなく感じるよ。
「メリナ……」
「わぁ……っ、この宝石綺麗!」
気がつくと、隣に居たはずのシンシアが既に過ぎた宝石店のショーケースに張り付いていた。
ちょいと近づいて値段を確認……
げっ、白金貨……っ?
白金貨って確か金貨が十枚だから……。
宿泊まるだけならおよそ一年の家賃じゃないか。
「なに、欲しいの?」
「うん!」
ああだめだ。この子の金銭感覚がバグってる。
そこらの庶民の苦悩を知らない、ガチのお姫様だ。
周りに聞かれてはまずいと声を小さくして、僕はシンシアに問うた。
「(シアちゃんってお姫様?)」
「(? シアはねー、シンシア・オズウェルっていって、オズウェル家の第三王女? なんだよっ)」
そうね、第三王女ね。僕は驚かないよ。
つか、それをどうして僕に。
いや……無駄に鍛えられた空間把握能力が、至近に僕らを監視する姿を捉えている。
数は三。
一人は中年の男と、あとは僕と同年代くらいの少女。もの陰に隠れて僕らの様子を伺っている。
「悪いけどシアちゃん。僕にはお金の手持ちがなくて。パパにおねだりすればきっと買ってくれるよ。だけど、ちゃんといい子にしてたらだけどな」
「勝手に王宮を抜け出そうとする悪い子にはおねだりが通用しないかも」っと脅してやると、シンシアは涙目にして僕の袖を引っ張った。
「帰るっ」
「素直でよろしい」
刹那、地面が震えた。
空気が張り裂ける程の緊張に包まれた。
この感じは嫌という程僕は知っている。
ズン、ズゥン……。
地震のように轟く足音は、心臓の動悸を高鳴らせる。
ここに居ては不味い、街中でまさかそんな───。
パラパラと崩れ落ちる地面の音。
震源地はすぐ近く。
地下からやって来た厄災は巨躯を天高く伸ばし、その存在を明らかにした。
「ぁ……あ」
声にならなかった。
その体躯は見上げるほどの巨大で、禍々しい。
「〈