ロックスの再来0   作:イオン

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第九話 未来に捧ぐ

 

 

 

 縦揺れ。横揺れ。前後方部へのせり出し。殺人的な急減速。

 さながら波の悪意を表現したかのような異常な海流に揉まれた奴隷船が、徐々にその船体を崩壊させていく。

 

 一人、また一人と、船員が船の外に投げ出され、ある者は船体に当たって死に、またある者は海流の勢いに溺れ沈んでいった。

 

 船にいる全員が死を覚悟した。

 島の土を踏む前に九割の人間が死ぬという噂は本当だったようで、このまま島の外周にあるような無惨な姿になった瓦礫と同じ道を辿るのだと思い、皆泣き叫んでいた。

 

 

「いやだ! 死にたくねえ!!」「終わりだ…終わりだ!!」「もうダメだ! 死ぬんだ俺はぁ!!」「ぎゃあああァアア!!」

 

 

 

「なんじゃ!? 一体どうなってるんじゃこの船は!!」「きゃああぁ!」「メサイアっ!!」「ぶつかる! ぶつかるぅ!!」

 

 

 奴隷船の船室の中で、メサイアとエイブリーもまた、異常な船の揺れに大混乱に陥っていた。

 その中でも、メサイアはしきりにぶつかると叫び続けており、エイブリーにどこでもいいから掴まれる場所を探させた。

 

 彼女は、分かっていたのだ。

 この船がとある船に衝突し、木っ端微塵になるという末路を辿ることを。

 

 

「副船長! あれ!!」

 

「……! 翠眼の海賊船か!!」

 

 やがて、船員の目に見えてきたのは、つい数日前に略奪を仕掛けてきた、翠眼海賊団の船だった。

 異常な波による座礁を無理やり防いだのだろう。半壊した船が瓦礫の外壁に横付けになるように横転している。

 

「完全に衝突コースです! 避けられない!!」

 

「くそ!! 尽く我々の邪魔をしおって……!」

 

 その頑丈な船底部分へ、奴隷船は一直線に突進して行った。倍以上の大きさのある海賊船の壁を避ける術はなかった。

 

「もうダメだ! 全員海に飛び込むぞ! それしか助かる道は無い!!」

 

「しかし、この不規則に動く船体に当たれば即死ですよ!!」

 

「ならどうすればいい!! 俺は一体、何をすればいいんだ!!」

 

 

 バグは悲痛な叫びを上げた。

 目の前で投げ飛ばされた船員が、船体にぶつかり死んだ。これで何人目だ。

 

 船員が死んでいく度に、自分の指揮が無意味だと感じ、彼は押し潰される思いをした。

 もう、自分ではどうしようもないところにまで、この船は来てしまった。船が海賊船に突っ込むその瞬間まで、彼は自分の無力を呪い続けることになる。

 

 

 ──

 

 

「……みんな、死んじゃうよ」

 

 メサイアは、小さくそう呟いた。

 その声は、小刻みに震えている。彼女は一体、どんな未来を見たのだろうか。

 エイブリーはその枯れ木のような腕で、必死に便座にしがみついて唸ることしか出来なかった。

 

「……許せ、()()()……()()……! すまん、せめてもう一度会いたかった…! 本当に、すまん!」

 

「!」

 

 エイブリーは、涙を滲ませそう叫んだ。

 その並々ならぬ感情を感じ取ったメサイアは目を見開く。

 

 そして、覚悟を決めた。彼女は立ち上がり、ゆらゆらと船室の奥へと歩き出す。

 メサイアはそのまま、何を思ったか壁に両の手のひらをそっと当てる。

 

「止めなきゃ」

 

 静かにそう言ったメサイアの瞳には、確かな意志が宿っていた。そして、彼女が大きく息を吸い込んだ時、その手のひらが黒く染る。

 

 

「ん!!」

 

 メサイアが力を入れて壁を押す。

 すると、たちまち船の壁はバラバラに引き裂かれていった。

 

「この音は……!? メサイア……! 大丈夫か!?」

 

 異変を感じたエイブリーがメサイアに声をかけるが、彼女は至極冷静にそれに返答する。

 

「大丈夫だよ、エイブリー。今……救けるから

 

 空いた壁の向こうに、迫る海賊船の船底が見えた。その距離は、もはや数十メートルもない。今頃、船の上部では船員の皆が死を覚悟していることだろう。

 

 メサイアは迫る船体に、そっと手をかざす。

 

 そして、船と船がぶつかる瞬間、船底が物理的距離を越えた何かに弾かれた。

 

 

「「「!!!」」」

 

 

 轟音と、振動。

 船はゴムにでもぶち当たったかのように不自然に弾け飛び、その船体は荒れ狂う波の上にそっと落ちていった。

 制御の効かなくなった船は、徐々にその船体を海賊船へと擦り付けるように揺すられ、穏やかに暗闇島へと漂着する。

 

 

「「「お、おぉおおぉおおおぉオオオオォ!!!」」」

 

 

 遠くから、地響きのような歓声が聞こえてきた。

 目の前で起こった奇跡に、抑えきれない船員の感情が飽和する。

 メサイアはその波動をうるさく感じつつも、ホッと息を吐いたのだった。

 

「エイブリー、無事に着いたよ。もう、大丈夫」

 

「……一体、何が」

 

 エイブリーは口を開け閉めしながら、辺りを忙しなく見回した。先程までの船の無機質な揺れとは違う、情動的なものを孕んだ揺れに困惑していた。

 やがて、メサイアの言葉から、彼女が自分では想像もできない何かをしたという考えに至り、ゆっくりとメサイアに目を向ける。

 

「……お主は、一体……いや、今はとにかく礼を言おう。助かったぞ」

 

「……いいの。エイブリーには大切な人がいるんでしょ? これで諦めなくて済んだよね」

 

「! ああ、そうだな……」

 

 それを聞いて、エイブリーは力無く座り込んだ。一瞬過ぎった死の光景。無我夢中になって船にしがみついて、気付けば自分の愛する存在に叫んでいた。メサイアには、それが自分にとってどれほど大切かが分かったのだろう。その方法はわからない。だが、彼は湧き上がる感情を優先した。

 

「どういたしまして」

 

「はっはっは……!」

 

 二人は笑い合った。

 メサイアは感謝された嬉しさに。エイブリーはその気持ちを先読みされた可笑しさに。

 

 その後、メサイアはフウと長い息を吐き、座り込んだ。一連の出来事は彼女にとってはなかなかの負担だったらしい。

 確かに、衝突間近の船同士を弾くのは、通常で考えれば相当のエネルギーがいる。疲労するの無理はなかった。

 

「……はあぁ、疲れたぁ。すっごく揺れたけど、どこに着いたんだろう?」

 

「この揺れの正体は、波、じゃろうな……。なんらかの島に着いたのならば、海食崖(かいしょくがい)か何かにでもぶつかったか……」

 

「なあにそれ?」

 

「島の沿岸が強い波に抉られて崖になった場所のことじゃよ。とはいえさっきの揺れは尋常ではなかったからのう……もっと広範囲に、とんでもなく勢いの強い海流があった、とかかもしれんな」

 

「島の周りに、強い海流……」

 

 

「ううん、まさかね」

 

 

 メサイアは、数秒思考した後首を振った。

 それを確かめるように、彼女は先程空けた穴から島の様子を眺める。

 

 だが、少しの間黙ってそれを見つめていたメサイアは、ふとした時に大きく目を見開き、その後何度も深呼吸を繰り返してまた島を凝視した。

 その顔が、だんだんと青ざめていく。一体何を見たのか、何に気づいたのか。

 

「……なんで、どうして」

 

 小さくそう呟いた彼女の身体は、指先まで震えていた。

 その開け放たれた大穴から逃げるように、メサイアは反対側の扉に縋り付き大声で戸を叩いた。

 

「いやっ! いやぁ!! 助けて! 助けてぇ! ダメ、ダメ! ここはダメ! ここはぁ!!」

 

「メサイア!? どうしたんじゃ! 何があった!」

 

「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! もう悲しいのは嫌! もう痛いのは嫌! もう分からなくなるのは嫌! ……また、また、は、はっ……ひぃ……!」

 

「め、メサイア……!?」

 

 パニックになったメサイアは、エイブリーの声掛けも受け付けず、支離滅裂な事を言いながら扉を叩きつける。

 

 だが、何分もそんなことを続けていれば、音を聞きつけた船員が部屋の前に来た。

 

「おい、うるせえぞ!」

 

「やだ、嫌だ、よ……いや……」

 

「波で酔ったか……? とにかく、副船長がお呼びだ。早く来い」

 

 そんな言葉と共に、部屋の扉が開かれる。

 しかし、その瞬間メサイアが飛び出して逃げようとする。慌ててそれを捕まえた船員が、ニヤリと笑った。

 彼女の様子に船長を気絶させた人間である雰囲気など微塵もなく、彼はメサイアを見下した目で見ていた。

 

「おっ、とぉ……! はは、そうはいかねえぞ? 奴隷は扉開けると毎回逃げようとするからなあ、その程度の反抗予想済みだ」

 

「いやあ! いやだ! いやっ! 逃げる、逃げるの、逃げよ……!? ねえ、一緒に逃げよ!?」

 

「はっは、色仕掛けのつもりか? 生憎俺は少女趣味はねえ、そんなことより、お前にはしてもらわないといけない仕事がある」

 

 がっちりと首に腕を回してメサイアを押さえた船員が、彼女にそう言った。目を合わせた彼女に、彼はその続きを話す。

 

「お前には、この島を案内してもらう。なに、少しの里帰りだと思えばいい。俺も、島の怪物を見てみたいしな」

 

「!!」

 

 その言葉に、メサイアは暴れた。余程命令に従うのが嫌なようで、船員も顔色を変えるくらいにはすごい反抗っぷりだった。

 

「うぉい!? く、大人しくしろてめえ!!」

 

 そう言うが、彼女の抵抗は収まらない。

 そんなに自分たちに従うのが怖いかと、船員は内心嘲笑する。とはいえ、メサイアの今までされてきた事を考えれば当然とも言えた。

 だから逆に、今度は彼女を安心させるつもりで耳元で声をかける。

 

「そう怖がるな。お前は大切な奴隷だ。もしもの事があったら俺らが守るさ。怪物が出たならそうだな……俺らが身代わりになって食べられてやろうか! 

 

「!?」

 

「わっはっは! 冗談さ。だが、まあお前もそれくらいのつもりで──」

 

 しかし、彼はそれ以上口を動かすことはなかった。

 なぜなら、拘束していたメサイアに肘打ちのようなもので吹き飛ばされたからだ。

 一体メサイアのどこにそんな力があったのか。彼女は肘を真っ黒に染めることで理外の力を引き出し大の男を気絶させてしまったのだ。

 

「……はあ、はあ。私、は……」

 

 メサイアはその両手を開き顔の前まで持ってくる。

 震える手のひらを眺めていた彼女だが、少ししてギュッと目をつぶり首を振った。

 

 彼女はそのまま、船員の服のどこかに鍵が無いかを探る。エイブリーや、ほかの奴隷を外に出すつもりだった。

 

 

 

「なるほど……その力で船長も倒したのか?」

 

「!!」

 

 

 しかし、廊下の端から聞こえてきた声に、メサイアの動きが止まる。冷静でなかったせいで、気配を探れていなかった。慌てて振り返れば、そこにはケラソスがいた。

 

「……!!」

 

「どんなカラクリかは知らんが、その力をうちの船員に使うのはよしてもらおう。これから暗闇島の探索に向かうのに、人手をいたずらに失ってはたまらんのでな」

 

 そう言って、ケラソスはピストルを持ち出した。

 あの時、女を殺したのと同じピストルだ。それを構えたまま、ゆっくり、ゆっくりと歩いてくるケラソスに、メサイアは怯えて床に腰を落とした。

 

「ひっ……! やめて、許して……!」

 

「許して欲しくば、大人しく従うことだ」

 

「嫌……! 外れる、外れる、痛い、痛い痛い痛い痛い……!」

 

「……おい、聞いているのか」

 

 またも意味不明な言葉を呟き頭を抱え始めたメサイアを見て、ケラソスは目を細めた。

 聞こえるように何度言っても、彼の言葉はメサイアの耳に入らなかった。

 

 少しして、部屋の床を、銃弾が貫く。

 

「ひ!!」

 

「命令に従わなければ、痛い思いをするぞ? もう一度言う。大人しく従え」

 

「……っ、はい」

 

 銃声に我を思い出したメサイアは、ケラソスの言葉にようやく従った。背中に銃口を突きつけられた彼女は、俯いたまま歩き始める。

 しかし、部屋の中から聞こえたエイブリーの声で、一瞬足を止めるのだった。

 

「メサイア! おい、そこの! その子をどうするつもりじゃ!!」

 

「!」

 

 銃声を聞きつけたのだろう。メサイアの部屋に空いた穴から、エイブリーは必死に叫んできた。

 それを聞いたケラソスは、目を見開いた後、額に青筋を浮かべメサイアを見る。

 

「貴様……別の奴隷と内通していたのか……!」

 

「……ち、違うの……! エイブリーはそんなんじゃ……!」

 

「なるほど、奴を庇うくらいには親しくなっていたか。面倒なことをしてくれる……」

 

「……っ!」

 

 弁解の言葉をそう解釈したケラソスに、メサイアは悲痛な顔をした。

 そして、ケラソスは彼女をひっつかみエイブリーの部屋の前まで行く。戸惑うメサイアをよそに、部屋の中にいたエイブリーを見たケラソスは迷いなく銃口を向けた。咄嗟にメサイアが目の前に立ち塞がる。

 

「! やめて! エイブリーを殺さないで!!」

 

「くっ……!」

 

「不都合は消すのみだ。お前のその能力の詳細をこの奴隷にでも話していたら、また厄介事の種になりかねない。どうせ奴隷だ。死んで誰が困る」

 

「いや! いや! ダメぇ!!」

 

 必死にケラソスにしがみつくメサイアを、彼は鬱陶しそうに払い除ける。再度銃を向けその先を見れば、齢70程の禿げた老人が座っていた。

 その意志の強い目は銃を向けられても怖気ず、ただ真っ直ぐにケラソスを見つめている。

 

 そんな彼は、懇願するメサイアの姿に大きく顔を歪ませるのだった。

 

「メサイア……! く、こんな小さな子供に、なんて顔をさせるんじゃ! 殺るなら、せめて彼女の預かり知らぬ場所でだ! この情なしの屑め!」

 

 ケラソスは思わず舌打ちをした。なぜこうも、メサイアを守ろうとする人間が出てくるのか。コールといい、この奴隷といい、彼女と深く関わった人間は皆メサイアに惹かれ、突き動かされる。

 

 全くもって面倒な存在だった。

 なれば、いらぬ行動を起こされる前にとっとと始末するべきだ。

 ケラソスは銃の引き金に力を込める。

 

 

「!! やめてぇ!!」

 

 

 メサイアはとうとう、座り込むエイブリーを覆うようにしてその身を盾にした。

 震える身体で、必死に声を絞り出す。

 

「私、従います……島も案内するし、他にも色んな命令聞きます……だから、この人だけは、殺さないで下さい……!」

 

「……ふむ」

 

 その言葉に、ケラソスは眉を吊り上げる。

 たかが老人一人生かすだけで従順になるとは、奴隷の命も安いものだと内心嘲笑した。

 

 だが、メサイアの正体不明の能力は使える。そう判断したケラソスは、銃を下ろすのだった。

 

「ならば、言った通りこの島を案内しろ。例え怪物を見せろと言われても、そのまま生贄になれと言われても従うと誓えば、それはひとまず生かしてやろうではないか」

 

 

「……ありがとう、ございます」

 

「メサイア! 何を言っておる! こんな老いぼれと自分を天秤にかけるな!」

 

「……ごめんね、でも、私は──」

 

「いかん!! 乗るな! 儂など捨ておけ! 命を粗末にするでない!!」

 

 そう言って両手で肩を掴まれたメサイア。その瞬間、彼女の息が一瞬止まった。

 その顔から、色が抜けていく。

 

「あ、あ、あぁ……何で、何で……」

 

「……メサイア?」

 

「……っ!!」

 

 次の瞬間、メサイアは彼の手を振り払い、逃げるように走り去ってしまう。

 

「メサイアっ……!!」

 

「おい! どこへ行く!? 待て!」

 

 脇を抜けて逃げていくメサイアに、ケラシスは舌打ちを零し部屋の扉を閉めた。鍵がかかり暗闇になった部屋で、呆然としていたエイブリーは呟く。

 

「いや、いや……それでいい。それでいいんじゃ。……儂は、救われてはいけない。儂は、呪われた血族なのだから……」

 

 

 その顔には、言葉に表せない自嘲の感情が見えた。

 

 

 

 *

 

 

 

「うっ……!」

 

「やっと来たな。さあ、思い出の故郷だぞ」

 

 ケラソスに突き飛ばされ、島の海岸に転がったメサイアを、バグは後ろから掴み、身動きを取れなくした。少しして、彼はその手で血の温かさを感じ取った。メサイアを大人しくさせるためにケラソスがやったのだろう、その肩は血で濡れていた。

 バグは手が汚れたことに顔を顰め、ケラソスを睨みつつ彼女を無理やり立たせる。

 

 辺りには奴隷船の船員が多く揃っており、漂着途中で死んだ面々を除きほぼ全て集合していた。

 

「……手荒だな。痛めつけなければいけない程、連れられるのを渋ったのか?」

 

「隣の部屋の奴隷と内通していたのでな。そいつは人質にとった。もうこいつは我々に従う心づもりのようだ。私達の意のままに使える」

 

 そう言うと、バグは目を丸くし、その後ニヤリと笑った。

 

「それはいいな。ならば、俺とケラソスの命令には従ってもらおうか。言う通りにしたらひとまずその人質とやらは生かしてやる」

 

「……は、はい……」

 

「それで……ケラソス。これからどうする? 暗闇島に生きて上陸できたことは僥倖だが……脱出の目処がない」

 

「その件だが……私に考えがある」

 

「流石だなケラソス。一体何をするんだ?」

 

「オベルに会いに行く」

 

「「!!」」

 

 その言葉にバグと船員の一同は目を見開いた。先日あれほどの被害を出した翠眼海賊団の長と会うというのは、予想外だったのだ。

 

「参謀長……! 大丈夫ですか? 相手はあのオベルですよ?」

 

 船員から当然の疑問が出る。

 だが、ケラソスは冷静にその理由を説明した。

 

「確かに敵になれば脅威だ。だが、今我々がいるのはあの暗闇島。怪物の脅威、なにより、ブラックホール海流の厄介さで奴らも困惑しているはず。船もあの有様だし、少しでも人手が欲しいはずだ」

 

「……しかし」

 

「……まだある。それがこのメサイアだ。こいつには、不思議な能力がある。偉大なる航路(グランドライン)の海賊であるオペル達なら、その価値に気付く可能性が高い。立派な交渉材料になるはずだ」

 

「!」

 

 そう言われ、船員も納得した顔になる。

 ともすれば、あの怪物級の海賊たちが味方となってくれるかもしれないと分かり、彼らにも希望が灯った様子だった。

 大多数が賛成し、その意見が可決される。

 

 

「決まりだ、おいメサイア、俺達をオペルの元へ連れて行け。お前には不思議な力がある。それで遠くにいる人間の気配を察知できることは知っているのだ。オベルの居場所も分かるだろう?」

 

「え、え……やだよ……! 森の中は行きたくない!」

 

「何故だ。暗がりは嫌いか? そんな我儘が通じるとでも……」

 

「違うよ! 怪物に襲われる! 皆死んじゃう!」

 

「……は?」

 

 全員が驚いた。

 

 何故、島に怪物がいることを知っているのか。

 

 メサイアは記憶喪失のはすだ。暗闇島の情報など知っているはずもないというのに。

 

「何故島に怪物がいると知っている……!? 暗闇島の情報は、記憶喪失で失われたはず!」

 

「何なの……? 皆何言ってるの? 暗闇島って何? ()()()()のこと?」

 

「「は……!?」」

 

 

 ケラソスはメサイアに掴みかかった。額に青筋を浮かべた彼が掴む手は、強い力が入っている。メサイアはその強さに顔を歪め怯えた表情になった。

 

「……っ!?」

 

「どういうことだ貴様! 暗闇島ではなくイーア島? そんな名前は聞いたことがない! 怪物がいると知っているのもおかしい……貴様は一体何を知っているんだ!!」

 

「……全部だよ」

 

「……何だと」

 

「怪物のことも、島のことも」

 

 ケラソスはその言葉に数秒固まる。そして、その表情を怒りに変えた。

 なら、傷さえ癒えれば何の問題もなく奴隷として売れたではないか。こんな魔境に来て初めてその事実を告げられては堪らない。

 

「……ならば、暗闇島の情報を言えと言った時、何故知らないと言った!?」

 

「く、暗闇島なんて名前知らないよ! イーア島のこと、皆が勝手にそう呼んでるだけでしょ……?」

 

「こ、このガキいぃい!!」

 

「きゃあ!」

 

 あまりの怒りに、ケラソスは普段の口調も崩しメサイアを殴り飛ばした。

 

「うぅ……」

 

「余計な手間ばかりかけさせおって!! この島に来るまでに何人の船員が死んだと思っているんだ!!」

 

「だって、だって……暗闇島なんて名前、知らなくて……」

 

「ならブラックホール海流の対処法を教えろ! 今すぐにだ!」

 

「……! む、無理だよ!」

 

「何故だ!?」

 

「……そ、その、せ、戦力が」

 

「〜〜〜!」

 

 あまりの怒りに、ケラソスはその場でステッキにもたれ掛かるようにしゃがみこんでしまった。

 その怒り様を見て少しばかり冷静になったバグが、ケラソスに変わって話し始める

 

「……戦力が足りないというのは、我々の考えと合致する事でもある。お前のような奴隷にそんなことを言われるのは屈辱以外の何物でもないが……だが、そうだからこそオベル達の力を頼る必要があるのだ」

 

「……オベルって誰?」

 

「偉大なる航路の海賊だ。そいつがいれば戦力の問題も解決するだろう。だからつべこべ言わず案内しろ」

 

「え、でも……その」

 

 銃声が響く。メサイアのすぐ横に突き刺さった銃弾に、彼女は肩を跳ね上げた。撃ったのはケラソスだ、バグの仲裁で少しは平静を取り戻した彼だが、その手の震えが、まだ怒りを抑えきれていない証左だった。

 

「ひい……!?」

 

「そのふざけた口を顎ごと消し飛ばされたくなかったらさっさとオベルのところへ案内しろ……! 居場所を聞かれて森の中がと騒いだからには、場所は分かるんだろう! ついでだ、怪物が近くにいたらそいつらも避けろ! 出来ないとは言わせんぞ!」

「言ったら人質の命はこうだ!」

 

 ガスン、という音を鳴らして、風穴を空けた瓦礫が転がる。

 

「……はい」

 

 それを見て顔を青くしたメサイアが、ようやく諦めて歩き出した。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 暗闇島は、南西部がコブのように出っ張り、東部は瓢箪のような形にひしゃげた形が特徴的な、面積200平方キロメートル程の無人島だ。

 

 現在地は、島の北東部。

 周囲は高くそびえる山々に囲われ視界は悪く、足場も傾斜が激しいため、奴隷船の面々は汗を拭いながら島を歩いた。

 

 

「あ……」

 

 メサイアが、ふとした拍子にその場で立ち尽くす。

 それを訝しがった船員が、周囲を見回す。

 

「なんだ? まだ何も見えねえぞ。いきなり止まるなよ」

 

「ほら、さっさと歩け!」

 

「……あ、あっち」

 

「ん?」

 

 メサイアは、ゆっくりと前を指差した、その動きに、全員がその方角に顔を向ける。

 

「なんだ……あっちにオベルたちがいるのか」

 

「……その、丘の、向こう」

 

「ついにか! ならさっさと行こう、いつ怪物が来るとも分からん」

 

 

 そう言って、船員達が早歩きで丘の方へ向かっていった。メサイアは自然と置き去りにされ、後方を歩いていたケラソスだけが傍に来た。彼女の監視のためだ。

 

「やれやれ、翠眼のやつ共も物好きなことだ。こんな奥地まで探索など普通はしないだろうに」

 

 ようやく交渉ができる。と、そこまで言おうとしたところで、丘の方から叫び声が聞こえてきた。

 

「「うわぁああぁあアアァ!!!」」

 

「!!」

 

 ケラソスは何事かと目を丸くし、急ぎメサイアを連れて声がした方角へ向かう。

 

「……これは!」

 

 

 そこにあった光景に、彼は目を見開き固まった。

 丘の下の平原に、おびただしい数の死体があったのだ。

 全員、バラバラに引き裂かれ、踏み潰され、食い散らかされていた。地面が赤黒く染まり、酷い臭いが辺りに充満している。

 

「一体、ここで、何が起きたんだ……!!」

 

 ケラソスが叫ぶ。その目線の先にある死体の山の天辺には、大柄な男の死体が転がっていた。ふとした時にグラついた死体から、ちぎれかけていた首がダラりと垂れ下がる。

 こちらを向いた死体の目は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 船員達の頭の中に、到底信じられない仮説が浮かぶ。

 

 

「……メサイア、これは……オべル、なのか?」

 

 目を疑う光景に立ち尽くしていたバグが震える声でそう言えば、周囲の視線が彼女に集まる。

 

 実際、メサイアに彼らの居場所に連れていけと命令した先にこれがあったのだから、この死体の所在は一目瞭然なはずなのに。正直、否定して欲しいという気持ちがあった。

 

 なぜなら、これをやったのは、島にいる怪物以外考えられないからだ。

 だが、頭の中でそうは思っても、納得はできない。オベルは偉大なる航路の海賊なのだから。

 いくらなんでも、こんなにも島の怪物が規格外であることなど、認めたくなかった。

 

 

 だが、メサイアは、青い顔をしたまま無言で頷くだけだった。

 

 

「……ば、馬鹿な」

 

 ケラソスは、掠れた声でそう呟いた。

 彼の計画のうちに、翠眼海賊団の壊滅などという言葉はなかった。考えてもいなかった。

 その目で見ていたのだ。拳一つ振り抜いただけで、船の一部が吹き飛ぶ様を。

 

 有り得ない。

 

 ここは東の海(イーストブルー)だ。たかだか四つの海の一角に、あの偉大なる航路の海賊をこんなにあっさり蹴散らせるような怪物がいるなど、到底受け入れられない。

 

「メサイア、この島は一体──」

 

 

 その時だ。

 

「キーン」

 

「「!?」」

 

 金属音のような音が辺りに響いたのは。

 メサイアは顔を青ざめさせ、ケラソスに縋るように寄りかかる。

 

「! ほら! ほら! 逃げようよ! 早く逃げないと怪物が来ちゃうよ!」

 

「くっ……方角はどっちだ!」

 

「北東の方!」

 

「仕方ない……! 一度島の中央まで逃げ、体制を整えるぞ! 全員退却──」

 

「──ダメ!!!」

 

「「!!」」

 

 だが、そう言った瞬間メサイアが真っ青な顔で制止してきた。怪物が来ているというのにと、バグは怒りを顕にする。

 

「一体なんだと言うのだ!! すぐそこまで怪物が来ているんだぞ!」

 

「……ご、ごめんなさ……あぅ、とにかく、中央だけはダメ……それ以外なら、何でもいいから……」

 

「……中央に何かあるのか?」

 

「!」

 

 だが、ケラソスはそう言ったメサイアを見て何かに勘づいた。言い淀むメサイアにケラソスはグイと顔を近づける。

 それにメサイアは、ただ首を振ってガタガタと震えるだけだった。

 

「ち、違う、何も無い……! 何も」

 

「嘘だな。貴様は実に分かりやすいから手に取るように分かる。大方、中央にブラックホール海流をどうにかする手がかりがあるんろう?」

 

「え、あ……」

 

「やはりそうか。ならば決まりだ、目的地は中央だ! おい、そこに連れていくんだ!」

 

 

「い、いやだぁあ!!」

 

「お、おい!?」

 

 だが、メサイアはその場にしゃがみ込んで叫んだ。

 一体何をそんなに怖がっているのか、ガタガタと震えている。

 

「嫌だ嫌だと、いい加減にしろ貴様!」

 

「ダメ! ダメ! 行きたくない! 行きたくない!」

 

「……もういい、なら案内すると言うまで拷問して──」

 

 

「があっ!!」

 

「「!!?」」

 

 その瞬間、掻き切れるような叫び声と共に、鮮血が舞った。それを浴びた船員が目を動かすと、そこには、恐ろしい怪物に今まさに鉤爪で切り裂かれ、倒れ伏す船員の姿があった。その灰色の濁った唾液に当てられた船員は、恐怖に声もなく震えるのみ。

 そして、次の瞬間にはその怯えた顔は怪物の口の奥へ引きずり込まれていった。

 

 それは、グチャグチャと汚らしい音を鳴らしながら肉塊を噛み砕く、漆黒の虎の怪物だった。やがて肉塊を喉へ流し込んだ怪物が、口を開け金属音のような咆哮を聞かせる。

 

「キーン」

 

 それを機に、同じような怪物が数体茂みから躍り出た。

 

 

「「う、うわあぁあああアアアァ!!!」」

 

 体高3mほどの、光を通さぬ黒い表皮を持った虎が、次々と船員に襲いかかった。

 全員が口から濁った唾液を出し、とんでもない速度で船員の血を求める。

 感情のない冷酷な目が恐ろしい。

 

「こ、この、化け物ぉ!!」

「うおおぉあああ!!」

「どっか行けええ!!」

 

 船員たちはその瞳に耐えられず、狂乱しながら銃を放った。

 だが、その身体に何発銃弾を受けようが、怪物は怯まない。鬱陶しいものでも見る様子でフンと鼻を鳴らす。たったそれだけの結果しか得られなかった。

 

 

「な、なんで! 銃が効かねえ!?」

 

「怖じけるな!! 69番がいた頃から、散々話は聞いていたではないか!! 植物を嫌うということも分かっている!」

 

「副船長……!!」

 

 バグは、統率が乱れた船員たちをすぐにまとめた。

 

「お前たちは三つに分かれろ!! その辺りの一同は、近くから適当な植物をちぎって持ってこい!! 怪物はその植物で怯ませられる! 残りは左右に分かれ怪物の迎撃! 植物が調達できるまでの僅かな時間でいい! 一人でも多く生き残れ! 生きることを考えろ!!」

 

 

「「「──はい!!」」」

 

 

 そこは流石副船長。ケラソスとは違い策略の類いは不得手だが、統率力は船長にも引けを取らなかった。

 

 どうにか体勢を立て直した船員たちは、皆が先程よりも伸びた背筋で武器を構えた。

 

「──メサイア! あれの弱点を教えろ!!」

 

 そして、ケラソスもまた自身の役割を果たす。島の知識を持つメサイアは震えつつも口を開ける。

 

「あ、ぅ……口、()()()()()()()()()()……」

 

「! よし、全員、口の中を狙え! 表皮ほどは硬くはないぞ!!」

 

「「「おお!!」」」

 

 それを聞いた船員は、一層奮起した。

 バグやケラソスも参戦し、全員が怪物の隙を伺い口内に銃弾をぶつけ始める。

 

 

「ギャィン!!」

 

 鉄同士がぶつかりあったような悲鳴を上げながら、一匹の怪物が宙で弾け飛んだ。

 ケラソスの銃弾を口内に受けた怪物は、当たり所がよかったのか、そのまま動かなくなった。

 

「「「うおおぉおおぉお!! やったぞ!!」」」

 

「見たか! 怪物は脅威ではない! 恐れず撃ちまくれ!!」

 

 バグの言葉で勢いづいた船員は、より果敢な攻めに転じた。

 一匹、また一匹と、怪物が倒れていく。

 

 

 

 そしてついに、船員達を襲った怪物は全滅した。

 

 周りからは、船員の誰かの感極まった声が聞こえてきた。

 

「やった、やったぞ……」

 

 その声掛けによって、周囲へは抑えきれぬ歓喜が伝播していく。すぐさま、辺りは浮かれた声で賑やかになった。

 

 やれ自分は何体殺った。やれ自分がいなければここは危なかったと、皆が思い思いの成果を口走る。

 

 バグも、汗を拭いつつ深い息を吐いた。

 

「何とか、なった、か」

 

「……ふむ、植物の調達は要らなかったな」

 

「いや、今後また怪物と鉢合わせないとも分からない。早いところあちらと合流しよう」

 

「……うむ」

 

 唯一落ち着き払った様子だったのはケラソスだ。

 彼は怪物の脅威を凌いだ後も、油断なく周りを見回している。

 バグはその姿に首を傾げる。いくらなんでも、警戒しすぎだろう、と。

 

 しかし、彼には警戒を拭い切れない理由があった。

 

「ううむ……どうもな……」

 

「なんだケラソス……そんなに警戒しすぎていては心が休まらないぞ」

 

「いや、船員達のことで、気がかりなことがあってな」

 

「……? なんだ?」

 

 

「植物の調達をしてこいといった船員たち……帰りが遅すぎるとは思わんか?」

 

 

「!」

 

 その言葉に、バグは表情を一変させ辺りを見た。

 周囲は一面森だ。植物などどこにでも生えている。それを少しばかり持ってくるだけにしては確かに、帰りが遅すぎた。

 

 嫌な予感がし、忙しなく辺りに気を配る二人。

 

 少しして、その目線は一点に集約された。

 

 

 胸元で指を組んで震えるメサイアのただ一点に。

 

 船員の皆が歓喜していた。

 だがメサイアだけはそうはなっていない。

 その落差は、彼らから心の落ち着きを容易に奪い去ってしまう。

 

「……おい、なんだその顔は、俺たちは勝ったんだ。そんな顔をしてくれるな……!」

 

「まさかとは思うが、何か不都合があったのか……?」

 

「……」

 

 二人に声掛けをされれば、メサイアはギュッと目を瞑る。少しの間震えるのを堪えて、彼女が口を開ければ、まるで呪いのように重たい言葉が漏れ出てきた。

 

 

「あの人たち、もう、いない……」

 

 

「「!?」」

 

 

「皆、声……消えちゃった……怖い……怖いよ……いやだ……あぁ……また、消え……!」

 

 

「な──」

 

 

 それが、契機だった。

 微かな草木の音と共に、またも怪物がやって来たのだ。

 

 先程と同じ、漆黒の怪物。虎の形をした化け物たちが、また襲いかかってきた。

 

「!! また来たか! やるぞ! 皆殺しだ!!」

 

 船員はすぐさま迎撃に入った。

 襲い来る怪物をどんどん撃っていく。運良く口内に銃が当たり、怪物が死ぬ。その屍を踏み越えて飛び出した怪物を、また狙った。

 

 だが、その戦況は徐々に悪化する。

 虎の怪物の襲撃から少しして、別の怪物が加勢してきたのだ。数匹の鹿の怪物が茂みから飛び出し、船員を襲い出す。

 

「!? 見たことの無い種だ……! おいメサイア! あれの弱点は!」

 

 それを見たケラソスがメサイアに弱点を聞いた。メサイアはそれに答え、それを聞いたバグが指示を出し怪物を撃ち殺す。

 

 だが、また別の怪物が出てきた。鹿の襲撃の後に襲いかかってきた馬の怪物を見て、ケラソスとバグは同じように対処していく。

 

 だが、それに費やす時間が、徐々に無視できないタイムロスを生んでいく。対応するまでの間に一人の不幸な船員が食われ、次の怪物の襲撃による動揺する間にまた一人食われ……。

 船員たちは多数の傷を負いながらジリジリと押される。押し返しても押し返しても、怪物の襲撃は止まない。

 

 

「数が、多すぎる……!!」

 

 

 一人、また一人と船員がその牙に沈んでいく。彼らの命の灯火が消え失せる度に、船員たちの轟々とした慟哭が膨れ上がっていった。

 

「うわあぁああ!! やめろ! やめてくれぇ!!」

「いやだ! やめ、ぎゃ──」

「ひぃ! あァ!!?」

 

 銃声の大きさが、少しづつ、少しづつ、肉の千切れる音の大きさに押し負けていく。

 

「諦めるな!! 戦え! 戦うんだ!! 殺された仲間の弔いをしろぉ!!」

 

 

 バグの、悲痛な命令が木霊した。

 しかし、その声で状況は良くはならない。

 なんの感動もなく、怪物は仲間の命の蝋燭に無慈悲に息をふきかけていく。

 

「まずい……! このままでは──」

 

ケラソスはその手のステッキに手をかけた。何かを躊躇するように目線を数回動かすが、やがて決断した彼はそのステッキを振り上げなにかの行動を起こそうとする。

 

 

 

「メサイア!!」

 

「!」

 

 だが、できなかった。

 寸前のところで、コールが飛び出してきたからだ。

 軟禁されていたはずの身でどうやって抜け出してきたのか。単身でここまで追いかけてきたコールはメサイアを抱きかかえ、そのまま戦場から離脱する。

 

「貴様、コール!? メサイアをどうするつもりだ!」

 

「決まっている! 怪物たちから身を守るんだ! これ以上お前らの良いように使わせてたまるか!!」

 

「貴様ぁ!!」

「おい、あいつを捕まえろ!」

 

 船員がコールを止めるべく何発か銃を向けた。だが、それが決定的隙となる。船員が次々と怪物に襲われていく。

 

 戦場は一瞬で阿鼻叫喚の地獄と化した。

 鮮血が飛び散り、千切れた身体が宙を舞う。

 

 

「……ああ、そうか、こうなるか。頃合だな」

 

 その光景を数秒眺めた時、ケラソスは不気味に笑い突然集団の真ん中へステッキを投げる。その瞬間、爆発音とともに彼らの周りにガスが充満した。

 

「!? ゲホゴホ!? 何だ!?」

 

「催涙ガスだ。護身用のものだったが仕方ない、時間稼ぎにはなるだろう」

 

「ケラソス!? 何故! 何故こんなことを!」

 

「バグ……私はお前たちを見捨て先へ行く。 悪く思うな、あの()()()()に、知恵を与えてきた恩返しだと思えばいい」

 

「!!」

 

 そうして、ケラソスはコールを追うように逃げていく。船員たちを見捨てて。

 

 ケラソスは、元々あの奴隷船の参謀長として燻るのは納得いっていなかったのだ。目立った利益も出せず、ようやく69番の存在で運が回ってきたかと思えば、結局は失敗した。

 そんな場所に、仲間に、未練などなかった。

 

 

「ふざけるな!! 俺は、俺はお前を仲間だと思っていたんだぞ!! 苦境にあっても、お前の言葉があったから冷静になれた!! なのに! 何故だ! ケラソス!! 答えろぉ!!」

 

 

 だが、バグは違った。

 号哭と共に、その銃口が向けられる。

 

「副船長オォ!! 怪物がまた──ぁあッ!!」

 

「ケラソス!! この裏切り者、が──!」

 

 バグの背中に、怪物の鉤爪が振るわれた。倒れ伏したバグの顔へ、怪物が喰らいつく。

 

 グシャリ

 

 

「……お前は有能ではなかったよ。知略も、稼ぎも、銃の腕も、私の方が上だった」

 

 絶叫が響き渡る戦場から、ケラソスは足早に去っていった。

 コールが向かった先。

 暗闇島の、中心部へ。

 

 

 

 *

 

 

 

「はあ、はあ、ここまで来れば、時間稼ぎくらいにはなっただろ……!」

 

 息を切らせつつ、島の中央部へ来たコールは、周囲を見回す。

 

「……」

 

「よしメサイア。今降ろしてやるから、な……?」

 

 そう言ってメサイアに目を向けたコースは、驚き目を見開いた。

 

 彼女が、彼の腕の中で声を押し殺して泣いていたからだ。

 

「ど、どうしたメサイア! どこか痛むのか!」

 

「……ごめんね、コール。あの時、あんな事言っちゃって……あの時、あなたを拒絶しちゃって……私、やっと思い出したよ」

 

「え……!? お前、まさか記憶が戻って!?」

 

「ううん、違う。でも、今ならわかるの」

 

「……!? メサイア、今はいつあいつらが追ってくるか分からないんだ……訳わからないこと言ってる場合じゃ――」

 

「コール」

 

 

 

「今まで、ありがとう」

 

 

 

「は……?」

 

 意味が分からなかった。

 急に泣き笑いの表情で、こちらを見上げたメサイアは、とても、とても満足そうな顔をしていた。

 

 なぜそんな顔をする。

 俺は、俺はずっと……。

 

 

 パシュ

 

 次の瞬間、コールの脇腹を銃弾が貫通した。

 

「ぅあ──!?」

 

「はあ、はあ……! やっと追いついたぞコール! お前は毎回毎回面倒なことを……!」

 

「ガフ……! け、ケラソス……!?」

 

 銃を構えながら歩み寄ってきたケラソスを、コールは血を吐きながら睨みつける。

 ケラソスはメサイアを奪った彼に怒り、顔に青筋を立てていた。

 

「バグも他の船員も死んだ! ……お前が悪いのだよコール、だからここで死ね! 死んだあいつらへの償いとしてな!」

 

「……は、ははっ……! 死んで当然だあんなやつら! お前ら社会のゴミに一泡吹かせられて、清々してるよ!」

 

「~~~! もうたくさんだこのクソガキめ! ああ、だがこの中心部まで体よく逃げてくれたことだけは評価してやる!!」

 

「あ……!?」

 

「この島の中心部には、何かが隠されている! それがブラックホール海流を止める鍵だ! ああ、感謝しよう! メサイアはそこには行きたがらなかった! だがお前のおかげで簡単に連れてこれたのだ!」

 

「!」

 

「だから、せめてひとえに一発でその命を刈り取ってやろう──!」

 

 そういって銃の引き金に力を込めたケラソス。

 コールは咄嗟にメサイアを庇う。

 

「! メサイア! 俺が囮になる! せめて今のうちに早く逃げて──」

 

 

「ううん、もういいの」

 

「え?」

 

 

 ズシン……ズシン……

 

 

「……? 何だ」

 

 

 ケラソスはその音に眉をひそめ、辺りを見回した。

 そして、近付いてくるその音がなにかの足音と気づく。

 地鳴りが響く空間で、メサイアの声がくっきりと聞こえた。

 

 

 

 

「──私も、ここで終わるから」

 

 

「は──?」

 

 

 ズンと、大きな音がした。

 

 肩を少し跳ねさせたケラソスが、ゆっくりと振り返る。

 

 

 

 そこには、異形がいた。

 

 体高は6mを優に超え、全身を黒い体毛で覆われた犬の怪物。

 

 奇妙なことに、その顔は三つあった。

 

 右側の顔はぐにゃりと歪み曲がっており、斜めに裂けた口からは煙が吹き出ている。

 左側の顔はマズル──鼻腔部が途中で断たれ、その断面にはヤツメウナギのような口と、蛇のように長い舌がある。

 中央の顔は、普通の犬のそれ。だが、その額からは、口輪のような何かがはめられた人骨が皮膚を突き破るようにもたれ掛かっていた。

 

 その口が一気に開かれる。上顎から下顎まで隙間なく生え揃った百個単位の鋭利な歯が、顕になった。

 

 

「ヴォロオオオォ゛オオォオ゛ォォオオオォオオオ」

 

 

 エンジンを吹かしたような咆哮が響いた。

 周囲の空気が、一変する。

 まるでそこにいる動植物や、石などの無機物までもが息を潜めたかのように、空間が凍ったのだ。

 

 

「な、なん、だ、これは」

 

 全身が硬直し、腰を抜かすという甘えすら許されない。

 彼奴に向ける銃口が、泣けるほどに頼りない。

 引き金にかけた指が、一切動かない。

 

 コールもまた、あまりに異様なその姿にへたり込み、震えを抑えられない。

 

 

 ただ、メサイアだけが、その恐ろしい顔を笑顔で見ていた。

 

 

「ヴィルフリート……そうだよね、貴方だよね」

 

「め、メサ、イア、こ、れ……」

 

「いいよ。これで終わりにしよう。コール、私は、もう怖くないから」

 

 

 さっきから、何なのだ。その、自らの最期を悟ったような言葉は。思わず振り返るコールだが、顔をメサイアに半分ほど向けたところで、ケラソスの絶叫が響き渡り、硬直する。

 

 

 

 そして見たのは、銃を持っていた片腕が怪物の腕のひと払いで吹き飛び、その場でのたうち回るケラソスの姿だった。

 

 

 

「ぎゃアアァアああぁっァァ、ああ!! ああぅおあぁアアっっぁああ!!!」

 

「ヴォォ」

 

 異形の怪物が、その長い舌でケラソスの腕の断面を舐め回す。

 しばらくすれば、その腕はヤツメウナギのような口を持つ顔によっておぞましい咀嚼音を立てながら飲み込まれていった。

 

「ひ、ひぃ! やめろ! やめてくれぇえ!! 助けてくれえぇえ!!」

 

「あ、あ……」

 

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、這いずるように異形から逃げるケラソス。その姿に、コールは震えた。

何度彼を恨んだ。何度彼によって奪われた妹の命を、メサイアの苦しそうな姿を思い出して枕を濡らした。

 その時に思い起こしたあの冷徹で酷薄な姿は、今やどこにもない。

 

 それが恐ろしく、怖い。

 倒すべき宿敵と思っていた。それがあの怪物に一瞬でボロボロにされた。そのあっけなさが、落差が怖い。

 

 

 そして思ったのだ。

 

 自分はもう、生きては帰れないと。

 

 

「メサイア」

 

「何?」

 

「俺はここまでだ。お前だけは逃げろ」

 

 そう言ってメサイアを見た。

 だけど彼女は、笑顔のままだ。笑顔のままで、首を振るだけだ。

 

「いやだ」

 

「っ! お前!!」

 

 その態度に、コールはつい声を荒らげてしまう。

 今この瞬間しかないのだ。あの化け物がケラソスに気を取られている今しか、逃げられるチャンスはないのだ。

 

「嫌も何もない!! 早く逃げろって言ってんだ!」

 

 そう思っていたのに。

 

「ううん」

 

 なんでお前は。

 

「私は、逃げないよ」

 

 

「……!!!」

 

 

『俺は、逃げねえ』

 

 

 コールは、全身の血がざわめくのを感じた。ダメだ。この言葉は、聞いてはいけない。

 

「ずっと独りだった。ずっと忘れてた。この気持ちを。この温かさを。私は貴方に、それをいっぱいもらったから」

 

 

 地面に指を突き立てた。

 違う。違う。そうじゃない。そんな言葉は、いらない。

 

 俺は──。

 

 

「だからね」

 

 

 やめろ。

 

 言うな。

 

 

「私にとっては、貴方が大切なの」

 

『けどな、俺はお前がキライだ』

 

 

 ふざけんな。

 

 やめろ。

 

 

「だから、一緒に、終わりにしよう。せめて最期は、その気持ちを感じたまま、私は死にた──」

 

 

 

 

「うるせぇええええエエエ!!!!」

 

 

「!」

 

 

 コールは絶叫した。慟哭した。嫌悪した。

 

 そして、立ち上がり、怪物に向き直った。

 その姿に、恐れはない。迷いはない。

 

 

「俺は、クソ野郎だ!! 社会のゴミだ! 船長やケラソスと同じだ!! 俺も、あのクソみたいな商会にいたから、落ちるところまで落ちた!!」

 

「コー……ル?」

 

「俺は何もかも奪っちまった!! お前の記憶も!! 妹の命も!! 挙句の果て、良かれと思ってお前と逃げてきた場所は、こんな怪物がいる場所だった!!」

 

「何、何……? その感情は、何……?」

 

 メサイアは、突然膨れ上がった彼の気持ちが、理解できない。

 

 言葉にできないなにかに突き動かされるようにして、怪物に向かっていくコール。

 犬の怪物は、その姿を見て無感動に長大な舌で鞭打を食らわせた。

 

 

バリッ

 

「ぐッ!」

 

 彼の頬に痛々しい裂傷が走った。一瞬死を覚悟した。だが、まだ生きてる。

 それが怪物の驕りなのかなんなのかは知らないが、好都合。

 

「ああ、感謝するぜ化け物。おかげでこのクソ野郎の顔を拝める……」

 

 無表情で佇む犬の怪物を無視し、コールはその憎き人物の目の前に立った。

 無様に地を這うケラソスを、片腕にあらん限りの力を込めて起こす。彼は眼の前に来たコールの、その怒りという表現すら生ぬるい表情に、顔を青ざめさせた。

 

「いいかケラソス!! 俺が無能なのは、他ならぬ俺が一番知ってる!! お前のせいなんて、お前が悪いなんて、何度も言われてきたさ!!」

 

「だけどな!! 違うんだ!! 違うんだよメサイア!! 俺は他ならぬ──」

 

 

「お前に恨んでほしかったんだ!!!」

 

 

「!!!」

 

 

 メサイアの足元に、何かが落ちた。

 それは、ケラソスの腰元からちぎり取った奴隷船の鍵束だった。

 

 

「そいつは手向けだ」

 

「もう俺は、自分を愛せない」

 

 

「ま、待って!! コール! なんで!!」

 

 

「ミア。俺もそっちに行くぞ」

 

 

 コールはケラソスを引っ掴み、そのまま歩き出した。

 怪物の足元向けて、まっすぐに。

 犬の怪物は、顔を低くしその口から汚らしい唾液を垂らす。

 

「は、ハハハ! フヒ! 馬鹿だ! 馬鹿だぁ貴様はぁ! なんの意味もない! 何一つ理解出来ん! その小娘一人の価値も知らない下っ端風情のガキが! なぜそんなに必死になる!」

 

 発砲音が響いた。

 コールの身体が血に染る。

 

「ぐっ!! が!!」

 

「コール!!」

 

 痛みに歯を食いしばる。何発もの弾丸が身体に撃ち込まれる。その銃が空発になるまで、コールはケラソスを睨み続けた。

 

「死ね!! 死ね死ね死ねェ!!」

 

 そして、笑う。

 

「もう、遅えんだよ」

 

 コールとケラソスは、二人まとめて怪物の舌によって掴み取られた。幾重にも巻き付けられたロープのように太い舌から、逃げることはもう叶わない。

ケラソスが泣きじゃくった。

 

 

「ひ、ひぃ! いやだ! 嫌だ!! 死にたくねえぇえ!!」

 

「あ、あ……!! やめて! やめて!! 私を置いて行かないで!!」

 

 メサイアは彼の下へゆくべく立ち上がった。一緒に逝かせてくれと。でなければまた、孤独になってしまう。そんなのは嫌だと。

 

 

 

「来るなぁああ!!」

 

 

「!」

 

 だけど。

 

 

「俺はお前を不幸にしたのに!! お前は何でこっちに来ようとするんだ!! 何で、俺を恨んでくれないんだぁああ!!!」

 

 

「! ……!!」

 

 メサイアは、動けなかった。そんな言葉は、生まれて初めて聞いたから。

 

 

「お前は生きろ!!! 生きて、生きて、俺を、俺を呪い続けろ!! 俺を憎み続けろォ!! メサイアあぁああアアア!!!」

 

「や、やめてくれぇ!! 死にたくねえぇえ!! 助けてくれえぇえええぇ!!」

 

 

 大口を開けた怪物が、近づいてくる。見開かれた無機質な目で、二人をその口へと運ぶ。

 上顎と下顎の隙間が、どんどん狭まる。コールの姿が、歯と歯の間へと隠れていき……。

 

 

「生きろぉおぉおおおオオォ!!!」

 

 

「コ──!!!」

 

 

 

 怪物の口が、閉じた。

 

 閉口の勢いが風圧となってメサイアの髪を逆立たせる。

 

 二人の姿が、視界から消えた。

 

 だけど、残酷なことに、メサイアには見えていた。

 

 擦り切れていくコールの命の形が。

 

 閉じた歯に挟まれ、命が穴だらけになったのが分かった。

 

「あ」

 

 隙間なく並んだ歯に乗せられ喉へ運ばれる命が、すり潰されていくのが分かった。

 

「あ、あ」

 

 胃の中に落ち、命が底へ底へと沈み込むのが分かった。

 

「あ、あ、あ」

 

 

 溶けていく。

 もう欠片ほどになった命が、溶けていく。

 

 消えていく。

 

 分からなくなる。

 

「ああ、ぁああ」

 

 

 そして、その命が、世界から消えた時。

 

 

「ぁあ、ああぁっ」

 

 

 

「アアァアアアアァァアアァアァアアァァァアアア!!!!」

 

 

 

 メサイアは、天を見上げ絶叫した。

 

 

 

 *

 

 

 

 暗闇の中。

 

 男は忙しなく身体を動かし、自身の落ち着きのなさを鎮めようとする。

 船内が、にわかに騒がしくなってきた。数多くの人間が船を駆け回る音がし、何かが起きたことを容易に想像させた。

 

 そうやって落ち着かずに身を揺すっていた時。

 ふいに、部屋の扉が開いた。

 

「! ──おぉ!」

 

 男──エイブリーは、開け放たれた扉の先にいた、赤い目をした少女を見て、その表情を安堵のものに変えた。

 

 

「メサイア!! 無事じゃったか! よかった!!」

 

「……」

 

「心配しておった……! 船員に酷い目に遭わされてはいまいかと……! 無事に戻ってきてくれてよかった! メサイア!」

 

「……」

 

「……? メサイア、どうしたんじゃ? 儂の顔に何かついておるかの?」

 

 エイブリーは、ゆっくりと首を傾げた少女を──メサイアを見て、怪訝そうな顔をした。

 そのベージュ色の髪の毛を揺らし、人を魅せる赤い目を鋭く細めさせたメサイアは、そのまま無言で手錠の鍵を解き、部屋から去ってしまう。

 

「! ま、待ってくれ! なぜ無視する! 儂じゃ、エイブリーじゃよ!」

 

 そこまで言って、やっと少女は口を開いた。片眉を上げた、怪訝そうな顔で。

 

「……爺さん、誰だ?」

 

「!!?」

 

 

 そこに、彼が知る少女はいない。

 

 今そこにあるのは、別の存在。

 

 69番の、再来だった。

 

 

 






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