ロックスの再来0   作:イオン

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戦闘描写書いた瞬間文章力が低下するのが辛いです。




第十一話 新世界より

 

 

 

 それは、ある、哀れな男の記憶だ。

 

 生まれてこの方親の顔も名前も知らず、家族と呼べるような存在もおらず、スラム街で残飯漁りをしなければ明日を考えることも出来なかった男は、海賊にでもなるしか無かった。

 

 唯一幸運だったのは、彼が腕っ節だけはスラム街でも一番だったことだ。

 汚れたものでも見るような市民の視線を振り払わんと鍛え続けた男は、スラム街のリーダーになり、恐れられるという快楽を知った。

 

 だが、上には上がいるものだ。

 彼が成人する頃、化け物に出会った。牛に変身し、ただの腕のひと薙ぎで己の積み上げた功績や自尊心を粉々にしたその男は、だがしかし引き寄せられるような魅力のある男だった。

 

『バッファッファ!! 素人にしちゃ戦えるがまだまだだな! お前、猟奇殺人犯だろ? あいや、人殺したことすらないだろ? 拳にタマ取ってでも勝とうって芯がねえ!』

 

『つ、強ぇ……! な、何なんだ……おめえは……!』

 

『俺か? 俺の名はオベル! 山賊王、あいや、海賊王になる男だ!』

 

『……!』

 

『お前、俺と一緒に来ねえか? こんな狭い島じゃ十分堪能出来るような、あいや、味わえないような冒険を見せてやるよ!』

 

『……その言い間違えはどうにかならねえのか?』

 

 男は、その強さに魅かれて海賊になった。オベルと名乗った海賊は強く、3億を超える懸賞金を以てその名を偉大なる航路(グランドライン)に轟かせた。

 

 この男より強いやつを、自分は知らなかった。世に四皇と呼ばれるような海賊の懸賞金がどれだけ高かろうが、正義の軍隊を支える大将の名声がどれだけ高かろうが、自分を打ち負かした存在は、オベルただ一人だった。そしてその事が、男にとっては全てだった。

 

 

 なのに。

 

 

 

「はあ……はあ……!」

 

 今男は、何もかも失い森の中を歩いている。その傍に、自分が命を預けた男の姿は無い。同じようにその強さに惹かれ共に船に乗った仲間の姿も無い。

 

 オベルは、負けたのだ。

 よく分からない海流に流され辿り着いた島は、己が思う最強の男を以てしても、為す術なく殺られるような化け物が潜む地獄だった。

 

「……っ!」

 

 何度も、何度も後ろを振り返る。それだけでは満足出来ず、すかさず周りを見渡し聴覚を頼りに気配を探る。

 

 男は、恐怖していた。何でも出来る、何も恐れないと思っていた男は、その根拠たるあの猛々しい背中を八つ裂きにした犬の化け物を思う。

 

「はっ……はっ……!」

 

 思い出すだけで、呼吸が乱れた。

 突如目の前に現れたその異形の怪物は、迎え撃った翠眼海賊団の面々をたちまち壊滅させ、その地を赤く染めた。

 

 自分は必死に戦った。オベルと共に、その身に宿した悪魔の力を十全に振るい立ち向かった。だが、その鋭い牙は怪物の無感動な舌の鞭打で砕け散り、その戦意諸共バラバラになった。

 

 痛み、挫折、絶望。感じたことの無い身震いに仰向けになったまま呆然としていた男の意識は、オベルの首が半ばから断ち切れブラリと垂れ下がるのを視界に入れた瞬間に途切れた。

 

 

 それが功を奏したのか、自分は生きていた。

 いつの間にか怪物はいなくなり、自分だけがあの惨状から逃げおおせたのだ。

 

 逃げる。ただひたすらに逃げる。もう一度あの怪物に出会ってしまえば、終わりだ。今度こそ自分は殺される。

 

 その恐怖にがむしゃらに脚を動かしていたときだ。

 周囲の草木を震わせるほどの絶叫が聞こえてきたのは。

 

 

「アアァアアアアァァアアァアァアアァァァアアア!!!!」

 

 

「!?」

 

 それが一体何なのかは分からない。だが、男にとっては恐怖の対象でしか無かった。

 あの怪物の咆哮と同じだ。周囲の空気すら震わせるその声は怪物の追跡を想起させる。まさか自分の居場所が勘付かれたのかと、そう思えば余計に脚を早めるほかなかった。

 

 

 だが、男は哀れだった。

 

 逃げた先で見つけたのは、その内に蠢く恐怖を更に濃く上塗りする、真の恐怖だったのだ。

 

「あ、あ、あ……!」

 

 腰を抜かしへたり込む男は、ただ、その恐怖を見続けていた。眼の前をゆっくりとした歩みで横切ったその恐怖が、ふいに自分の方へ顔を向け、その見開かれた真っ白な目で見下ろしてくるのを見続けていた。

 

「けひ、はひぃ、ひ……!」

 

 ああ、殺される。

 その胸元を埋め尽くすいくつもの装飾品が夜光を反射し、その恐ろしい形相を淡く映し出した時、男は本能的にそう思った。

 

 そこまでいって、本能的に攻撃を仕掛けたのは、海賊としての最後の矜持だったのかもしれない。いや、その複雑な感情は表現し難い。

 とにかく、半ば無意識に男は、その腕を獣のそれに変え、全力で怪物に飛びかかった。

 

 だが、男は哀れだった。

 

 その攻撃を受けた恐怖はびくともせず、その腕を適当に払い男を地に叩きつける。

 白目を剥き、血を吐いた男は、真に心が折れる音を感じ取った。

 

 

「……」

 

 

 そして、そんな惨めな姿を見た恐怖は、その口の端を思い切り吊り上げる。

 

 

「────────」

 

 

 それが声を上げるのを聞いた時、男は泡を吹いて意識を失うのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「島の中央に行きたいだぁ? 何で?」

 

 怪訝そうな顔をし首をかしげたメサイアは、その提案をした張本人のエイブリーを見る。

 

 二人で話したいと言われ部屋に招き入れてみれば、開口一番それだ。一体なぜそんなことを言い出したのかが分からずメサイアの頭はクエスチョンマークで一杯だった。

 

「メサイアよ。その理由を話すために、儂は二人で話したいと言ったんじゃ」

 

「ふうん……その理由ってのは、一体なんだ?」

 

「その前に……以前お主は、暗闇島で少しの間過ごしていたことがあると言っていたな?」

 

「ああ、そうだよ」

 

「お主が知っているのは、一部の島の怪物のことと、その怪物が葉の成分を嫌うことじゃったな」

 

「うん、そう」

 

「そして……お主は怪物を倒した経験がある。そうじゃな?」

 

 その言葉に、メサイアは無言で頷いた。先日の船長を殺しかけたときの言葉を覚えていたのだろう。

 自分はもう弱者じゃないと。船長にも怪物にも奪われることはないのだと言い船壁に穴を開けたその光景から、エイブリーはメサイアは怪物にも勝てる存在だと予想した。そしてそれは正解で、事実彼女は奴隷船に戻る道中で虎の怪物が襲ってきたのを追い返した経験がある。

 

「そうだけど。それがどうかしたのか?」

 

「メサイアよ」

 

 

「儂は、この島の概要を一部知っている」

 

「!?」

 

 驚愕する。突如としてエイブリーが明かしたその秘密は、メサイアの冷静だった心を揺さぶり、当惑させるには十分だった。

 

「な……なんで、そんなことを知ってるんだ?」

 

「まあ……年の功、というやつじゃ。そして、儂が知るところでは、島の中心部のどこかに、あのブラックホール海流を止める手立てがある」

 

「!」

 

「この島から脱出できるかもしれんのじゃ」

 

 それはメサイアの大本の願いに寄与するものだ。奴隷という身分から開放されて、結局暗闇島に戻ってきた自分の今の状況は、さながら一からのやり直し。

 怪物を倒せるような力を得た今、メサイアのなかでの元の場所に帰るという願いは現実味を帯びてきている。その提案はすぐにでも飲みたい……だが。

 

「……でも、突然過ぎてその、信頼できる情報なのか? それは」

 

「間違いないじゃろう。暗闇島と呼ばれる以前は、この島はイーア島と呼ばれていたらしい。昔はこんな海流も瓦礫の壁も無かった……それが現れ始めた時期に、偶然儂は、その形成に関わる環境におったんじゃ」

 

「そう、なのか」

 

「もう二十年は昔の話になる。……思うに、メサイアが中心部で見た船員の死体や、消えたケラソスとコールなる人物についても、この中心部の謎が関わっているのではないだろうか?」

 

「!」

 

 なるほど。合点のいく説明ではある。少なくとも気づけばここに放り出されていた自分などより、このエイブリーの情報は信用がおけるだろう。

 怪物を倒せても、島からの脱出には繋がらないし、何かしら行動を起こすべきだったのは確かだ。そのとっかかりがこうしてもたらされたのだから、やってみる価値は十分にあった。

 

「……エイブリー。俺は島を出たい。今度こそ、その手で自由を掴みたいんだ。……あんたの案に、賭けてみようと思う」

 

「……ありがとうよ」

 

 決意を秘めた目を向け立ち上がったメサイアに、エイブリーは静かに礼を言う。

 さっそく皆を説得して、準備してくるよ。そう言って彼女は部屋をあとにした。部屋に独り残るエイブリーは、その顔を下げ、床に影を落とした。

 

「すまんなメサイア。お主を利用するような真似をして。……だが、お主のその力だけが、儂にとっての頼りなんじゃ」

 

 その背には、揺るがぬ決意と、深い罪悪感が見て取れた。指を組み合わせ、それに額をつけて俯く彼の顔は見えない。

 

「マリー、ロブ……いいや、メアリア、ロビントッド。……儂は、必ずやお前たちを見つける……必ずじゃ」

 

「その時まで、儂は死ねん」

 

 彼の言葉を、聞く者はいない。

 

 

 ――

 

 

 メサイアが島の中心部へ向かうと言えば、当然奴隷たちはその提案を渋った。

 いくら船の壁を開けるなどという力を見せつけたメサイアがいても、それに続く自分たちは所詮力なき元奴隷。島の怪物への恐怖心が拭えず、不安を感じずにはいられなかった。

 

 だが、メサイアの説得にエイブリーも加わり、島の脱出の手がかりをつかめなければ先がないことを滾々と語られた彼らはついに折れた。

 一応、葉の成分を嫌うという弱点は判明しているし、島の瓦礫から見つけた銃などの武器もあるにはある。全くもって戦えないというわけではない。

 

 議論の末、島の中心部の探索に向かう一団が結成された。

 メサイアとエイブリーを筆頭にした一団は各々が武装し、万全の準備を整えている。

 

「よし、行くぞ」

 

 メサイアがそう言えば、屈強な二十人近くの元奴隷が続き探索を開始する。

 

 一行は、島の内部を進めば、少しして怪物が金属音のような咆哮を上げ襲いかかってきた。

 彼らはすぐさま戦闘態勢に入る。

 

「来た! 来たぞ!」「迎撃しろ!」

 

「まあ待て」

 

「!」

 

 だが、メサイアを守らんと武器を構えた彼らを、他ならぬ本人が手で制止する。

 驚く彼らをよそに、彼女はその手に持った鉄パイプを黒く染めた。そして、一番近くまできた虎の怪物にそれを思い切り振り下ろす。

 

「おぉ──」

 

 身体を低くし素早く迫ってきた怪物を相手にその鉄パイプが直撃し……。

 

「らァ!!!」

 

「「!!」」

 

 怪物の頭部がひしゃげた。

 銃を跳ね返し、人を生きたまま食うと恐れられた怪物が、たった一発で、沈む。

 

 呆然とした元奴隷たちに、メサイアはニヤリと笑いかけた。

 

「道中は俺一人で十分だ。任せとけ」

 

「す、すげえ」

 

 その姿は、まさに救世主然としていた。

 

 

 ──

 

 

 森の奥の、ある洞窟。

 蟻塚のように入り組んだ洞窟は、あちこちに怪物が蠢いている。

 

 その物々しい洞窟の最深部に、巨大な影があった。

 周りには、洞窟を徘徊する怪物よりも体躯の大きな、成熟した個体が揃っている。全ての怪物が、そこに潜む主を守るかのように待機していた。

 

「……」

 

 その影は、ふとしたとき、ゆっくりと動き始めた。

 

 重々しい音を立て、その巨影……怪物は、顔を上げる。

 

 怪物は、異形の姿をしていた。

 その身体の7割に近い部分が顔であり、それはほとんど皮膚がなく、一部骨がむき出しになっている。

 まるで前方に伸長したティラノサウルスの頭部の骨のような形の漆黒の外骨格を頭部全体に見せ、硬く筋張った表皮に頭部の大きさとは似つかない小ささの目がついていた。その顔が持ち上がり、爬虫類特有の縦長の瞳孔が絞られる。

 

 

「グキャァヴァアァアアァアアアァ」

 

 

 10mはありそうな頭部のほぼ端まである口が大きく裂けた。大きく開かれた口の中に、縫い付けられるように張り付いた口輪をされた頭骨が見えた。

 

 周囲の怪物たちも咆哮する。

 洞窟は、金属音を彷彿とさせる異音を反響させるのだった。

 

 

 ──

 

 

 メサイア一行は、島の中心部に着いた。そこで彼女らは、奇妙なものを見つける。

 

「……なんだこれ」

 

 そこで、メサイアは静かに息を吐き、そこにあるものを見た。

 

「これは……石板……?」

 

 エイブリーは、訝しげな顔でそれを見た。

 そこにあるのは、鈍い色の石板のようなもの。どれほど昔のものなのか、下から生えた植物に押し上げられ、地面より高い場所に持ち上がった状態で大自然の中に不自然に佇んでいた。

 

「……一体、なんのためにこんなものが?」

 

「……用途はわかんねえ。……だけど、これは明らかに人工物だよな」

 

「うむ」

 

 メサイアは、鋭い目でその石板に手を当てる。摩擦の少ない平らな石碑は、メサイアの手をよく滑らせた。

 

「……四方八方、断面までツルツルだ。こんな平らな石、人が加工しなきゃ作れない。エイブリーの言ってた、中心部になにかあるって話が、いよいよ現実味を帯びてきたな」

 

「……」

 

「だけど少し妙だ」

 

 メサイアは周囲に目を配る。同じような石板や何かの構成物のような人工物らしき物体が、あちこちに散らばり、時に植物に囲まれ、時に地面に深く深く埋め込まれている。

 

 そして何より……。

 

「なんでこんな形にひしゃげてるんだ?」

 

 そうした人工物は、すべて無数の穴が空いてひん曲がっていたり、何かに思い切り捻じ曲げられたようになっていた。そんな異様な形の物体が、周囲にいくつも転がっている。明らかに何かがここで起きたと、そうわかる光景だ。

 

 不気味な景色に少し背筋が冷たくなる。

 

 だが、これはエイブリーの言葉の証明でもあるのだ。今更止まれない。

 

 この場でこれ以上わかることはないと判断したメサイアたちは、そのまま中心部を進んでいった。

 

 

 

 *

 

 

 

「おい、これを見ろ!」

 

 あるとき、元奴隷の一人が、大きく声を上げた。

 一行の視線が全て集まり、早足でそこへ駆ける。

 

「これは……」

 

 メサイアが、かがみ込んでそれを見た。地面に走った亀裂の間に埋め込まれるように、明らかになにかの施設と分かる建物がある。

 少し視線を動かせば、地面に埋め込まれた青白い色のハッチがあった。

 

 メサイアはゆっくりと施設の天井部分に降り立ち、ハッチのある場所まで慎重に足を進める。

 鬼が出るか蛇が出るか。彼女の顔には緊張感から来る汗が見えた。

 

 やがてハッチの下まで辿り着きその取っ手に手をかける。

 

「この中に、必ず何かある……それを探れば、ブラックホール海流も……!」

 

 

 そう思い手に力を込めた時、自分の手の震えとは違う振動を感じた。 

 

「ん……」

 

 勘違いかと思い手を離すが、取っ手の震えは収まることはなく、むしろその揺れを強めていく。

 やがて、施設の天井全体が揺れ始めた。

 

「なんだ……!?」

 

 慌てて立ち上がるメサイア。だがあまりの揺れに体勢を崩しかける。

 天井部分に散らばる小石や土の破片までもが小気味よく跳ね跳び始めた。

 

「地震!? メサイア、離れるんじゃ!」

 

「くっ!」

 

 エイブリーの言葉に大人しく施設部分から飛び退く。

 だが、そこでメサイアは、その振動が施設の天井部のみでのものでないことに気づく。 

 周囲の地面全てが、断続的に揺れ動いていた。

 

 これは……地響き。

 

 揺れの正体に思い至りまさか、といった表情になったメサイア。

 

 そして、警笛のような重厚な音とともに、その元凶が姿を現した。

 

 

「グキャァアァヴァアアアァッァア」

 

 

 見えてきたのは、頭部が異常なほど肥大化した蜥蜴のような怪物。

 大型で重厚な鱗に包まれた極太の脚を動かし、その巨大な顔を持ち上げて運んでいる。顔はティラノサウルスの頭骨のような外骨格をベースに、黒い硬皮で包まれていた。

 

 

「なんだありゃ!?」

 

「「うぁあぁあああ!!」」

 

 異形の怪物。そう言って相違ない化け物が、勢いよくメサイア達の下へ迫ってきた。

 

 

「くっそ……!」

 

 すかさずメサイアは武器を持って走り出す。

 黒く染めた鉄パイプを思い切り叩きつけた彼女は、しかしそのびくともしない表皮の硬さに目を見開く。

 あまりの硬さに、鉄パイプ越しに痺れるような重みが伝わり怯んだ。

 

「硬……っ!?」

 

 そういって顔を歪めたメサイアに、怪物は10mはありそうな下顎を擦り付けるようにして止まり、その口を開ける。

 

 口を開けた瞬間見えた、口内の異様な顔の骨と、目があった気がした。

 

「な……」

 

 その異質さに数秒固まる。そんな無防備な姿を晒した彼女を放っておくはずもなく、怪物はその鋭利な牙をメサイアの肩目掛け振り下ろした。

 

「ぐァ!!」

 

 咄嗟に後方へ飛び退いたが、避けきれずに肩にでかい裂傷を受ける。

 利き腕の方の肩をやられた。

 鉄パイプも取り落とし致命的な隙を生むも、咄嗟に割って入った元奴隷たちのおかげで一時的な猶予を得る。

 

「メサイア様! よくも……!」

 

 

 すかさず立ち上がり後方に下がるメサイア。他の元奴隷も、目の前の規格外にでかい異形の怪物に怯えつつも立ちふさがった。

 そんな彼女たちを異形は無表情で見つめる。襲いかかるわけでもなく、ただ牙についたメサイアの血を舐め回すようにそのバカでかい口をモゴモゴと動かし続けていた。

 

 だが、数秒してその無機質な様子だった爬虫類の目が、カッと見開かれた。

 すわ攻撃が来るかと身構える一行。だが、その予想に反して怪物はその巨大な頭を持ち上げ上空向けて大口を開け放つ。

 

 

「グキャガヴァアアアァァゴォオオゥウォオオ──」

 

 

「……っ!!」

 

 怪物が咆哮する。

 その瞬間、メサイア達を包む空気が変わった。

 嫌な予感に周囲を見渡す彼女らは、やがて眼の前の怪物が起こすものとは違う地響きが近づいてくるのを感じ取る。そしてそれを起こす存在が現れた時、先程の咆哮の意図が威嚇ではなく招集であるのだと理解した。

 

「「ギュウゥゥオゥオォオォ」」

 

「!!」

 

 森から続々と、猿のような見た目の怪物が躍り出てきたのだ。

 各々が瓦礫を固めて作った武器のようなものを持ち、さながら人のようにそれを構えて接近してくる。

 

 平均で体高は6mはある。そして武器を持っているあたり知性もある。虎や牛よりも脅威度は上だろう。そんな怪物が、何十体という数でメサイア達向けて迫った。目の前の蜥蜴のような怪物の一声で、そんな絶望的事態が作り上げられたことに、メサイアは愕然とした。

 

 

「ふざけんな……! 虎や牛みたいな猛獣崩れとは訳がちげえ! これじゃあマジで怪物じゃねえか!!」

 

 メサイアは、その怪物の存在が今までの怪物とは一線を画すことに気付き、投げやりがちな叫び声を上げた。

 

 こんな怪物がいるなど知らなかった。島の中心部に近づいた事を、初めて後悔する。

そんな中、後ろから武器が地面に落ちる音が聞こえた。

 思わず振り返れば、その手に持つ武器を取り落とし、目を見開いて呆然とした様子のエイブリーの姿があった。

 

「こ、れは……馬鹿な」

 

「エイブリー…!」

 

 彼も想像できなかったのだろう。こんな怪物が中心部に潜んでいることなど。

とにかくこの状況は実にマズい。少しは戦える自分が殿を務め退却しようと、メサイアは声を上げる。

 

「おいお前ら逃げるぞ!殿は俺が果たすから――」 

 

彼女はそう言って腕を黒く染めた。両の拳を構え怪物たちへと向き合い戦う覚悟を決めて腰を低く構える。

だが、そんなメサイアの肩を強く掴む存在がいた。

 

「だめだ」

 

「は…?」

 

そう言ったエイブリーは、なにか決意めいた顔で戦闘態勢をとるメサイアより前へ歩く。咄嗟に静止しようとする彼女が口を開けるが、その口がなにか言葉を発する前にエイブリーは大声で全員に呼びかけた。

 

「お主らは逃げろ!!」

 

「「!!」」

 

「な!? 無理だ! あんたも逃げろエイブリー!」

 

「いいや、こうなった原因は儂にある……! ここは儂が囮になるから逃げろ!」

 

「……!」

 

ズキン。

 

 その言葉の何が引っかかったのだろう。自分の頭の中で、何か、どうしようもなくやりきない感情が渦を巻いて肥大化するような感覚がした。

 自分を庇うように前に進み出たエイブリーの背中に、何かが重なった。

 

「さあ儂はここじゃ! どこにでも連れて行くが良い!!」

 

 そう言ってエイブリーは一歩進み出る。丸腰の状態で蜥蜴へと歩み寄っていく姿は、

 彼の提案がなければこの状況は無かったであろうことを考えれば、エイブリーの中で大きな罪悪感が湧き上がっただろうことは想像に難くない。だが、だからといって彼一人が犠牲になるという結末を容認出来はしない。

 

「え、エイブリー! ダメだ!」

 

「すまんなメサイア。儂のエゴに巻き込んでしまい……」 

 

「え……?」

 

 メサイアは何を言ってるのかよくわからず、固まってしまう。彼のエゴという言葉の意図はなんだ。島から出る術を探すことは、自分たちのためでもあるはずなのに。

 

 

 そう思っていたときだ。眼の前が真っ暗になったのは。

 

 少しして、目線を上げる。

 眼の前に、口輪をした頭骨の、ぽっかり空いた眼窩が見えた。

 

「え」

 

 

 メサイアの目の前に大口を開けて飛びかかった蜥蜴の怪物は、その地面の土をえぐり取りながらメサイアを丸呑みにした。

 

 

「「「──め、メサイア様ぁあああァァアア!?」」」

 

 

 その後に響きわたった、元奴隷たちの悲鳴。

 全員が顔を真っ白にして彼女の名前を叫び、蜥蜴の怪物に攻撃を仕掛けた。だが、放った銃弾も、突き出した槍も、猿の怪物に阻まれ空振りに終わる。

 

 

「……!? な、何故じゃ。なぜメサイアを狙う」

 

 元奴隷たちの悔しげな声が聞こえる中、ただ一人、エイブリーだけが困惑し、メサイアを咥え逃げていく怪物の姿に引き止めるように手を持ち上げていた。

 

「待て! 待ってくれ!! 頼む!!」

 

 その呼びかけに、遠のいていく蜥蜴の背は一切の反応を示さなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

 土と、石と、瓦礫と、唾液。

 暗闇の中でそういった物が不定期に身体を覆ってこようとする。不快だ。

 

 メサイアは、蜥蜴の怪物の口の中で、どうにか脱出できないかと足掻いていた。怪物の巨大すぎる口は、子供の身体であるメサイアを的確に噛み砕くことは叶わず、結果彼女は口の中で生き残っていた。

 

「ああ、くそ……! 鬱陶しいな……!」

 

 唾液と小石が邪魔をし、うまく歩けない。自然這いつくばって登山のような体勢で口の中をうろついていたメサイアは、どうにかして奥歯のあたりまで移動し、そこから見える頭骨に目を向けた。

 

「……どう考えても重要機関だろう、口の中の頭骨なんざ! そこが本体か!?」

 

 口の中というデリケートな部分に存在する場違いな頭骨は、メサイアには致命的弱点に見えた。

 

 舌と歯の間に立ちどうにかバランスをとった彼女は、懐に備えていた短剣を持ち、その刀身を黒く染め上げた。

 

「俺を食ったこと後悔させてやる──!?」

 

 しかし、狙いを定める前に、車の衝突事故にでもあったような衝撃がし、メサイアは勝手に外へ放り出された。

 

「ぬぅあぁあ!!?」

 

「グキャアアァガアァアア」

 

 メサイアと蜥蜴の怪物が、同時に悲鳴を上げる。

 自分はともかく、なぜお前まで叫ぶのだ。そう思った彼女は、空中で顔を動かした。

 

「──あっ」

 

 その先に見えものに、メサイアは息を呑む。

 

 

 蜥蜴の怪物の横合いから噛みつくように、()()()()()()()()が突撃してきていた。

 

 

「ぐ、う……っ! ……」

 

 地面に墜落したメサイアが、ゆっくりと上体を起き上がらせる。

 そして顔を上げてみれば、そこは異形の怪物同士の殺し合いの光景があった。蜥蜴の怪物はその長大な尻尾をしならせることで犬の怪物を退け、両者が向き合う。

 

 

「グキャアァアヴァアァアアアァア」

 

「ヴォロォオォオオオォオォォオオオ」

 

 

「な、なんだよ、こ、れ」

 

 片や、高さ8m、長さ10m以上の異常の頭部を持つ漆黒の蜥蜴の怪物。

 片や、体高6m、三つある首から芯まで冷える唸り声を上げる漆黒の犬の怪物。

 

 メサイアは、茫然自失としたまま、その怪物同士の衝突を見ていた。

 自分が思っていた暗闇島の恐ろしい光景というものは、こんなだったのだろうか。

 いや、違う。自分の拙い思考からくる妄想とは、比べるのもおこがましい。

 

 初めて理解した。

 自分は、この島の恐ろしさを見誤っていたのだ。この島は、たかが銃弾の一発や二発弾く程度の虎や牛など可愛いものだと言えるような、規格外の生態系を築いていたのだ。

 

 

「ガァアァアアア」

 

 蜥蜴の怪物が突進した。だが、犬の怪物は身のこなしが軽く、何度反転し追撃しようが全く当たらない。その巨体のどこにそんな敏捷性があるのかと言うほどの速度で、岩場から岩場を跳躍した犬は、その首のひとつから舌をしなるように打ち付け蜥蜴を牽制しながら、頭部と比べればお粗末な体躯の胴体部分を狙い撃ちした。

 

 蜥蜴も負けじと、その身体を回転させ、巨大な頭部をハンマーのようにしてスイングする。

 犬は咄嗟に宙で器用に防御姿勢をとった。だが、その勢い自体を殺すことはできずに、そのまま十数メートル吹き飛んだ。

 

「ヴォロォオォオオ」

 

 反撃とばかりに、犬は空中で一回転し左前脚を見えないほどの速度で振りかぶる。

 

 その瞬間、腕が描いた軌跡に沿うように、鉤爪型の()()()()が放たれた。

 

「グキャァア」

 

「はっ……!? なんだありゃ!?」

 

 はっきりと鎌風が目の前を通り過ぎるのを見たメサイアは、それを限界まで見開いた目で追う。それは高速で蜥蜴へ突撃し、盛大に土煙を上げた。

 

 あんなもの喰らってタダで済むはずがない。そう思い煙の中を凝視する。だがそこには、変わらずその巨頭をもたげた怪物が仁王立ちしていた。

 

両者の無機質な視線が交錯する。

今までの打ち合いは前座だと言わんばかりに、怪物は大きく咆哮し周囲の空気を一変させた。

 

 

「グキャァアヴァアアァアアァアア」

 

「ヴォロォオォオオオォオオォオオォ」

 

「お、おいおいおいおい……」

 

 

 その時だ。二体の怪物に異様な変化が見られたのは。

 

最初に、蜥蜴の頭部が変色。その巨大な頭が黒緑色に染まった。巨頭の存在感が一段と増し、かの怪物から底知れない陽炎のようなオーラがその身を包んでいるように感じられた。

 

 そして、それを見た犬も負けじとその身の一部を青黒く染め上げた。四肢の先と三つの頭部を変色させた怪物は、その身を支える岩場にヒビを入れさせるほど体重をかけて進撃の準備をする。

 

 

「まずっ──」

 

 

 そして、怪物同士が、再度衝突した。その前にメサイアは退避しようとしたが、その衝撃波の規模は凄まじく、為す術なく吹っ飛ばされる。

 

「ぎゃああっ!!」

 

 吹き飛ばされている間にまた衝撃波が来、追加で転ばされていくメサイアは、どんどん怪物から遠ざかっていった。そしてようやく止まることができた彼女が見たのは、壮絶な戦いの光景。

 

「ギァヴァアアァアアアァァアァアアァ」

 

「ヴォロォォオガァアォオォォオオオォ」

 

 蜥蜴が顎を叩きつけるたびに、地面の岩場が隆起し、犬を襲う。それを跳躍して躱し、時に前脚を薙いで岩を破壊して接近した犬は、蜥蜴の口内から発射された火炎弾にぶちあたり煙を上げながら墜落する。しかし、焼けただれた皮膚はすぐさま煙とともに再生し、犬は即座に反撃に出た。前脚の筋肉が脈打ち肥大する。

 

「グキャアア」

 

 蜥蜴は次に来るだろう攻撃を直に受けまいと、地面を下顎で削り持ち上げる。

 実に数十メートルはあろう岩場を切り出した蜥蜴は、そのまま犬目掛けて岩を投げ飛ばす。

 

 しかし犬もただでは受けない。

 空中で一回転し迎撃体勢を整えた犬は、右側のひしゃげた顔の口を大きく開け、その後青白い光線を放った。

 

「ぐっ!!」

 

 それは、岩片に当たった瞬間大爆発した。その余波は高熱を帯びたままメサイアを襲い、彼女はたまらず腕で顔を覆って呻く。

 至近距離でそれを受けた蜥蜴は対応が遅れたようだ。

 

 だが、それだけだ。蜥蜴の硬さは尋常ではなく、その光線や爆風が直撃しようが後退るだけで動じない。

 決め手に欠けると判断したのだろう。犬はそれを機に攻撃パターンを変える。

 犬は四肢と三つある首を高速で振動させ始めた。その瞬間、犬の怪物の身体からジジジ……というノイズのような音がし出す。何をするかと思えば、その振動でブレた四肢と複数の顔は、たちまち同じ体躯の犬の分身を蜥蜴とメサイアに披露した。

 

 

「……おい、マジかよ」

 

「グキャアアァァァ」

 

 唖然とするメサイアと、警戒する蜥蜴の怪物。

 そんな様子を見て、複数体の犬は残響が走るほどの爆発的な速度で駆け出し、一挙に蜥蜴を襲った。

 

「ギャヴァアァァアァ」

 

 五体以上に増えた残像は、過半数がその頭部を、そして残りが身体を狙った。

 蜥蜴が悲鳴を上げる。頭部よりも身体部分はいくらか防御力が低いようで、その鋭利な爪や牙によってどんどん傷ついていく。

 

 飛び散った血が地面につき、その戦場を次第に赤く染め上げていく。

 

「ガァアアァ」

 

「ヴォォオォオ」

 

 だが、蜥蜴は負けじと顎を岩場に擦り付け、摩擦で火花を散らした。すると、どういう訳か地面が火の海になる。驚いた犬が叫び、攻撃が弱まった。

 

 

「──血液が、発火……!」

 

 火の勢いを強めた要因は、地面に付着した血液だったようだ。たちまち二体の怪物は業火の中に消える。

 これにはさすがの犬も効いたようだ。分身は火の渦に拘束する蜥蜴をどうにかすべく同時に青白い光線を放出。多方向からの強力な攻撃を受けた蜥蜴が火の中から吹き飛んできた。

 

 それは高く宙を舞ってメサイアの頭上を通り過ぎ、地面を抉りながら墜落する。

 

 

 その後、火の海から逃げるように出てきた犬の怪物。

 蜥蜴を追撃すべく向かってきたのであろう怪物だが、やがてその導線上にいたメサイアと目が合った。

 

「く、くそ……」

 

 犬の怪物は首を低くしメサイアを見る。その首を数回傾げ、その無感情な目を瞬きさせた。

 やがて、そのヤツメウナギのような歯を並べた異形の頭部から舌が伸びる。

 

「やべっ──」

 

 咄嗟に腕を交差し防御するが、そのあまりに速い攻撃は腕を通り越し彼女の頭部を薙ぎ払った。その鞭のような舌は表皮を焼かれたかのような突き抜ける痛みを味わわせる。ビリ、と裂けた皮膚から血がにじみ出た。

 

「ぐァ!?」

 

 弾かれたように地面を転がったメサイアは、そのまま地面に大の字の形に縫い付けられ、動けなくなった。

 

 流れる血がゆっくりと降下し、地面へと滴り落ちる。

 脈動する血の流れを感じ、頭痛がした。

 

 

ズキン。

 

 

 その時だ。フラッシュバックするように、この犬が作り出した光景が思い出された。

 なぜ、とそう思うが、やがて見えてきた景色にその思考は打ち切られる。

 

 犬の怪物向けて歩いていく金髪の男が視えた。

 

「えっ……?」

 

 

 見に覚えはない記憶だが、そこに映る人間の姿は、忘れるはずもない。自分が探していたものだった。

 

「──コー、ル……? なん、でっ……!?」

 

 自分を睨み、必死で叫びながら死んでいく金髪の男の、コールの姿が見えた。

 なんだこの記憶は。自分はこんなものは知らない。でも、どうしてだろう。夢や幻だとはとても思えなかった。

 その景色で彼が叫ぶ言葉はあまりにも強烈で、重く、言葉にできない感情が籠もっていた。

 

 

『俺はお前を不幸にしたのに!! お前は何でこっちに来ようとするんだ!! 何で、俺を恨んでくれないんだぁああ!!!』

 

『お前は生きろ!!! 生きて、生きて、俺を、俺を呪い続けろ!! 俺を憎み続けろォ!! メサイアあぁああアアア!!!』

 

 

その呪いのような言葉の一つ一つが、耳を、頭を巡った。

 

ああ、これは。

 

「あ、あぁ」

 

 そう言ったコールの真後ろから、犬の怪物が口を開け放ち迫ってくるのが視えた。

 

「う、そだ」

 

 いいや、嘘じゃない。分かっている。直感がこれは現実だと、真実だと訴えかけてくる。ただ、頭がそれを受け入れたくないだけだ。

 

 無情に閉ざされた、犬の怪物の口が見えた。

 

「嘘だ」

 

 必死でそう言うが、心のどこかではもしかしたらと思っていたのかもしれない。船員が壊滅したなかでたった二人行方の知れないケラソスとコール。そんな彼らが生きているというのは望み薄だと。

 

 白黒の、ノイズがかった記憶が、頭の中で繰り返される。

 繰り返す度に鮮明になっていくその映像。何十回とその体験したこともない記憶を味わって、やっとその事実を理解した。

 

「そうか……死んじまったんだな……コール」

 

 そうだ。コールは、死んだのだ。ケラソスを道連れにして。その内の、やりきれない感情を吐き出しながら、死んだのだ。

 

これも記憶喪失か。愚かだ。

自分は彼の言葉も、想いもろくに受け取らずに逃げて、目を背けて、忘れていたというのか。

罪悪感が、苦しみが、困惑が、複雑な感情が脳を埋め尽くす。

 

 顔を手で覆う。膨れ上がった感情が涙となって溢れた。もう片方の手で、何度も地面を殴りつける。

 

「なんでだよ……なんでお前が死ぬんだよ。俺はお前に、何も返せてないのに」

 

『お前は生きろ』 

『俺を呪い続けろ』

 

「ああ、呪うよ、呪うさ。こんな苦しい思いばかりしても、お前は生きろって言うんだろ……!」

 

 ゆっくりと起き上がり、恩人を殺したその憎き存在を睨みつける。

 舌を血で濡らした犬の怪物が、笑ったように感じた。その丸太のような前脚を一歩踏み出し、近づいてくる。

 

「ヴォロォォ」

 

「……なに、笑ってんだお前」

 

 フツフツと怒りが、憎悪が湧き上がる。

 

 脳裏に蘇る。

 ケラソス諸共怪物に喰われながら、叫び続けた彼の姿が。

 

 ジリジリと、身体の芯が冷えていく。

 

「──笑うんじゃねえ」

 

 拳を握りしめる。

 

「あいつがどんな気持ちだったのかも知らず……!」

 

 血が滴り落ちる。

 

 メサイアは、その憎き怪物向けて叫んだ。

 

 

「笑うんじゃねえぇえエエ!!!」

 

 

 気づけば、彼女は痛みも忘れて、地面を駆けていた。

 

 

「──うらぁあぁああァア!!」

 

 

 メサイアが地を蹴りつける。

 避ける気配もない犬の顔面向け、迷いなく突っ込んだ。

 

 怒りに身を任せ、その身体に向けて漆黒の拳を振り抜いく。肩の痛みも、額から流れる血も、何もかも忘れて腕を振るった。

 犬の頭部に、彼女の一撃が突き刺さる。

 

 骨まで粉砕する気持ちで殴った。頭ごと消し飛ばす気持ちで殴った。

 

 

ゴキン。

 

 

 

「なぁっ──」

 

 

 だが、その鉄の塊のような身体に触れて、理解した。

 

 

 勝てない。

 

 

 触れて初めて分かった、かの怪物と、自分の、絶望的なまでの差。

 はっきりと、視えたのだ。怪物の存在感が、器が。強さが。

 自分のちっぽけな力を、明確な差を見せつけられて、自覚した。

 

 

「ぁあァア!!」

 

 

 拳が、真っ赤に腫れ上がった。素手で鋼鉄を殴りつけたような、あまりにも重すぎる痛みに、メサイアは叫び手を押える。

 

 

「ヴォォ」

 

 

 そして、犬のやる気のなさげな前脚の一振りによって、地面に叩きつけられた。

 防御は、した。したはずだ。全身に力を込めて、漆黒の身体に武装していた。

 

「がはっ!!」

 

 なのに、痛い。

 死ぬほど痛い。血を吐き、地面に撒き散らす。骨が折れた。内臓が押しつぶされる。

 起き上がる気力も起きない。せめてもう少し休ませてもらえないと、とても動けそうになかった。

 

 圧迫された肺から空気が漏れだし、息ができなくなる。

 

 飛んで火に入る夏の虫とは、まさに今の自分のようなものを言うのだろう。

 

 殺してやろうと思っていた。たかだか犬ごとき、簡単に殺せると思っていた。

 だが、実際はどうだ。

 自分の渾身の一撃は、相手に効いた様子は毛ほどもない。

 

「くそっ……!」

 

「くそおぉおおオォ──!!」

 

 彼女は血を吐きながら腕を地に叩きつけ叫んだ。

 

 これでは、どうしようもないじゃないか。

 

 どうやってコールの仇を討てばいい。

 どうやって、死んだ彼に顔向けすればいい。

 

 地面に滴り落ちた水滴で土が滲む。……これは、雨か。

 

 見上げれば、島の上には暗雲が立ち込め、それはたちまち雷雨を引き起こした。

 己のやるせない心情を表すような気候に、メサイアは力なくうなだれる。

 

 雷鳴が鳴った。

 眼の前の地面に写し出された自分の影ごと包み込む犬の形をした影に、死を覚悟した。

 

 

 だが、そこで蜥蜴の怪物が横合いからその漆黒の胴へ噛み付いた。

 

「ヴォロオオォオァアア」

 

 叫び声を上げ吹き飛んだ怪物は、蜥蜴の拘束を暴れて抜け出す。

 雷鳴が鳴る。

 身体が痺れ一旦動きを止めた蜥蜴は、胴体から血を流し唸る犬に向き合い咆哮した。

 

 

「グキャァアヴァアアァァァ」

 

「ヴォロォオォオオオォオオォ」

 

「……!」

 

 また、雷鳴が轟いた。

 両者の間に落ちた落雷は一瞬メサイアの目を焼き、視界を遮る。

 およそ現実の光景ではない。メサイアの怒りと悔しさは、絶対的な差を感じ余計に増幅していった。

 

「く、そ……」

 

『生きろ』

 

 

今一度響いた言葉に、ふと思い至る。

そうか。だから自分は逃げたのか。

この怪物たちをいつか殺すために。生きて、泥臭く逃げてでも、生きて、いつかこの怪物共に復讐するために逃げたのか。

 

「くそ…!」

 

弱者の思考だ。奪われるものの行動だ。

何もできず、記憶を失うような醜態を晒した自分を罵倒する。そこらの怪物を殺せるからと言い気になっていた自分を恥じる。

 

「くそ!クソォ!!」

 

 地面に何度も拳を叩きつけた。

 血で染まった拳が痛みを訴える度に、決意が固まっていく。憎悪が、膨らんでいく。

 

「ああ、生きてやる……生きてやるよ!」

 

 そして、その巨躯が勢いよくぶつかりあった瞬間。

 彼女は血走った目を向けながら起き上がった。その恐ろしい姿を目に焼き付ける。倒すべき怨敵を、決して忘れないために。

いつか、この屈辱に染まった顔を、その汚れた返り血で塗りつぶすために。

 

「絶対に許さねえ……! いつか絶対に、お前らを殺しに、戻ってきてやる……! 覚えてろ、くそ、怪物共……!!」

 

 血が滲むほど拳を握りしめたメサイアは、そう言って駆け出す。

 後ろから聞こえる怪物たちの激突音を聞く度に、その怒りの念を強めながら、彼女は駆けた。逃げた。

 

 生きるために。

 いつかこの憎悪を糧とするために。

 

 

 

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