ロックスの再来0   作:イオン

13 / 14
第十二話 翠の徒濁る

 

 

 

 メサイアは、息も絶え絶えになりながら、船まで戻ってきた。

 

 船の近くで辺りを警戒している元奴隷たちは、メサイアの姿を見て見開き、その後大声で喜びの声を上げた。

 

「め、メサイア様だ! メサイア様だぞぉ!!」

「生きていらっしゃったんだ!!」

「よかった! よかったぁ!!」

 

「「うぉぉぉおぉ!!」」

 

 そうやって喜ぶが、彼女が傷ついていることに気づいてからはすぐに船医に見せなければと少し慌ただしくなる。

 彼らはメサイアを保護し、即座に船内に連れて行った。

 

 そして向かった医務室の中で、メサイアは見知らぬ男が眠っているのを目撃する。

 

「……誰だそいつは?」

 

 複数人の元奴隷に抱えられたまま、彼女は怪訝そうに首を傾げる。

 複数並ぶベッドは、内二つが占領されており、片方は傷ついた船長が回復のために寝ており変わらぬ光景だ。そしてもう一方のベッドには、これまた傷だらけのくすんだ金髪の筋肉質な男。

 

 ある程度治療が行われている船長と違い、こちらは最近治療を開始したばかりのようで、今も船医が消毒を終えた箇所に包帯を巻く作業を行っている。

 彼はメサイアの問いにああ、と顔を上げ、頭を掻きながら事情を語る。

 

「メサイアさん。まずはよくご無事で。この男ですが、島の中心部に向かった探索隊が連れてきたのです。なんでも、貴女が異形の怪物に連れ去られた後、猿の追撃を躱すなかで、彼が倒れているのを見つけたとか」

 

「それってつまり……島の生存者ってことか……!?」

 

「……いえ、それが……」

 

 メサイアが驚きを隠せない様子でそう言えば、船医は少し言いにくそうに目を左右に動かす。

 その様子に疑念を抱くメサイアだが、そこでエイブリーが凄い勢いで医務室へ入ってきたことでその思考は中断される。

 

「メサイア! 無事じゃったのか!!」

 

「! エイブリー!」

 

 そう言って深い安堵の表情を浮かべ近付いたエイブリーに、メサイアもまた安堵の表情をする。

 自分は特別な力を持つから助かった。だがエイブリーたちは紛れも無い生身の人間だ。自分が連れ去られた後に彼らがどうなっていたのかは気掛かりなことではあった。

 

「無事だったんだな……!」

 

「メサイアの知識のおかげじゃ。あの蜥蜴が去った後に襲ってきた猿は、同じく葉の成分を酷く嫌った……。ギリギリではあったが、どうにか逃げることは出来たんじゃ。その中でこの男を見つけたのは予想外じゃったが……」

 

「そうか……なあ、こいつは一体何なんだ? 俺は現地の生存者がいるなんて知らなかったんだけど……」

 

「……儂も分からん。この男を見つけた時は怪物から逃げる途中で、皆必死じゃったからな、彼が何者なのかは分かっていない」

 

「そうなのか……うっ……!」

 

 そこで、受けた傷が痛み顔を歪める。エイブリーはその傷ついた身体をそのままに会話することを嫌い、一度話を締めることにした。

 

「……ひとまず今は治療を優先しよう、メサイア。そこのベッドで治療を……」

 

「あ、うん……」

 

 それに同調した元奴隷たちも合わせて治療を勧められてはメサイアも敵わず、大人しく布団を被せられる。

 だが、メサイアはすぐ近くに横たわる船長の姿を目に入れて顔を顰めた。先日目を覚ました時のメサイアによる殺害未遂事件以降彼の処遇は混迷しており、結局そのままになっていた。

 

「なあ、あんた」

 

「え、はい」

 

 そこで、頭の傷の状態を診ていた船医がメサイアの声掛けに少しビクッと肩を跳ねさせる。

 

「コールとケラソスは死んでいたぞ」

 

「!!」

 

 その言葉に、彼は思わず包帯を落とした。唐突に齎された船員の死の事実は、船医に強い衝撃を与える。

 反射的に本当か聞き返したのは、彼の強い孤独感が理由であった。

 

「た、確かなんですか!? まさか、あのケラソスさんが……まさか」

 

「確かだ。三つ首の犬に食われる光景を思い出した。記憶喪失の弊害か未だ他は朧気だが……そこだけは事実だ」

 

「……」

 

「もう、船長はいるだけ無駄だな」

 

「……!」

 

 そう言って唾でも吐きかけるような軽蔑の目で船長を見るメサイアに、船医は思わず俯く。

 彼女が彼を生かした理由たる両名の生死が定かになった以上、もう船長がここにいる意味は無い。

 それを聞いた周りの人間はメサイアの言葉に共感し、その場で船長を好き勝手貶し始める。

 

「そうだ! 今すぐこんな奴処分すべきだ!」「散々俺たちを好き勝手拷問した報いを受けさせろ!」「怪物に食わせた方が苦しませられるんじゃないか!」

 

「や、やめてください! 私の患者なんです!」

 

 船医は慌ててその場を抑えようとする。だが船長を庇えば自然その矛先は彼へ向き、たちまち部屋は口論の場になった。

 

「患者患者って、医者の矜恃だかなんだか知らないがいい加減にしろよ!」

 

「し、素人に何がわかるんです! 私は私なりの意志があって!」

 

「こっちは全員が被害者なんだぞ!!」

「前は拷問しても治療してくれなかったのに、こいつは治療するのかよ!」

「都合のいいことばっか言いやがって!」

 

「だ、だったら私は、メサイアさんの治療を放棄します!」

 

「「あぁ!?」」

 

 口論は激化したが、奴隷たちが船医に掴みかかろうとしたところで彼がそんなことを言い、部屋は更に剣呑な空気になる。

 

 船医は奴隷商会の人間が自分一人になる状況を恐れていた。彼は船員が壊滅したという事実を聞いてからその不安感に常に苛まれており、島から脱出出来るようになっても自分だけ置いていかれるのでは。とか、危機的状況になったら真っ先に囮にさせられるのでは。とか、考え出したらキリがない。

 

 だから船長には生きて欲しいのだ。自分が孤立するのを防ぐためにも……あわよくば、自分より遥かに恨まれている彼が囮や犠牲になってくれればと、打算的な考えを持ちながら。

 

 船医はそのために自分の医療の知識を十全に利用する。唯一の医者という身分は奴隷達の言葉に対抗出来る強いアドバンテージなのだから。

 

「わ、私達が憎いなら別に殺したっていい。ですが、私が死ねば傷ついたメサイアさんがどうなるか……! 傷口が原因で未知の病気に罹るかもしれない!」

 

「……別にただの引っ掻き傷だし、消毒と包帯巻くくらい俺でも出来るんだが?」

 

「……! で、ではこの男はどうです! 現地住民として、貴重な情報があるかもしれませんよ! 彼の傷は大きい、私でしか治療できない!」

 

「……チッ」

 

 メサイアの痛い指摘に顔を歪めた船医は、次いで今日発見された男を指差した。

 彼が貴重な情報を持つかもしれないという指摘は無視出来ず、メサイアは不快そうに舌打ちする。

 

 島からの脱出は皆の総意だ。

 奴隷達も不満ではあるがその言葉に反論が出ず、やがてメサイアの深い溜息と共に議論は終わった。

 

「……そいつの治療は重要だろ。お前がそいつを治療してる間はひとまず船長の件は保留にしといてやる。皆はそれでいいか?」

 

「……儂は異論ない。感情的になって真の目的を忘れてはならん」

 

 エイブリーが賛同すれば、ほかの全員も渋々頷く。船長を睨みつけながらも元奴隷たちは各自の作業へと戻って行った。部屋から喧騒が消え、メサイアの治療が再開される。

 

「……さっさと治療を終わらせてくれ。俺は今すぐにでもこの島のクソ怪物共をぶちのめしたいんだ。……そこのクソ野郎と一緒の部屋にいるのも不快だしな」

 

「……はい」

 

 メサイアは不機嫌そうに船医にそう伝える。彼女は島の中心部で会った異形の怪物たちを思い出し、強い討伐衝動に駆られていた。

 コールを殺した犬の怪物も、島の謎の解明を妨害した蜥蜴の怪物も、決して許せない。だが、今のままでは勝てないのも理解している。だったら、島の怪物を殺して、殺して、強くなるしかないだろう。

 

 一刻も早く怪物を狩り尽くし必ずあの異形共を滅してやると、メサイアは決意し拳を震わせた。

 

 

 二つ横のベッドの上で、船長が凍てつくような無表情でその姿を見ていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 数日後。

 

 瓦礫に囲まれた島の海岸をエイブリーは歩いていた。瓦礫の床に散らばる漂着物を木の棒でかき出し、その下の層の瓦礫にまで目を通している。

 

「何やってんだ? エイブリー」

 

 そこへ現れたメサイアが、包帯が巻かれた頭を覆うベージュ色の髪の毛を揺らしながら歩いてきた。

 最近怪物が近づく度に果敢に迎撃しその脅威を押し返してきたメサイアの健闘は、戦闘能力の乏しい彼らの探索範囲をどんどん広げていた。

 

「メサイアか。……捜し物じゃよ。見つかる宛のない、な」

 

「……?」

 

 そう言って力なく笑うエイブリーに、メサイアは首を傾げる。

 彼の持つ知識を信用しているメサイアからすれば、瓦礫漁りなんて地味な行為も興味の対象になる。

 ちょっとした期待を以って隣に来てみれば、彼は額にかいた汗を拭い棒を瓦礫に突き刺し休憩を始めた。

 

「メサイア。この行動を島からの脱出のためだと期待しておるな?」

 

「よく分かるな、それも年の功か? ああ、そうだよ。島の瓦礫を調べるのが海流の真相に関わってるんじゃって思ったんだけど、違うのか?」

 

「残念だが違う。これは私情から来る愚行じゃよ」

 

「私情?」

 

「儂に妻と息子がいると話したことは、覚えておらんかの?」

 

「……ごめん。覚えてない」

 

「息子の名はロビントッド。妻の名はメアリアという……少しお主の名に似ているな?」

 

 エイブリーは冗談めかした風にそう言って微笑んだ。確かに、と微笑したメサイアは、瓦礫の上に座り込み彼の話を聞く。

 

「二人には苦労をかけた……儂とメアリアの間には子が4人産まれたが、ロビントッド以外は天に恵まれなかった……。3人は皆成人する前に病死し、メアリアはそれはそれは打ちひしがておった。長男のロビントッドもまた、やがて一家の長になることに重荷を感じておったようで……それを支えてくれる兄弟たちが次々に死んでいくのは辛かったに違いない」

 

「それは……大変だったな」

 

「うむ……本当に、二人には苦労をかけたものじゃ。……だから二人が失踪したとき、儂が自ら奴隷になったのは当然の精算とも言えような」

 

「!」

 

 重々しくそう呟いたエイブリーに、メサイアは目を見開き彼の横顔を凝視する。自分から奴隷になった? そんなことがあるのか。

 てっきり、あの商会に不幸な理由で捕まったのだとばかり思っていた彼女にとって、その事実は衝撃的だった。

 

「自分から、奴隷に……? ていうか、失踪って……」

 

「……話せば長くなる。儂らは過去に、罪を犯したんじゃ。それが地獄の始まりじゃった……儂らが犯した罪は重く死罪に値するものだった。だから処刑される前に逃げ出した」

 

「……」

 

「だがそれを決断したのは、あまりにも遅かった。儂らはその時点で自分たちが犯した罪の重さを知らなかったのだ。儂らは愚かで、身勝手で、無知じゃった……」

 

 エイブリーは震える手をもう片方の手で抑える。その姿は、今まで自分を導いてくれた頼れる年長者の貫禄はない。メサイアは少なくない動揺の念に駆られた。

 

「どさくさに紛れて逃げた先にあったのは無限に広がる海……儂らは気付かぬ内に護送船に乗せられておったんじゃ。檻から出たらそれで自由、などという安易な考えで行った脱獄はすぐに頭打ちになった。それはもう酷く打ちひしがれたものじゃ。そのまま海に身投げするくらいにはな」

 

「そんな……」

 

「だが、儂らは助かった。身投げした儂らを近くの島まで運んでくれた命の恩人のおかげでな。その恩人の名は、ハーレーンと言う」

 

 同じ船に乗っていたのか、それとも奇跡的な偶然か。海に落ちたエイブリー達を見つけ生かして島へと運んだという彼女の手腕に内心でメサイアは舌を巻く。

 

「儂が彼女と出会ったのは初めてだったが……ロビントッドはそうではなかったようだ。二人は儂ら一家が罪を犯す前から親しい仲だったようでな、恋仲と言ってもいい。昔は家督の事も蔑ろにしてその子の下へ赴いていたロビントッドには苦言を呈することもあったが……その縁が儂らの命を救ったんじゃから、感謝してもしきれんわな」

 

「それで、何で失踪するなんてことに……」

 

「……事態は複雑じゃ。ハーレーンもまた追われる身だった。しかも彼女はその特殊な種族が関係して執拗に狙われていたんじゃ。彼女もまた奴隷だったが、その首にかけられた首輪は追跡機能がついていたようでな……放置していれば儂ら共々追手に居場所がバレ、捕まるのは必然……彼女は儂らを島に運んですぐ、たった独りでどこかへ逃げようとした」

 

「……」

 

「だがロビントッドはそれを認めなかった。必ずやその首輪を外してみせようと、あらゆる手を尽くそうとしたんじゃ。そのために、島々を巡って首輪を外す手がかりを探ろうとしたんじゃ。……生意気にも、儂らを巻き込めないと言って、勝手に船を出してな……!」

 

 あの馬鹿者が……! と、顔を手で覆って震え始めたエイブリーには、頼ってもらえなかったことへの失望からくる、抑えきれない怒りの心情が見えた。

 だが、その内には自分を苛む怒りの感情もまた大きく見て取れる。彼もまた自分自身が何もできなかったことを責めていた。

 自分たちは愚かで、無知だった。その言葉の重みが増す。

 

「だがな」

 

 エイブリーの頬を、一筋の涙が伝う。

 メサイアはもう、黙って話を聞くくらいしかできなかった。

 

「真の馬鹿者は儂らだった……! 心のどこかで、彼らならなんとか出来るだろうと思っておったんじゃ……! 厳しい現実を受け入れずに、先の見えん旅路を決意した彼らを引き留めも、協力もせず送り出すなど……それでも親かと、過去の自分を殴り倒してやりたい……! なんて楽観的で、能天気で、楽天的だったんじゃ! 結局、二人を送り出したのが誤りだったと知ったのは、彼らが追手に捕まったと知った後じゃった……!」

「妻が失踪したのは、その翌日のことじゃったよ……子を想う母親とはああも意志が強いものなのか……。結局最後まで、儂は家長としての務めも、意志も示さず……ただ思い通りにならん世の中を呪うだけじゃった。ああ、そうじゃ。だから儂は奴隷になったんじゃ。……その精算をするために。そして……奴隷として捕まった家族を見つけるために……」

 

「……」

 

「この島の海流は特殊じゃ。この瓦礫は全て周囲の海域から流れ着いたもの……どうしても、その中に家族の手がかりが見つからんものかと思ってしまう。はは……馬鹿な妄想じゃな」

 

 エイブリーは立ち上がった。ふらつく脚で瓦礫を歩き何をするかと思えば、唐突に振り返り頭を下げた。

 腰を直角に曲げこちらへ謝罪するその姿に、メサイアは呆然とする。

 

「メサイアよ。儂が中心部に行きたいと言ったのは、皆と脱出したいからという思いからではなかった! お主を誘うときも綺麗事を言ってその気にさせたが……それもこれも全ては、自分の家族を見つけたいという利己的な思いがあったからじゃ! そんな打算的な考えにお主らを巻き込んだ挙げ句、あの蜥蜴に襲われるという悲劇を招いてしまった! 一歩間違えば命を失っていたかもしれん……謝っても、謝りきれん!」

 

「エイブリー……」

 

「こんな失態を犯してなお、こんな事を言うなど恥晒しもいいところだが……それでも、儂は家族を見つけたい! もう一度だけ、愛した存在に会いたい! だから、だから……また、儂とともに島の中心へ……あの死地へ向かってはくれんじゃろうか……!! お主のその特別な力が頼りなんじゃ……! 頼む!!」

 

 エイブリーが過去を打ち明けた理由は、あの恐ろしい怪物の潜む中心部へ向かおうと言ってしまったことへの罪悪感からくるものだったのだろう。メサイアは傷つき、他の元奴隷たちにも迷惑をかけた。それでも、今一度中心部に行きたいと言うのは、たしかに被害を被った人間からは反感を買うかもしれなかった。

 

 メサイアは立ち上がり、彼のその髪が抜け落ちた頭を見下ろす。ただの老いからと感じていたその頭も、今の話を聞けば真っ白に染まった眉や額のしわまで、彼の今までの苦悩を反映しているように見えた。

 

「俺はあんたに、人殺しになりかけたところを止めてもらって、しかも貴重な島の知識まで教えてもらった。あんたの言ってることはいつも正しかった。俺は船長を殺そうとしたのを止められてから、あんたをずっと崇高で、間違わない人間だと思ってた」

 

 エイブリーの肩が沈む。尊敬していたのに裏切られた。メサイアの言葉に彼女の失望を予感した彼は心に重くのしかかる圧力に地に手をついて項垂れたく鳴る。

 

 だが、そんな彼の肩にメサイアの手が置かれた。肩にかかる重みは増したはずなのに、どうしてかその手は優しく肩を掴み、温かな雰囲気を持っていた。

 目を見開き顔を上げたエイブリーに彼女は微笑む。

 

 

「エイブリー、そんな顔をしないでくれ。俺はあんたに失望したわけじゃないんだ」

 

「……メサイア……」

 

「あのときの、エゴに巻き込んでごめんって言葉の意味がわかったよ。自分の目的のために他人を傷つけたのが辛かったんだな」

 

 静かにうなずく。己のエゴによって一番傷ついたのは紛れもなくメサイアだ。当の本人を目の前になんと言葉を紡げば良いのかわからない。

 だが、その当人は怒りも睨みもせず、ただ儚く笑う。

 

「なら、一緒だな」

 

「!」

 

「俺だって同じだよ……。故郷に帰りたいって一心で、助けを求めた船がこの島に突っ込んで船の人が皆死んでしまった時、貴重な食べ物も吐きそうになるくらい打ちのめされた。だけど、それでも俺は助けを求めるのをやめられなかった。結果としてこの奴隷船に捕まっちまったから笑い話にはならないけど……」

 

「……」

 

「俺の想像と違ってあんたが、どうしようもなく人の親だったように……俺も利己的で、愚かで、どうしようもなく人間だったんだ。俺たちは、同じだ」

 

 メサイアは自分は孤独だとずっと思っていた。だからエイブリーに己の迷いを見抜き、殺しを止めてもらえたとき、自分のことを分かってくれたことが嬉しかった。

 だけど、その後エイブリーの知識に助けられたり、蜥蜴の怪物相手に自らを囮にして自分らを逃がそうとしたりしたとき、感じたのだ。自分は独りだと感じなくなったが、エイブリーはまだ独りなのではないかと。

 

 だけど、その内心を明かしてもらえた今なら言える。

 

「俺は失望したんじゃない。嬉しかったんだ。こうやって同じ立場で話せたのが。俺とあんたが、一緒の人間だと気づけたのが」

 

「だから、次からは助け合おう。独りで抱え込むのはやめよう。自分だけが血を浴びるのも、自分だけが犠牲になるのも終わりにしよう。俺たちは仲間だから。俺たちはもう、一緒だから」

 

「……!」

 

 エイブリーは涙を流し崩れ落ちた。声を震わせ何度も頭を下げる。

 

「メサイア……ありがとう、ありがとう……!」

 

 その日を境に、彼女らは手を取り合い、怪物を追い払い、生きるようになった。

 元奴隷もその固い決意に鼓舞され活発に活動し、虎や鹿の怪物がいくら襲おうとも、ついぞ奴隷船まで侵攻することは叶わなくなった。

 

 

 やがて、島に漂流してから一ヶ月が経った。

 

 

 

 *

 

 

 

 何もなく、何も感じず。ただ深淵の闇を彷徨うだけだった哀れな男は、ようやくその意識を光の差す場所へと取り戻す。

 

 光。その単語に違和感を覚えたのは、彼の中にあるこれっぽっちの良心が、己のやってきたことは悪だと感じていたからだった。

 海賊として何人、何十人、何百人と人を殺した自分が最期に見る景色など、いいものなわけがない。

 きっとどす黒く濁った闇に満ちていることだろうと、諦観にも似た考えを持っていた彼に、その眩しい光は異物でしか無かったのだ。

 

 ろくでもない人生を送ってきた。目を開けて眼の前にあるのはきっと目を覆いたくなるような地獄の底だろう。

 そう思い目覚めた男はしかし、そこに広がる木の天井と、物静かに揺れるランプに目を瞬かせる。

 

「……ここは」

 

「! 起きましたか」

 

 自然と出た言葉に反応し、自分の視界に入ってきた穏やかな雰囲気の男は、明らかに医者の格好をしていて、そこで初めて自分がベッドに寝かされ治療を受けていたという事実に気付く。

 

「ここは船の医務室です。あなたは今まで一ヶ月以上もの間眠っていたんです。その傷を考えれば、驚異的な回復力ですがね」

 

「……俺は、助かった、のか」

 

「ええ、そうです」

 

 内心で歓喜した。自分はあの地獄から生きて戻ったのだと。

 まだこんな自分を救ってくれる人間はいたのだと。湧き上がる感情に身体が熱くなった。

 

 

 だが。

 

 彼はすぐに気付く。自分は、まだ地獄にいるということを。

 

 

「よお」

 

「!」

 

 男が礼の言葉を述べようとしたときだ。船医の後ろから頬がコケた肥満体型の男が、汚らしい笑みを湛えながらゆっくり歩いてきた。

 パッと見て分かった。ろくな奴じゃない。その顔は、カタギじゃできない濁った目をしていた。それと同じ目をした奴は、敵船の海賊、奴隷を拷問する下衆、欲望のままに女を犯そうと嗤う下劣な輩。浮かんだ面々はどれもこれもろくな人間ではなかった。

 

 良からぬ空気を感じ取った男は咄嗟に身体を起こそうとする。

 だが、そこで妙な感覚がした。身体に力が入らず、そのまま脱力してベッドに後頭部を沈めてしまう。

 

「あ……!?」

 

「ぶひゃひゃひゃひゃ!! やっぱり能力者か! 無駄だぜ、海楼石の手錠だ」

 

「……!!」

 

 視線を手元に向ける。己の手首に嵌められた重厚な金属の手錠がベッドの金属フレームに繋げられている。

 ご丁寧にもう片方の手首も同じものがつけられていた。身を起こすことがままならないほどに身体に力が入らない。

 男の言った海楼石の手錠という言葉が紛れもない真実と知り顔を青くする。

 まるで囚人だ。一体、こいつに自分は何をされるのか。冷や汗がシーツを濡らした。

 

「て、てめえ……! な、なぜこんなことを! お前は誰だ! なぜ能力者だと分かった!!」

 

「おーおー、元気なこった。治療を受けた患者の分際で随分偉そうだなおい?」

 

「俺は翠眼海賊団の構成員だぞ! 偉大なる航路(グランドライン)の海賊だ! てめえ、自分が何をしてるのか分かってんのか!? 一体誰にこんな無体を働いたのか理解してんのかァ!!?」

 

「知ってるよ。てめえが偉大なる航路の海賊なことはな」

 

「!」

 

 偉大なる航路の海賊。そんな言葉とともに凄んだ男の迫力にも動じず、男は……船長はニヤリと笑った。

 船長はその手にメスを持つ。そんな彼を船医は青ざめた顔で見つめていた。

 

「あ、あの」

 

「うるせえ。殺されたくなかったら黙って扉を見張ってろ」

 

「ひ……!」

 

 何か思うところがあるのか、オドオドとした様子で口を開いた船医はしかし、船長のドスの効いた言葉におおげさなくらいに怯え、急いで医務室の扉の方へ逃げていった。

 直感的に、自分が治療を受けた背景には、このろくでもなさそうな男の思惑があったことに気付く。

 

 そんな考えは、男の目から数センチだけ離れた宙にメスが突き刺された瞬間確信に変わった。

 

「!」

 

「お前はこの暗闇島の中心部で見つかった。てめえがこの商船を襲った翠眼海賊団の生き残りなのはそこの船医が気づいた。襲撃時、お前はオベルとかいう船長の直ぐ側にいたらしいじゃねえか、船医はオベルとその周りの人間の顔を覚えていたから、お前が見つかったときは驚きでひっくり返りそうになったそうだぜ」

 

 船医は島の中心で見つかったこの男が偉大なる航路の海賊と気づいていた。だが、それをメサイアたちに伝えることはなかった。それ以前のタイミングで船長に話した結果、その事実は使えると言って、脅され口止めされたからだ。

 

「……てめえ、あの雑魚商船の人間か……! 東の海(イーストブルー)で奴隷売ってるだけのカス野郎が、この俺に随分舐めたことしてくれるじゃねェか!こんのくそデブがぁ!!」

 

「うるせえ、目ん玉抉られてえのか? 偉大なる航路の海賊サマは格好いいねえ、その看板のために眼も差し出すか! 翠眼じゃなく隻眼になるか! ぶひゃひゃひゃひゃ!!」

 

「! や、やめろ! やめやがれクソ!!」

 

「ぶひゃひゃひゃ! なら大人しくしてろや」

 

「くっ……! 意味が分からねえ……! あの襲撃時に能力を見せたのは頭だけだった! なぜ俺まで能力者だとバレているんだ!」

 

「まあ、そりゃ気になるよなァ? ……お前が見つかったときの状況から推理したのさ。その周辺には目立った戦いの痕跡はなかったが、二つだけ気になる点があった。まあ奴隷どもの受け売りだがな……一つは、地面にでかでかとした獣の足跡が一箇所だけあったこと。二つ目は、周辺に血の混じった明るい黄褐色の毛が散らばっていたことだ」

 

「……」

 

「他にもバカでかい足跡があったそうだが、そいつは他にもたくさん見つかった。それに対し、その獣の足跡は一箇所にしかなかったらしい。そこに血の混じった毛……俺は、まるでその場にいきなり動物が現れたように感じたのさ。そして、お前が偉大なる航路の海賊で、あの悪魔の実を食った翠眼のオベルの部下と知った時、思ったのさ。お前も動物の悪魔の実の能力者で、中心部で遭遇した()()()に立ち向かうためにその場で変身したんじゃないかと……

 

「……!!」

 

 そう言った途端、男の顔色ははっきりと変わった。

 その反応に、船長は顔には出さず、内心でおや、と思った。

 自分がナニカ、と発言した瞬間、その拘束されていながらも威圧感のある姿が酷く揺らいだ。

 それが強いトラウマを刺激されたことによる反応だと瞬時に理解できたのは、船長が今まで何度も何度も奴隷を苦しめ、心をへし折ってきたからだろう。

 

 その瞬間、自分がこのどん底から成り上がるための計画のピースが揃ったのを理解する。

 船長の口の端が、みるみる吊り上がった。

 

「……ぶっひっひゃっひゃひゃひゃ……!! ヘハハハ」

 

 自分でも引くくらい気味が悪く、どす黒い声が漏れた。

 

 ああ、こんなにも思い通りの展開になるとは。

 

 やはり、自分は持っている。

 神は、天は言っているのだ。今一度、あの価値ある少女を、そして新たに現れた、暗闇島──否、イーア島の知識を持つ老人を、その手中に収めるべしと。

 

 船長はすかさず今ある島の知識を使いかの者のトラウマが何に起因するのかを調べた。

 特に中心部で遭遇したという異形の怪物関連のことを聞けば、異形の犬の怪物には顕著な反応が見られた。やはりこいつが中心部で何かに精神を折られたのは間違いない。

 

 だが、まだなにか足りない。

 先程自分がナニカ、と言ったとき浮かんだ恐怖の感情にはどこか及ばない。こいつの真のトラウマは犬ではない。

 だが、こいつがボロボロになって見つかったのは島の中心部。その元凶が中心に潜む何かなのは明らかだ。そう当たりをつけ、船長は別の話題を装いトラウマのキーを探る。

 

「中心部といえばそうだ、うちの船にいる奴隷たちも中心部で色々な物を見たそうだぜ。お前のお仲間の死体、謎の石版、なにかの施設、蜥蜴の怪物……そうだな、後は……」

 

「……」

 

 そして雑談気味にこれまでの怪物の話を語る中で何気なく呟いた言葉……その一言が答えだった。

 

「猿……」

 

「!!!」

 

 船長の目が卑しく濁る。

 

 ああ、これだ。

 

 こいつの顔だ。拷問をしに部屋に入った自分を見る奴隷の顔そっくりな、恐怖に染まったその顔。

 ほぼ偶然だが、こいつのトラウマは刺激できた。

 偉大なる航路の海賊すらここまで震えさせるその存在とは、猿という言葉の何が恐ろしいのか、気になる要素は多いが今はそれを考えるときではない。

 

「なんだお前。猿が嫌いなのか?」

 

「し、知らねえ、知らねえ! いいから拘束を解け!!」

 

「丁度いい。俺らは中心部に向かうのが目的だからな。その猿にでも襲われたらお前を囮にするか」

 

「!! やめろ、やめてくれェ! 頼む! 嫌だ!! 嫌だァあ!!」

 

「いいや、もう決めた。このままお前を連れて中央へ向かうとしよう」

 

「あ、あ……あ」

 

 取り付く島もなく一方的にそう言えば、ついに男は顔色を失い絶望した。

 自分が見た恐怖の象徴。あれの下へ運ばれ死ぬ運命を悟った男は、もはや声すら出ない。

 

 

 

 そして、彼の口元に何かが当てられた。

 

「──」

 

「そうか、死ぬのはいやか?」

 

「ぅ、ぉあ……」

 

「なら俺に従え」

 

 船長に洗脳薬を使われた男は、徐々にその瞳を濁らせていく。

 恐怖、屈服、屈辱、あらゆるものに押しつぶされ、その勇猛な意志は、海賊としての矜持は深淵に沈んでいった。

 

「完璧だ……俺はこれ以上ない駒を手に入れた」

 

「せ、船長……」

 

「安心しろ、直に俺等が再び奴隷共を従える時が来る。事を起こすまで黙っていれば、お前は殺さねえ。……お前も自分独りにはなりたくないだろう?」

 

「……っ!」

 

 

 船医は力なく項垂れた。

 この計画がうまくいけば奴隷に飼い殺しにされる未来は消える。だがその代わりに得られるのは恐怖に満ちた支配だ。どちらもごめんだが、自分に逆らう余地など無い。

 

 

「待ってろメサイア……そしてエイブリー! もう少しで、俺がてめえらを従える。必ず島の謎を解いて、再び奴隷の王に返り咲いてやるぞぉ……! ぶひゃひゃひゃひゃひゃ……!」

 

 謎の能力を使うメサイア。それに協力し有益な知識を持つエイブリー。そんな彼女たちを崇め従う多くの元奴隷。

 奴らは力を持ちすぎた。そして自分は、あの華奢な少女一人にすら一方的にのされる程に落ちぶれた。

 

 船員は死に、信頼していた右腕も失い、力も立場も無くした。この駒が負ければ自分は死ぬだろう。

 この洗脳が、最後の悪あがきになる。だが、躊躇などなかった。

 

 止まれるはずがなかった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。