ロックスの再来0   作:イオン

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第一章 奴隷編
第一話 この美しくてくそったれな世界


 

 船のベッドの上で、少女はゆっくりと目を覚ます。

 一日野宿で過ごし、怪物から逃げおおせたことで、随分と疲れていたらしい。焦れったいくらいの遅さで瞼を開けようとした。

 

「……ん」

 

 だが、覚醒しかけた五感が、不快な腐臭を感じ取る。そして思い起こされる、昨日もおぞましい出来事の数々。

 

「っ!」

 

 そこで一気に目が覚め、勢いよく起き上がる。

 少女は落ち着かない様子で辺りを見渡すが、そこには静かな船内があるだけ。傍の窓から見える森にも、恐ろしい怪物の姿は無い。あの金属音も聞こえてこなかった。

 

「……夢じゃ、なかったんだな……」

 

 そう言って、少女はまたベッドに横たわる。昨日着いたであろう腐臭が僅かに鼻をつくが、辺りの空気は穏やかだ。

 

 自分は間違いなく、あの怪物たちの特徴、習性を利用して、生きながらえたのだ。

 

 夢だったのではと考えてしまうほどに非現実的で衝撃的だった出来事だが、目の前の平穏な光景が、それが現実であるのだと少女に自覚させる。

 

「……はは、ははは、やった……やったぞぉ!」

 

 しばらくして、少女は堪えきれないといった様子で腕を掲げ叫んだ。

 

 やったんだ。あの怪物を、大勢の怪物たちを、自分が出し抜いてやったんだ。

 

 狡猾で強力な怪物を相手に、知能だけで事態を解決した。

 そのことが少女を高揚させ、自信をつけさせた。

 

 

「……さて……これからどうするか……」

 

 一通り喜んだところで、少女は一度冷静になり、これからの行動について考える。

 

 自分の目的は、元の場所に帰ることだ。

 そのために必要なことは、まず何をおいてもこの島から脱出することだろう。

 

 文明もなく、食糧も限られていて、なおかつ凶暴な怪物が跋扈する島などごめんだ。

 

 とすると、やはり今まで通り、島から脱出を目指して行動するべきだろう。

 ただし、これからはあの怪物たちに喰われないよう対策しながら、という条件が付け加えられる。

 

 結論としては、当分は怪物への対応を模索していくというのがやることになるだろう。

 

「……よし、やるか」

 

 そうと決まれば、少女はすぐに立ち上がって探索の準備を始めた。

 この場所に来てから、少女はやることを決めたらすぐに取り組んできた。

 

 一刻も早く、元の場所に帰るためだ。

 

 少女はあのときのように、宝物庫の武器を適当に選んでから、船を歩き物資を準備していった。

 

 

 ──

 

 

 暫く経ち、少女は入念な準備を終え、森の前に立った。

 

 武器を複数携え、船から見繕った男物の厚手の服を纏った少女は、一つ息を吐き、森へと歩を進め始める。

 

 途中、忘れずに以前服代わりに使っていた葉を数枚剥ぎ取って持っていく。

 

 初めて怪物に会って逃げたとき、ささやかな抵抗として投げつけた葉だったが、それを食らった怪物がひるんだのを、少女ははっきりと覚えていた。

 

 理由はわからないが、怪物はこの葉が苦手なようだ。

 この葉の何が苦手なのか、どの程度効くのか。それを解明できれば、怪物に喰われる可能性は著しく減るだろう。

 

 勿論調査の段階で襲われたりしては元も子もないが、かと言って何もせず船に引きこもっていては何も変わらない。

 

 また、非常時用として死体の肉片などを瓶にでも詰めて持っていくことも考えたが、それはしなかった。

 怪物は十中八九腐肉食動物だ。あのときも生身の自分よりも死体を優先したくらいだ。

 それほどまでに好物である死体をわざわざ持っていっても、ただいたずらに怪物を刺激するだけだと考えたからだ。

 

 自分なりに、今考えられるだけの対策をしてきたつもりだった。

 

 不安がないとは言わない。

 だが、やるべきこと、やれることをこなしていかなければ先には進めない。

 

 どのみち怪物はどうにかしなければならないのだ。

 できる限り適切な条件で、必要事項を達成していくことは自分にとっては義務だった。

 

 決意を胸に、少女は森の奥深くへと足を踏み入れていく。

 怪物が潜んでいるであろう場所を探し、積極的に探索を行っていく。

 

 努めて冷静に、しかし早急に。少女は島を調査していった。

 

 

 

 *

 

 

 

 十分も歩いた頃、 島の様相は森林から平原へと移行し始めていた。

 

 そしてそこで、聞いたことのない鈍い音が聞こえた。

 

 

「ゴォーン」

 

「!」

 

 鐘が鳴り響いたような、重厚な音だった。

 その音質は、どこか金属音のような印象を受けた。

 

「もしかして……」

 

 すぐさま一つの仮説が浮かび、確認のために雑草の間から音がした方向を覗き込む。

 そこには、体高3メートルほどの、逆だった黒い体毛をした牛のような生物が複数いた。

 

「……! やっぱりか……!」

 

 あの虎のような怪物と全く同じ存在が他にもいたのだ。

 

 勿論、こういう展開は予想出来ていた。

 怪物呼ばわりしていても、生物なのだ。多岐にわたる進化をしてきたのだろうし、種の多様性があるのは当然の理とも言えた。

 

 改めて目の前の怪物を観察する。

 

 筋肉質で鋭利な角が生えた牛型の怪物だ。肉食動物なはずなのに腐肉を喰らっていた虎と違って、こちらは草食動物らしく、淡々と草を食べている。今見る分には温厚そうな印象を受けた。そして、動きが異様に遅い。

 

 虎の怪物の苛烈さを味わっているゆえに、本当に同系統の生物なのか疑ってしまうほどだ。

 

 だが、いくつか共通点はある。

 特徴的な、光を通さない黒の体毛に、部分的に灰色に滲んだ腹部や尾。

 感情の伺えない、赤黒い目。

 

 

 そして。

 

「ゴォーン」

 

 この地鳴りのように鳴り響く重厚な金属音。

 

 どう考えても、虎の怪物と類似した生物であると言えた。

 

 

「……あいつらにもこの葉っぱは効くのか……?」

 

 少女は持ってきた葉と、牛が食べている雑草を見比べる。虎には効いたが、目の前で草を食む牛にまでこれが効くのかは疑問だった。もし効かないようなら怪物の対抗策としての案は崩れ去る。

 

 これの有効性を試す必要がある。そのために葉を投げつけるなりなんなりしようとしたところで。

 

「ゴォ-ン」

 

「!?」

 

 すぐ側の茂みから牛の怪物が歩み寄ってきた。

 牛の鼻部分が目の前まで来て、少女は一瞬で青ざめる。

 

「「……」」

 

 数秒間静寂が続く。

 震える身体を抑え不動の姿勢を保つ少女に、やがて牛は鼻息一つ鳴らして群れの方へ向かっていった。

 

「……何だ、やけに温厚じゃないか」

 

 本当にあの虎と同種の怪物か? 

 そう思い目を細める少女は同時に、これなら葉の効果も危険なく調べられそうだと安堵する。

 

 

 そして実際調べてみれば、葉はやはり効果があった。

 結論から言うと、葉を千切った時に染み出る成分が苦手なようだった。

 それを近づければ牛も不快そうに鼻を鳴らしてそそくさとどこかへ行ってしまった。

 染み出した成分も、ミントのような強い香りがして分かりやすい。

 

 これは使えると思った少女は、そこらの葉を適当にもぎ取って、その場を後にした。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 それから一週間。

 少女は生活空間を確保しつつ、外周にある残骸の撤去を行った。

 

 船ではなく、家屋のような比較的軽い残骸が集合している場所を選び、少しずつどかし、壊していった。

 

 その過程で、何度か怪物の襲撃を受けた。まるで複数回に渡ってこちらに圧力をかけるような挙動であり、少女は寝込みを襲われては葉の効果を利用して迎撃した。何度となく寝床を脅かされ、その度に拠点を移し、枕に頭を埋める中でも油断一つ出来ず、次第に少女は疲れていった。

 

 それでも、彼女は諦めず残骸の撤去を進めていく。

 度重なる重労働に筋肉痛がひどいが、少女はめげずに作業をする。この島の外に出ることこそが、少女の最優先事項だった。

 

 

 やがて、朽ちた家屋の壁にまで到達した。

 数時間かけて壁の周りの残骸をどかし、ぐらついてきた壁を横に倒した。

 

 そして、倒れた壁の先を見た。

 

 その先には、絶景が広がっていた。

 

「……うわあ……」

 

 見渡す限りの海。

 透き通った海水が陽の光を内部まで通し、泳ぐ魚や海底に根ざした海藻を惜しげもなく映し出す。

 それと同時に荒々しく波打つ水面が、残骸によって弾かれ白い泡沫を散りばめている。

 

 美しい光景だった。

 

 まるでこの先の未来が明るいとでも言うかのようなきらびやかな景色に、少女はしばし呆然と海を眺めていた。

 

「……よし、やるぞ……!」

 

 その景色に後押しされた少女は、再び決意をする。

 この海を乗り越えた先に、自分の居場所がある。

 何があってもやり遂げようと、固く誓った。

 

 彼女はまた残骸を撤去していく。目標は、この海を渡るであろう船を見つけ、助けを求めることだ。

 自分の居場所を示せるように、今自分ができることを精一杯やっていった。

 

 

 

 *

 

 

 それから、実に一ヶ月の月日が経った。

 

 あれから、船の存在自体は確認することが出来た。

 

 しかし、いずれの船もこの島に近づかず、ギリギリ目視できる程度の場所を航行していたため、少女の存在には気付かなかった。

 

 しかし、今日やっと、島の近海まで船がやって来た。

 

 島の海岸には、必死の形相で助けを求める少女の姿があった。

 

「おおーい! おぉーい! ここだあっ! 助けてくれえ!」

 

 木の棒に赤い布切れを結び作った旗を大きく振り回し、彼女は大声で叫ぶ。

 

 それが見えているのか、船はどんどん島に近づいてくる。

 

 救援要請の成功を確信した少女は、歓声を上げた。

 

「……やった! やったぞ! これで帰れる! 帰れ……」

 

 

 だが、そこで、異変に気付いた。

 

 

 船の様子がおかしい。

 

 島の近海に来るまでは普通に航行していた船が、島に近づいた辺りから、妙な揺れを起こし始めたのだ。

 

 船の先端が一気にせりあがったかと思えば、一瞬水平になり、その後突き上げられたかのように後方が浮き上がる。スリップでもしたかのように斜めに寄り、船底が海水面から離れるくらいジャンプした。

 

 進路はこの島を一直線に指しているのに、船体だけが激しく揺れ動いている。

 

 その異常な様子に、少女はすっかり旗を下ろし呆然としていた。

 

 船はなおも島を目指す。

 だが、残り少しといったところまで船が近づいた時、船ががくんと体勢を崩した。

 

「──あっ!?」

 

 

 その瞬間、船の甲板にいたであろう人間が何十人と海に投げ飛ばされた。

 

 

 そして、血飛沫が舞った。

 

 宙に放り出され無防備な船員の身体を、安定感を失った船体が横から突き刺す。

 

 尋常ではない速度で揺れ動き進行する船に激突された人間達が、虫けらのように吹き飛ぶ様に、少女は絶句した。

 

 当たりどころが悪かったのか首が折れた船員や脚があらぬ方向に曲がった船員は声もなく海に落ち、船の側面の金具に当たった船員は肉を引き裂かれ絶叫した後、揺れた船体に海へ叩き落とされる。

 

 遠くはあっても、生きた人間が死んでいくさまを見てしまった少女は、助けを求めることも忘れガタガタと震えていた。

 

 

 その後、船は更に大きく揺れ始めた。

 それが波の激しさが増したことによるものか、船を制御する船員が居なくなったからかは分からない。

 

 だが確実に、異常な様子でこちらに迫ってくる船に、少女はハッとして避難した。

 

 森の方へ走りながら海を見る。

 

 島を覆う瓦礫の壁の上層へ、先程の船が突撃してきた。押し出された瓦礫がバラバラに砕け、破片となって飛び散る。

 

「くっ!」

 

 けたたましい瓦解音が鳴り響き、少女は耳を塞いだ。

 

 

 少しした後目を開けると、そこには勢い余って、瓦礫の壁に垂直に座礁した船の姿があった。

 

 

「そ、そんな……」

 

 その光景を見て、少女は膝から崩れ落ちる。

 せっかくの助けの船が、多数の死傷者を出し座礁したという事実に、絶望する。

 

 自分が助けを求めたせいでこうなったという罪悪感。

 この島から出られなかったことへの失望感。

 

 そんな感情が頭を支配し、少女の思考を掻き乱す。

 

 砂煙が舞う。

 目に入り込んだ海岸の砂が、滲んだ目に沁みた。

 

 

 

 

 

 あの後、どうにか立ち直った少女は、船に何とか乗り込み船員の救出を試みた。

 

 だが、生き残りはいなかった。

 

 船内に僅かに残っていた船員は、皆全身を強く打って亡くなっていた。

 

 船が座礁して、残ったのはいくつかの死体と大量の物資だった。

 

 この船は大型の商船のようだった。

 結果的に、少女は新鮮で、当分困ることがない量の食糧を手に入れることができた。

 

 彼女はそのうちの新鮮な食材を無言で食べていく。

 

 だが美味しいとは思えなかった。

 

 あの時、船がこの島に近付いたのは、自分を助けるためだったのか。

 それともあの激しく揺れ動く海流に飲まれたためだったのか。

 

 もしも前者なら、自分はあの船員たちをいたずらに死なせた挙句、彼らが大切に保管していた物資を奪ったことになる。

 

「うっ……うぇ……」

 

 そんな事を妄想しては、少女は顔を青くしてえずく。

 吐き出してしまいそうになった食べ物を必死に口の中に留め、無理やり喉をくぐらせる。

 

 何度も、何度も。咀嚼とえずきを繰り返した。

 

 自分を助けるために死んだ。

 

 その仮定が間違っていると、断言して割り切ることなど、とても出来なかったから。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 それから少女は、悶々とした日々を過ごした。

 

 あれから船は何隻か通り過ぎたが、それを見て助けを求めることが彼女にはできなかった。

 

 通った船は、どれも大型の船だった。

 座礁した船も大型だったことから、他の船も例外なく座礁する可能性が高い。

 

 しかも、質量が大きいがゆえに、被害が大きくなってしまう懸念もあった。

 

 そこまで予想がついているのに、遠慮もなく助けを求めることは、少女には憚られることだった。

 

 

 しかし、そういって耐えることもそろそろ限界だった。

 

 あの商船の座礁から、かれこれ2ヶ月が経っていた。

 潤沢にあった食糧も、もうほとんど食べてしまった。

 

 また死傷者を出す可能性を孕んだ状態で助けを求めるのか。

 それとも諦めてここで飢えに苦しむのか。

 

 究極の選択を迫られ、少女は苦悩した。

 

 

 だが、ある日ついに、彼女は決心した。

 

 眼前には、近海を航行する中型船の姿があった。

 

 助けを求められる距離に、比較的軽量な船がいる。

 それを見た少女は、ついに行動を起こすことにした。

 

「はあー……ふぅー……」

 

 船の残骸の天辺に立った少女は、比較的軽めの装いで、背中に以前使っていた旗を引っ掛けた状態でいた。その後、彼女は大きく深呼吸をした後、海へと飛び降りた。

 

「!」

 

 視界が歪む。

 目に入る海水が煩わしいが、我慢して目を慣らしていく。

 慣れない海の中を少女は泳いで行った。

 

 彼女は、船まで直接泳いで助けを求める事にしたのだ。

 自分で船の近くまで行けば、なんの被害も出さず助けてもらうことが出来る。

 

 決して簡単なことでは無い。だがそこまでしなければ、最善の手段とは言えなかった。

 それをやりきると決めたゆえの飛び込みだった。

 

 しばらく泳ぎ続け、途中息継ぎを行なうために海上へ向かうが、その瞬間海の動きが変わる。

 

「──ごぽっ!?」

 

 強く吸い寄せられるような海流の動きに、少女は海底へ勢いよく沈んでいく。

 必死にもがくが、抵抗虚しく身体はどんどん下へと引っ張られていった。

 

 次第に身体が急激に酸素を求め始める。

 苦しさに激しく身体を動かすほど、余計に体力を消耗し苦しさが増していく。

 

「ごぼっがぼごっ──がぽ……」

 

 やがて身体から力が抜け始める。

 

 しかし、精神力だけで力を振り絞った少女は、どうにか身体を横方向へとずらす。

 すると、今度は周辺の海流が上昇海流に変化し、彼女を急速に海上へと突き上げた。

 

「──がはっ! はっ、はあっ、うぐっ!」

 

 勢いよく海中から投げ出された少女がしばし宙を舞う。

 すかさず呼吸をするが、その後思い切り海面に叩きつけられる。

 背中に強い衝撃が走り肺を圧迫されたため、再度海上に顔を出し荒い呼吸を繰り返す。

 

 見れば、船との距離はほとんど縮まっていなかった。

 

 それどころか、船の移動速度が早くみるみるうちに離されていっていた。

 それを見て、少女は顔を青ざめさせ、大声で叫びながら泳ぎだした。

 

「──っおおーい! げほっま、待ってくれ! ここだぁー! ごほっ!」

 

 必死に助けを求めるが、船は止まらない。

 それでも諦めずに進み続けるが、やがてまた下降する海流に捕まってしまった。

 

 思い通りに進めないこの状況に、少女は内心舌打ちする。

 船が座礁したあの時から、この島の近海の海流が普通ではないことは分かっていた。

 

 だが、ここまでのものとは思っていなかった。

 島の方から海面を何日も観察してきたが、普段の様子ではそこまでの荒波が発生しているようには思えなかったし、船のような質量の大きい物体がない限りその波が大きくなることもなかった。

 この小さい身体であれば、そこまで大きな影響を受けずに流れを掴んでこの海流を移動できるのではないかと思っていたのだ。

 

 甘く見ていた。

 その一言に尽きる。

 大型船が制御できずに座礁するわけだ。

 この海流は、異常としか言いようがない。

 この島から出ること自体が、困難を極める。

 そんな事実が、少女を歯噛みさせた。

 

(──くそっ、くそっ……! 諦めて……たまるか、よ!)

 

 だが、少女は決して諦めなかった。

 もう、あの島に戻るつもりはない。

 多少息が苦しい程度で、外の世界を諦めるなど、言語道断だった。

 

 目を見開いた少女は、必死にもがき、上へ向かう海流を掴む。

 手探りで見つけた別の海流へと、身体を無理やり押しのけ、海上へ突き進む。

 

 先程のように宙へ吹き飛ばされるが、その隙に空気をたっぷりと吸い込んで、また海に落ちる。

 今度は衝撃で空気を吐き出さないように注意し、また適切な海流を探す。

 

 少女はとてつもない集中力で海流に順応していく。

 

 何度も、何度も同じことを繰り返す。

 徐々に動きを最適化し、着実に船へと近づいていった。

 

 

 やがて、周りに異常な海流が無くなった。

 数瞬呆然と海中を漂った後、すぐに意識を船に戻し必死に泳ぐ。

 

 おそらく今ので海流は抜けれた。

 後はまっすぐに船を目指すだけだ。

 

 だが、追いつけない。

 当然だが、船の航行速度と少女の泳ぐ速度では大きな差がある。

 船から見えやすくするために装着した赤い旗も海流に流されてしまった。この状態で知覚されるのは困難としか言いようがなかった。

 

 それでも、彼女は諦めない。

 ちぎれんばかりに腕を振り水を掻き分け進んでいく。

 みるみる離される自分と船の距離を、少しでも縮めるために身体に鞭打って泳いでいく。

 

(くそっ! 行くな! 戻ってくれ! ……気づいてくれよ!!)

 

 歯を食いしばり、ほとんど呼吸もせず船を目指す。

 1メートルでも、1センチだけでも前に。

 

 前に──前の世界のために。

 

 

 しかし、そこまで来たところで、突如少女の身体が浮かび上がった。

 

(──え!?)

 

 あの海流だ。

 抜けたと思っていたが、彼女はまだこの海流から抜け出せていなかったのだ。

 ただ、海流が弱い部分に入っていただけだったようだ。

 

 そこまで気づいたところで、もう腕も脚も動かないことに気づく。

 完全に力が抜けた身体は、抵抗なく流されるだけだった。

 

 また、息が苦しくなる。

 海上に移動する力もなくなった少女は、息継ぎもできないまま海流に揉まれることになった。

 

 彼女は苦悶の表情を浮かべながら、最後の力を振り絞り、手をのばす。

 

(……それでも、それでも……俺は……!)

 

 薄れていく意識の中、彼女はただ、外の世界を求め続けた。

 

 

 

 *

 

 

 

「おいっ! 早く引き上げろ!」

 

 かすかに人の声がする。

 

「海水を吐き出させろ! 死んじまうぞ!」

 

 身体が押される。

 

 苦しかった呼吸が幾分か楽になるのを感じる。

 

「しかし……なんだってこんなところにこんな子供が?」

 

「恐らく……あの島から漂流してきたんだろう」

 

 聞こえてくるのは、何度も何度も夢に見た、あの場所で話されていた言葉だ。

 

 耳に響くその言葉に、懐かしい想いをする。

 

「……! まさか、しかし……そんなことが?」

 

「それ以外に考えられねえだろう。こいつは例の海流のすぐ傍を漂ってたんだぞ?」

 

「……なるほど、そうですね……だとすると……」

 

「……ああ」

 

 ああ、自分は助かったんだ。

 そう確信し、安堵する。

 まずは、助けてくれた人物に、お礼を言わなくては。

 

 そう思い、身体に力を込め自ら起き上がろうとする。

 

 

 だが。

 

 

「「いい、金になるな」」

 

 少女は、想定よりも手荒い形で意識を覚醒させることになる。

 

「おらっ、起きろ!」

 

「──がはっ!?」

 

 横っ腹に激しい衝撃が走る。

 痛みに、緩やかにはっきりとしてきていた視界が、一気に広がる。

 

「う、ぐ……?」

 

 腹部を押さえ、起き上がると、そこにはこちらを冷徹な目で見つめる男たちがいた。

 

 わけが分からず、呆然と辺りを見回す少女を見て、男たちのうち壮年で痩せぎすな男が、なにか指示を出す。

 

 すると、少しして、船の中から肥えた男が出てきた。

 

「船長、さっき言ってたガキです」

 

 壮年の男がそう言ったことで、肥えた男がこの船の船長だと分かった。

 

 それを聞いて、船長がこちらを値踏みするように睨みつける。

 目があった。その目は、人を人と思っていないような、無機質な目だった。

 

 背筋が凍る。

 自分が必死に助けを求めた存在達は、全員、なんの明るい感情も持っていないことに、困惑する。

 

 やがて、船長の瞳が、ドロリと歪む。

 よく見れば、彼は醜悪な笑みを浮かべていた。

 

「なるほど……見た目は良いな……これならひとまず問題はねえだろう」

 

 何を言っているのかよくわからなかった。

 自分の顔がどうなっているのかは知らないが、それで問題がないとはどういう意味なのか。

 

 そんなことを考えていると、船長が船員のひとりにおい、と声をかける。

 その声に反応した船員が、なにか工具のようなものを持ち出した。同時に、少女は船員に取り押さえられ身動きが取れなくなる。

 

 そして、船員がその工具になにか棒のようなものを叩きつける。

 その瞬間、工具から金属音が鳴り響いた。甲高い音が耳に反響する。

 

「キーン」

 

「ッ!?」

 

 その音を聞いた少女は、過剰に反応し後ずさる。

 鳴り響く金属音と、船員たちの無機質な目。

 その二つの事柄が、自分を襲ってきた怪物を連想させたからだ。

 

 そのただならぬ反応をした少女を見た船長は、カエルのような不快な声を上げ笑い出した。

 

「ぶひゃひゃひゃひゃひゃっ!! これはいい! 最高だ! あの()()()で生活してた人間で、しかもそれが見た目のいい女のガキときた! これはいい値が付くぞ!」

 

 そんな言葉に、周りの船員も下賤な笑い声を出す。

 

 思考が追いつかず、少女は呆然とする。

 

「おいてめえ」

 

「え、え」

 

「あそこの島から来たんだろ? 瓦礫に囲まれたあの島さ。島に化け物がいるってのは本当か?」

 

「な、え?」

 

「おいとっとと答えろ!!」

 

「ひ」

 

 突如豹変した船長に、少女は怯えた様子でブンブンと首を振り頷いた。

 

「ぶひゃひゃひゃひゃ!! やっぱりかぁ!」

 

 そんな少女を見て、船長は笑い、顎に手を当てながら嬉しそうに喋りだす。

 

「こんだけの上物で、あの暗闇島の情報を持つ奴隷……。しかも金属音が苦手っていう明確な弱点があるんだからなぁ……オークションで奴隷にして売れば、そこらの貴族が飛びついてくるだろう……!」

 

 そう言われ、思考が停止する。

 

 今……こいつは、なんて言った? 

 

 オークション? 貴族? 

 

 奴隷として売るだと!? 

 

 そこで少女はやっと、この男が奴隷商人であることを悟る。

 そして、奴隷にするなどという一方的な決定に、彼女は反発する。

 

「ふ、ふざけんなっ! だれが奴隷になんか! 勝手に決めつけてんじゃねえよっ!!」

 

 そう言って暴れだした少女を、周りの船員が取り押さえる。

 それでもなお抵抗する少女を見て、壮年の男が腹部を蹴り上げた。

 

「──がっ!?」

 

「おとなしくしてろ。お前に決定権などあるか」

 

 蹴りによりぐったりとした少女は、その後船の中へ引きづられていく。

 腕を掴むのは、先程自分を助けた金髪の男だった。

 

 あんまりな状況に、少女から弱々しい声が漏れる。

 

「……なんで、だよ……俺を、助けてくれたんじゃないのかよ……っ」

 

 その言葉に、男は振り向き冷たく言い放つ。

 

「助けるのは当たり前だろ。死んじまったら、大事な商品として売れねえじゃねえか」

 

「…………くそっ……」

 

 そう言われ、少女は絶望した表情で力なく項垂れ、小さく悪態をついた。

 それを遠目に見ていた船長が、また不快な笑い声を上げた。

 

 

「ぶひゃひゃひゃひゃひゃっ! こいつが売れれば、俺は億万長者だ! 奴隷史上2番目の、暗闇島の奴隷だぞ! これで俺の商会は安泰だぁ! ひゃひゃひゃひゃひゃ──!!」

 

 

 少女は、奴隷になった。

 

 

 

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