ロックスの再来0   作:イオン

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第二話 暗闇の底

 

 

 

 開けられた扉の中に、船員の男と共に入る。連れられてきた少女は、事前に船員に着替えさせられており、薄いシャツ一枚を着るのみで、みすぼらしい格好だった。

 

 ここまで連れてきた金髪の男はそのまま少女に壁にかかった手錠をかけ、身体を鎖で縛り付けて壁に固定する。

 部屋の扉を閉めた後、扉に付いた小窓を開いて冷徹な目だけを向けてこちらに話しかけてきた。

 

「そこがお前の部屋だ。食事は1日2回。飲み水はそこから飲める。便所は足元の穴を使え。当分お前はそこで生活することになる」

 

 そう言われ辺りを見渡す。

 牢獄と言っていい雰囲気の、薄暗い部屋だ。

 

 明かりは扉の小窓しかなく、それさえ閉められれば部屋は真っ暗になってしまう。

 風通しの悪い部屋には悪臭が漂い、多数の虫が這いつくばっている。

 

 まだ船の残骸で過ごしていた方が快適な生活が出来ていた。

 その事に顔を顰めて男を睨みつける。

 男はその視線を受けて、目を細めた。

 

「個室が貰えるだけありがたいと思え。お前は高値で売れる奴隷なんだ。お前は恵まれた存在なんだぞ」

 

 何が恵まれた存在だ。

 恵まれていようがいまいが、結局は奴隷じゃないか。

 そう反論しようとしたところで、男が思い出したと言わんばかりに問いかけてきた。

 

「……そうだ。お前、名前はなんだ」

 

 そう言われ、口を噤んで考える。

 この身体になってから、自分の名前など考えたことがなかった。

 

 それに、以前、自分は男だった。女の身で男の名前を名乗るのは、些か違和感がある。相手も相手で、そんな名を名乗られたら訝しがるに違いない。

 

 自分は、なんと名乗ればいいのだろうか。

 

 

 

「おい」

 

 そんな事を考えているうちに、幾分か時間が経っていたようだ。

 男に声をかけられ、俯いていた顔を上げる。無言のままでいる自分に、彼はああ、と納得したような表情をした。

 

 

「なんだ、お前、名前が無いのか。……まあそれなら仕方ないな。そのまま大人しくしてろ」

 

「あ……」

 

 そう言って、男は小窓を閉める。

 部屋は唐突に真っ暗になり、閉塞感が増した。

 

 しんと静まり返った部屋で、少女は座り込んで俯く。

 

 何故こうなってしまったんだろうか。

 自分はただ助けて欲しかっただけなのに。

 何も悪いことなどしていない。

 それなのに何故、このような仕打ちを受けなくてはいけないのだろうか。

 

 少女は項垂れて、考えた。

 なぜ、なぜと問い続けるが、いつまで経っても答えは出なかった。

 

 

 

 それから少し時が経った。

 

 何も見えない真っ暗な部屋に、突然シャっと明かりが射す。

 俯いていた顔を上げると、先程の男が小窓からこちらを見ていた。

 

「お前の名前が決まった。お前の名前は過去の名無しの奴隷の人数順から、69番になった。これから船長以外の飼い主が決まるまでは、その名前で呼ばれるから覚えておけ」

 

 それだけ言って、男はまた小窓を閉じる。

 自分の名前が番号になったことに、少女はまた困惑した。

 

 本当に奴隷になってしまったのだということを、明確に実感し始める。

 これから、自分は一体どうなるのかと、少女はまた俯き自問したのだった。

 

 

 ──

 

 

 暗い。

 部屋に入れられてから、どれくらい経っただろうか。

 ほとんど光のない暗闇のなかで、少女はただ俯いて沈んでいた。

 

 この暗闇に閉じ込められている閉塞感、何も出来ないことへの無力感は、想像以上に少女の精神を蝕んでいた。

 

 

 いくらかの時間を暗闇の中で過ごし、時間の流れが分からなくなってきた頃。

 唐突に扉から光が差し、部屋を明るく灯した。

 光になれていない目を薄く閉じ、扉を見ると、そこにはあの金髪の男がいた。

 彼はしばらく少女を見た後、扉の一部を開けて何かを運び入れてきた。

 

「飯だ。食え」

 

「……」

 

 差し出されたのは、トレーに載せられた食事だった。錆の目立つ鉄のトレーに、冷めたスープがひとつ。

 奴隷の食事、というに相応しいみすぼらしい内容だ。色が薄く、具がほとんど入っていないそのスープからは、食欲をそそる匂いなどかけらもしない。

 

「残した残飯はトイレにでも捨てとけ」

 

 小窓の締まる音がした。

 また暗くなった部屋。

 視覚がまともに作用せず鋭敏になった嗅覚で、貧相な飯の匂いを見つけた少女は、無言でそのスープを飲んだ。

 

 

(残骸で見つけた缶詰のほうがマシだったな……)

 

 

 そんな事を思い、少女は改めて、自分の今置かれている境遇の悪さを実感した。どんなにスープを飲み込んでも、彼女の胃が満足の意思を表すことはなかった。

 

 

 

 それから、三日間。

 奴隷生活は、予想よりも遥かに起伏がなく、言ってしまえば、退屈なものだった。

 

 一日中重労働をさせられるのではないかと、そんな想像をしていたが、自分は奴隷になってからこの方、ただただこの狭い部屋の中でなにもしない生活を強いられた。

 述べるべき出来事など、朝夜の飯くらいしかない。

 

 後は、暗闇だ。

 何も、ない。何も、起きない。

 不満であった部屋にいる虫も、初日に手の届く範囲を片っ端潰して回って以降ほぼ見ていない。

 悪臭も、ずっとこの場所に留まっているせいか、ある程度慣れてしまった。

 

 痛くもないし、苦しくもない。

 

 ただ、なんか、どうしようもなく虚しかった。

 いっそ部屋の外に出てキツイ労働をさせられたほうが、なにかしら相手の隙を伺うチャンスがあったかもしれない。そんな妄想をしてしまうくらい、彼女は窮屈な平穏を味わっていた。

 

 

 

 そうして、なにもすることがなく部屋の隅に蹲っていると、外の方からかすかに足音が聞こえてきた。

 足音を聞いた少女は、床を見るのをやめ顔を上げる。

 普段であれば聞き取れないような微かな音も、この無音で、かつ視覚が機能しない場所ではよく聞き取ることができた。

 

 いつものように、部屋の扉の下に取り付けてある搬入口から食事が運ばれてくる。

 その後搬入口のそばに置かれていた前回の食事用のトレーが、運んできた男の手により無言で持っていかれた。

 そしてまた部屋が暗闇に戻る。

 少女はゆっくりと食事の元へ這っていき、それを無心で食べる。

 これで、今日の主な出来事は半分終わりだ。

 

 食事を食べ終わった少女は、ちっとも膨れない腹を抑えながら、また言いようのない虚無感を感じて部屋の隅で項垂れる。

 いつまでこんな生活が続くのだろうか。

 ずっと部屋に閉じ込められているため、今部屋の外で何が起きているのかも全くわからない。それどころか、食事がなければ今が朝なのか夜なのかすらわからないような状況だ。

 それだけじゃない。船は今どこを目指しているのか。どの辺りまで移動したのか。自分は何処に連れて行かれるのか。

 そういった疑問のすべてが判然としないまま時が過ぎていく。

 何もわからない。何も変えられない。

 少女は無力だった。

 

 

 

 *

 

 

 

 それから飯の回数から数えて一週間ほど経った頃。

 永く拘束され、栄養も足りない状況が続き、身体が苦痛を訴えるようになって来た。

 

 ずっと同じ姿勢で、ずっと手首は固定され、肩にかかる鎖が彼女の身体を柔らかに押し潰す。

 

 ああ、座っているだけで辛いな。

 何もしていないのに、苦しいな。

 

 磨り減った精神に薄く刺す痛みがのしかかる。

 段々と、少女は疲れ果て、衰弱していった。

 

 

 そんなある日、突如船が不可解に揺れ、その数分後に、少女のいる部屋の扉が開かれた。俯いていた彼女の目に、二人分の靴が映る。

 

「おい」

 

 呼びかけられるが、何日も拘束され衰弱した少女は顔を上げない。

 すると、目の前が真っ暗になり、久しく感じていない痛みが走った。

 

「ぐ!?」

 

「何無視してんだてめぇ!!」

 

 少女は、船長のブーツの裏で顔面を強く押し潰され、くぐもった声を上げた。

 何度も何度も蹴り付けられ、彼女の意識は無理やりに覚醒させられる。

 

「随分と寛いでいるようだなぁ? 69番!」

 

「ぅが、う」

 

 髪の毛を引っ張り上げられる。ミチミチと毛が根元から千切れる音がし、少女が苦悶の表情を見せた。

 

「謝れ」

 

「あ、ぐ……」

 

「俺はお前の飼い主だぞ。その俺に失礼な態度をとったことを謝れ」

 

「ご、ごめんなさ」

「申し訳ございませんでしただろうが!! あァ!?」

「ひ、申し訳、ござい、ません」

 

 少女は身体を震わせ、悲鳴をあげる。その弱々しい姿を見た船長はフンと鼻を鳴らし、その冷徹な目で彼女を見下ろした。

 

「おいコール。そいつは手錠をしたまま、檻に入れて外に連れてこい。島の奴隷商会で見世物にするぞ。早いうちに方々に見せびらかして、その価値を示さなきゃならねえからなあ」

 

「は、はい、船長……」

 

 金髪の男──コールと呼ばれた彼は言われるがままに、少女を連れていく。手錠には金具に通す形で鎖が付けられ、まるで家畜のように無理やりに連行される形になった。

 

「くっ……」

 

「……しっかりしろよ、船長は自分の思い通りに振る舞わない奴隷が大嫌いだ。ちょっとでも腑抜けた態度を見せれば、さっきみたいに容赦なく暴力を振るわれる」

 

「……」

 

 

 コールにそう言われ、苦い顔をしてうなだれた。手首を押さえるその冷たい手錠の感覚だけで、彼女の心は締め付けられた。

 

 

 ──

 

 

 少女は布で覆われた檻に入れられ運ばれた。目玉商品の姿を隠して競売開始までの情報漏洩を避けた形だ。

 彼女はようやく近づいた文明の奏でる喧騒をその目で味わえず、歯噛みした。

 

 その後、少女はとある建物に連れて行かれた。店の奥の小さな檻の中に入れられて、初めて布は取り払われた。

 周りをみると、自分と同じような姿の人間が何人も檻に入れられ、暗い表情で俯いている。奴隷だ。老若男女、様々な奴隷がこの建物に集められているのを見て、これから奴隷の売買が行われるのを察した少女は、だんだんとその顔を青ざめさせていった。

 

(大丈夫だ……俺は見世物にするって言ってた。まだ売られるわけじゃない……まだ、平穏な生活が送れる、はず)

 

 そう考え自分を落ち着かせようとするが、少しして、少女は首を振った。平穏な生活とは何か。自分がこれまであの船で送ってきた生活は、平穏でもなんでもない、ただの虚無だった。そんなものに戻りたいと望むだなんて、バカバカしい。

 自分が望むのは、あの世界のような、自由。今の生活と比べるのもおこがましい、あの輝かしい人生に戻れるまでは、決して満足などしてはならない。そう考え、少女は表情を引き締めた。

 

(絶対に、自由になってやる……奴隷なんて身分でいてやるもんか)

 

 

 ──

 

 

「はい15番の方の六十万! 六十万で決定です! では次の商品へ参りましょう!!」

 

 薄暗い建物の、広い部屋で、奴隷の競売が行われていた。人一人の命が、たかだか数十万かそこらの金額で取引されていく。

 

 屈強そうな男や、見目のいい若い女ならば百万近くまで上がることはあるが、老人や、か細い男女はその半分もない額しか出ない。そしてそんな低い相場の奴隷を、商人たちは適切価格だと言わんばかりに、笑顔で建物の外へ送り出していった。

 

 少女はそんな光景を裏手から見つめていた。売られた奴隷は、全員が終始絶望的な表情で新しい飼い主のところへ連れていかれる。そんな成り行きを何十回と見ているうちに、彼女はどんどん顔色を悪くしていった。

 

 なぜ、こんなことが平然と行われているのか。人間は、皆平等の権利があるはずなのに。なぜ、皆この行為に異を唱えないのかと、少女は疑問に思うばかりだった。

 

 一体自分は、どこに来てしまったのかと、そう思う。

 

 女になる前いた場所は、どの国も、奴隷など一切認めていなかったはずなのに。ここにいる人間は、さも当然のように奴隷の存在を認め、金を払って手に入れようとしている。秘密裏にではなく、公に、罪悪感を覚えることもなく、嬉々として。

 

 その事実が恐ろしくて、自分の認識との乖離が気持ち悪くて、彼女はブルりと身を震わせた。

 

 

「──ではお集まりの皆さんに、最後に特別な商品をご紹介しましょう! なんと、あの絶対不可侵の恐怖の孤島……暗闇島から我々が手ずから捕まえてきた奴隷でございます!!」

 

 

「……っ」

 

「さあ、出ろ」

 

 少女はその呼び掛けと共に、檻から出される。手錠にかかった鎖が引っ張られ、手首の痛みに仕方なく会場へ歩き出す。

 競売を取り仕切る船長のすぐ横へ行き、顔をあげれば、そこには何十人もの人間が好奇の視線を向けているのが見えた。

 

「……!」

 

 その目は、自分が見たことの無い種類の視線だった。今まで、人の前に立って何かをした経験はあった。何かの発表や、司会、挨拶など、色んな視線を受けたことがある筈なのに、彼女は、顔を青くして震えることしか出来なくなってしまった。

 

 全員の目が、淀んで濁っていた。

 ニヤニヤと自分の全身を舐めまわすように動く目は、人に向けるようなものではなく、もっと低俗な、背筋の凍るような欲望を孕んだものだった。

 

「暗闇島の奴隷だって。俺初めて見たよ、可愛いなあ」

「げ、げへへ! 父ちゃん、僕あれ欲しい! あれ欲しいよ!」「まあ待てって……ありゃあたけえぞ、さっきも奴隷買って余裕がないし……」

「本当に暗闇島の奴隷なのかあ? 傍から見たらただのガキだがなあ」

「暗闇島のだろうがなんだろうが、あの見た目だ、どの道結構な額になるだろうよ」

「ああ、可愛らしい……! ぜひうちのペットとして欲しいわ!」

「力仕事向きじゃねえな、いらね」

 

 

 

 様々な方向から、そんな言葉が聞こえてきた。その内容を聞いて、少女は息を呑む。

 どの人間も、自分を同じ人間と見ていなかった。自分は、ただの物としか見られていないのだと気づき、愕然とした。

 

 奴隷。

 

 その言葉の意味を真に理解し、だんだんと血の気が引いてくる。

 

 

「誠に申し訳ございません! こちらの商品は、大変貴重な暗闇島の奴隷ですので、ここでの販売は行わない予定です。なにせ、これは歴史的な商品です! お客様を含めた、多くの方々の目に入れて差し上げたい! そこで、この商品は、これから二ヶ月後、ロメアでのヒューマンショップにて大々的に売り出すこととしたいと思います! 今この場ではおあしが用意できない方もいるかもしれません、ですが二ヶ月後であれば大いにチャンスがあります! ぜひともその際は、我々の商品をお求めにいらしてくださいませ!!」

 

 船長は、両腕を広げながら、大声でそう宣伝した。巧みな言葉で客に呼びかけ、ロメアという場所で行われるヒューマンショップでの購入を促した。ここで客に商品だけを見せて期待をさせ、確実に購入する準備ができるようにこの場での購入ではなく、二ヶ月後という猶予をもっての購入を勧める。

 

 客の購買意欲をそそるのがうまいものだと、少女は内心感心しつつ、対照的に表情を苦々しそうに歪めた。少女は船での船長の様子を見ているため、彼の本性との落差を感じ気持ち悪さを覚えた。

 客に向けている人の良さそうな笑顔も演技でしか無い。その仮面の裏には、残酷で卑劣な顔が隠れている。

 

 その繕った顔が剥がれるまで、あと幾分の時間もないだろう。すでに用意していた奴隷の売買は終了しているし、自分が出されたのは競売の最後の見世物として盛り上がりを出して終わらせるためだというのもわかっていた。

 

 あと少しで、自分はまたあの闇の中に詰め込まれる。しかも、今度は鎖で繋がれたまま。味のしない貧相なスープも、少しづつ身体を苛む痛みも、唐突に振るわれる理不尽な暴力も、何もかも戻ってくる。

 

 怖い。

 

 

 逃げ出したい。

 助けてほしい。

 戻りたくない。

 

 

 そう思うたびに、身が震え、それを咎めるように、手錠の冷たい感覚が手首を撫でた。

 

「……いやだ」

 

 どんな形であれ、眼の前に人がいるではないか。彼らに必死で助けを求めれば、誰かがその手を取ってくれるのではないか。

 そう思い始めてしまっては、もはや彼女を止める術はない。

 気付けば少女は、身悶えするように叫んでいた。

 

 

「いやだあぁぁぁ!! 戻りたくない! 戻りたくないっ!! 助けて! 誰でもいいからぁ! 俺を助けてくれえぇえ!!!」

 

「なっ!? お、おい! 何をっ!!」

 

「こいつに拷問されるんだぁあ!! 汚い部屋で、鎖に繋がれて、ボロ雑巾みたいな扱いを受けもがごっんぐっ!!」

 

「し、失礼いたしましたお客様!! どうもこの奴隷思い込みが激しい性格のようでして! ははは!」

 

 しかし、とっさに船長に口を塞がれ、喋れなくなる。冷や汗をかきつつも愛想笑いを浮かべた船長は、そのまま適当な口上を述べて競売を締め切った。

 挨拶が終わるやいなや、船長は裏手の方へ少女を連れて行く。ペコペコと何度も頭を下げつつ会場から去っていく船長の腕の中で、彼女は縋るような気持ちで客の顔を凝視していた。

 明らかに異常な様子の少女を憐れみ、心配し、船長の強制的な行動を止めてくれる人間が声を上げるのを期待して。

 

 

 だが、一連の流れを見ていた客の態度は、少女の期待とは違うものだった。

 

「はっはっは! 見たかいあの様子! あの希望に縋って叫ぶ姿が、奴隷の醍醐味だよな!」「まったくだ、俺、あいつ欲しくなっちまったよ。いい声で泣きそうだ」

「うーん、顔は好みだったけどあの態度は気に食わないかな。ロメアの売出しのときはもっと大人しくなってたらいいんだけど」

「ちゃんと手綱握っとけよなあ。まあ顔が好みだから競売は行くけどさ」

「むしろこういうイレギュラーがヒューマンショップの楽しいところじゃないか。いい酒のつまみになったよ」「はん、お前とは方向性が合わなそうだ」「そういえば君は何をされても無言で従う奴隷が好みだったな!」「奴隷は言われたことだけを忠実にやってればいいんだよ」「それもまた一興だな! ははは!」

 

 

 聞こえてくる客の声。その中に、少女の求めた言葉はない。

 むしろ、今の叫びを面白いと受け取ってにやけている人間が大半だった。

 少女の身を案ずるなどという様子は感じられない。どこからも、彼女にとっては的外れな意見しか出てこなかった。

 

 奴隷だから。

 

 その事実だけで、彼らがこちらに向ける感情は冷ややかなものになっていた。

 

「な、何でだよ」

 

 誰一人として、少女の味方になってくれそうな意見を持つ者はいない。それが分かった少女は、絶望的な表情で裏手まで連行されて行くのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 ベキ、ゴキッ

 

 痛々しい音が鳴り響く。

 

 

「おいこのクソ野郎がぁ!! 何勝手に叫んでんだよこらあ!! 誰が、いつ、喋っていいなんて言ったんだあ!? ああっ!!?」

 

「ひっ……す、すみませ──」

 

「謝って済む話じゃねえだろうがあ!!」

 

「ぎゃい!?」

 

 競売が終了したあと、客の全員が帰ったのを確認した船長は、その顔を豹変させ、少女を蹴りつけていた。

 勝手な行動をした奴隷を躾けるためだと、泥のついたブーツで何度も何度も少女を蹴る船長に、船員も顔を青ざめさせていた。

 

「せ、船長……その奴隷は高くつく商品ですし、汚すのは……」

 

「ああ!? てめえ俺のやることに指図するつもりか!?」

 

「い、いえ! 滅相もございませ──ぎゃあ!? 

 

 船長を止めようとした船員が、顔を真っ赤にした船長に殴り飛ばされる。その指についたゴテゴテとした指輪のような複数の装飾品が頬にあたり、船員の男は血を飛ばしながら倒れ込んだ。

 

 他の船員が息を呑むなか、肩を揺らした船長が、その肥えた腹を揺らしながら少女の方へ振り返る。その眼は、ギラギラとした怒りの炎を宿していた。

 

「汚れたなら水で洗えばいい、傷ついたなら見えないように隠せばいい……そんなことより、こいつが俺の思い通りに動かないことが問題なんだ!! 俺はこいつの飼い主だぞ!? てめえら奴隷は、俺という飼い主の望むとおりに生きるのが義務だろうがよっ!!」

 

「がっ!?」

 

「そんな当たり前のことも分かんねえのか!? 全くこれだからガキは……奴隷としての常識を身につけさせる手間を増やすとは、そこらのブスで力のねえ老人奴隷の方がまだマシだ!! やつらは俺に逆らわねえからな!」

 

 手錠のせいで身を守ることすら満足にできない少女を、船長は躊躇いもなく痛めつけていった。彼女がいくら謝ろうが、船長の暴力は止まず、周りの船員も同僚が殴られてからは静観している。

 

 

「全く、大人しく従ってりゃスムーズに競売が終わったものを。面倒事増やしやがって……」

「てめえには教育が必要そうだ。二度と俺の気分を害さないよう、徹底的な教育がな。いいか? 悪いのはお前だからな? お前が自分の境遇を理解せずでしゃぱったから、こうやって痛い思いをする事になったんだ。因果応報ってやつだ……それをこれからみっちり身体に教えこんでやるから、覚悟しとけよなあ!」

 

 教育。

 どう考えてもろくなモノじゃないだろうその言葉に、少女は身震いした。

 

「は、はい……すみません、でした。謝りますから、許してください……だから、教育は……」

 

「ちょっと待て。お前それは俺への指図か?」

 

 先程船員に言っていたのと同じ言葉を吐いた船長に、少女は目を見開いて顔色を悪くする。

 咄嗟に謝るが、そう言われた時点で遅かった。

 

「! ち、違いま──」

 

「ふざけんなあ!!」

 

「ぐが!」

 

 そのまま床に頭を押し付けられ、少女からくぐもった声が出る。それを最後に、船長は手を離した。汚いものを払うように手を振るう船長が、船員たちに低い声で指示を出す。

 

「こいつを()()に連れていけ。あと、躾のための道具の手入れもだ。他のやつは次の航海への準備を進めろ、バグ、てめえが指揮しろ」

 

 そう言われ、バグと呼ばれた痩せぎすな男は素早く一礼した。どうやらそれなりの立場の人間らしい。

 

「はっ……」

 

「聞こえてたな? 野郎どもとっととかかれ! 

 

「「「はいっ!」」」

 

 

 

 

 その後、会場の裏手の更に奥、教室と呼ばれた狭い部屋に連れられた少女は、入るなり壁に鎖で拘束され、身動きがとれなくなる。乱暴に部屋の扉を閉め鍵をかけた船長は、船員が用意した様々な器具を目の前に並べ始めた。

 

「……!」

 

 少女の頭の中に、拷問の二文字が浮かぶ。自分が、今までの人生で経験した事の無い修羅場にいることを実感し、震え上がる。

 

 

 何故だ。自分は助けて欲しいと願っただけだ。

 何故、自分は誰の救いも受けられず、こんな狭い部屋で拷問されそうになっているのか。

 有り得ないだろう、普通。今の自分にここまでの仕打ちをされる道理など……。

 

 

(あの奴隷欲しい)

(あの態度は気に食わない)

(ちゃんと手網は握っておけよな)

 

 普通。普通とは何だ。あの場所は、あそこにいた人間たちは、ちっとも普通じゃなかった。

 

 自分の中の価値観が否定され、段々と崩れ落ちていく。

 

「いいか、お前が悪いんだ。今回の競売のイレギュラーの発端はお前だ、責任は全てお前にある。お前がどんだけ無責任な振る舞いをしたか、わかってるか?」

 

「……申し訳ございません」

 

「謝ったところで、もうお前のせいで客に不評を買ったじゃねえか!!」

 

 そう言って殴られる。

 

「ぐ!!」

 

「俺はな、そうやって、謝罪一つで罪を許してもらおうとする奴を見るとな、虫唾が走るんだよ……! そういう奴に限って、また同じような失敗を繰り返し、俺を困らせる。なあ、お前俺の事を舐めてるんだろ?」

 

「え、い、いや……」

 

「本当は、自分が悪かったなんて、本心では思ってねえだろ」

 

「!」

 

 図星だった。

 自身の常識と周りの価値観との差異への戸惑いが、否応なく表情に現れてしまう。

 船長はその顔を見て、大きく舌打ちした。

 

「やっぱりか。なら、その身に叩き込むしかねえなあおい……!」

 

 そうして、少女の拷問が始まった。

 

 最初は木でできた小槌だった。

 それを持った船長が、低い声で問いかけてくる。

 

 

「なあ、悪いのは誰だ?」

 

「え」

 

「誰が悪いんだ! 言え!!」

 

「うが!」

 

 船長の蹴りが頬を刺す。何度も蹴られ危険を感じた少女は、つい思いもしない言葉を口走った。

 

「ひ……お、俺です……!」

 

「心が籠もってねえ!!」

 

「うっ!」

 

 誰が悪いか聞かれ、自分が悪いと答えた。

 だが、心が籠もっていない。本心から言っていないと言われ、木槌で後頭部を叩かれる。

 もう一度、同じ問いがかけられた。

 

「もう一度だ。悪いのは誰だ?」

 

「俺です! 俺が悪──」

 

「もっと真摯に答えろお!!」

 

「ぐ!!」

 

 同じ答えを返した。

 しかし、船長は納得せずまた木槌で叩いてきた。先程より、強く。

 また同じ問いをかけられた。

 

 

 

 

 そんなやりとりが数時間続いた。

 

 何より恐ろしかったのは、答えるたびに、船長の力が強くなっていくこと。

 

 

 そして、一定数納得させられないと、少女を殴るモノがより痛みを与えるものに変わっていったことだ。

 

 

 木槌の次は、木の大槌に。その次はトンカチに。その次はレンチに。その次はハンマーに……。

 

 船長の拷問が苛烈になるたびに、少女は前より必死になって自分が悪いと叫んだ。

 だが、船長はそのたびにまだ本心じゃないと怒り狂った。もっと強くしなければだめなようだと、そう言って更に強く殴りつける。

 

 喉が枯れるほど叫んだ。

 必死で自分が悪いのだと言い聞かせた。

 これ以上無いほど涙を流して懇願した。

 もうやめてくれと。自分は本心で謝っているのだと、大声で訴え続けた。

 

 それでも、いつまでも、船長の拷問は終わらなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

「ゼェ……ハア……そう、そうだよ。今のは、よかったぜ? 今のは確かに、本心からの謝罪だったなあ。それでいいんだよ、はあ……」

 

 

 全身から汗を流し、カヒューカヒューと、かすれた息を吐き出しながら、船長は満足そうに頷いた。

 血の滴り落ちるハンマーを床に放り投げ、腰に巻いていたタオルで額を拭う。

 

 

 壁には、後頭部から大量の血を流して項垂れる少女の姿があった。全身を脱力させ、床につきそうなほど頭を下げた彼女の足元に、涙が混じった血溜まりが広がっていた。

 耳を澄まさなければ聞こえないほど小さく息をする少女は、壊れた人形のように固まっている。

 

 

「分かっただろう……? 教育ってのがどれだけ大変なのか。お前のせいで、あのときのお前の身勝手で、不用意な発言のせいで、俺は汗だくだ。風呂に入らなきゃならねえ。運動したぶん食事の量も増やさねえと帳尻が合わねえし……全部お前の発言のせいで増えた苦労だ。今なら実感が湧くよなあ……どれだけ最低なことをしたのか」

 

「……」

 

「……なんか言いたいことはあるか? おい!」

 

「私が全て悪いです。大変申し訳ございませんでした」

 

 プログラムされた機械のように、少女は即座に反応する。

 枯れきった喉から搾り取った力で、掠れた声を出す。喉が十分に機能せず少し言いよどみががあったが、それでもハッキリとそう言い切った少女を見て、船長が笑う。

 

「ぶっひゃっひゃっひゃっひゃ!! いいぞ! そうだ! お前が悪い! お前が悪いんだ! もう一度言ってみろ」

 

「私が、全て悪いです。大、変申し訳ござぃませんでした」

 

「ひゃっひゃっひゃ! それでこそ忠実な奴隷だ! もう一回!」

 

「私が全て悪いです。っ、大変申し、訳、ございませんでした」

 

 そう言い切った瞬間、少女は血反吐を吐いた。血を吐くほど必死に自分の非を認める姿に、船長は満足気に笑っていた。

 

「ああ……素晴らしいな、またいい仕事をしたわ。これからもその心を持ち続けろよ?」

 

 

 船長が扉を開けて出ていく。

 そして彼は、それを閉め切る直前に、隙間から覗き込むように、少女に声をかけた。

 

 

「そうすれば、お前は悪いやつじゃなくなる」

 

 

 バタン、と扉が閉まった。

 

 

 

 床に一粒の涙が落ちた。

 

 

 

 

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