ロックスの再来0   作:イオン

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第三話 踏み躙られたもの

 

 

 

「おいコール。器具を掃除しろ。終わったらほかの船員と一緒にこいつを部屋に戻しとけ。檻を布で隠すのを忘れるなよ」

 

「はい……」

 

 船長はそう言ってどこかへ行ってしまった。コールが部屋に入ってみれば、むせ返るような血の匂いに顔を顰める。

 部屋に残された少女は血を流すだけで身動ぎしない。

 

「…」

 

コールは数度目線を移ろわせ、やがて拷問具を掃除し始めた。

 

 しばらく、拷問具を掃除する音だけが響いた。

 

「……あーくそ、血多すぎだろ。どんだけ拷問されたんだお前。拭き取るのに何分かかるんだよこれ」

 

「……」

 

 器具を洗い、布巾で拭いていたコールがそう言って少女に話しかける。呼ばれた彼女はろくに反応しない。

 拷問で体力が無くなったのか。コールは数度呼びかけても一向に反応しない少女に、流石にまずいかと顔を向けた。

 

「おい、お前生きてんのか」

 

「……」

 

「おい……船長呼ぶか?」

 

「……やめろ」

 

 船長、という言葉を聞いて、それまでとは一転し少女は露骨に反応した。命令口調とは生意気なと思うと同時に、コールはなんとなく、彼女がここまで酷い状態になった理由を理解した。

 

「お前な、そんな奴隷らしからぬ態度しても、自分の身を危険に晒すだけだぞ。そういうのはあの人には筒抜けなんだ。何十年も奴隷拷問して食ってきたんだから……そんなんだから拷問が長引いたんじゃないのか」

 

「……」

 

「船長は命令通りにしない奴隷が嫌いなんだ。納得いってないかもしれねえが、自分は奴隷という従うだけの立場なんだと割り切って過ごした方が、楽なこともある」

 

「……」

 

「……お前を思って言ってるんだぞ」

 

「……!」

 

「自分が悪かったと思い込め。そうしたら、二度とこんな思いはしないさ」

 

 

 また、この言葉だ。

 お前が悪い。お前は悪いことをした。自分が悪いと認めろ。

 この短時間で何度その言葉を聞かされたことか。脳にまで染み込んだその単語が反芻され、少女は小刻みに震える。

 

 認めたくなかったのに、自分が正しいと信じていたのに。

 自分が悪かったという本心とは違う言葉。

 

『お前が悪い』

 

 また、あの言葉が繰り返される。

 

(俺が悪いだと? なんで、どうして)

 

 自分はその言葉を認めたわけではない。

 ただ救われたくて助けを求めただけの自分が、悪者として暴行される、貶される。そんな事実に納得出来るわけがない。

 

 頭が痛い。納得できなくたって、拷問された事実だけが身を詰る。

 きっとあの時大人しくしていれば、この痛みをなかった。

 

(くそ……くそ……!)

 

 少女はただ無言で、歯を食いしばる。

 心のどこかに、コールの言う通りかもしれないと思った自分がいることで、彼女はたまらない気持ちになった。

 

 

 

 *

 

 

 

 その後、少女は檻に入れられた状態で、台車で街中を運ばれた。当然、血だらけの姿を衆目に見せるのはよろしくない。檻には布が被せられ、空間的にも視覚的にも窮屈な檻を完成させた船員たちは、そのまま奴隷船へと少女を運び入れた。

 

 

 奴隷用の部屋に入れられた少女は、その手錠についた鎖を壁の器具にはめられ、拘束された。

 綺麗に便器の真上に跪かされた彼女を見て、船員たちはいそいそと檻を運んでいく。

 

 扉が閉められ、暗闇になった部屋で、少女は息を吐いた。

 

(……拷問されないだけで、ここは天国みたいに感じるな)

 

 先程の拷問に比べたら、ここは天国だ。痛みもなければ苦しみもない。ちょっとばかりの不快感に目をつぶれば、ここは楽園に等しかった。

 ただ暗い部屋で閉じ込められていればいい。その事実は、少女にとって何物にも代えがたい安堵の要因となっていた。

 

(……あの時、ここは平穏でも何でもないって、思ってたんだっけ)

 

 最初にこの部屋に来た時を思い出す。

 劣悪な環境に顔を顰めたものだが、今はそんな事は微塵も思わない。

 

(このまま、大人しくしてたらずっと……)

 

 

 そこで、彼女は強烈な睡魔に襲われた。

 長い拷問で疲弊した身体が、限界を訴えたようだ。

 のしかかる疲れが、拷問の苛烈さを助長する。

 疲れに任せ、少女は眠りに落ちた。

 

 

 

 

 だが、そんな少女の思いを見透かした様に、彼女を取り巻く環境はその日を境に変化した。

 

 運ばれてくる食事が、前よりも少なくなったのだ。

 

 前まで器いっぱいに盛られていたスープが、器の半分くらいしかない。

 それを飲み干した少女は、今までよりも物足りない気持ちで次の食事を待ちわびる。だが、待った先に持ってこられる量の少ないスープは、空いた胃を満たしてはくれなかった。

 

 そんな毎日が続き、少女の腹は常に食べ物を求めるようになった。日が経てば経つほどその想いは膨らんできて、逆に彼女の腹は貧しく萎んでいく。

 

 

 ある日、少女は限界が来て、トレーを運んできた顔の見えない船員に、声をかけた。どうやらコールとかいう船員ではないらしい。

 

 

「な、なあ、あんた」

 

「……あ?」

 

「今日も、これだけなのか?」

 

「そうだが、何か不満でもあるのか?」

 

「な、何で?」

 

「は?」

 

「何で、急にこんな、食べ物を少なくするなんてことを」

 

「馬鹿か。そんなのお前が競売で余計な真似したからに決まってんだろ」

 

 そう言われ、少女は愕然とした。

 コールの言葉を思い出す。

 厳しい現実に視界が揺らぐのを感じた。それだけ、この空腹は耐え難いものだった。

 腹の虫が鳴り、たまらず少女は船員に、どうにかして許しを乞おうとする。

 

「そ、それは船長に拷問されて、それで終わったことじゃないか。も、もう許してくれよ」

 

「ああ!?」

 

 そう言った途端、閉ざされていた扉が開き、恐ろしい形相をした船員の男が目の前まで来た。

 突然のことに動きを止めた少女は、その両の手に抱えていた鉄の器を蹴り飛ばされる。

 

 色味の薄いスープが床に散らばり、木の隙間に消えていった。

 

「あぁっ」

 

「奴隷のくせに俺に説教か!? ふざけんじゃねえぞ!!」

 

「ぐぎ、がは!!」

 

 何度も男に殴りつけられる。痛みに声を上げるが、やがてその暴力が止んだ時、その手は勝手に器を探して、また両の手で包み込んでいた。

 

「! このガキ……!」

 

「う、申し訳ございません……でも、俺、もう限界で」

 

「黙れ!」

 

「!」

 

 拷問の影響か、空腹のせいか、自然と謝罪の言葉が飛び出す。

 みすぼらしい姿で食べ物を乞う姿は、さぞ惨めに映ったろう。

 

 男によって、また器が蹴り落とされる。先程より重みの無くなったそれはより遠くへ飛び、少女から遠ざかった。

 それを彼女は、必死で取ろうとする。しかし、途中で伸ばした手を男に踏み潰された。

 

「ぐぁ!」

 

「こっちだって何日もの航海で有限な物資をやり繰りしてんだ!! てめえみてえな身の程知らずなガキにやる飯なんてねえんだよ!!」

 

「ぐ、お願いします……! お願いします! このままじゃ餓死して──」

 

「うるせえ!!」

 

「が!」

 

 頬を工具で殴りつけられた。それで裂けてしまったのか、生温い血が溢れ、首筋を伝う。

 そこまでしてやっと、少女は大人しくなった。

 

「はっ、なんて図々しいガキだ。こんなんじゃ先が思いやられるな」

 

「うぅ……」

 

 そう言って立ち去る男を、少女は悔しそうに呻きながら見送った。

 その日一日、飯が届けられることは無かった。

 

 惨めだ。平穏だと感じた生活は、食事一つ減らされただけで地獄と化す。

 愚かだった。客に助けを求めたのも、船長に逆らったのも、何もかもが失敗だった。

 

(ああ……帰りたいな)

 

 惨めで、どうしようもなく、寂しい。

 彼女は床に染み込んだスープの具材を這いつくばって口に運びながら、声もなく泣き続けた。

 

 

 ──

 

 

 それは突然だった。鳴り続ける腹を叩きながら呻いていた少女の部屋に、船長が入ってきた。

 

「! せ、船長」

 

 怯えた様子で顔を上げた少女は、しかし、その恐怖心も一瞬忘れて、視線を船長の右手に移して固定する。

 彼の手に握られた大振りな骨付き肉。まるで漫画みたいに見事な、茶色く焼き色の着いた肉が発する香ばしい匂いが、鼻を刺激した。

 

「よお、69番」

 

 船長が、これ見よがしに肉にかじりつき、汚らしい音を立てて咀嚼する。だが、そんな光景すら彼女には魅力的で、ゴクリと喉を鳴らしてしまった。

 

「いい知らせがある。次の競売の目的地まであと三日、先方からお前を見世物にする許可を得た。予定外だったんで条件付きだがな……。それで、お前には今日そのリハーサルをしてもらう。満足いく出来だったら、この肉をやるよ」

 

「ほ、本当ですか……!」

 

「ああ」

 

「な、何をすればいいんですか?」

 

「暗闇島の情報を言え」

 

「……は、はい?」

 

 期待に胸を膨らませた少女だが、次に出た船長の言葉に困惑する。

 

「お前のいた暗闇島ってのは、ここらじゃ知る人ぞ知る魔境だ。あの瓦礫の壁で囲まれた島には一体何があるのか、それを知りに冒険家や学者が船を出したが、その一切が戻ってこなかった。皆あの瓦礫の一部になったからだ」

 

「……」

 

「それに、あの島を取り囲む特殊な海流もまた恐れられる要因だ。一度入っちまったら船の操縦は機能しなくなり、島へ誘い込まれ、終いには瓦礫の壁に激突して船員を殺す……。まるで俺らを地獄の底に誘うかのような魔の海流。人はそれを”ブラックホール海流 ”と呼び恐れている。ここらで活動する船乗りにとっちゃ恐怖の対象なんだ」

 

「……じゃあ、あの船は」

 

 その言葉に、かつて自分が助けを求め、しかし不可思議な揺れを起こし座礁した一隻の船を思い出した。

 何故彼らは、あのような最期を遂げたのか。その理由を知り、少女は冷や汗を流した。

 

「あの島は謎だらけだ。あの魔境に関する噂は数多くある。人食いの化け物がいるとか、島の中心部には莫大な宝が眠っているとか、怪物が人の住む島へ流れ着き、何隻もの軍艦によって滅ぼされたとか……だが、どれもこれも根拠の無い与太話ってのが全員の認識だ。一体あの島がどんな場所なのか、誰も分からねえ。……しかしそんな中、お前が見つかった」

 

「……」

 

「お前は言ったな、島には怪物がいたと。その目で見たわけだ。そんなお前の暗闇島での体験は、その情報は、ここらの人間にとって金ほどの価値がある! 誰もが知りたいと思ってやまない、究極のエンターテインメントだ! そしてその情報がもし、あのブラックホール海流の解明の一助になったなら……お前の価値は計り知れねえ! 俺の商会は魔境攻略の礎になり、不動の地位を得られるのさ!!」

「さあ言え! あの暗闇島についての情報を! その謎の全てを!」

 

「え、え」

 

「そうだな、まずは島の怪物はどんなやつなのか教えろ! さあ早く! この肉が欲しくねえのか!?」

 

 船長の勢いに押され、タジタジになっていた少女だが、目と鼻の先にその湯気の上がった肉を持ってこられては、抗いようがない。

 

「あ、あの、俺は、馬鹿でかい虎の怪物の群れに襲われました。逆だった毛で、黒と灰色の体色で、船なんて簡単に壊せる怪力で、目に剣を突き刺してもビクともしない化け物で」

 

「素晴らしい!! そんな魔物が実在したとは! ああ、分かるぞ、俺も人を見る仕事で食ってる身だ。お前の言葉が真実だと分かる! 何て心躍る真実だ! もっとだ! もっとよこせ!!」

 

「そ、それで、そいつらは腐肉を食うんです。俺が見つけた腐敗死体を投げたら、群がってそれを食らって」

 

「ほう! 面白い! 人を食うって噂も案外的外れな意見ではなかったわけだ! それで? 他には!」

 

「あと、牛の怪物? も見ました。そいつらも黒と灰色の毛で、でかくて、群れで生活してて」

 

「なるほど、当然か! 島にいる怪物が一種類のみなわけがないものな! で? そいつらも襲ってきたのか! 食べられそうになったか!? 家族でも殺されたか!」

 

 

 

 

「……え、いえ、何も」

 

 

「は?」

 

 

「いや、だから……何も、されてないです。目の前に近付いてきたくらいで、そのままどっか行きましたし」

 

「……」

 

 

 拍子抜けといった表情で呆然とした船長は、一度首を振り、ほかの質問をする。

 

「あー、なら他にはどんな怪物がいた? 出来るだけ恐ろしい奴を教えろ」

 

「えっと……すみません、他には見た事ないです……」

 

「あ?」

 

「そ、そいつら以外どんな奴がいるかなんて知らないです……」

 

「じゃあ海流の謎は。宝の在処は」

 

「い、いやそんな……あ、あ、でも、残骸の中で宝は見つけました。それこそ金貨とか王冠とか……」

 

「そうかそうか。で、それ持って出るには海流の謎を知らねえとな。そっちはどうするんだ、え?」

 

「し、知りません」

 

「あ?」

 

「その、も、申し訳、ございません。俺、あの島にいたのは、ほんの数週間くらいで」

 

 

「──ふざけんな!!!」

 

 

「ひっ!!」

 

 大声を上げた船長の蹴りが、少女のすぐ横の壁に突き刺さる。顔を真っ赤にして、ワナワナと震える彼の姿に、彼女は顔色を失った。

 

「数週間しかあの島にいなかっただ!? じゃあてめえ、暗闇島に生まれたわけでも、そこで過酷な生活したわけでもなんでも無かったってことか!! ああ!?」

 

「い、いや! 俺だってあそこでは必死で暮らしてて」

 

「知ったことか!!」

 

「ぎゃあ!?」

 

 顔を思い切り蹴り飛ばされた少女は、鼻から血を流し悶える。

 船長はその後、深い、深いため息をついてその場にしゃがみ込んだ。

 

「クソが。クソがクソがクソがクソが。じゃあてめえを高く売るって計画も無駄じゃねえかよ。俺が必死でやった教育も無駄じゃねえかよ……! ふざけんじゃねえぞクソ!!」

 

「す、すみません! すみません!」

 

「謝って済む話じゃねえよ!! もうお前の価値はとうに無くなった! 食糧を削ってまで生かしとく意味もねえ。いるだけ無駄だ。海にでも捨てるか」

 

「え!?」

 

 信じられない言葉に、少女は一瞬頭の中が真っ白になった。そんな事をされたら、確実に死んでしまう。海の上で餓死するか。海鳥にでも食われるか。鮫にでも襲われるか。

 何より、家に帰れなくなる。そんなのは絶対に嫌だ。少女は拘束された身体を引っ張って、船長にしがみついた。

 

「やめてください! それだけは! 何でもします! 何でもしますから! 命だけは! 命だけは勘弁してください!!」

 

「黙れ汚ねえな! 唾かけてんじゃねえよ! 俺は期待して損した分お前にイラついてるんだよ! これ以上俺を怒らせたいか!? あぁ!?」

 

「ひ……!」

 

「もういいわ。めんどくせえからここで殺しちまうか。あーあ、本当に無駄な時間を使ったな」

 

 

 そう言って、少女の額にピストルがつけられた。

 

 

「あ、あ、あ」

 

 初めて見る生の銃火器に、それを突きつけられているという事実に、少女は声も出ず震え上がる。

 自分を射殺そうとする船長の、冷えきった目。

 自然と、自分の股が温かくなった。

 

 流れ落ちる液体に体温が奪われる。全身が温度をなくし、時がゆっくりと流れる気分になった。

 永く流れる時間の中で、冷えた頭で僅かながらの冷静さを取り戻した少女は、必死になって脳を動かし、自分の命を助けるために言葉を紡いだ。

 

「い、言います。暗闇島の真実」

 

「あ?」

 

「でっち上げでもなんでも、それっぽい事を言って、客を信じ込ませます。誰も生きて帰ったこと無いんだから、嘘ついても、バレませんよね?」

 

「……お前」

 

「嘘だってことも、誰にも言いません。死ぬまで、墓場まで持っていきます。ここにいる俺と、船長だけの秘密です。約束します。しますから……」

 

 鉛のように思い空気が辺りを包む。

 震える身体で、船長の反応を待った。

 

 

「……ぶひゃひゃひゃ、おもしれぇ」

 

 そして船長は、銃を引っ込めた。

 

「ガキのくせに、銃を突きつけられた状態で交渉かよ。とんだ肝の据わりっぷりだな。失禁してなけりゃ満点だったが」

 

「は、はは……」

 

「嘘で客を騙すのはまあ悪くない案だ。どうせ素人に嘘かホントかなんて分かりやしないしな。で? どんな嘘をつくんだ」

 

「そ、それはまだ考え中で……」

 

「ダメだ。今この場で考えろ。もう骨折り損はゴメンだぜ」

 

「え……」

 

 しかし、船長は甘くはなかった。

 咄嗟の言葉で命拾いした少女だが、それも一瞬。今この場で追加で船長を納得させなければ、結局殺される。

 

「あ、あ、じゃあ、その、島を覆うくらいのデカイ怪物がいたって言うのは」

 

「無理だな。そんな奴がいたら島の外からでも見える。そんな見え見えの嘘、客が信じるわけねえだろ」

 

「な、なら、島には莫大な財宝が……ほら、実際宝物庫に宝があるのは見ましたし」

 

「そんな話はこの時代ありふれてるんだ。部屋一つ分の財宝程度に客は喜ばねえ。そんな中で、てめえが莫大とまでいうほどの財宝の内容は? どのくらいの量だ? どこに眠ってる?」

 

「え、ええと、それは、あの」

 

「はあ〜……。話にならねえ」

 

 

 ガキン。

 

 

「」

 

 

 その瞬間、少女は工具で思い切りぶたれた。

 何が起こったのか分からず、身体を駆け巡る痛みだけが少女の内に残った。

 

「が……! ぇ、あ……?」

 

「こっちも暇じゃねえんだ。お前がとぼけた嘘を考え続ける限り、お前に価値を見出さねえ。だから、俺が納得するような、マシな嘘を言うまで、お前を拷問する」

 

「そ、そんな……」

 

「10秒以内に新しい嘘を考えろ。でなきゃこの金槌で殴る。ついた嘘に俺が納得しなくても殴る。競売ではお前の嘘が客を楽しませる唯一の方法になるだろう。本番まであと三日……今のうちに10個は考えろ。10個思いつくまで、俺はお前を殴り続ける」

「10個思い浮かぶか。その前にお前が拷問の末死ぬか。俺はどっちだっていいぜ? どうなろうが、俺が失う物なんて何もねえ」

 

「う、嘘、だ。そんな無茶な」

 

「……」

 

「有り得ないですよ! そんな10個も都合よく思い浮かぶなんてこと──」

 

「10秒だ」

 

「が!?」

 

 少女の顔面へ、金槌が振るわれた。

 耳鳴りがする。ズキズキと痛む頭痛が止まない。消えてくれない。

 

「ひ、い、ぅ……」

 

「10、9、8、7」

 

「や、やめて」

 

「6、5、4」

 

「分かりました! 言います! 言いますから! だからちょっと待って──」

 

「10秒だ」

 

「うがぁ!!」

 

 それから数時間、少女の悲鳴が止むことは無かった。

 何度も何度も嘘をついた。何度も何度も無知な客を騙す自分を想像した。何度も何度も殴られ、何度も何度も罵倒され、何度も何度も自分を騙し続けた。

 

 何度も怪物の襲撃に怯え、何度も自分の存在を示し、目の前で死にゆく人間を目に焼き付けてまで、自分の居場所を追い続けた。

 

 必死に生きてきた。

 自分の存在を知ってもらうために、努力してきた。

 それが、そこで得た経験が、想いが、いらないと言われた。どうでもいいと握り潰された。

 

 必要とされたのは、自分の口先から出る、陳腐な嘘だった。

 自分の本当の想いなど、ここではなんの価値も無かった。

 

 

 

 心が、踏み躙られる音が聞こえた。

 

 もう少ししか無かった自尊心が、自分の存在意義が、崩れていくのを感じた。

 

 

 ──

 

 

「フン……まあこのくらいあればなんとか凌げるか」

 

 少女の考えた嘘の羅列を記入したメモを見て、船長は鼻を鳴らす。

 血だらけの頭をもたげる少女は、か細い息遣いでその言葉を聞いていた。

 

「念の為だ。明日もまた同じ拷問を行う。競売はイレギュラーが多いからな、この10個だけじゃ足りなくなる恐れがある……。だが今日と違って、明日までに考える時間はたっぷりある。自分の命が大切なら、寝る間も惜しんで考えるのをオススメするぜ」

 

「……あの」

 

「あ?」

 

 そこで、黙っていた少女が声を出す。怪訝そうな顔で見下ろす船長に、彼女はゆっくり顔を上げて、疲れ切った表情でこう言った。

 

「……肉」

 

「……肉だ?」

 

「暗闇島の、情報は、言いました。だから……その、肉を下さい……もう、お腹、ペコペコで」

 

「あぁ、これか」

 

 最初に船長が言った、暗闇島の情報を言えば肉をやるという言葉を覚えていた少女は、せめてもの褒美と、その肉を求めた。

 

 長い拷問の末、すっかり冷めてしまった肉を、船長は拾い上げる。

 床に直置きされ、汚れたそれも、少女にとってはこの上ない食事だった。

 

「だがな、お前の言う情報ってのは、その場ででっち上げた虚像だろうが。俺は本物の暗闇島の情報を言えたら、これをやると言ったんだ」

 

「で、でも」

 

「だから、こうだ」

 

 だが、船長は応じてくれなかった。

 船長は手に持った肉を放り投げ、それは少女の足元にあるボットン便所の穴の深くへと消えていった。

 

「あ、あぁぁ……」

 

 それがきっかけだった。

 少女の乾ききった瞳から、涙が溢れ出す。

 溜まりに溜まった悔しさ、悲しさ、何もかも全てが、決壊したかのように流れ出てきた。

 

「なんで、なんで……!」

 

 屈辱だ。恥辱だ。悲しい。恨めしい。

 自分だって精神は成人した男だ。酷い拷問にも、理不尽な嫌がらせにも、我慢して耐えてきた。

 だけど、こんなの、あんまりじゃないか。

 

「ひぐっ、まだ、食べられたのに。う、こんなに、頑張って、あんたの希望に、応えたのに……! えぐっ」

 

「……」

 

「なんで、なんでこんな、酷いことが、できるん、だよ……う、うぇ、えぅ……!」

 

「……ほう」

 

 泣きじゃくりながら、船長を見上げた少女。

 だが、それを見た船長は哀れむでもなく、怒るのでもなく、なにか意味ありげに目を細めた。

 

「……知ったこっちゃねえな。お前の情報なんざ嘘っぱちで、真に暗闇島の謎の究明には貢献しねえ。それじゃあ金にならねえんだよ。それなのに肉をやる理由がどこにある」

 

「……ひっく、ならせめて、せめて普通のご飯だけでも、もう一日、何も食べてないのに」

 

「それはてめえが競売を台無しにしたからだろう。それとこれは別問題だ。大人しく自分の爪でも食ってろ」

 

「ひ、酷い、あんまりだ……! こ、このままじゃ、餓死しちまう……! えぅ、もう、許してくれたって」

 

 

「お前、自分が悪かったって言葉を忘れたのか?」

 

「……え」

 

「教室で何度も何度も教えてやたのに……これは全部お前のせいだと。きちんと理解してくれたと思ったのによ。こりゃまた教育が必要だな、おい」

 

「あ、あ、あ、嫌だ、嫌だ……やめて」

 

 再び、金槌が振り上げられた。

 出尽くしたはずの涙がまた溢れ出す。全身が震える。絶望が頭を支配する。この世の全てに絶望した少女の表情は、悲壮さに満ちていた。

 

「……へっ」

 

 だがそれを見た船長は、何故か手をゆっくりと下ろした。何事か理解できない様子の少女に、船長は冷ややかに言葉を紡ぐ。

 

「……まあいい。明日までにマシな嘘を考えておくことだ。そしたらお望み通り、普通の食事に戻してやってもいい」

 

「ほ、本当、ですか」

 

「今日はもう終わりだ。今のうちに明日の分まで嘘を考えることをおすすめするぜ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 少女は感謝した。

 次上手くやれば、ちゃんとした食事が貰えるという。飢餓状態の中希望が見えた彼女に、次もまた拷問されることへの不安は薄れていた。

 

 少女は、またその頭に金槌が叩きつけられるその時まで、その異常さに気付かない。

 さも当然のように拷問されるこの状況の異常さを、慣れというものが、忘れさせた。

 

 

 

 *

 

 

 

 翌日も、昨日と同じ拷問の手順を受け、また己を殺して嘘を吐き続ける時間が来た。

 一日考えた嘘は全部言った。だが船長は許してくれなかった。彼は昨日よりも質のいい、重厚な嘘を求めたからだ。

 

 甘かった。これで何度目の失敗だ。

 目の前に転がった真っ当な食事という餌に、船長の非情さ、奴隷という身分の過酷さを失念していた。

 

 その事実に、用意した嘘をすべて下らないと一蹴されて初めて気付いた。

 

 

 少女はもう声も出ないほどに痛めつけられていた。

 船長を一瞬でも話の分かる人間だと誤解した己の浅はかさを呪う。

 

 暴行されるまでのカウントは5秒に減った。血で使い物にならなくなった金槌はひと回り大きなハンマーに変わった。

 

「……ぅ」

 

「おい、どうした。早く次の嘘を吐かねえか。もうずっと喋ってねぇじゃねえか。このまま殴り殺されてえか?」

 

「……も」

 

「ん?」

 

「も、許、して」

 

「許してだと? 自分の責務も全うできねえゴミが、俺に指図するか!!」

 

「!!」

 

 横薙ぎに振るわれたハンマーに、顔が吹き飛ぶ。

 折れた歯が複数飛び散った。自分の体温が、血の温度が、周りの音が、見える景色が、感じられなくなる。

 

 船長の罵倒らしきノイズが聞こえた。

 だが、聞き取れない。

 また、ハンマーが振るわれた。痛みはなく、ただ自分の意識が削り取られ、削ぎ落とされる感覚だけが身を焼いた。

 

 

 ああ、殺される。

 今この場で、自分の価値を示せないなら、殺される。

 

 死んだら、どうなる。

 あそこに、帰れるのか。

 

 そんな根拠はどこにもない。きっと死んだら、何も残らない。骨になって終わるだけだ。

 

 

 でも、ああ。

 

 もう、疲れたな。

 

 もう、どうでもよくなってきたな。

 

 

 

 そう思った時、少女はどうしてか、酷くもの悲しい気分になった。もう何も感じなくなった心が、希望の灯りを、眩しいと拒絶したその乾いた心が、今更苦しさに締め付けられそうになる。

 

 同時にフラッシュバックしてきた、知らない記憶。

 

 何だこれは。

 

 何だ、この感情は。

 

「……え」

 

 声が、聞こえた気がした。

 そしてその瞬間、止めどなく溢れる、涙、涙、涙。

 その感情に乗せられて、一気に何かの記憶がフラッシュバックする。

 

 見覚えのない顔。見覚えのない景色。

 

 目まぐるしく流れ込む情報の奔流に押し潰される。

 脳が焼けるような感覚に、思わず声を上げた。

 

 

「あ、あ、ああ、あ……!」

 

 頭が割れそうだ。

 

 自分が自分で無くなるような感覚。思考が乱れ、意識を失ってしまいそうだった。

 

「──い」

「──おい!!」

「おい、69番!!」

 

「……!」

 

 だが、聞こえてきた声と、響いた衝撃が、ギリギリのところで少女の意思を留め置く。

 それが恐怖の対象である船長の怒声と拷問の際の暴力だったという事実は、なんとも皮肉が効いていた。

 

「え、あ、あ」

 

「どうした! もう終わりか!! 暗闇島の情報を言え!」

 

「!」

 

 そしてそれがトリガーとなった。

 

 

「く、暗闇、くら」

 

「ああ!? 何だって!?」

 

 少女は、半ば無意識に、流れ込んだ知識を吐き出していた。

 

 

 

 

「暗闇島は、■■■■■■■」

 

 

 

「……は?」

 

 そして、少女の言葉に船長は思わず目を見開き、手を止めた。

 

 

「……今、なんて言った」

 

 

「■■■■■■■」

 

 

「……その根拠は」

 

 

「■■■■■■■」

 

「……なんだと」

 

 

「怪物は■■■■■■■■、あの壁は■■■■■■」

 

 

「……」

 

 

 

 船長は立ち上がる。

 足早に扉へ向かい、ノブに手をかけた。

 

「おい、69番」

 

「■■■■■■……■■■■■■■……」

 

「おい!!」

 

「……?」

 

 その声でやっと、うわ言のように言葉を発していた少女が口を閉ざす。

 彼女はしばらくして、ビクリと身体を跳ねさせ、訳が分からないといった様子で顔を上げた。

 

(今、俺はなんて言った? 何も考えてなかった。何も聞いてなかった。俺は一体……何を)

 

「拷問は終わりだ」

 

「……え?」

 

「その嘘は、二度と口に出すな」

 

「……!」

 

 そう言って、船長は出ていった。

 呆然とした少女を他所に、廊下から聞こえる足音はどんどん遠ざかっていく。

 

 嵐が過ぎたような静寂が辺りを包む。

 滴り落ちる血の音が、やけに鮮明だった。

 

 

 

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