ロックスの再来0   作:イオン

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第四話 斜陽

 

 

 

 

「あー、酒が呑みてえ気分だ。おいバグ 、酒を持ってこい」

 

「分かりました」

 

 拷問を終えた船長が汗を拭いながら船内の一室に入り、そこにいた副船長──バグに指示を出す。

 テキパキと酒とツマミを用意し始めたバグを他所に、船長は椅子に腰掛け息を吐いた。

 やがてバグによって机に置かれたウィスキーグラスを持ち、数回傾け氷の鳴る音を耳で味わってから。その琥珀色のウィスキーを口に流し込む。

 

「……」

 

「……どうかされましたか? 酒の味がお気に召しませんか」

 

「いや……」

 

 バグの一言に、船長は再度グラスを傾けた。口の中でウィスキーをかき混ぜながら、何回か目線を移ろわせる。

 

「……電伝虫を持ってこい。()()()()と連絡を取る」

 

「はあ……かしこまりました」

 

 バグは言われるがままに電伝虫を机まで運び、船長の近くに置いた。

 ウィスキーの残りを一気に口へ流し込んだ船長は、無表情で受話器を取りダイヤルを回す。

 

 数コールをおいて、電伝虫越しに、どこか疲れた調子の低音が響いた。

 

『はい、ケラソスです』

 

「俺だ。ケラソス、昨日伝えた代用案の件だが」

 

『ええ、何か不都合が?』

 

「本格的に、その方向で調整することになった」

 

『……ほう』

 

 電話に出たケラソスという男は、この奴隷商会の参謀長であった。

 今現在、彼は所用で別行動を取っており、次の目的地で合流する手筈になっており、そこで行われる競売について定期的に擦り合わせをしていた。

 

 そんな折、偶然にも69番という貴重な奴隷を確保したことで、競売のスケジューリングにも大きな影響が出ていた。

 今回の話題も専ら、69番に関する内容だった。

 だが、代用案を本命とするという決定は、ケラソスとしては些か予想外の内容だったようだ。

 

『暗闇島の情報という価値を押し出す方針が、件の奴隷がほぼ何も知らないという事実を受けて、どうにかそれらしい嘘を並べて耄碌な貴族に売り捌き、でっち上げとバレる前に偉大なる航路(グランドライン)へ高飛びする。それが元々の計画でしたね』

 

「そうだ。だが拷問の中で、もしかしたら暗闇島の情報という形のない価値よりも、分かりやすい需要が出る可能性がでてきた」

 

 そう言った船長は、先日の拷問の際の、惨めで、弱々しく、触れるだけで儚く散ってしまいそうな少女の泣き顔を思い出す。

 傷だらけでボロボロになりながら、どうして、どうしてと慟哭する彼女の姿に、船長はこう思ったのだ。

 

 暗闇島の情報云々よりも、この奴隷の哀れな姿の方が、濁り、腐りきった欲に支配された貴族には効くのではないかと。

 

「暗闇島は20年も前からここ、東の海(イーストブルー)の船を無惨な姿に変えてきた。その異常な環境は海軍すらも近付けず、世界政府は天竜人御用達の商会の船に被害が出ようがだんまりだ。もはや暗闇島が俺ら人間にどうにか出来るようなモンじゃないってことは、この東の海での共通認識になりつつある」

 

『それで、貴重な暗闇島の情報も大したものがなかった以上、あえてその情報は付加価値程度に留め、ひとえに奴の容姿と奴隷としての凄惨さを主眼に置き売り出そうとした。あくまで、暗闇島の嘘の情報の詰めが上手くいかなかった時用の代替案ですが……それを話し合ったのが昨日のこと。一体どういった心境の変化で?』

 

「心境の変化、というか……」

 

 船長は少し間を置いて、ため息混じりに理由を語った。

 

「出来なくなった。が正しいな」

 

『! どういうことです』

 

 その言葉に、ケラソスはもちろん、バグも眉をひそめた。

 だが、船長は首を振る。

 

「理由は、言えん。ただ確実に、このまま奴に暗闇島について語らせるのはリスクが大きい。下手したらこの競売もひっくり返るだろう」

 

『……』

 

 船長は先程少女がうわ言のように語った言葉を思い浮かべ、片手で頭を抱える。

 

 

『暗闇島は■■■■■■■』

 

『……根拠は』

 

『■■■■■■■』

 

 

 その内容は、決して語れない。その根拠も含めて、ただの嘘だと片付けることは出来なかった。

 そしてその瞬間、少女を暗闇島の奴隷として売り出せる可能性は無くなった。

 下手をすれば、船長は、自分が破滅することを悟ったからだ。

 

「……とにかく、69番はただの奴隷として売り出す。ただし、そこらの貴族がこぞって欲しがるほど、嗜虐心や背徳感が掻き立てられるような、儚い悲劇の奴隷としてな」

 

『……私としては、先月のドンキホーテファミリーの兵器、労働奴隷大量購入の開始によって需要が増した、武器製造ラインへの早期介入による事業拡大計画……加えて、元々の奴隷売買を組み合わせた他商会との合併は大きな利潤が見込めると考えていた次第です。……そのための、偉大なる航路への販路変更は決して悪くない案だと思っておりました。その初期費用確保には、あの奴隷はうってつけの存在です。用心棒の雇い入れにもその金は使えます。事情については詮索しませんが……お言葉ですが、その計画を放棄して通常の奴隷として売り出すとして、それを超える利益を出せるという勝算はあるのですか?』

 

「お前の言いたいことは分かる。だから俺も色々と考えた」

 

 船長は頭の中で算盤を引き、リスクとリターンを綿密に考慮した。

 堅実に利益を得られる元の計画よりも確実性は落ちる。だが、あの奴隷の言葉を考えれば……それによって発生する規格外のリスクを考えれば、決断に要する時間はそう多くはかからなかった。

 

「ケラソス。悪いが明日の合流の後、またでかい仕事を頼むことになる。この計画を確実に成功させるための仕事だ」

 

『……その内容は』

 

「洗脳薬を手に入れろ」

 

「!!」

 

『船長、それは!』

 

 その言葉に、二人は驚いた様子だった。

 次いでケラソスからまた苦言が出そうになるが、その前に船長は畳み掛ける。

 

「落ち着け、こいつは必要なことなんだ。69番を従えさせるためにも、高く売れる奴隷にするためにも、な」

 

「69番には数度に渡って直々に教育を行ってきたではないですか。もうとっくに心は折れてるでしょう。それでも洗脳が必要ですか?」

 

「いいやだめだ。奴は銃口突きつけられた状態で、俺に代替案を出してその場しのぎするような奴だぞ。10歳の子供のやることか? 見た目でみくびってるだけで、奴の精神は思ったより屈強だ。……それに、あの野郎がいきなりうわ言みたいに独り言を言うようになったってのもまずい。さっき言ったように、どでけえリスクに繋がりかねない。洗脳による徹底的な服従が絶対条件だ」

 

『ですが洗脳薬は高価です……! 今の経済状況では大赤字もいいところ。方々に借金をすることになり、博打にも等しい行為です……! それこそ何千万という値で売れねば話になりません、それを覆せる見込みはあるのですか?』

 

「ある。奴の容姿、奴隷としての価値、暗闇島の奴隷という貴重さ、そして、金属音に恐怖するという明確な弱点……! それらを全て使えば、今まで見た事がない、最高の奴隷が作れるんだ! そして、それをするためにお前に頼むのが、もう一つの仕事だ──」

 

 そして、船長はその計画の最重要要素の、ある人物の名を挙げた。

 それを聞いたケラソスは計画を理解し、逡巡の末、了承した。

 

 

 

 *

 

 

 

 次の日、少女は朝から拷問を受けた。

 少女はもはや、異を唱える力もなく、ただされるがまま、船長のやりたいがままに痛めつけられた。

 

 今までの拷問も苦しかったが、今回の拷問もまた、別方向の苦しませ方で少女の精神を削った。

 何を思ったか、今になって船長は、金属音に怯えるようにするための教育をしてきたのだ。

 

 痛めつける前に、毎回耳障りな金属音を鳴らされ、その直後に暴行を受ける。

 そんな事されなくたって、暗闇島でのトラウマで金属音には恐怖心を抱いていた。だが、船長に妥協はなく、徹底的に金属音に恐怖するよう教育された。

 

「う、う、申し訳、ごさいません……もう、やめて、やめて、下さい……」

 

「それはお前の出来次第だ」

 

「何が……何が……!」

 

「もう一度だ」

「キーン」

 

「ひっ! すみませんすみません! いや、いやだ! いや……! う、うぇ! おえっ! がほ!」

 

 部屋に鳴り響いた金属音。耳の奥まで反響するその音に鼓膜が悲鳴を上げる。ストレスで全身に気持ちあるい怖気が走り、ついには少女は嘔吐してしまった。

 

「ちっ汚ねえな! あー、こりゃもうダメか、クソ」

 

 それを見て、船長は忌々しそうな様子で金属音を止めた。これ以上やったら最悪死ぬ。拷問ではなく、飢えによって。

 

「今回はここまでだ。午後になったらまた教育を行う。安心しろ、俺も鬼じゃねえ。今日は、まともな飯を食わせてやるよ」

 

「……!」

 

「感謝の言葉はどうした」

 

「あり、ありがとうございます……!」

 

「フン」

 

 

 

 船長が出ていった後、少しして食事が運ばれてきた。部屋に入ってきたのはコールだった。

 目の前に座ったコールは、少女の前に飯を置きつつ、その痛ましい姿に思わず顔を顰める。

 

「……見てられねえな」

 

「……これ」

 

 少女はその言葉を無視し、目の前にある食事を凝視した。明らかに今までより豪華な食事だ。

 スープの他にもう数品、出されたことのない食事がある。あまりに急に都合のいい出来事が起こったものだから、毒でも入ってるんじゃと一瞬疑ってしまった。

 

 

「……これ、食べて、いいのか」

 

「ああ、散々拷問されて辛いだろ。俺の分のもあるぞ」

 

「! なんで、なにか裏があるんじゃ」

 

 それはこのコールという船員が差し入れてくれたものだったようだ。船員の食事と聞いて毒の可能性がなくなり安堵するが、今度は彼への疑念が生まれ、廃れた自分の思考回路に少し不快感を催した。

 

 だが、コールは特に咎めず苦笑するのみだ。

 

「いいから食えって。何日も少ない食事で拷問されてたのは知ってるんだ。腹減ってんだろ?」

 

「……っ! っ! う、う、うぅ……!」

 

「おい詰まらせんなよ」

 

 そう言われれば、少女を止めるすべはない。

 彼女は、無我夢中で飯を食べ続けた。一週間ぶりのまともな食事に、彼女は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにする。

 

 こんなに飯が美味いと思ったことはない。

 

 そして、だからこそ辛い。

 

 こんなに美味く感じるのが、ずっと不自由で過酷な生活をしてきた裏返しだと分かっているから、悔しい。

 

 それでも、食事を運ぶ手が、口の動きが止まらないのが腹立たしい。奪われ、踏みにじられるだけの自分が情けない。

 

 そして、ようやく自分に寄り添ってくれる者の温かさを感じ、その懐かしさと嬉しさに胸が一杯になった。

 

 

 

「……あの人の考えることは分からねえ」

 

「……?」

 

 その時、コールはポツリとそう言った。

 初めて、他者があの極悪人を否定している姿を見て、少女は目線を彼へ向ける。

 

「お前、今10歳とかだろ。俺がその歳でそんな拷問されてたら、とっくに死ぬか狂うかしてただろうに」

 

「……」

 

「俺は余所者だから暗闇島とかいうのはよく知らねえし……そこの情報欲しさにこんなに拷問する意味も分からねえ」

 

「……飯をくれたのは感謝するよ。ありがとう。……けどな、俺はお前がキライだ」

 

「!」

 

 その棘のある言葉にコールは顔を上げる。

 いつの間にか用意された食事を全て平らげていた少女は、涙を拭い、赤く腫れた目で彼を睨んだ。

 

「俺はもうボロボロだ。身体も、心も、そりゃ、傍から見たら哀れな奴隷だろうさ。でもそれを見てやっと同情してもらっても、何もかも遅いんだよ……!」

「考えてみろよ。俺をひっ捕らえたのはお前らだろうが! 商品として売れないから助けたとか、船長に従ってりゃ苦しまなくて済むとか! 俺の苦しさも知らずに好き勝手言うなよ!」

 

 その顔には苛立ちが見て取れる。怒りと言ってもいい。散々痛めつけられ、何も出来ず、ただ自分の無力さに打ちひしがれていた最中に、その原因となった商会の船員たるコールからの哀れむような言葉。今更どの立場で、とそう思うのも無理は無い。

 

「……すまん。船長には逆らえないんだ」

 

「そりゃ上司だからだろ。俺は逆らったら拷問されるし、お前とは訳が──」

 

「いや、俺も同じさ」

 

「?」

 

「俺は、家族を人質にとられてる。俺が船にいるのは、昔ここの商売の邪魔をしちまったからだ」

 

「な……」

 

 そう言って差し出されたのは、コールと共に写る女の写真。見たところ家族のようだ。

 

「妹だ。俺が船長に逆らえば、妹は殺される」

 

「……」

 

「逆らわないのが一番なんだ」

 

 思えば、色々な場面でコールの姿を見た。自分を部屋に運ぶのも、拷問器具を掃除するのも、食事を運んでくるのも大抵がコールの仕事だった。

 いいようにこき使われているのだろう。その境遇を知ると、船長に逆らうべきじゃないという言葉の受け取り方も変わってくる。

 結局、従順な奴隷として売られにいくのが一番楽だと言いたいんだろう。

 だが……。

 

「俺だってもう逆らう気なんてねえよ。……そんな気力も、体力もねえ」

 

「……」

 

「だけど俺への拷問は止まない……! 暗闇島の情報欲しさに拷問され、それが終われば金属音に恐怖するようにと拷問され……! 何もしなくても俺は痛めつけられる! もう、こんなの沢山だ……!」

 

「そうだ。だから、船長の考えることは分からねえ」

 

「!」

 

 それでやっと、彼の言っていたことの意味を理解した。

 船員のコールからしても、自分の境遇は異常なのだろう。船長が何を考え、何のためにここまでの拷問を課すのか。彼でさえ理解できないのだ。

 

「奴隷は何度も見てきたさ。大抵が罪人や人権のない人間だった。……それなりの理由があったから、奴隷を見てもなんとも思わなかった。……お前を見るまでは」

「俺だって出来ることなら、お前みたいな子供が奴隷として拷問されるのを防ぎたい。でも、そんなことしたら妹は……」

 

 コールは立ち上がった。彼にも葛藤があるのだろう。

 拳を強く握り締める彼の姿に、偽りととれる要素は無い。

 

「俺は無力だ」

 

 悔しげな表情と裏腹に、淡々とした動作でトレーを片付け去っていく彼の後ろ姿は、やけに小さく見えた。

 それを見送る少女の瞳は、大きく揺らいでいた。

 

 

 

 

 

 船内の廊下。無言でトレーを持ち帰っていくコールの後ろ姿を見て、それを見ていた船長は背筋の凍るような無表情でメモを取り出した。

 

「奴隷との癒着か。また面倒事だ……ふざけやがって」

 

 食事を持っていけと指示したら、コールはなぜか自分の分の食事もトレーに載せて69番の部屋に向かった。そんな突飛なことをすればすぐに目撃した船員から船長へ報告があった。彼の69番に利するように見えるその行動に癒着を疑えば、案の定奴隷に同情して飯を多く与えている。

 

 その浅はかな行為を、船長は許さない。その優しさが彼女にいらぬ希望を与え、その希望が反骨心の源泉になるのだから。

 

 だが、少しして船長は何かを思い立ったように顔を上げ、その目を嬉しそうに細めた。

 

「……いや待て、この事実は使えるかもしれねえ。ケラソスに連絡をいれるか」

 

 そう言って笑う彼の目はドロドロと濁っていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 翌日、競売を上々の結果で終わらせた船長の元に、ケラソスがやってきた。

 黒を基調としたフロックコートを着、黒いスカーフで口元を隠した、シルクハットを被る壮年の男。その皺の目立つ顔から覗く灰色の目は、不気味な眼光を宿らせている。

 

「戻りました」

 

「ようケラソス……首尾はどうだ」

 

「えぇ、例の件の確認が取れました。金融屋への連絡、洗脳薬の調達も順次進めております。計画の進行は問題ないかと」

 

「そうか……後は69番の洗脳だけだな」

 

「はい。そしてそのためには69番の心を完全に折る必要がある。……報告では、昨日の拷問でもまだそこまではいってないとか。そちらの目処は立ちましたか」

 

「ああ、これを見ろ」

 

 そう言われて船長が差し出したメモ。

 それはコールについての情報が記載されていた。

 出生、船員になった経緯はケラソスも知るところだ。だが、新たに付け加えられた情報に、彼は目を細める。

 

「69番との癒着……? ハッ……何です? これは?」

 

 その内容に、思わず失笑するケラソス。当然だ。奴隷を扱う商会の人間が奴隷に同情し、癒着するなど言語道断。それもコールは、家族を人質にとられている。自分の立場を分かっていない、愚かな行為としか言いようがなかった。

 

「許されざる大罪だ。普通ならこのまま妹を殺して罰とするところだ……とはいえ、今は69番に専念するべき時だ。時間は無駄にはしたくない……そこで、ケラソスよ。この事実を利用して、69番の心を折るような策を練れねえか? 

 

 だが、船長はその弱みにつけ込み、69番を絶望させるという方針を立てた。それを聞いたケラソスは、不気味な笑顔で船長の目を見る。参謀長たる彼もまた、奴隷を踏みにじるプロだ。短い時間で計画を練った彼は、面白そうに肩を揺らした。

 

「……新しい仕事は、中々大掛かりになりそうですね」

 

「ぶひゃひゃひゃ! お前の働きが何よりも重要だ……頼むぜ?」

 

「お任せ下さい……必ずや成功させます」

 

 

 ──

 

 

 船内で、コールが廊下を歩いていると、後ろから声がかかる。

 

「コール」

 

「! ……参謀長。お帰りになっていたんですか」

 

「ああ、ついさっきな」

 

「お疲れ様です。一ヶ月間も外部で仕事とは、大変だったのでは」

 

「まあ、もうとっくに慣れている。少ししたら、また長期の仕事に従事することになっている」

 

「大変ですね……それで、わざわざ俺みたいな下っ端に声をかけたのは何のためです?」

 

「……69番の件だ」

 

「!」

 

 そう言われ、コールは背筋を正す。参謀長であるケラソスの地位は副船長バグと同列のナンバー2。その彼が69番を気にかけているならそれなりの理由がある。しかも、それを自分のような下っ端に伝えるとは、重要な要件であるとすぐわかった。

 

「69番については最近知った。その貴重さについても理解した。……だが、それを高く売るためとはいえ、今の船長のやり方は苛烈と言わざるを得ん

 

「え……」

 

 だが、ケラソスの放った言葉はコールにしても予想外のものだった。

 ナンバー2である彼が、船長のやり方に苦言を呈した。その事実は、この商会の運営を左右しかねないものだ。

 

「そ、それは」

 

「分かっている。こんな事は他の船員には言えん。……コール、お前にしか言えんのだ」

 

「……」

 

 言外に、余所者だと言われたコールは一瞬眉をひそめるが、慣れたことなので気には留めない。

 ひとまず、ケラソスが自分に船長の方針に逆らうようなことを自分に言ったのは、正式な船員では無いからと理解した。

 しかし、それを言われても自分に何か出来るわけではない。そう思って黙っていると、ケラソスはこう聞いてきた。

 

 

「どう思った?」

 

「え?」

 

「見ただろう。69番の姿を。どう思った?」

 

「どうって……そりゃ、まあ、酷いなと」

 

「私もそう思った。長年この業界でやってきたが、あんな年端もいかない子供があんな状態にまで痛めつけられている姿は見たことがない。明らかに今の船長は、目先の利益に欲をかいて、正道を外れている」

 

「……あなたも、そう思いますか」

 

 

 その言葉を聞いて、ケラソスは笑った。口元をスカーフで隠した彼の笑みは、コールには知覚できない。

 

「ああ、止めるべきだ。あんなやり方を許してはいけない。……だが、私にも立場がある。口惜しいことに、今の私では、彼を止められそうにはない」

 

 そう言って悔しげに下を向いた彼の姿に、コールは、無力感を感じていた自分を重ねた。

 

「俺だって、あんな姿もう見たくはありません。でも、船長に逆らうなんてとても……」

 

「厳しいだろう。私も、何の対価もなく事を起こせなどと、虫のいいことは言わん。だから」

 

「もし私に協力してくれれば、妹を自由にしてやろう」

 

「! 本当ですか!?」

 

「ああ、約束する」

 

 

 コールは大きく目を見開く。差し出されたのは、ケラソス直筆の、妹の身柄を開放する旨を記した手紙だった。

 妹のいる島には商会の関係者が監視としてついている。その人物にこれを差し出せば、晴れて妹と自分は自由の身だ。

 

 コールは、思わず涙ぐむ。唐突に訪れた、妹を救えるかもしれないという希望。69番を救えるかもしれないという希望。それらはこの腐りきった商会で薄暗い生活を送っていた彼にとっては、あまりにも眩しかった。

 その光明を目の前にして、一体誰が拒めるというのか。

 

「参謀長……! 69番を救いたい気持ちは、俺も同じです! 自分に出来ることがあるなら、なんでも言ってください!」

 

 コールはそう言って、真っ直ぐな目でケラソスを見た。妹を、69番を助けたいという想い。同じ志を持つ人間がいたことへの安心感。組織のナンバー2たる彼の助けになれるかもしれないという期待。そんな気持ちが彼を突き動かしたのだ。

 

 彼は気付かない。ケラソスの酷薄な人間性に。

 当然でもある。彼が常に外部での仕事に従事しているのは、その瞳の奥にある闇に気付かれないよう接点を少なくするためなのだから。

 

 そして、ケラソスはスカーフの下で、いっそう笑みを深めた。彼は、コールのその言葉を待っていたのだ。いとも容易くコールの自ら行動したいという意識を引き出した彼は、計画の成功を確信した。

 

「いいのか? これは明確な背信行為だ。69番を救えたのなら万々歳だ。だがもし失敗すれば……」

 

「先に危険を犯してくれたのはケラソスさんです。この手紙がバレればただじゃ済まない筈でしょう? ……もう、覚悟は出来てます。今まで、俺はずっとうだつの上がらない人生を送ってきた。もしこんな自分でも何かを成せるなら、なんだってします」

 

 

 青いな。実に青い。

 だがその青さが、この商会の未来を明るくする。

 

 たとえその代償に、一人の青年の未来が永久に暗がりに落ちようとも……。

 

 得られる莫大な利益に比べれば、些細なものだ。

 

「なら、私が考えた策をお前に託す。お前にしか頼めない……頼むぞ、コール

 

 決意を固めたコールの輝く瞳と、なんの躊躇いもなく彼を利用せんとするケラソスの濁った瞳は、比べようにも比べようがなかった。

 

 

 

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