ロックスの再来0   作:イオン

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第五話 崩壊

 

 

 

 ヒューマンショップは唸りを上げるほどの歓声に包まれていた。

 その商会が客に見せたのは、あの暗闇島から連れてきたという奴隷の少女。

 

 見目麗しい強気な目からは涙が滲み、心を踏みにじられたとばかりに静謐さを失っている。その穏やかなベージュ色の長い髪は、頭頂部から血の色に染まっており、鮮血の赤と固まった血の暗赤色がシンメトリーの模様を作っている。それは、見る人に儚い美しさと、興奮を覚えるほどの悲惨さを醸し出していた。

 

 そして少女は、どれほどのトラウマを抱えているのか、そこらの金具をかち合わせただけで強烈に怯えるのだ。全身から汗を流して震える。

 

 その姿に、ゾクリと、背をくすぐるような蠱惑的な感情が走るのを、客は感じた。

 暗闇島という過酷な環境で受けたであろうトラウマを刺激され、震え、怯え、絶望し、苦しむ幼気な少女の姿に、彼らは味わったことの無い背徳感を覚える。

 屈強な労働奴隷に鞭打とうとも、汚らしい魚人のエラを剥ごうとも、年頃の性奴隷を辱めようとも味わえない感覚に、客の顔は醜悪に歪んでいった。

 

「ひ、ひ……!」

 

 そのおぞましい視線に当てられた少女は、いっそう顔を青くする。

 その度に客は嗤い、船長は暴力を振るう。この世の地獄のような光景に、彼女は、次第に気が狂い始め……。

 

 

「う、うわぁあぁああ!!!」

 

 

 そこで、ようやく目が覚めた。

 

 その悪夢から目覚めた少女は、薄暗い静かな船室で、肩を上下させ、全身から冷や汗を流す。

 

 もう、これまでの航海の中で、何度となく味わってきた見世物のショーは、少女が気絶するように眠りに落ちる度に悪夢となって苦しめにかかった。

 

 船長の拷問は辛かった。怖かった。

 そして、そうやって苦しみ傷ついた自分を笑い、一切助けてくれない観客もまた恐ろしかった。

 

 どの島に行ったって、どこで見世物にされたって、あの恐ろしい視線は変わらない。

 自分の知る世界との乖離が恐ろしかった。ここは本当に自分の知る場所なのかと、そう思う度に、胸が締め付けられそうになった。

 

 

 そうやって荒い息で呼吸をする少女の下に、コールがやってきた。

 

「よお」

 

 鎖に繋がれ、傷だらけで無惨な姿をした少女に、いつものように食事を載せたトレーを置くコール。

 

「夕飯だ」

 

「……はあ、はあ……もう、そんな時間か……」

 

「……また悪夢を見てたのか?」

 

「……お前には関係ないだろ」

 

 そう言って食事に手をつける少女に、彼はため息をひとつ吐いた。気丈に振舞ってるつもりだろうが、その震える手で椀を持つ姿では、まるで本心を隠せていない。そしてそんな少女を見て、彼は再度決意を固める。

 

「なあ、折り入って聞いて欲しい話があるんだ」

 

「……?」

 

 少女が飯を平らげた頃、コールがそんな事を言ってきた。訝しげな顔でこちらを見てきた少女に対して、彼は真剣な表情でそれを伝える。

 

 

「……次の競売の時に、ここから逃げ出せ」

 

「──は?」

 

「次の島に、俺の知人がいる。そいつと一緒に競売中にお前を連れて逃げ出す計画を立てておいた。あとは、お前の了承を得るだけだ」

 

「…………」

 

「そいつは自分の船も持っている。島は広大だし、まず捕まることはない。そうなれば、お前は自由だ。もうこんな辛い思いをすることもない」

 

 訳が分からなかった。とっくに諦めていた。唐突に放たれた、自由になれるというその甘言に、少女は呆然とする。

 

「な、何、言って」

 

「どうだ? 悪くない案だろ」

 

「船長を、この商会を、裏切るのか?」

 

「まあ、そういうことだ」

 

「は、はは、虫が良すぎる……急にそんなこと言われて、信じられるかよ。それに、お前、人質がいるって、お前が逃げたら、家族は殺されるんだろ?」

 

 少女は、コールが暴挙を繰り返す船長への意趣返しか何かをしたいのだと想像した。だが、そういう反抗を防ぐために人質がいるはずだ。上手くいくわけがない。自分を懐柔するための誘い文句だと考える方が自然だ。

 到底乗り気にはなれなかった。しかし、コールは首を振る。

 

「……俺は、逃げない」

 

「……え?」

 

「俺は、そのまま商会に残る。あくまで第三者による窃盗に見せかけるんだ。知人とは言ったが、俺とそいつの関係を、商会の誰も知らない。俺が疑われることは無いはずだ」

 

 確かにそれなら、コールが不利益を被るおそれは少ないかもしれない。

 もしかして、彼は本当に……。

 と、一瞬少女は希望を持つが、まだ信用はしきれない。

 

「……そいつが失敗して、俺共々捕縛されたら、お得意の拷問で関係がバレるんじゃ? 危険すぎる」

 

「その点は問題ないだろう……島には()()の基地がある。うちの商会もあの島ではバレないようにコソコソと営業するからな、表立って騒ぎを起こすことは出来ないはずだ」

 

「はあ、海軍、ね」

 

 自分がいた世界で言う、海上保安庁のようなものだろうと納得した少女は、その単語を聞き流した。要するに、お上のお膝元では、奴隷商会のようなヤクザな組織は大人しくするしかないのだろう。

 

 だったらその海軍とやらに直接引き渡せばいいのではないかと思いコールに聞いたが、過去にここのような奴隷商会と癒着をした将官がいたとかで、信頼出来るかは分からないとのことだった。

 その時点で少女の中での海軍への信頼が地に落ちたのは言うまでもない。

 

 その後、コールの言う計画とやらを全て聞かされた少女は、うーむ、と唸り続けた。

 

「絶対に無理……とは言わないけどさ……」

 

「なんだ、ここまで言ってまだ文句あるのか?」

 

「……そもそもだ、どうしてお前がここまでするんだ。俺が売れれば、お前がいる商会は潤い、回り回ってお前の生活も良くなるかもしれない。善意一つで、それを棒に振って、しかもバレたら何されるか分からない。割に合わないよ」

 

 

「あのな、そんなことはどうでもいいんだ」

 

「!」

 

 コールが、ぐいと顔を押し出してそう言った。その目に宿る決意の炎は、全く揺らがない。

 

「お前は今まで、必死に助けを求めてきたじゃないか。それがもう目の前にあるんだ。俺の心配なんかして、足踏みしてんじゃねーよ」

 

「……!」

 

「俺は、お前からしたら奴隷を扱うクズの一員だ。そいつがこうして都合のいい助け舟出そうとしてくれてんだから、利用してやれよ」

 

 勿論、妹が開放されるからという理由はあった。だが、コールはそれをあえて言わない。

 妹云々よりも、彼女の心に、希望を与えたかった。その気持ちに偽りはない。

 

 その意志は伝わってくれたようで、気付けば少女は涙を流していた。

 自分と同じ考えを、こんなのはおかしいと考えてくれる人間は、ここにいたのだ。

 ずっと独りだった。周りの皆が敵だった。そんな中、やっと見つけた、自分に差し伸べられた手。

 それを、振り払えるはずがなかった。

 

 そして、少女はコールに対し頷きを返したのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 ある島のヒューマンショップ。島の比較的近い場所に海軍基地があるため、その店の規模は今までと比較できないほど小さかった。

 当然売り出す奴隷の数も客の入りも少なく、搬出した奴隷は片手で数えられるほどだった。

 

 その中には、少女の姿もある。彼女は競売を盛り上げるのに必須の存在だったし、運び出されたのは当然のことだった。

 

 狭苦しい部屋に家具でも押し込むようにしまわれた奴隷たちは、皆疲れきった表情で身を寄せていた。

 後少しで、自分は新しい飼い主の下で使われることになる。決して生活が好転することはない。むしろ、今までよりきつい労働や拷問をさせられることになるだろうことを考えて、これからを憂うばかりだった。

 

 そんな中、少女は、無言で辺りを油断なく見つめていた。部屋の出入り口や、通気孔などのちょっとした隙間を見て、耳を澄ませている。

 

 

 

 そうしていると、パチパチと、妙な音がしはじめた。

 少女はそれを聞くと同時に、焦げ臭い匂いを嗅ぎ取る。

 それらを知覚して、彼女は心の準備をするように息を吸い込んだ。

 

 

 

 そして、ヒューマンショップを悲鳴が包み込んだ。

 

 

「火事だぁぁあああ!!!」

 

 

 奴隷がいる部屋の丁度裏手で、火災が起きた。

 奴隷商会の人間が慌ただしく動き出し、少女たちのいる部屋の扉が開け放たれた。

 

「奴隷共を連れ出すぞ!! 急げ!」

 

 船員たちは商品である奴隷を火の元から遠ざけるべく、各自で檻を運んでいった。少女もまた檻ごと運び出され、石畳の上で揺れる檻に不快そうな顔をしながらもしがみつく。

 

 思ったよりも大きな火災だったらしく、多くの船員が消火活動に回っているようだ。それを聞きつけた島の人間も消火活動や野次馬となって商会のもとに集まり、たちまち喧騒が辺りを包んだ。

 

「これじゃあ海軍の駐屯兵まで呼び寄せちまう……! 奴隷を船まで運ぶしかねえ!」

 

 想像以上に大事になったことで船員は焦り、街の裏通りを走り始めた。

 人通りのない路地裏を、滑車付きの檻を押していく船員たち。

 だが、その時小路から出てきた何者かが、煙玉を放ってきた。

 

「ぐわっ!!」

 

 激しく咳き込みながら目を開けれずにいる船員をよそに、それをやった人物はその簡素な檻を工具でこじ開け、少女を開放した。

 

「……こっちよ」

 

 コールの言っていた知人であろう人物は若い女だった。ニッパーのような工具で少女の身体についた鎖を断ち切り、手を引いて駆け出す。

 いつぶりだかわからない全力疾走に、体力のなくなった少女は何度も躓きかけながら必死で食いついた。

 

「あ、あんたが、コールの……!?」

 

「そうよ! 今は説明してる余裕はない! とにかく街の北へ走るわよ!」

 

 

 言われるがままに、少女は走り続けた。ただ、あのおぞましい世界から逃げるために、あの恐ろしい世界から逃げるために、血を吐くほど必死に足を動かし続けた。

 

 後ろの方から、立ち上る煙が見える。

 それが、遅々とした速度で遠のいていくのを見て、少女は余計に足の動きを早くした。

 もっと遠くへ、あの煙が見えないところへと、一刻も早くたどり着けるように。

 

 

 ──

 

 

 女に連れられ、少女は森の中を疾走していた。裸足でいるため、枝がいくつも足に突き刺さり、傷口から血を流している。だが、そんなこと関係ないとばかりに、彼女は足を止めなかった。

 

 

「はあはあ……ここまで来たら、大丈夫でしょう。しばらくは歩いて船着き場まで行くわ」

 

「ゼエ……ゼエ、船着き場まで、あと、どのくらいだ……?」

 

「一時間もあれば着くわ……あの商会も認知していないような小さな船着き場だから、見つかることもないはず」

 

「……ありがとう」

 

 そう言うので、精一杯だった。

 荒い息遣いで滝汗を流す少女は、呼吸を整えるために膝に手をついて肩を揺らす。

 

「足が傷だらけね……ごめんなさい、事が事だったから、ろくな準備もできなかったの」

 

「気にしないでくれ……こんなの、あそこの拷問に比べたら屁でもない」

 

「……少し、休憩しましょうか。この森は広いし、そうそう見つかることもないだろうから」

 

「……いや、だめだ」

 

「え?」

 

「あいつらは甘くない、一刻も早く船着き場に行きたいんだ。……早く案内してくれ」

 

「……わかったわ」

 

 そのまま、二人は歩き続けた。森の中は静寂に包まれており、光は月明かりしか無い。

 辺りを異常に警戒しながら歩く少女を見て、女は苦笑した。船着き場まで残り30分という所まで来たが、未だ追手の気配はない。まず捕まることはないだろうと、高を括っていた。

 

 

 

 その時だった。

 

 

 森の中に、甲高い金属音が響いたのは。

 

 その音は、少女達が向かう北の方角から聞こえてきたようだった。

 

 一瞬身構える女だが、それが追手の行動という証拠はないため、気にせず進もうとした。

 だが、後ろにいた少女は違った。

 

 

 

「うわあぁあぁぁああ!!! きた、きた、やっぱり、きた……!! 見つかったんだ、あいつらだ、あいつら……!!」

 

 

「ちょ、ちょっと!? どうしたのよ! ただの金属音でしょ!」

 

「違う……違う……あいつらだ、あいつらが、来たんだ、俺を殺しに、ひ、ひぃ……! いやだ! 嫌だ嫌だ嫌だ! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

「馬鹿なこと言ってないで……! 後少しで船着き場なのよ! 早く行こうって言ったのはあなたでしょ!」

 

「…………いかない」

 

「……は?」

 

「そっちには、行きたくない」

 

 そう言って蹲って震え始めた少女に、女は困惑した。なぜあれしきの音に、これほど怯えているのか。脱出はもう目前だというのに、ここにきて諦めるなど意味がわからなかった。

 女は必死で少女の身体を引っ張った。

 

「あなたが来てくれないと私も困るの! 大丈夫よ、もし本当に追手だったのなら、別の方角に逃げればいいから! 今は最短のルートを進みましょうよ!」

 

「もしとかじゃないんだよ……! あの音を意味もなく鳴らすやつがいるか! 船長だ……あいつが、俺を探すために鳴らして回ってるんだ……! 見つかったら、お前も、俺も、殺される……!」

 

「……もう、いい加減にしてっ!! こっちも仕事なんだから──」

 

 大人の力で無理くり地面から引きずりだそうとする女。だが、少女は全くもって動かなかった。精神力だけで大人顔負けの力で地面に爪を立てて這いつくばっている彼女を、女はどうにかして動かそうと奮闘した。

 

 

「無様だな」

 

「!!?」

 

 

 だがその時、背後から声がした。ゾッとした表情で振り返った二人の前には、黒いフロックコートを着込んだ壮年の男がいた。ステッキで地面を鳴らしこちらへと歩いてくる男は、顔を覆うようにスカーフを纏い、頭に黒いシルクハットを被っている。

 

「69番。お前を、一人前の奴隷にしに来てやったぞ」

 

「……なっ! 貴方は!」

 

 その姿を見た女は顔色を変え、少女の前に立ちふさがるように躍り出た。両腕を広げて立ちふさがった彼女が、怒声を上げる。

 

「ケラソス……!  なぜ貴方が、こんなところにいるの!? この子が怯えていた金属音も、貴方の仕業なの!?」

 

「……そこをどけ。それは私が預かる」

 

「お断りよ! だっておかしいでしょ!? 私は貴方に──」

 

 

 ドン、と弾け飛ぶような音が響いた。

 

 ケラソスのグローブをはめた手元から、煙が立ち上る。

 

 その少し後、女が声もなく崩れ落ちた。

 

 

 少女の目の前に仰向けに倒れ込んできた女の眉間には、風穴が空いていた。

 

 

「──あああぁぁあぁあ!!?」

 

 

 事態を呑み込めず、視線を彷徨わせていた少女は、絶叫して後ずさりした。

 

 生まれて初めて、目の前で人が殺される光景を見た。

 腰が抜け、まともに立つこともできず、震える手だけを動かしてどうにかその場を離れようとする。そこへ、ケラソスが無言で近づいてきた。あまりの恐怖に、少女は涙を流し震え上がる。

 

「い、いやだ……いやだぁ!! ころ、殺さないで、くだ、さい……!」

 

「……殺しはしない。言ったろう、お前を、一人前の奴隷にしに来たと」

 

「な、なんなんだ……! なんなんだよ、お前はあ……!?」

 

 少女の目の前に立ったケラソスは、無言でシルクハットを取った。

 顕になったその目は、あの男と同じ、この世の汚いものをすべて見てきたかのような、濁った色をしていた。

 

「……私は耳が良くてね。今回の脱走劇は、あらかじめ察知していた」

 

「は……?」

 

 唖然とする少女を見て、ケラソスは鈍器を持ち出した。信じられないものを見るような目で脱力した彼女を、彼は努めて無表情で見下ろす。

 

「首謀者はコールだな? あの男には制裁が必要だろう。なに、安心しろ。お前は巻き込まれただけだ。協力者も殺したし、また一からやり直せばいい」

 

「……な、なん、で」

 

 鈍器を振りかぶったケラソスの姿が、あの男と、船長の姿と重なった。

 

 その口から紡がれた言葉だけが、船長とは違った。

 

 それを聞いた少女の頭は、掻き乱れることになった。

 

 

「お前は悪くないよ」

 

 

 少女の意識は、それを最後に暗転した。

 

 

 

 *

 

 

 

 少女は、またあの暗闇に舞い戻った。

 一度掴みかけた自由と、この狭苦しい密室との落差が心を抉った。

 

 船の中で波に揺られながら、少女はケラソスに言われた言葉を思い出していた。

 

『お前は悪くないよ』

 

 そう言われた通り、彼女は船に戻っても、特に拷問はされなかった。

 

 まるで奴隷になった当初のように、ただただ飯を食らって排泄するだけの生活を送っていた少女はしかし、今までにないほどに衰弱していた。

 ひょっとすれば、拷問されたほうがマシだとでも言わんばかりに。

 

 脱走劇の責任は、コール一人が負うことになった。

 

 せっかく彼が決意を胸に引き寄せたチャンスを無駄にした。その事実が、少女の罪悪感を膨れ上がらせた。

 

 そんな彼女の心を、ケラソスの言葉が踏みにじる。

 

『お前は悪くないよ』

 

(違う……違う……違う……!!)

 

 少女は、歯ぎしりしながら床に頭を擦りつけた。

 

(俺のせいで、俺が、上手くやれなかったせいで……!)

 

 少女はコールのくれたチャンスをものにできなかった。その結果、自分を助けてくれた女は自分の目の前で死んだ。そしてコールだけが罪を着せられた。

 自分のせいで、彼女は死んだのだ。自分のせいで、コールは苦しんでいるのだ。

 

 自分がやったも同然。自分が全て悪いのだ。

 なのに、ケラソスは自分は悪くないという。

 

 頭がおかしくなりそうだった。

 

 散々船長に、お前が悪い悪いと言われてきたのに。

 

 人一人殺すような事態を招いておいて、今度はお前は悪くないなどと言われた少女は、必死でその言葉を否定した。

 

 否定しても、否定しても、あの女の死に様が脳裏に浮かぶ。

今も拷問されているかもしれないコールの決意に満ちた顔が脳裏に浮かぶ。

 

 いっそ、拷問でもされたほうが贖罪をした気分になれただろうに。

 自分はこの数日間、じつに穏やかな生活を送っている。

 

 その事実に、少女は身悶えした。

 

 誰かに、自分は悪いやつだといってほしかった。

 自分を、罰してほしかった。

 

 

 コンコン。

 

 

 扉がノックされる音がした。

 

 船長が拷問でもしにきたのかと思い、少女はその扉が開くのを待った。

 

「よお」

 

 

 入ってきたのは、コールだった。

 しばらく会っていなかったために、コールには二度と会えないんじゃないかと思っていた。

 だが、何事もなかったかのように食事を運んできた彼を見て、少女は少し、安堵したような表情をする。

 

 だが顔を上げた次の瞬間、少女の顔は硬直した。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 錆びついた機械のようにゆっくりとした速度でその無の空間を視線でなぞった少女は、顔を真っ白にして、乾いた唇を開け閉めし、全身から汗を流した。

 

「……ぁ、……ぇ」

 

「ごめんな。失敗、しちまった。うまくいったと思ってたんだけどな」

 

「……………………それ」

 

「ん、ああ、これね。まあ、安いもんさ。結果は残念だったけど、俺の必死さくらいは伝わっただろ?」

 

「……………………うそだ」

 

「まあさ……元気出せ、これでも食ってさ。ほら見ろよ。これ、俺の分の食事もやる。せめてものお詫びじゃないが……心置きなく食え」

 

「………………俺が」

 

「ん?」

 

 

 そうして、少女は、号泣しながら、床に頭を叩きつけた。

 

「俺が悪かった!! 俺が、俺があの誘いに乗ったから、お前は!! う、腕を!! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!!」

 

「お、おい!」

 

「俺、なんでもするから!! 拷問も受ける! 船長の言うことも全部聞く! せめて、お前がこれ以上不幸にならないように、頑張るから!! なんでもするから!! だから──」

 

「なあ、聞け!!」

 

 

 地面に頭を叩きつけ、自傷にも等しい様子で謝った少女を、コールは必死で止めた、そうして、顔を限界まで近づけた彼は、慈愛に満ちた表情で、こう言ったのだ。

 

 

「お前は、何も悪くないよ」

 

 

 その瞬間、少女は崩壊した。

 

 金切り声を上げて、床に頭を叩きつけるだけの存在に成り果てた。

 

 片腕になったコールでは、止められなかった。一体この小さな身体のどこにそんな力があるのかと、そう思ってしまうほど強い力で、自分を壊そうとした。

 なんの言葉も受け付けず自傷に走り始めた少女を見て、コールは大慌てで助けを呼びに行った。

 

 

 

 

 けたたましい金属音が響いた。

 

 それを聞いた少女は、一瞬動きを止める。

 

 その隙をついて、部屋に来た船長は彼女の顎をひっつかんだ。

 

 光を失った目で船長を見つめる少女は、なんの言葉なのか分からない単語を口に出しながら、痙攣していた。

 

「おー、よく仕上がったなあ」

 

 そう言ってしゃがみ込んだ船長は、気味の悪い笑顔でその様子を眺める。このときを待っていたのだ。熾烈な拷問でも折れない少女の心が、完璧に崩壊する瞬間を。

 

 船長は、少女を叩いて意識を戻そうとした。

 だが、何をやってもろくに反応しない。肩を揺らそうと、頬をつねろうと、怒声を上げても、絶望の表情で虚空を見つめているだけだった。

 

 だが、金属音を鳴らせばその目は恐怖に歪むと同時に、僅かに意識を取り戻す。暗闇島でのトラウマや、それを抉る非道な拷問の影響は、こんな状態になっても活きていた。

 

「よお、盛大なショーを見せてもらったぜ」

 

「あ、あ、あ……せ、ん、ちょ」

 

「随分とお疲れみたいだが、まあ仕方ねえか。あんな場所まで裸足で走ったんだからな」

 

「……」

 

「今回の件だが、お前のやったことは不問とすることにした。代わりにコールが全責任追って、ケジメつけてくれたよ。見たろう、あの隻腕を。イカしたなあ? ええ?」

 

「──あ、あ、あ、あぁあ、あああ、ああ……」

 

 そう言われて、少女は大量の涙を流して、機械的な声を出した。

 

「なんだ、どうした。悲しんでるのか?」

 

「俺のせい、俺のせい、俺のせい、俺のせい…………」

 

「……ほう、なるほどね。お前、自分が悪いと思っているのか」

 

「俺を、殺してください。拷問してください。慰み事でも、なんでもしますから、俺を、罰して……」

 

「ぶひゃひゃひゃ! 想像以上だな、こりゃ」

 

 うわ言のようにそうつぶやき続けた少女に、船長は金属音を鳴らした。

 身体を跳ねさせ、また一瞬動きを止めた少女に、耳元でこうつぶやく。

 

「お前を痛めつける理由はねえんだ。悪いのはコールだからな。…………だが、もしお前が、そのことに負い目を感じているって言うんなら、それを償う方法は、あるぜ

 

「…………え?」

 

 その時、船長は懐から、巾着を取り出した。

 ゆっくりとした動作でその中身を取り出した船長は、その不気味な色の粉をメサイアの鼻に当てる。

 

「ぐっ……!?」

 

「よく吸い込めよ」

 

 自然と、その粉を思い切り吸い込んでしまう。

 その瞬間、空間が歪んだ。意識が乱れ、あらゆる感覚が機能を衰えさせていく。

 

「ァ、がぁ」

 

 

「69番よ」

 

 狂った五感の中でただ一つ、船長の声が聞こえた。

 その声だけはなぜか、はっきりと耳を通り、脳に浸透していった。

 

 

「お前は俺の奴隷」

 

 

『お前は俺の奴隷』

 

 

(お前は俺の奴隷)

 

 お前は俺の俺の俺の奴隷 奴隷奴隷

 

 奴隷お前奴隷は

 

 お前は俺の俺の俺の

 

 奴隷奴隷奴隷──

 

「あ……」

 

 脳内に、その言葉が響き渡る。

 

 従え。従うべきだ。

 

 そんな意識が湧き上がり、その命令を脳みそに焼き付けようとするが如く、その言葉は歪に、何度も反響した。

 

 目の焦点が大きくブレた。

 

 痙攣にも近い振動を始めたその目は濁りに濁り、渇いた口は開けられては閉ざされを繰り返す。

 

 そして、脳みそにこびりついた言葉の意味が、自分にとっての使命へと変換されていく。

 

 

(俺は船長の奴隷)

 

 

 そう置き換えられた途端、少女の身体はビクンと跳ね上がった。

 

 脳に響く使命の言葉の大きさに押し潰される。

 

 

「……俺は船長の奴隷」

 

 

 そして少女は、うわ言のようにそう言った。

 言ってしまえば、もう勢いづいた流れは止められなかった。

 

「俺は船長の奴隷」

 

 

 もう一度同じ言葉を唱えた。

 

 船長が凶悪な笑みを浮かべる。

 

 ゆっくりと頷き、その歯を剥き出しにした。

 

「いいぞ、そうだ……お前は俺の奴隷だ……!」

 

「俺は船長の奴隷……」

 

「俺は誰だ」

 

「船長……」

 

「違う。ご主人様だ」

 

「ご主人様……」

 

「俺の命令が絶対だ」

 

「ご主人様の命令が絶対……」

 

「そうだ。……お前に一つ、使命を与えよう」

 

「……」

 

 そして、船長は顔を近づけ、少女に低く、そしてよく通る声で命令した。

 

「俺たち商会のために、俺の為に、誠心誠意尽くせ。やれと言われたことはなんでもやれ。決して逆らうな」

 

「……なんでも」

 

「そうだ。……そうすりゃ、コールも幸せに……ああいや、これはどうでもいいな、ぶひゃひゃひゃひゃ!!」

 

「……こー……る」

 

 少女が余計な単語を呟き始める。

 些か軽率な発言だったと自嘲した船長は、冷静に少女の意識を是正する。

 

「その名前は忘れな。もう一度だ。俺の為に、誠心誠意尽くせ。命令は、絶対だ」

 

「……はい」

 

 

「くくく……ぶひゃひゃひゃひゃひゃ!! ついに仕上がったぜ!! これで俺は真の意味で、全てを手に入れられる!! ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」

 

 

 少女は、光を失った顔で頷いた。

 

 それを見て笑う船長の顔を、ただ無感動な顔で、見つめ続けていた。

 

 

 少女は、洗脳されたのだ。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 少女は、船長の言いなりになった。

 

 やれと言われたことはなんでもした。

 

 それが使命だと疑わず、あらゆる命令に従った。

 

 競売に出れば、まさに、奴隷のあり方として理想的な姿を見せてくれた。

 

 飼い主の命令に、絶対に従う、見目麗しい、暗闇島出身の奴隷。

 

 そんな従順な奴隷だが、同時に、客にとって何より分かりやすい弱点も持っていた。金属音を鳴らすだけで、その機械のように整然な所作が崩れ落ちるのだ。洗脳されても身体に濃く残るトラウマ。そこからくる恐怖の感情は凄まじいの一言に尽きた。

 人形のように動かない表情が恐怖に歪み、涙を流し、許しを乞う姿は、客の歪んだ欲望を刺激する。

 

 それは、ヒューマンショップに来た客にとって、何十年に一体という究極の奴隷の完成形だった。

 

 船長が頭を打ち付けろといえば、言われたとおりに床を叩き壊す勢いで自傷した。

 客がこうしろと要望を出せば、忠実にそれに従った。

 

 そして、もたらされる数々の暗闇島の情報。大半は船長による拷問で仕込まれた嘘だが、それを客が知ることは無い。

 船長が二度と口にするなと言った言葉は、当然少女は口に出さない。船長が恐れるようなリスクはもう存在しない。

 

 

 会場の盛り上がりは、それはすごいものだった。

 

 行く先々で大成功を納める商会に、船長は我が世の春といわんばかりに大笑した。

 

 もはや商会は安泰。

 

 そう誰もが思うほどの話題を作り上げた彼は、ついに、この奴隷を売り出す予定である、ロメアまでたどり着いた。そこにある、その海域最大のヒューマンショップは、過去類を見ないほどに人が入ってきていた。

 

 皆、暗闇島の少女を求めていた。

 

 島全体を包むほどの盛り上がりを横目に、豪華な旅館に宿泊していた船長は高い酒を呑みながら笑っていた。その傍には、ケラソスとバグが同じ酒を呑み、無表情で座っている。

 

「ぶひゃひゃひゃひゃ!! 笑いが止まらねえぜ、今期の売上だけで、前の一年分の売上を軽く超える! これで69番が売れれば、我が商会は敵なしだ! 誰も俺には敵わねえ!! ぶひゃひゃひゃひゃ!! ひゃひゃひゃひゃ!!」

 

「おめでとうございます、船長」

 

「くくく……今回の大成功は、お前の功績でもあるぜ? ケラソス。あの69番を、あれほどまでに手懐けられたのは、お前のコールを使った策のおかげだ」

 

「すでにある程度の布石があったからこその賜物です。私一人の力ではない」

 

「ぶひゃひゃ!! 謙遜はよせ!」

「コールの腕を切り落として69番に見せつけようとお前が言った時は、さしもの俺も冷や汗が出たよ。だがそのおかげで、69番の心は見事に折れた……! 今にして思えば、お前が正しかった!」

 

「奴隷の尊厳破壊など、容易い仕事です」

 

「ぶひゃひゃひゃひゃ!! 怖いやつだ。計画が失敗し打ちひしがれてる最中に、罰として腕を切るぞって言われたときのコールの顔見たか!? 傑作だったよなあ!! ぶひゃひゃひゃひゃひゃ!! ひゃーっひゃっひゃひゃ!!」

 

「奴隷との癒着は、大罪ですゆえ」

 

「まあそうだな……それに、コールに働かせて楽をすることを覚えちまった、最近の船員の勤務態度についても見直すべきと思ってたところだ。あれのおかげで、いい見せしめになった。逆らったらどうなるか知った最近の船員の働きっぷりは、眼を見張るほどだぜ」

 

 

 ヒューマンショップで火事を起こし、奴隷を避難させていたところを女に奪われる。

 これらは全て自演だった。そのまま島の北の船着き場に発着させた船に乗せれば、報奨金をやるという、努めて簡単な仕事を依頼したのも、紛れもなくケラソスだ。

 だが、最初からそれを成功させる気はなかったのだ。真の目的は、コールを介して脱走の決心をつけさせた69番に、それがあったからという形で人を殺して見せ、コールの腕を切り落とし、彼女の精神をボロボロに砕くことだったのだ。

 

 そのために、ケラソスは直々に女を殺した。余計なことを言われる前に、確実にこの手で殺し、奴隷の尊厳を破壊したかったからだ。

 

 目の前で人が殺された奴隷の少女を見て、ケラソスはその策略の成功を確信した。

 それでも、本人の想定ほど彼女が崩壊したようには見えなかったのは、その子供とは思えないほど成熟したメンタリティがあったからだろう。

 あの暗闇島で育ったことの賜物であったのか、兎にも角にも、まだ完遂とは言えない状況になって、ケラソスはコールの処罰と見せしめを含んだ、さらなる少女の精神破壊を実行することにしたのだ。

 

 それこそが、コールの腕の切断だった。

 

 結果、癒着という罪の見せしめになり、皆必死に働くようになった。

 少女は、言わずもがな。競売の盛り上がりを見ての通りだ。

 

「とはいえ、です」

 

 そこまで言って、ケラソスは一息つき、殆ど手をつけていない酒を呷った。年代物のウィスキーで唇を湿らせた彼は、その落窪んだ目で、船長を見つめる。

 

「そうした仕事の数々を行った結果、あの薬が目覚しい効果を発揮したのですから、それを考えれば、そうした副産物など霞みます」

 

「あぁ……お前の言う通りだ」

 

 薬、とは、洗脳薬のことだった。あのとき少女が吸い込んだものは、ケラソスが手に入れた洗脳薬。

 効けば洗脳者本人には絶対に逆らえない強力な効果がある。だが、それには被洗脳者の心が完全に折れていなければならない。強力な洗脳効果を発揮するには、それを防げぬ脆弱性が必要なのだ。

 

 それまでの苦労を思い、船長は椅子に座り直して息を吐いた。

 

「実際、あれを使うのは必然だった。何せこのロメアに着くまでに、あの強情な69番を完全に屈服させるのは不可能だったからだ」

 

「一時は大きな出費に不安になったこともありましたが……今回のタイミングの良さを考えれば、英断だったと言えますな」

 

「ククク……だろう?」

 

 ケラソスの策略で、69番の尊厳破壊は確かに上手くいった。

 だが、洗脳、と言える段階までいったかといえばそれは違った。本来ならあの程度の年齢の奴隷、もっと簡単に、もっと短時間で心を折り従えさせられたはずだったが、いかんせんその無駄に成熟した精神性がそれをさせなかった。

 

 暗闇島の付近で突発的に見つけた彼女。

 事前準備もないまま、あの強い意志を持った奴隷を、ロメアまでの航路の間で洗脳するには、あの薬が必要だったということだ。

 

 

 だが、それさえ成功すれば、後は約束された栄光だけが待ち受けている。

 

 

「ここまで長かったが……これで今回の競売さえうまく行けば、大団円だ。……例の件はどうなった? しっかりと誘い出せたか?」

 

「相手が相手ですので苦労はしましたが……ええ、予定通り、今回の競売に出席するとのことです。もうそろそろ、到着する頃かと」

 

「ぶひゃひゃひゃひゃ!! よくやった!! ……昔売り出された暗闇島の奴隷は確か2000万ベリーだったか? 今回は見た目もいいうえにあの従いっぷりだ。上手くいけば5000万、いやひょっとすれば、億なんてのも夢じゃねえ!! ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!! 最高だぜ!!」

 

「ええ、本当に」

 

 全てが、上手くいっていた。

 船長はまた酒を口に含み、そして笑う。

 自分が望む最上の未来が、すぐそこまで来ていると疑わず、笑いが止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 東の海(イーストブルー)のとある島、ロメア。

 南西の海域にあるヒューマンショップの中でも最大規模のものが存在するこの島に、一隻の船が到着した。

 

 その中から出た人物に、見たものは目が飛び出んばかりに驚愕し、その場に跪いた。

 

 

「……長い航海だったえ。早く暗闇島の奴隷を見るとするえ」

 

 

 最も誇り高く気高き血族として、この世界の頂点に君臨する、世界貴族。

 

 天竜人、ジャルマック聖が、その腰を四つん這いになった奴隷に深く埋めながら、ロメアへと降り立った。

 

 

 

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