ロックスの再来0   作:イオン

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第八話 奪う者、奪われる者

 

 

 

 荒れ狂う海を泳ぎ、力の限り波を乗り越える奴隷船は、その一足一挙までが雨に濡れながら声を張り上げる船員の働きによって成り立っており、何時間と続く唸る航路を、絶えず流れる汗にまみれて進んでいた。

 

 船員は、日頃の重労働に加えこの悪天候に見舞われ、疲労困憊だった。だが、その身体に鞭打たねば、自分達の命はない。許されるのなら直ぐにでもベッドで寝腐ってしまいたい。それでも、周りで必死に声を上げる仲間たちの姿を見れば、その震える脚はそのまま甲板に縫い付けられた。

 

 

 だが、彼らは不運だった。

 そうやって自分のことだけに必死になって余裕がなくなっていた船は、すぐそこに迫る凶手の存在に、ギリギリまで気づくことが出来なかった。

 

 

「副船長!! 北北西の方角に海賊船です!!」

 

「何!? くそ、この忙しい時に……! 海賊旗はなんだ!!」

 

 見張り台から泣き叫ぶようにそう報告した船員に、副船長であるバグは歯を食いしばってその冷徹な表情を歪めた。

 こんな嵐の中で略奪行為をするなど、余程のバカか、餓死寸前で見境なくなった瀕死海賊かのどっちかだろう。適当に大砲で迎撃してやればすぐに撤退してくれる。そう思っていたが、返ってきた船員の言葉で、バグはそれが浅はかな考えだったと思い知ることになる。

 

 

「海賊旗は……ジョリー・ロジャーに、右目にエメラルドグリーンの目がハマっています!!」

 

「!? そ、そんな馬鹿な! 見間違いではないのか!!」

 

「い、いえ! 確かにそうです!!」

 

 その報告に、バグは顔を青ざめさせて、船のへりまで走り、その目で海賊船の姿を捉えた。船員の言う通りの海賊旗を掲げた船が、とてつもない勢いで迫ってくる。

 彼の全身から、ジットリとした汗が吹き出た。

 

 

「嘘だろう……! なぜ、こんな場所に、()()()()()()()()()がいるんだ!?」

 

 

 迫り来る海賊船の主の名は、翠眼のオベル。

 偉大なる航路(グランドライン)で活動していたはずの海賊、翠眼海賊団が、東の海(イーストブルー)で細々と活動する小商会の一味に、ぐんぐんと迫っていた。

 

 

 なぜこんな嵐の中で自分たちを狙いに来たのか。その謎が、海賊旗を見た事で解けてしまった。一切の常識が通用しない、季節も天候も何もかもデタラメな最も危険な海。偉大なる航路を越えてきた猛者たちだ。こんな嵐など、ちょっと強い雨程度の認識でしかなく、略奪するうえでの障害という認識もない。

 この嵐の中で、自分の船の航海を優先せず、他の船からの略奪を嬉々として行うという異常さ。それが当てはまる存在ではないのが分かってしまったのだ。

 

 

「……っ、全員、全力で逃げろ!! 偉大なる航路の海賊が襲撃してきたぞ!!」

 

「「!!」」

 

 

 バグの一声で、船員は絶望の表情になった。もう船を沈ませないだけで精一杯なのに、全速力で逃げろなどと指示されて、できるわけがない。

 だが、後半の単語が、体力が尽きかけていた彼らを無理やりに動かした。

 冗談ではない。ろくに動く力もないのに、偉大なる航路の海賊などに襲われたら、全滅の危機も有り得る。船はパニックにも近い雄叫びに包まれながら、全ての船員を招集の元逃げ出した。

 

 

 だが、その奮闘も虚しく、海賊船は奴隷船に追いついた。明らかに、船の作りが違う。船体の質、それを操縦する船員の腕、乗組員の士気、何もかもが彼ら奴隷商のそれを上回っていた。

 

 

「おいおいおいおい! そこの奴隷船、逃げ延びろ! あいや、止まれえい!!」

 

 

 すぐ横まで接舷してきた海賊船の中から、男の声が聞こえてきた。見れば、海賊旗と同じエメラルドグリーンの目をした、逆だった茶髪の大男がこちらを睨みつけ、その歯を覗かせていた。

 

 バグと、騒ぎを聞きつけたケラソスが、青い顔でその男達を見た。背後に控える船員たち一人一人が、皆獰猛な笑みを浮かべこちらに武器を見せつけている。

 殆どの船員が、剣などの近接武器を持っており、今すぐに攻撃されるとは思えないのに、甲板にいる奴隷商の全員が、喉元に刃を突き付けられたかのように動けなくなった。

 

「俺らは遠路遥々、この故郷である東の海まで里帰り、あいや、敵前逃亡してきた関係上、物資不足なんだ! 命が惜しくば、あるだけの物資を全力で死守、あいや、全部出せやあ!!」

 

「頭! 建て前と本音を間違えてます!」

 

「おっ……! おいおい……お前それを早く言ってくれよぉ〜!」

 

「次から気をつけます!」

 

 そんなやり取りをしている海賊たちに、バグやケラソスは顔を見合せた。おちゃらけた様子だが、話を聞いてくれそうな雰囲気でもない。かといって、その要求も受け入れられるものではなかった。

 

「私はこの船の副船長だ!! 海賊、翠眼のオベル殿とお見受けする! 生憎だが、我々も見ての通り余裕が無い! 物資は差し出すが、数日分で勘弁してはくれまいか!! 貴殿らのような名のある海賊であれば、この嵐もすぐ抜けて、物資の補給ができる島に辿り着くことは容易いはずだ!!」

 

 

「──おぉ!! なかなか見る目があるなあおい! そう、俺様は泣く子も黙る大海賊、翠眼のオベル様だ! だがおめえ、そんな尊敬すんならあるもん全部渡すのが普通だろうがコラぁ!!」

 

「くっ……!」

 

 翠眼のオベルという海賊の要求には従いつつ、その世に轟くその名前を逆手にこちらの負担を少なくしようと画策したが、それをさらに逆手に取られて言い含められてしまった。明らかに手馴れている。奴らの思い通り、自分たちの物資を全放出するしかないのかと、歯ぎしりした。

 

 

「バッファッファ!! まあ細かいことはいい!! お前らじゃあ十分すぎる、あいや、話にならん! 船長呼べ! そいつが来るまでは待ってやるよ!!」

 

「……船長はメサイアの部屋だろう、拷問中かもだが、すぐに呼んでこい! 彼らの名前を出せばすぐ来るはずだ!」

 

「は、はい……!」

 

 バグの指示により、船員数名が慌てて船内に入っていった。その間に、ケラソスが小声で話しかけてくる。

 

「……念の為大砲の用意をしておこう、見たところ、あちらは船員の殆どが甲板に整列している。迎撃に時間がかかる筈だ」

 

「……それはこちらも同じだぞ。今いる人員を再配置しだせば、すぐにバレる」

 

「いや、船長を探すといって数人を新たに出すだけでいい。……こちらには船員以外にも、()()()()()()()使()()()()()がいるではないか」

 

「! なるほど、わかった、手筈はお前に任せる。油断するなよ」

 

「分かっている」

 

 そう言って、ケラソスは言った通りに船員を複数名送り出し、使える奴隷を解放しに向かわせた。

 その間も、翠眼海賊団の面々に怪しまれた様子はない。後は船長の判断に任せようと、バグとケラソスは無言で時を待った。

 

 

 だが、覚束無い足取りで戻ってきた船員たちの報告で、その毅然とした態度は崩れ去ることになる。

 

 

「ふ、副船長! 参謀長! せ、船長が! 船長が!!」

 

「なんだどうした! 拷問が酷すぎて入れなかったか!? そんなこと言ってる事態ではないと──」

 

「ち、違うんです! 船長が、メサイアの部屋で、血だらけになって倒れているんです!!」

 

 

「「!!?」」

 

 

 バグ達は目を剥いた。度重なる非常事態に、頭が真っ白になる。船長が来れない。生きているのかどうかも分からない。今後の指揮は。メサイアは何をした。商会の未来は。この海賊たちとの交渉は……あらゆる問題が次々と浮かび上がり、二人を以ってしても、しばらく言葉が出なかった。

 

 

「……逃げるぞ」

 

 

 参謀長であるケラソスは、短くそう言った。普段の彼らしからぬ、簡潔で、行き詰まった答えだった。

 それに賛同したバグは、砲撃準備が完了したという船員の報告を聞くや否や、合図を出した。

 

 

「全員逃げるぞ!! 撃てぇええエエ!!!」

 

 

「「!!!」」

 

 

 船長らしき姿も見えないままに、そう言って超至近距離からの砲撃を受けた海賊船は、爆風に当てられ大きく揺れた。慌ただしくなった船を横目に、彼らは堰を切ったように逃走し始める。

 

 今まで以上に怒涛の勢いで帆や舵を動かし、船体に傷がつくのも厭わずに嵐を進んでいく。

 

 だが、それを逃がすほど、翠眼海賊団は、オベルは甘くなかった。

 

「おんどりゃあぁあ!! 騙し討ちとは人様の風下、あいや、風上にも置けねえ奴らだぜえ!! こうなりゃ船員全部皆殺しだぁ!! 追え野郎ども!!」

 

「「「うおぉおおぉおぉ!!!」」」

 

 

「砲撃が効いてない!? っ、来るぞ!!」

 

「逃げろお! 逃げるんだあ!!」

 

「「うわあぁぁアアア!!!」」

 

 

「バッファッファ! 逃がさねえぞぉ……!」

 

 そう言って船の船首に立ったオベルの身体に、異変が起き出した。その身体が黒い体毛に覆われ、両側頭部から、捻れた角がせり出してくる。

 

 

「うおぉぉぉ!! 頭が能力を!! 腹減りすぎて必死だァ!!」

「イカすぜ!! ウシウシの実、モデル、オーロックスだ!!」

「やっちまえ頭! あ、物資まで吹き飛ばさないで下さいよ!!」

 

「まぁかしとけえい!! 跡形もなく、あいや、木片一つなく消し飛ばしてやる!!」

 

「「訂正した意味ね〜〜〜!!?」」

 

 動物(ゾオン)系、ウシウシの実の能力者であるオベルは、たちまち筋骨隆々の人と獣のハイブリッドの姿──人獣型になり、その腰を沈めて奴隷船目掛けて跳躍した。

 

 間違いなく、この世界に存在する海の秘宝、悪魔の実と呼ばれる果実を食したことで得られたであろう超人的な力。だが、そんな超常的な力を手に入れられる存在を見るのは稀だ。少なからず、この比較的平和な東の海で活動する奴隷船の彼らにとっては、噂程度でしか聞かないような物だった。

 ましてや、それを今まさに略奪を開始しようとする敵の親玉が食しているなど、寝耳に水どころの話では無い。

 

「なんだあれは!? 牛!? でかい……!」

 

「跳んでくるぞ! 逃げろ!!」

 

 船員は、この荒れ狂う海の上を躊躇なく飛び越えて接近した異形の海賊に戦々恐々となった。全弾を使い潰す勢いで銃を放ち、絶対に船に到達させまいと足掻く。

 

 そのうち、奇跡的に大砲の砲弾が直撃した。爆風に包まれるオベルを見て、船員たちから歓声が上がる。

 

「やった! やったぞぉ! オベルを仕留めた!!」

「ざまあみろ海賊め! この世の悪め!!」

 

「……そう簡単にいけばいいが」

 

 腕を上げて喜ぶ船員を横目に、ケラソスは油断なくオベルの様子を見ていた。相手は偉大なる航路の海賊だ。この程度の攻撃で死ぬようなら、今まで生き残ってこれたのは奇跡と言っていいはずだ。

 彼らのおちゃらけた雰囲気が素で、実際はその運だけで偉大なる航路を越えていたという、そんな裏でもあるものなら、そうあって欲しいものだと願いながらケラソスは煙の中を凝視する。

 

 

「んごああぁあアアァ!! 冷た、あいや、あっちいなこの野郎!! もう怒ったぜえおおん!!?」

 

 だが、ケラソスの悪い予感は当たった。すこし燃えカスがついただけで傷一つない猛牛の姿が現れ、その血走った目を彼らに向けた。

 大砲が効かなかったことに、船員たちは顔を真っ青にした。

 

「嘘だろ! 大砲が効いてねえぞ!!」

「あんな怪物どうすればいいんだよ……!」

「まだだ! もっかい当てろ!」

「いや、待て! あいつ完全に海の上だ! あのまま落ちるぞ!」

「そうだ! 落ちて流されろこの野郎!」

 

 しかし、船員の言うように、砲弾の爆発で跳躍の勢いが無くなったオペルは、単身で嵐で荒れる海の上に浮く形になった。

 この悪い視界と勢いの強い波に呑まれれば、一溜りもないだろう。しかも、悪魔の実の能力者は能力を得ることで海に嫌われカナヅチになるのだ。もし海に落ちたら、一巻の終わりだった。

 

 

「バッファッファ!! んなアホなやられ方するかよ!!」

 

 だが、オペルは、罵声を浴びせてくる船員にそう言うと、どういうカラクリか、()()()()()()()船に迫ってきた。

 離れていた距離がすぐに縮まり、その巨体が船体の後部を捉える。

 

「!? あいつ、空中で移動を!」

「嘘だろ……どこまで化け物だ!!」

「来るぞ! 近づいてくる!」

 

「伏せろおぉぉおォオ!!!」

 

「ベルデ──」

 

 そして、闘牛を思わせる嶺のような腕が脈を打って肥大化し、爆発的な音とともに船体に突き刺さった。

 

 

「ガヤルド!!!」

 

「「!!!」」

 

 奴隷船の後部が、爆発した。

 いや、正確には、拳を受けた船体が一瞬で崩壊し、けたたましい音をたてて吹き飛んだのだ。

 当然、そこにいた船員は声も出せぬまま嵐の吹き荒れる海へ吹き飛んで行った。そこにあった、操舵席もろとも、だ。

 

「うわああぁ!! 操舵手が船ごと消し飛んだぁ!! もう逃げられねえ!!」

「なんだよ……なんだよ、これ!!」

「もう、終わりだ……」

 

 方々から悲鳴が上がる。

 阿鼻叫喚の様子の彼らの目の前にオベルが仁王立ちした。

 そんな当の本人はその結果に不満げだった。

 

 

「ん〜〜!! 絶好調、あいや、絶不調だなこりゃ! 前はもっと力が出せたんだが……」

 

 その言葉に、更に絶望感が増す。

 これだけの攻撃をしておいてまだ調子が悪いなどと、相手はどれだけ規格外なのか。

 

 

「くそっ……! なぜ、こんな事に……」

 

 あまりにも非常識な強さ。これが、偉大なる航路の海賊。桁が違った。もはや抵抗する気も起きず、バグもケラソスもその場に膝を着いた。

 

 たった一度の攻撃で、木造のキャラック船である奴隷船は、メキメキと嫌な音を立ててその船体を徐々に崩壊させていった。これ以上下手に衝撃を加えれば、この船はバラバラに砕けるだろう。

 

「バッファッファファファ!! まあいいか。さて、これで大人しく物資を守る、あいや、渡す気になったか? 俺らも、目的はお前らの命じゃなく、船の物資なのさ。これ以上抵抗しないなら痛くはする、あいや、しねえぞ」

 

「……降伏する。物資でもなんでも、好きなだけ持っていけ」

 

 命には代えられない。

 船長の生死も定かでない今、これ以上の抵抗は無意味だった。

 

「バッファッファ! ならお構いなく奪わせてもらおうか。おい野郎ども! 略奪の時間だァ!!」

 

 

 そう言って振り返ったオベルは、自身の船を見た。だが、その船からは、予想していた活きのいい返事は聞こえなかった。

 

 

「……あん? どうしたぁお前ら! いつもの掠れきった、あいや、元気な返事が聞こえねえぞ!」

 

 

「頭ァ!! 大変だあ!!」

 

「……なんだ?」

 

「船の操作が効きません!! ()()()()()()に捕まっちまいました!!」

 

「ぬわあにい!? 馬鹿野郎、オールでもなんでも漕いでもっと呑まれ、あいや、抜けだせぇい!! 偉大なる航路で鍛えた航海術はどうしたあ!!」

 

「そ、それが! この海流馬鹿みたいに力強いんです! 抜け出せません!!」

 

「はあ……!? 冗談じゃねえぞ! そんな海流がある訳ねえ! ここは東の海だぞ! 偉大なる航路じゃあるまいし……」

 

 

「だ、ダメだ! 完全に制御を失った! 頭ァあぁ! 助けてくれえぇェエ!!」

 

「ちっ、あの馬鹿ども……!!」

 

 そう言って、オベルは再び跳躍し、何度か宙を蹴りながら船に帰っていった。

 

 慌ただしく動く状況に、船員は一様に目を白黒させる。

 そのうち、一人の船員が、呆然と呟いた。

 

「……た、助かった……のか?」

 

 その言葉は甲板を伝播し、徐々に安堵の空気が広がっていく。だが、そんな中で変わらず青い顔をしているバグとケラソスが、立ち上がって声を上げた。

 

「喜んでいる場合ではないぞ! あの海流……まさかとは思ったが、最悪だ!!」

 

「ふ、副船長……! 如何しましたか!」

 

「見てわからんか……! あの海流……我々はいつの間にか、戻ってきてしまったんだ! 暗闇島の付近……ブラックホール海流のある海域へ!」

 

「「!!?」」

 

「早く逃げるぞ! あの海賊船のように海流に呑まれたら終わりだ!! 急いで進路を東へ!!」

 

 

「ダメだ……! 操舵が不可能になった今、思うように進路を変えられん……!」

 

「……! こんな馬鹿な……!」

 

 絶体絶命とはまさにこの事だった。

 オペルが立ち去った矢先に、また新たな問題が浮上し、バグ達はいよいよ目眩を起こし始めた。

 操舵も出来ない状況で、目と鼻の先にはあの最悪の島へと繋がるブラックホール海流が迫っていた。

 

 

 ブラックホール海流。そう呼ばれる特殊な海流は、東の海の南東部、その更に端の未踏破区域に広がる、巨大なうず状の海流である。

 その全容は、その海流の規模の巨大さと、そのあまりの危険度故に解明されてはいない。だが、一つだけ明らかなことがある。それは、その海流こそがあの東の海の南東部に住むものなら知らぬ者がいないほど有名な孤島、暗闇島へと誘う魔の海流であることだ。

 

 一度その海流に入れば、今もなお急速に離れていくオベルの船のように、その制御の一切を奪われ、暗闇島目指し一直線に漂流する。

 例え対象が偉大なる航路の海賊という化け物でも関係ない。全てを呑み込むブラックホールのように、その人間たちを死の島へと誘うのだ。

 

 オベル達でも全員が生き残れるか分からない。

 奴隷船の人間などもってのほかだ。直ぐにでも、海流の脅威が及ばない場所まで逃げるべきだった。

 

「舵が効かずとも帆の張り方次第では何とかなるはずだ! 急いで人足を確保しろ!」

 

 バグ達はどうにかして海流から逃げるべく急いで指示を出す。同時に、オベルの攻撃による影響の把握も必要だった。その点をケラソスが指示し、急いで状況回復を試みる。

 

「船への影響はどうだ!?」

 

「参謀長! 船体後方の被害が深刻です! 一部部屋にはひび割れや大きな裂け目が!」

 

「奴隷の部屋に穴が空いていたりするかもしれん! 逃げられては損失になる、収容場所の見直しを進めろ!」

 

「はっ!」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 時は少し遡る。

 

 

 メサイアが無言で座り込んでいると、爆発が起きたかのような衝撃が、船を駆け巡った。

 メキメキと、部屋の壁が音を立てて割れていく。

 やがて、隣の部屋とこの部屋を隔てていた壁に小さな穴が空き、そこで揺れは収まった。

 

「……」

 

 その様子を無感動で見つめているメサイアの横には、血だらけになって倒れている船長がいた。

 彼女は、何が起きたのかをあまり覚えていなかった。

 とりあえず、なにかを言われて、すごく傷ついた。ということは覚えている。

 ただ、その後に何をして、何が起こったのかは覚えていなかった。なぜ船長が倒れてしまっているのかも、まったく理解できなかった。

 

 混乱した頭をどうにか鎮めようと必死になっているメサイアは、部屋に空いた穴など気にしている暇などない。

 そんな中、三角座りで押し黙るメサイアの部屋の周囲は、にわかに騒がしくなっていった。

 

 

 先程の揺れの後処理だろう。船員が慌ただしく動いており、彼らとは比べ物にならないくらい衰弱した気配がいくつも動いているのが分かった。おそらく、奴隷。彼らを別の場所に運び出す動きが各所で起きているようだ。

 

 メサイアの部屋にも、船員がやってきた。まるで猛獣が入れられている檻に入ってくるかのように、恐る恐る入室してきた船員たち。だが、メサイアは彼らを一瞥もせず黙っていた。

 

 やがて顔を見合せた船員たちは、いそいそと船長を部屋の外に持っていく。メサイアに気を取られていたせいだろう。部屋に衝撃の余波があったかどうかも確認せず、その空いた穴を無視して出ていってしまった。

 

 

 ──

 

 

 隣の部屋の扉が空く音がした。船員の余裕のなさげな声が聞こえる。奴隷を移しているようだった。

 

「おい、早く入れってんだ」

 

「やれやれ……そんな急がんでもいいじゃろうて……老骨に響くわい」

 

「次の島までここで過ごせ。あと、諸事情により当分は飯の量は少なくなる。いいな」

 

「そいつは困った……あの衝撃のせいかのう? 何事だったんじゃ」

 

「くっ……いらん詮索はするな! 扉を閉めるぞ!」

 

 そう言って、乱暴に扉を閉めて鍵をかけた船員は、また忙しそうに別の船室へ向かってしまった。

 連れてこられた奴隷、声色や口調から老人だろう。彼の溜め息が漏れる音がした。

 

 

 

 

「……なんじゃ、この部屋は少し明るいの」

 

 部屋の床に腰かけ、ポリポリと身体をかいていた彼はやがて、その部屋が前の部屋より少し明るいことに気付いた。

 そして、その淡い光がどこから来ているのかを老眼を駆使して時間をかけて探す。やがて、隣の部屋と繋がった小さな穴に気がついたのだった。

 

「おぉ……こんな所に穴が……さっきの衝撃で空いたんか……む……!?」

 

 その穴を覗き込んだ老人は、先に見えた光景に目を見開いた。

 そこには、血だらけになって異臭を放つ凄惨な部屋の姿と、その端に三角座りして俯いている儚げな少女の姿があった。

 

 ひと目ではどんな経緯でその景色が生み出されたのかが分からず、老人は暫し固まってしまう。

 

「……おぉい、お嬢ちゃんや。……聞こえとるか? おぉおい」

 

 恐る恐る声をかけると、少女はゆっくりとその顔を上げた。汚物で分かりづらいがよく見れば、可愛らしい赤目の少女だった。純粋無垢な雰囲気のその表情は、悲しそうに沈んでおり、その顔や髪、身体までに付着する血がなんとも釣り合わなかった。

 

「……だぁれ?」

 

「儂か。儂はアレン……いや」

 

 そう言いかけたところで、彼は一度頭を搔く。首を振り再度向き合って少女を見、にこやかに話しかけた。

 

「儂の名前は、エイブリーじゃ。お嬢ちゃん、お名前は?」

 

「……メサイアだよ」

 

「ほうか、いい名前じゃなぁ……のう、メサイア。お主、血だらけじゃが、大丈夫か? もしやあの下衆に、拷問でもされたか……」

 

「……わかんない」

 

「何?」

 

 エイブリーという老人は、メサイアと名乗った少女の言葉に、首を傾げた。これだけ酷い光景を目の前にして、分からないとはどういうことだろうか。

 

「……私ね、変なの。ずっと記憶がなくって……よく分からないまま船に乗ってたの。そうしてたら、また、意識が飛んだりして……その時のことも、よく覚えてなくって……」

 

「……それは、大変じゃったな」

 

 記憶喪失。奴隷という身分だ。ストレスや拷問などの衝撃で、そういった事態に陥ることもあるかもしれない。その上、この部屋の状態だ。少女の境遇には、自分では考えもつかないようなことが起こっていたのかもしれないと思い、深く追求するのは躊躇われた。

 

「ずっと、こんな調子なの。でもそれって、よくないことみたいで……さっきもそれで叩かれたり蹴られたりしたの。私は、なんでなのかよくわかってないんだけどね」

 

「……!」

 

 信じられん。そんな言葉がエイブリーの頭に浮かぶ。

 記憶喪失を起こした少女に、追い打ちに拷問をするなど。

 その事を少女が無感動に口にしたのも胸を締め付ける。自分の知らない場所で、非道な行いが日常的に行われた事実を知り、エイブリーは言葉も出ない。

 

 

「……ねえ、エイブリー?」

 

「……なんじゃ?」

 

「私は……この世界にいて、よかったのかな……?」

 

「!!」

 

 エイブリーは頭を抱えたくなった。

 彼にはその言葉は重い。重すぎる。

 

「うむ……。それは儂も、考えたことがある」

 

「え?」

 

「こんな歳になってまで奴隷の身じゃ。自分の在り方について考えたことは、何度もあるわ」

 

「……答えは出た?」

 

「はは、いいや全く。恥ずかしい限りじゃが」

 

「……じゃあ、おんなじだね」

 

「……たはは」

 

 エイブリーは照れ隠しでもするように笑った。

 自分の人生は今まで、苦しいこと、悲しいこと、色々なことがあった。それはきっとこの少女にも言えるだろう。

 容易く両者の思いを同列に語ることは出来ないはず。だが彼女がサラリと言った言葉で、エイブリーはどこか、救われた気持ちになった。

 

 ずっと独りだった。暗闇の中で彷徨うしか無かった自分は、こうやって、同じ立場で言葉をかけてくれる存在を求めていたのかもしれない。

 

「ねえ、お話しよう? 私、ずっと寂しかったから。エイブリーもそうでしょ?」

 

「ああ……勿論じゃ」

 

 優しい顔でそう言ってきたメサイア。まるで自分の感情が分かっているかのように問いかけてくる様子は不思議な印象を受ける。だが、実際にそうなのだから敵わない。

 

 メサイアとエイブリーは、船に揺られながら、ずっと語り合った。それは、奴隷として落ち込んでいた気持ちを晴らしてくれる、明るくて、優しくて、素敵な時間だった。

 

 船員たちの預かり知らぬところで知り合った二人の奴隷。

 彼らの出逢いは偶然か、必然か。その出逢いが齎す波乱を、今は、誰も知らない。

 

 

 

 *

 

 

 

 そんな穏やかな会話が続いて数日のこと。

 

 船室で、ランプが船の揺れに合わせて動いていた。

 周りの人間の影に半身を覆われたり明るさを取り戻したりしながら、船長の身体は深深とベッドに沈んでいる。

 

「容態はどうだ」

 

 バグが商会の船医である男に話しかける。

 それに答える男の顔色はすこぶる悪かった。

 

 

「命に別状はありませんが……肋骨が半分以上折れています。背骨も少しまずい状態になっていますし……完治がいつになるかは、現時点では……」

 

「……なんとかならんのか。この人がいなければ、商会は回らんのだぞ」

 

「……彼の体型も回復に支障をきたしています……残念ながらこれは規模の大きい病院まで向かわないと……」

 

「くそっ……! 何もかもめちゃくちゃだ! それもこれもあいつが来てから……メサイアは疫病神か何かなのか……!?」

 

 バグは机を叩いた。

 69番がメサイアになって戻ってきてからこの方、月光旅団には追い払われ、船は襲撃され、船長はこの有様だ。

 

 全てはメサイアのせい。そう思わずにはいられない。

 

 ふいに、船体がグラリと揺れた。

 バグ達がたたらを踏む。窓から見える海は不規則に揺れ、操舵の効かない船はいいように揺らされ、導かれていた。

 見間違いだろうか? 窓の外に、闇色の海に放り出された船員が見えた気がした。

 

 

 扉が勢いよく開かれる。顔を真っ白にした船員の報告は、疫病神、という言葉の証明か。

 

「副船長!! 暗闇島が見えてきました! ブラックホール海流、抜け出せません!!」

 

「──クソ! クソぉおお!!」

 

 バグは膝から崩れ落ち叫んだ。

 船員の奮闘も虚しく、商会の船はブラックホール海流に侵入した。オベルによって壊れた舵はその海流を拒むことなく、船体を島へと一直線に定める。

 

 徐々に、瓦礫に囲まれた孤島が見えてきた。暗闇島だ。

 迫り来るそれから、逃げ出す術はない。

 

「全員、衝撃に備えろ!!暗闇島に突っ込むぞぉおォオオ!!!」

 

 

 そして奴隷船は、暗闇島に突っ込んだ。

 

 

 

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