天子様の無茶ぶりに、私は今日も血反吐を吐いた   作:沖縄の苦い野菜

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賽は投げられた

 

 白亜の大理石の建造物と、レンガ造りの塀に囲まれた、足首ほどの水深の禊の場。その中央には一本、筋肉のごとく隆起する立派な幹の桃木がそびえたつ。

 吸い込めば胸のすくような清涼な空気が漂うその場所で、よっ、と桃に手を伸ばす。羽毛が風に舞うように跳ぶと、その手は見事魅惑の果実に届き、それをもぎって水滴が跳ねる音と共に着地する。

 

「ほら、食べなさい」

「空腹ではありませんが」

「魂は存外、身体に引っ張られるもの。脆弱な肉体に強靭な魂が定着するのは難しく、お前は魂ばかりが逞しい。まず己の弱さを自覚し、これを戴くことだ」

「……それでは、いただきます」

「よろしい」

 

 差し出された桃に嚙り付けば、鼻の奥までスッと果実の甘い香りが通り抜けて、続けざまに口の中に極上の甘味が広がった。まるで砂糖のような濃い甘味は、しかし水のように喉越しがさっぱりとしており、口の中に薄く膜を張るように果肉の後味を残す。

 

 天界の桃は至上のご馳走だ。食するだけでその身体を頑強にしていき、これを食い続けた者は修行を積まずとも刃も通らない肉体を手に入れることが出来る。食べるだけで身体能力を向上させる、地上では伝説に残るほどの代物だ。

 

 天界に住む者であれば、誰しもが食べる主食だ。

 主食なのだが、それを食してはならないと禁足事項として定められた例外が一人いる。

 

「他のヤツらはどうして、あんたのこと目の敵にするんだか。桃食ったって人間そう変わるもんか」

 

 呆れたように、しかしどこか誇らしげに口元を緩める少女。

 比那名居天子は、天人という種族に似合う傲慢な口ぶりで腕を組みながら鼻を鳴らす。山の天気よりもコロコロと変わる表情は、どれをとっても天上の華というに相応しい愛らしさを誇る。

 

「……私の能力のせいかもしれません」

「あぁ……貫く程度の能力、だっけ? そんな、そこらの仙人どころか、死神さえ撃退できない力のどこに価値があるんだか」

 

 仙人はピンキリと言わざるを得ないが、死神さえ撃退できないとは。さすが天人基準といったところか。

 普通の人間では、武器をもってどれだけ訓練しようが死神に勝つことはできない。お迎えに来た死神を撃退できる奴は、それはもう立派な仙人である。あるいは神仙や、それこそ天人という格に足を突っ込んでいるような、人外魔境の住人である。名のある大妖怪共と殺し合える、そんな今の時代には似つかわしくない、想像の埒外の話。

 

 能力だけで死神を撃退?

 そんなことが出来るのであれば、神代にでも生まれていれば英雄として持て囃されたことだろう。日ノ本であれば神として後世の信仰を集めたことだろう。

 

 生憎だが、『貫く程度の能力』は無制限に規格外の能力を発揮してくれるような、そんな代物ではなかった。

 射程無限。どんなものだろうと貫ける。その力は、別宇宙にある星さえも貫くだけの代物であることは間違いない。

 

 しかし――

 

「貫通力を上げれば攻撃範囲が狭くなり、攻撃範囲を広げれば貫通力が落ちるとは。片手落ちってのはまさにこのことね」

 

 呆れたように手のひらを上に向ける少女に、言われた本人としては曖昧な笑みを浮かべるしかない。

 

 射程が無限であろうと、必ず貫通が出来る力があろうとも。

 その威力は、まさしく皆無に等しい。

 

 どんなものでも貫通させるだけの力を持たせるとなれば、それこそ光よりも細い――視認どころか、月の都の技術をもってしてギリギリ見分けることのできる穴をあける程度に留まる。その穴は、水さえ通さない小さなもので、例え心臓を貫こうとも相手を害するには値しない。

 

 仮に人差し指ほどの範囲を貫通させようと思えば、その貫通力は現代兵器のライフルにも劣る。拳銃ほどの力が関の山、といったところか。

 これでは、中級妖怪相手にようやく戦いが出来る、といったところか。少なくとも、大妖怪と言われる相手には毛ほども通用しないのは明らかである。

 

 天人の少女からしてみれば、そんな能力はあってもなくても変わらない。何せ、天人の体に害を与えるなど夢のまた夢なのだから。

 

「……弁明の余地もなく」

「魂は立派なのにねぇ。天人よりよっぽど頑丈というか、芯が通っているというか。その丈夫さ、少しでも肉体に分け与えられれば、盾くらいにはなれそうだけど」

「犬死がオチですが」

「冗談よ。盾なんかより私の方がよっぽど丈夫だし。邪魔よ、邪魔」

 

 しっしっ、と手を払うポーズを見せる少女に、やはり言われた本人は曖昧な笑みで答えてみせる。

 

「その能力、両手で使えば万能とかないわけ? ……ないか。あったら今頃私の従者なんかやってないわね。はぁ」

 

 悩まし気に息を吐いたかと思うと、少女は「そうだ」と閃いたのか自信を顔に貼り付ける。

 

 そんな少女の太陽のようにまぶしい笑顔を見たら、天界の誰もが確信することだろう。

 ――また碌でもないことをするぞ、と。

 

「地上に降りようか。で、私が異変を起こすから、あんたはそれを解決すること」

「――は?」

「ちょうどいい訓練と、私の退屈しのぎを兼ねた最高の計画ね。ついでに地上を支配出来たら、管理はあんたに全部任せるから。私、そんなみみっちいことやりたくないの」

「あの、……正気、ですか?」

「正気って何よ。そんな発狂するような軟弱な心は持ってないわ。私の次に頑丈なあんたなら、私の元まで辿り着けるでしょ」

 

 本気で正気を疑う視線を向けられても、少女は気にした風もなく我を貫く。本気で意味が分からない哀れな従者は、心の底で「何言ってんだこいつ」と至極当然な感想が浮かぶだけで、思考は完全に停止していた。人はこれを現実逃避という。

 

「じゃあ、私が飽きる前に解決してね。飽きたら幻想郷の要石引っこ抜くから」

「……はぁ!?」

 

 要石とは、大地に挿し込むことで地震を鎮めるもの……ではあるが、それはただ地震の原因となるエネルギーを「抑えつけている」だけであり、根本の解決をしているわけではない、非常に厄介な代物。

 見た目の特徴は、注連縄のついた岩といったもので、大きさは様々。

 これの特筆して厄介な点は、これを引っこ抜くことで、今まで蓄積されていたエネルギー全てが一気に解放され、超大地震が起こる、ということだ。

 

 太古に、これによって地上の生物の実に九割五分死滅したという話が、物事の壮大さをよく表しているだろう。

 幻想郷の要石も例外ではない。もしも引っこ抜けば、幻想郷は――地上は、生物を残らず死滅させ、滅びることだろう。そこに、人間と妖怪の区別は一切ない。

 

「ほら。地上の虫ケラ一掃するには丁度良いし。生物が消えれば、穢れも減る一方でしょ? そうして浄土になったら、この“緋想の剣”を使って穢れを払うだけで、面倒な死神も来なくなるし。成功しても得。失敗してもあんたの訓練にはなるから目的達成。どっちに転んでも完璧ってわけ」

「……そんなことをなされば、今度こそ天界から追放されますよ」

「いいじゃない。追放されるときは既に地上は我が掌の上。そうでなければ、追放される謂れもなし」

「どうあっても、決定を変える気はない、と」

「だって暇だし」

「……」

 

 逡巡が空白を生む。暇を埋めるための何かを考えるも、良案は一個として浮かばない。考え得る限りの手段、その全ては棄却される。

 

 

 

「反論もないということで。ほら、これを使いなさい」

 

 そうして手渡されるのは、薄い桃色の、先が透き通って見える波打つ生地。天の羽衣と呼ばれる、天女が天帝より貸し与えられた品――ではなかった。

 

「これは、天女の?」

「んなわけあるか。これは月の羽衣。裏の月と地上とを行き来するための乗り物。これを使うことで、お前でも安全に地上に降り立つことができるだろう」

 

 降り立った後は知らないけど、と少女はついでのように呟いた。

 嫌に耳に残る言葉に顔を歪めていると、少女は虫でも追い払うように手を振って、「早くいけ」と促した。

 

 月の羽衣と天女の羽衣は、同じ羽衣といえども全く別の効力を持つものだ。

 天女の羽衣は硬化や伸縮性に秀でており、人間が纏えば空を飛べる品である。

 それに比べて月の羽衣は、本当にただ月の裏側と地上とを行き来するための代物なのである。戦闘に使えるということはない。そもそも天帝より貸し与えられるものではなく、これは月の技術を用いて作られた、人工物なのである。

 さらに言えば、これはあくまで裏の月と地上とを行き来するためのものであり、天界に戻るために使用できるものではない。

 

 綺麗な布の片道切符を渡されて、ええい、と自棄になると、その場で跳ねて羽衣の内に風を集める。ふわっ、と扇状に膨らむと、羽衣は人一人の重さを感じさせず、そのまま空高く巻き上がるのであった。

 

「……あれ、もしかして月の方行っちゃった?」

 

 だとすれば、それはそれで面白いとは思うが、月の民は穢れを酷く嫌うと耳にしたことがある。天の民とは呼べない、少女の従者が裏側の月に行けばどうなるか。

 

「うーん、ちょっと早いけど。ま、いっか」

 

 刀身のない紺碧の柄を握り込み、底から尻尾のように垂れる幻獣の毛束が揺れる。

 

「ふんっ」

 

 刹那。瞬きの間に、稲妻の如く柄の先から緋色が閃いた。青空が夕焼けのように染まるのも一瞬であった。

 振り終えた時には、刀身も、空の色も元に戻っていた。

 

「さ、私も行こうか。まずは」

 

 巫女にちょっかいを掛けましょう、と。

 悪気はない。こうでもしなければ、巫女はすぐに異変を調べないだろうと、地上を見てきた天子は知っていた。

 

 だから、これは暇つぶしのために必要なこと。

 ちょっとばかり、神社の下だけ地震を起こして、異変を実感してもらう。すぐに動いてもらって、停滞という暇に次ぐ暇を解消するための第一手。

 

「異変の解決者に、気付いてもらいましょう」

 

 これより始まる異変は、ただの異変ではない。

 無邪気な我儘と、欠片ほどの優しさによって引き起こされる、幻想郷の存亡を賭けたかつてない大異変。

 

 後に、とある烏天狗の新聞では、異変をこう名付けたのだとか。

 

 ――天変穿通異変――

 

 

 

 

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