天子様の無茶ぶりに、私は今日も血反吐を吐いた 作:沖縄の苦い野菜
葉っぱが地面に落ちるように、空から人が舞い降りる。羽衣を両手に、頭上に広げて。
最初は舞い上がった身体も、合図を境に落ちるばかりだった。
そうして、地面に足を着けば急に襲う加重に歯を食いしばる。ようやく浴びる重力が、何倍も強く感じて、その身体を上から襲うのだ。
「っ、地上、重っ……!」
臓物が口から飛び出しそうな錯覚に陥る。顔を青くする中、口元を抑えて寸でのところで堪えたものの、頭の中を下に引っ張られるような気持ち悪さは抜けることがない。
「桃が、足りない……」
すぐ先も見えない粉塵に囲まれながら、重たい空気に肩が落ちる。目をしっかり開けるには塵が多く、開けたとしても数歩先も見えない有様だ。やたらと強い向かい風も相まって、正面を向くことさえ厳しい環境。目じりに涙が浮かんでくる。
「とにかく情報……少しでも、攻略法を見つけないと」
置かれた状況は最悪だ。どことも知れぬ場所に落とされて、どこに居るかもわからない天子を探し、これを何らかの方法を以て打倒しなければならない。
「全力を出すわけはない、と思うが」
例え手加減をされたとしても、従者と天子の間には隔絶した力の差がある。もしも幻想郷の決闘方法を用いたとしても、地力の差が浮き彫りになるだけだろう。何もできず、敗北を待つだけのそれを、決闘とは呼ばない。ただの弱い者いじめである。
天子を打倒するのは、従者の力だけでは不可能だ。
ならば仲間を募るか。あるいは、異変を解決するだけというのであれば、“緋想天の剣”を奪うだけでもいいだろう。
そのために為すべきことは、仲間集めが最善か。
少なくとも、探し方自体は簡単なのである。“緋想天の剣”は気質を集める力があり、今も自身から漏れ出る気質の行方を追うだけで天子のもとには辿り着けるのだ。
だからこそ、今必要なのは天子を打倒し、異変を解決できるだけの戦力である。
方針が決まり、ならば、と足を踏み出したところで、頬がしっとりと濡れる。
空を見上げると、相変わらずの砂塵で雲さえ見えないが、確かに頬を、顔を濡らす霞のような水滴が降り始めた。
「おお、砂嵐か? 如何にも、怪しいヤツだぜ」
「……雨?」
「おう、霧雨魔理沙様だぜ。そういうお前は見かけない顔だな」
とん、と風と共に目の前に降り立つのは、黒を基調とした根元に白いリボンを付けたトンガリ帽子に、黒いドレスの上から白いエプロンを着けた金髪の少女。白い歯を見せてニヤリ、と笑う姿はあまりに眩しく、思わず視線を細くする。
「今、ここに到着したばかりですので。申し遅れましたが、私は長尾在人と申します。……この雨は霧雨嬢が?」
「なんだ、その歯に物が挟まるような呼び方は。魔理沙、魔理沙でいい」
「では、魔理沙嬢と」
「敬称もいらないって。背筋がムズムズするったらない」
「……では、魔理沙さん、と。お尋ねしますが、この雨は魔理沙さんの魔法によるものですか?」
ほう、と金髪の少女魔理沙は感心したように声を上げると、今の悪天候を吹き飛ばすような笑顔の大輪を咲かせた。
「見どころあるやつだな! この私を魔法使いと初見から見破ったのは、アリトが初めてだ。いつも家政婦だのなんだの呼ばれてね。まさしく、普通の魔法使いの霧雨魔理沙さんだけど……この雨は、ずっとこんな感じだよ。梅雨が全然明けなくてな。きのこが良く育つのはいいんだが、家にカビまで生えていけないね」
やれやれ、と芝居がかった仕草に、幾分か場の空気も弛緩する。
「外来人、ってわけでもなさそうだな。本当に初めて見る顔だ。どこの出身なんだ?」
「天界より参りました」
「天界! へぇ、そりゃまたお高いところに」
なるほど、なるほど、と腕を組み訳知り顔で数度頷くと、魔理沙は箒を一回転。腰の位置でピタリと地面と水平に止めると、八卦炉を在人に見せつけるように取り出した。
「怪しいな。この異常気象の異変の中、羽衣にぶら下がって降りてくる天界人。怪しさだけで言えば数えて役満だ」
「お待ちを。大変恐縮なのですが、私に戦う力はそれほどありません」
「実力者はみんなそう言うんだぜ」
「いえ、本当に。中級の妖怪程度なら、死闘を繰り広げることもできますが……大妖怪や、魔法使いが相手となると、とても、とても」
「中級もピンキリだぜ」
「中級なりたてのほぼ弱小妖怪相手に死闘を繰り広げる程度の戦闘力です」
魔理沙が目を丸くしたかと思うと、今度は訝しむように目を細めた。
「おいおい。天人ってのはみんな強い、って聞いたんだが」
「私は天人ではなく、ただの従者ですので」
「なんだ、家政夫なのか。どうりで砂嵐に巻かれるわけだ。そのまま人里で安住するのはどうだ? 私が紹介してやるからさ」
「ご厚意、痛み入ります。しかし、この身は主が健やかな生涯を送れるように、と誓った身の上故に。もしも主が大往生を果たしたのなら、考えさせていただきます」
「従者ってのは、みんな苦しくて仕方ない。お前のは重苦しくていけないな」
「主にもよく言われますが、こればっかりは性分なもので」
「だからお前の周りの空気は重いんだ。それに、ここにはお前と私しか居ない。肩の力でも抜いたらどうだ?」
「私の行動が主の品格に傷をつけてはいけませんので」
「重くて堅いときてる。お前みたいな従者の主は、自由奔放って相場が決まってるぜ」
その言葉に、従者在人は苦笑をもって返すしかなかった。
まさしく、今回の異変を「暇だから」などという理由で起こした少女が主なのだ。この少女を、自由奔放と言わずに何というのか。
「……経験がおありで」
「あぁ、経験ばかりだ。そして、そういうヤツの主は決まって――異変の首謀者なんだよ!」
八卦炉と箒をそのままに、魔理沙は力強く言い放つ。
なるほど、あれは臨戦態勢だったのか。と、ひとりのんきに納得しながら、その言葉に深く頷いた。
「おっしゃる通り、我が主は今回の異変……異常気象の異変の首謀者であることに、間違いはありません」
「やっぱりな! そこらの魔法使いの目は誤魔化せても、私の目は誤魔化せない!」
「しかし、魔理沙さんは一つだけ勘違いをなさっている」
「――勘違いだって?」
ここでも従者在人は頷いた。神妙な面持ちで、そこに嘘など一切ないと言わんばかりに。
「私はこの異変を解決するために、地上に降り立ちました」
「はぁ?」
素っ頓狂な声を上げる魔理沙に構わず、従者在人は言葉を続ける。
「今回は、さすがに事が大きいのです。その動機が、暇だから、という気まぐれだとしても。この異変は、一見ただの異常気象に見えて……その実、幻想郷の存亡を賭けた大異変なのです」
「大異変? なんだ、空が割れるとでも言うのか?」
「それならどれだけ平和なことか」
「おいおい。月がすり替えられた時だって大事だったってのに」
「それほどに、この異変は恐ろしい。いや、正確には我が主の力が大きすぎる。……魔理沙さんは、要石というものをご存知でしょうか」
「知らないな」
「では、ご説明をさせていただきます」
要石は地震を抑えるためのものであり、地震を解消するための代物ではない。
幻想郷にも要石が埋まっており、これを引っこ抜けば今まで溜めていた力が一息に解放され、類を見ない大地震が発生する。
この大地震によって、遥か昔に地上の生物のおよそ九割五分が死滅した。
異変を早期解決しなければ、我が主はこの要石を引っこ抜いてしまうかもしれない。
そんなことになれば、この幻想郷は間違いなく滅びるだろう。
「おいおいおい! そんな、そんな大事が起きようとしてるのか!? 天界から来たのはお前ひとりなのか!?」
「天人は地上のことをよく思っていないのです。このことを知っても、動く者は居ないかと」
「……天候を操るだけじゃなく、大地まで操るだって? 馬鹿げてるぜ」
「だからこそ、人を集めたい。私一人では、手に余る」
「というか、お前は何か役に立つのか?」
「能力を持っています。“貫く程度の能力”と自称している力を」
「へぇ、その力で謀反を起こすのか?」
魔理沙の言葉に力なく首を横に振る。
「私の能力では、主に傷をつけることはできない。貫けるとしても、それは目に見えないほど小さな穴をあける程度。毛穴よりも小さく、血液すら通らない小さな穴を」
「なんだそれ。無傷と変わらないだろ」
「しかし、そんな小さな穴でも。綻びとするには十分なのです」
訳知り顔で、従者在人は親指と人差し指でわっかを作ると、その中に別の人差し指を入れてみせる。
「正面から衝突すると勝てない威力でも、内側から引き裂くと存外に脆いものです。それが先まで貫通しているのなら、基点とするには十分」
「おいおい。血さえ通らない穴に何を入れるっていうんだ」
「光なら、曲がらず通ります」
「なるほどな」
納得したような声を上げながら、魔理沙は口を「へ」の字に曲げ、眉をひそめた。
「この私が火力で負けるというんだな」
「むしろ、我が主に勝てると?」
今度は従者在人が眉をひそめる番だった。
魔理沙は指の表側で鼻をひとかきすると、その顔に自信を貼り付けた。
「やってみなきゃわからないぜ」
「全人類の気質を集めた、極大の一撃を超えられますか?」
「何だそのデタラメ!」
「我が主が持ち出した天界の秘宝、“緋想天の剣”の力です。天人にしか扱えない代物ですが、それを持つことにより気質を自在に扱えるようになる」
「おいおい。じゃあ、お前から、他のヤツから出ている気は……」
「我が主に通じる道となる。同時に、かき集めている気質になります」
なんてこった! と魔理沙は叫ぶ。こうしてはいられない、と慌てて身を翻したところで。
従者在人は「お待ちください」と落ち着き払った声をかける。
「時期尚早です」
「何言ってんだ! 時間を掛ければ掛けるだけ、相手が有利になるってことだろ!? なら、早いところとっちめて――」
「魔理沙さん一人では、我が主に勝つ術はない」
「叩くなら異変が起こり始めた今しかない!」
「我が主を攻略するためには、あと二人の力が必要です。文字通り、天・地・人、を自在に操る我が主を倒すには、“人”を攻略するだけでは事足りない」
天と地を攻略する必要がある、と従者在人は魔理沙に説く。天に上がれば嵐と雷雨に見舞われて、地に降りれば大地震に足場を奪われる。
「だが、気質をこれ以上集められたらそれどころじゃない!」
「いいえ。気質とは、即ち人。人の攻略手段は、先に述べた通り。私が綻びを生み、魔理沙さんが引き裂けば良い」
「だけどな」
渋る魔理沙に対して、在人は「まさか」と驚いたように目を丸くして、素っ頓狂な声で口にする。
「出来ないのですか。人を攻略することさえ、出来ないと?」
「違う。それを無尽蔵に撃たれたら話にならん」
「何度でも引き裂けばいいだけのこと。それに、撃つときの隙はそれなりに大きい。その間に、ほかの誰かが主を攻撃すれば良い」
「お前はどうなんだ。私は問題なくできるが、綻びとやらを毎回生み出せなかったら終わりだ」
「場数だけは一人前なものでして。主の攻撃を、誰よりも知っているのはこの私です」
「言ったな。よし、保険として使ってやるぜ」
あくまでも、自分の勝ちを疑わない姿勢に、従者在人は小さく笑みを浮かべて頷いた。
「では、次は天と地の攻略ですが……こちらは巫女様に協力を仰ぎたく」
「巫女ってどっちだ? つい最近に新しい巫女が出てきたんだが」
「実力に足るのであれば、どちらとも。巫女とは元来、神意をうかがい信託を告げる者。神に願い奉ることも多いでしょう。それは、災害によって凶作となった時にも、五穀豊穣を祈る時にも通じます。神を鎮めるとはこれ即ち、大地を鎮め、天を鎮めること。天と地の攻略には巫女様が不可欠なのです」
それを聞いた魔理沙は件の二人を想像して……思わず顔を歪める。何せあの二人である。
「……、どっちもそんな上等なものじゃないと思うけどな。それなら、守矢の巫女が両方できるだろ。何せあそこの神様は、片方は天候を操り、片方は大地を操るとか聞いたぜ」
「では、博麗の巫女様には主人本体を倒していただきましょう」
仕方ない、と魔理沙は肩をすくめて頷いた。
異変の首謀者をこの手で直接倒したいのは間違いない。他の誰かに手柄を取られるのは面白くない。
しかし、こと火力勝負を引き合いに出されては、引き下がれないのが霧雨魔理沙という少女であった。火力に絶対の自信を持つ少女のプライドは、嵐よりも大きな音を立てて燃え上がっている。
「では、急いで協力を結びましょう。異変解決が遅くなっても旨味はありません」
「初めからそのつもりだぜ。じゃあ、私は守矢の方に行く。お前の実力じゃ、妖怪の山は登れないだろ」
「……確かに。危険な方をお任せしてしまいますが、どうか、お気をつけて」
「はいよ。じゃあ、巫女連れて博麗神社で合流な。遅いと血気盛んな巫女が先走るから、遅れるなよ」
「えぇ。必ず博麗神社にて」
魔理沙は箒に跨って、旋風を巻き起こしてどこかに飛んで行ってしまった。
霞がかった景色が旋風に吹き飛ぶのも一瞬だった。すぐにまた視界が悪くなり、数歩先までしか見えやしない。
それでも、従者在人は踏み出した。すぐ先のことさえわからぬ道中でも、彼は迷いなく、大胆に足を運ぶのであった。