天子様の無茶ぶりに、私は今日も血反吐を吐いた   作:沖縄の苦い野菜

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積み上がる屍、崩れ去る

 あと一歩を踏み込めと、空っぽの腹に力を込めて血反吐をまき散らす。

 緋想の天より赤く、紅く、朱く。淡さの欠片もない血糊化粧に身を染めるのは、泥だらけの道を這い進む者にはお似合いの色づきだ。悪鬼の如き妄執に独り囚われて、それでも尚、と雄叫びを上げて一歩を進めた。

 

 唯独り。

 その頂に挑むは、唯一無二の独り者。

 

 不折(おれず)不曲(まがらず)不退(しりぞかず)

 這い蹲っても邁進し、己が信じる道から外れない。

 

「必ずッ」

 

 手を伸ばす。あと少しのところまで迫った到達点に向けて、何の力もない男の腕が向けられる。

 

「見えたぞ、見つけたぞ。己を貫く矛を、見つけたぞッ!」

 

 力の限り強がった。張り裂けんばかりに、金切声のような騒音を立てながら笑ってみせた。

 

「場数は踏んだッ! 誤答は蹴ったッ! 答えは手にしたッ!」

 

 雨が降ろうと、嵐に見舞われようと、砂塵に巻かれて先が見えなくなろうとも。吹雪に肉を凍らせ皮膚を割ろうと、飛来物に五体を砕かれ痛みに燃え上がろうとも。

 彼は決して、道を見失うことはない。

 

「今だけの有頂天に酔いしれろッ! 見下げてばかりで腐ってろッ! 我が非想非非想天に、貴様の席も、姿も、映りはしないッ!」

 

 ついに、手を取った。

 だらりと垂れ下がった、か細い手を。天に浮かぶ雲のように色をなくしてしまったその手を、両手で包み込むように握りしめた。

 力を込めず、気持ちを籠めて、強く、強く。想いと共に握るのだ。

 

「今だけはどうか」

 

 安らかに、お休みくださいませ。

 

 たった一滴の雨が、雲の上で跳ねた時。

 その意識は容易く刈り取られ、全ては霞むようにかき消えた。

 

 

 

 従者在人が博麗神社に着いた時には、もう巫女の姿はどこにもなかった。綺麗に縦折りに崩れた神社の残骸が哀れな姿を見せるだけだ。遅かった、と思い知らせるには十分な惨状である。

 

 博麗の巫女は既に異変解決に乗り出した後なのは、もぬけの殻の境内を見るだけで事足りた。

 ならば、その博麗の巫女はどこに向かったのか? それを知る者は、かのスキマ妖怪くらいのものだろう。この従者にはおおよその検討くらいしかつかない。

 

 空模様は、相も変わらず霞んでいる。砂塵に巻かれるようなことはないが、少し先も見えない視界不良においては、慣れるのに大きなロスをしたといっていいだろう。

 しかし、それでも従者在人は急いだほうだ。妖怪に出くわさず、妖精にいたずらをされることもなく、辻斬りのように怪しい者に片っ端から絡む異変解決者たちに新しく出会うこともなく。ほぼ最短の道を進んで尚、巫女とは合流が出来ないのだ。

 

 それだけ巫女の行動が早いのも、すべては神社が局地的な地震によって倒壊したせいだ。これがなければ、今頃「今日もいい天気ね」などと縁側で茶でも啜っていたか、あるいは境内の掃除に精を出していたことだろう。

 

 からん、からん、と石畳の上を何かが打ち付ける。頭の上にぽろぽろとごく小さな固形物が降ってくる。

 突然の出来事に手のひらを上に空模様を確かめてみれば、その手には冷たい、本当に小さな氷……雹である。

 

「あら、人間? こんなところでどうしたの」

 

 

 

 鈴を転がしたような声に振り返ると、金糸のような肩口ほどで切られた髪に、精巧なる人形のような顔つきの少女が従者在人を見ていた。表情と呼べるものをどこかに置き忘れたのか、あるいはそれほど友好的な存在ではないのか。

 

「初めまして。私は長尾在人と申します。この度は、博麗の巫女様に異変へのご協力を得たいと思い、こうして来たのですが……既に、この有様でして」

 

 何も言わず棒立ちなのも体裁が悪い。ならば、と己の腹の内を速やかに曝け出す。

 

「ご丁寧にありがとう。私はアリス。早速で悪いのだけれど、この異変について何かご存知、ということでよろしいのかしら」

 

 人形のような少女、アリスは変わることのない表情で語りかけてくる。腹の内を探らせないその姿は、意図的なものなのか、それとも自然体なのか。

 先ほど出会った霧雨魔理沙とは対照的な少女に対しても、従者在人は己の姿勢を貫き、口を開く。

 

「はい。失礼ですが、アリス嬢は異変を解決するだけのお力はお持ちなのでしょうか」

「えぇ、一応は。そういう貴方はどうかしら」

「力には期待しないでいただきたく。しかし、今回の事に関して言えば、誰よりも事態を理解しております」

 

 ここで初めて、アリスは口元に手を当てて考えるような仕草を見せた。それは逡巡か、あるいは一瞬の熟慮であったのか。

 

「……つまり、貴方は黒幕を知っている。その上で、異変解決を希望するのね」

「明晰な頭脳、恐れ入りました」

「本当に思ってるの? なんか、貴方の態度を見ていると。私の答えがわかっていた風だけど」

「予測はいくつか。そして答え合わせと相成った。それだけでございます」

「そう。なら、私にも情報を提供してくださらない?」

「喜んで」

 

 

 

 説明は驚くほどスラスラと進んでいった。要石、緋想天の剣、に関して説明したときは「だとすると、これは……」と自分の世界に入り込みそうになったりもしていたが。魔理沙を説得するよりも、時間は掛からなかった。

 

「貴方が霊夢……博麗の巫女を当てにしたのも納得ね。相手が相手。私でも、相応の準備がなければ単独の解決は難しそうだもの」

 

 相応の準備さえあれば単独で解決可能、という少女の言葉。それは負け惜しみか、それともその頭脳をもって導き出された答えなのか。

 従者在人には知り得ないことだった。ないものねだりをしても意味がない。現状を踏まえて、ならば、と提案を投げかける。

 

「アリス嬢。もしよろしければ、私たちにご協力いただけないでしょうか」

「他にはどなたと?」

「霧雨魔理沙さんと、守矢神社の巫女様と」

「あぁ」

 

 得心がいったように声が転がった。すぐ後に、今まで変わらなかった表情に気苦労のような色が表れ、彼女は小さく息を吐いた。

 

「確かに、話を聞いた限りでは役者は十分。天地を鎮めるのは巫女の役目だもの。つまり、本体を叩くのは私、というわけね」

「……度々、恐れ入りました」

「弾幕はブレインが命。当然の事よ」

 

 何でもない風に言ってのける少女の表情は、ほんの少しだけ雪解けを感じさせた。

 

「おーい! そっちは――なんだ、アリスか」

 

 遠くから声が聞こえたかと思うと、ゴウ! と突風に霞は吹き飛び、雹が舞い、頬を薄く濡らす霧雨が降り始める。

 気を抜けば身体が浮きそうなほどの風だった。腰を落とし、両腕で顔を守り、踏ん張りをきかせてようやく無傷を保てた従者在人は、アリスを見やり――無用な心配であったことに息を吐く。髪の乱れもなければ、ひるんだ様子もなく、極めて自然体でそこに立っていた。

 

「なんだ、とは失礼な言い草ね。作戦の要を請け負うことになったのに」

「おいおい。霊夢は……あぁ、もぬけの殻か。怒髪天を衝く、とはこのことだぜ」

「博麗神社が潰れてる……一体、誰がこんなありがた――こほん。罰当たりなことを!」

「商売敵が減ったな」

「えぇ! これで守矢神社もさらなる信仰を獲得できるかもしれません!」

 

 るんるん、と鼻歌を歌いそうなほど上機嫌に顔を綻ばせる、浅緑の長髪にカエルの髪留めが特徴的な少女。

 そんな少女を見て、「な?」と同意を求めるような視線をよこす魔理沙に対して、従者在人はただ苦笑を返すしかなかった。

 

「随分と破天荒な巫女ね」

「破天荒というか、正直者といいますか」

 

 感想を交換したところで、ようやく守矢の巫女はアリスと従者在人の存在に気が付いたのか、「あっ」と声を上げると、打って変わって礼儀正しく地上に降りてから頭を下げた。

 

「初めまして! 守矢神社の風祝を務めている、東風谷早苗と申します!」

「……すこぶる元気ね。初めまして。私はアリス。こう見えて魔法使いなの。今回の異変の詳細、もう聞いたのかしら?」

「はい! 幻想郷の存亡を賭けた大異変だとか。ここで武勇を、功績を上げれば守矢神社に信仰が集まることは間違いなし! 全力で頑張りますね!」

 

 ところで守矢神社に入信してみる気は、と早速の宗教勧誘に対してアリスは「研究で忙しいの」と一蹴してみせた。しゅん、と早苗が落ち込んで沈黙が生まれたところで、従者在人が一歩前に出た。

 

「初めまして。私は長尾在人と申します。東風谷様、この度のご協力、まことにありがとうございます」

「あっ、貴方が魔理沙さんの言っていた。……えっと、本当に信用していいんですか? 黒幕の従者って聞きましたけど」

 

 早苗は意見を求めるように魔理沙とアリスの二人に視線を配ると、魔理沙は快活に頷き、アリスはどこか納得がいったように頷いて見せる。

 

「従者ってのは苦労人なんだぜ」

「主人の気まぐれに付き合わされて、本当に大変ね。私たちも大変なのだけど」

「……申し訳のしようもなく」

 

 ばつが悪く、しかし事実であるために言い返すすべもなく、ただ頭を下げるしかなかった。

 あまりにも当たり前のように振舞っている二人に、早苗は目を白黒させ、その反応から察したのか。――目を輝かせて「つまり!」と声高らかにしゃべり始めた。

 

「幻想郷では、従者はみんな苦労人気質な方というわけですね! わぁ、アニメや漫画だけだと思っていたのに、本当にそんな分類が出来ちゃうんですね!」

 

 とてつもなく不名誉且つ微妙なところに反応されて、従者としては「ははは……」と空笑いをするしかなかった。苦労しているのは間違いない事実で、否定できる要素は微塵もない。これまでの記憶を思い返し、ついつい口の端が引きつり頭痛と吐き気を催し、とっさに口元を手で覆う。

 

「……顔色が悪いけど、大丈夫?」

「……」

 

 目敏く気付いたアリスに聞かれ、従者在人はそれに無言で手をひらひらと振って答える。

 大丈夫だ、なんて思い込みはしなかった。そんな言葉は気休めどころか、ただ病を悪化させる毒にしかなり得ない。

 だから思い浮かべるのは、主人のことであった。無茶ぶりされた日々を、修行と称し叩きのめされた日を、同じ釜で庶民の料理を食べたことを。何より、その健やかな成長と、太陽のよりも眩しい笑顔の記憶を掘り起こし。

 

 己の務めを思い出し、気持ちを持ち直す。

 やるべきことは、目の前まで迫っている。

 

「……役者も揃いました。作戦のおさらいの後、我が主のもとに向かいましょう」

 

 こんなことは早々に終わらせるんだ、と。

 従者は主攻略のための作戦を、失敗のないよう綿密に話し込んだ。

 

 

 

「えっ、早。まだ地上に降りてから二刻経ってないじゃない。飽きる前に、って確かに言ったけど。一日そこらで飽きるわけないじゃない」

 

 天界のとある場所。早速異変解決者か、と息巻いて緋想天の剣を構えたところで、天子は従者在人の姿を認めて愚痴を吐いた。早く来いとは言ったが、これほど速攻で来いとは言っていない。

 何より、まさかたったあれだけの時間で、3人もの異変解決者を連れてくるとは、天子といえども思ってもみなかった。しばし瞠目した後に、先の言葉である。

 

「へっ、気質とやらを集め続けられたら、不利になるのはこっちだからな! 早期解決、これに限るぜ」

「……在人がすべて話したのね。よくもまぁ、黒幕の従者の言葉をおいそれと信じるものだわ」

 

 そういって天子が3人を一瞥するが、誰も驚いた様子は見受けられなかった。

 

「幻想郷の従者ってのは、どいつもこいつも苦労人だからな」

「あぁ、確かに。私は在人に苦労を掛けてばかりだろう。だが、それは彼にとっては必要なこと。中身ばかり大きければ、それを容れる器は破裂する。桃を食していなければ、とっくに幽霊となっていただろう」

「やっぱり似てるぜ。従者を想って、どいつもこいつも苦労を掛ける!」

「傲慢な主人が多いのね」

 

 お前が言うな、と思わず魔理沙が吐くと、天子はその口元に笑みを貼り付けて首を横に振る。

 

「私だから言うの。人を、天を、地を操れるこの私が傲慢でなければ、誰も傲慢になどなれないってものでしょう」

「鏡を見てもう一度言えるのか、それ」

「あら、鏡にはそれを言うに相応しい絶世の美少女しか映らないもの」

 

 そこまで聞いて、魔理沙は「処置無し」と言いたげに肩をすくめて首を横に振った。

 

「それで? 幻想郷を滅亡させるような大地震を起こそうとして。全く悪いとは思わない。全力で止めさせてもらうわよ」

「別に、大地震自体が目的なわけではないけどね。お前たちの悉くが失敗すれば、幻想郷を滅ぼす。私は寛大だからね。一週間は待ってあげる」

「本当に自分勝手。力を持ったお馬鹿さんほど手に負えないものもないわ」

「頭脳というのは刀鍛冶と一緒だ。元となる玉鋼を手に入れ、これを鍛錬することで堅実な硬さと粘りが生まれる。ただ硬いだけの鋼など、すぐにへし折れ、粉々に砕け散る」

「あら。頭脳戦がお好みなら、いつでも乗ってあげるわよ」

「お前は水にでも倣うか、あるいは私の従者に倣うといい。よっぽど、独学よりも勉強になるだろう」

 

 驚きに目を開き、アリスは従者在人の方を見て、天子を見て、もう一度在人を見て、ほんの少しだけ見つめた。

 贔屓目に見ても、礼儀の正しい男性というだけで、何かに優れている印象は見受けられなかった。精々、従者として培ってきた身のこなし、程度であろうか。

 

 しかし、もしもここに来る前に作戦が現実のものとなった時には。

 アリスは彼への評価を改めざるを得ない。

 

「随分と高く評価しているのね」

「少なくとも。ここに居る誰よりも買っている」

「つまりこれは……そう! ツンデレ! ツンデレ主人ということですね!?」

「……巫女。お前が私を馬鹿にしているということだけはよくわかるわよ」

 

 突然話に割って入った早苗を睨みつけるも、彼女は目を輝かせ鼻息を荒くして「いいえ!」と強い口調でまくしたてる。

 

「馬鹿になんてそんな! 王道、王道じゃないですか! 桃色の髪をしていないのは残念ですけど、異世界物といえばやっぱりこれですよね!」

「……何を言っているのか私にはさっぱりなんですけど」

「そう、これは恋! 身分差のある報われないけど、純粋な愛情によってなせる――」

 

 暴走気味の早苗の言葉を、声にならない金切りのような音が遮った。緋色の閃光が奔り、晴天は瞬く間に緋想に染まり、世界が変わった。

 

「人の緋色の心は今此処に。

 私は天界に住む比那名居の者。

 湿った気質、凍り付いた気質、没個性の凪の気質……

 そして、未だに重い霧の中に囚われた私の従者。

 さぁ、異変解決の幕開けだ。私はまだ、異変を終わらせる気はない」

 

 いっそ清々しいほど膨大な気質が、空に緋色の雲を生み出した。雷が鳴り、雹が降り、霧雨に大地が濡れ、視界は霧によって霞みがかる。

 そんな中で、ひとしきり大きな地震が世界を揺らす。空に飛んでいた者さえ感じるほどの揺れに、三人は思わず「わっ」と声を上げ、従者は動じることなく天子を見つめた。

 

「だから、柄にもないけど全力で迎え撃つわ。

 ――精々死なないように足掻け、地上の虫ケラ共よ!」

 

 大地を一度踏み込めば、大木の如き隆起が彼女を中心に巻き起こる。

 凄まじい能力。まさしく奇跡と呼べるその力に、誰よりも素早く反応したのは――従者在人であった。

 

「東風谷様ッ!」

「出番ですね!」

 

 そして在人の声にさも当然のように反応する早苗も、恐ろしく肝が据わっている。断崖絶壁が迫り来るその光景を前にして、彼女は涼しい顔で地面に手を当てると、「はぁっ!」と気合の掛け声一つ。

 

「……へぇ、少しはやるじゃない」

 

 それだけで、大地の隆起は容易く止まった。

 感心したように声をかけたのは、自身の能力で作った崖の上から四人を見下ろす天子だ。もう一度足を鳴らして能力を行使するも、大地は沈黙したままだった。神の権能のような力に、彼女は舌を巻いて「ならば」と緋想天の剣を天に掲げた。

 

「大地が鎮まるなら、天を従えるだけだ!」

「させると思うの?」

 

 突き刺すような冷たい言葉が耳を打った時には、既に天子の肉体に人形の刃が届いていた。布を擦る小さな音と共に、ピン、と甲高く糸が張り詰め、彼女の手が後ろに引っ張られる。糸を辿ってみれば、いつの間にか天子の真後ろに陣取るアリスの姿がある。

 おかしい、ならばと先程四人が固まっていた場所を見れば、そこにはアリスに似た姿が見られる。

 

「……あぁ、在人の入れ知恵ね?」

「ゲームメイクは本来私の仕事だけど、貴方のことを熟知してたのは彼だった。それだけのことよ」

 

 確かにアリスに似た姿はあった。しかし、それは精巧にできたおとり人形であり、決してアリス本人ではなかった。遠目、初対面に加えて、気質を込めて騙しを入れる徹底ぶりだ。初見では、いくら天子といえども看破できるはずもなかった。

 

「そうか。だが、お前たちはひとつ、過ちを犯した。それは――」

「火力不足? 知ってるわ」

 

 ――レベルティターニア――

 

 その詠唱が紡がれた瞬間、天子を黒い影が覆い隠し、続けざまに二度も風を切り裂いた。

 一振りは、天子の持っていた緋想天の剣の柄を彼方に弾き飛ばす。

 一振りは、動けない天子の脇腹に直撃し、まるでゴム毬を蹴り付けたかのように彼女はあっけなく跳ね飛ばされた。

 

 下手人は魔力を瞬間的に増幅させ人型ほどまで巨大化した二体の人形であった。天の川のようにその背に魔力の粒子を飛び散らせ、推進力として加速する。その手に持つのは、光の粒子を集めて反物質化させた、聖剣と言われても信じるほどのきらびやかなロングソードだ。極限まで薄く、庭師の刀ほどの切れ味を持たせたそれに、本来であれば斬れないものなどほとんどないのだが――

 

「――っ! 今のは、効いたッ!」

「……胴体を切断するつもりでやったけど、確かにこれなら手加減は要らないわね」

 

 天子は飛ばされた勢いを要石を足場にすることで相殺すると、唾と一緒に血を吐き捨てて吠えた。

 美しかった脇腹に青黒い打撲痕を残しながら、出血は飛ばされた瞬間に口の中を誤って噛んでしまったときのそれだけである。

 いくら糸による拘束と不意打ちであったといえども、彼女も反応できなかった速度の一撃。人体を切断するなら容易く、樹齢数千年の霊樹であろうと一刀両断する一太刀を、大した傷もなく生身で受け切った。

 

 本来であれば、その驚きの事実に呆然自失として隙を晒していただろう。アリスからしてみれば必殺の一撃を、こうも容易く受け切ってみせたのだから。

 しかし、彼女は冷静に分析を進めながら、負け惜しみとも冷徹ともとれる言葉を呟き、人形たちと共に宙を泳いだ。

 

「面白いッ! まずはお前を撃ち落として――」

「おっと、落ちるのはお前だぜ」

 

 白光に世界が照らされたかと思うと、その光は大岩ほどの束となって天子の目前で爆ぜ、彼女の周囲が土煙に覆われる。

 

「……今のに反応できるのかよ」

 

 しかし、直撃ではない。天子は魔理沙の不意打ちに対して、要石を盾にすることで凌いでいた。その上、服にかかった粉塵を払う余裕まであるときた。

 

「こんな豆鉄砲、当たろうと関係なかったわね。いいわ、まとめて撃ち落としてやるッ!」

 

 天子の声高な宣言と共に、天界の大地が円形に白く輝き始める。見上げれば、空からは人を覆いつくすほどの白光の球体が木の葉のように無数に舞い落ち、照らされた地面からは注連縄の巻かれた岩――要石が生えて宙に浮かぶ。

 

「ダメです! これは大地を操っているわけではありません!」

「なら――早苗! アリスは耐えてくれ!」

「はい!」

「人使いが荒いわね」

 

 宙に浮く要石から放たれるのは、針のような細長い緋色の弾幕だった。早苗は結界を展開することで魔理沙と従者在人を守り、アリスは迫りくる緋色を踊るようにふわり、ふわりと避けていく。幻想郷の住民にとっては慣れたものだった。

 

「へっ! どっちが豆鉄砲なのか、その身で味わってみやがれ!」

 

 魔理沙の両手にいつの間にか握られた八卦炉が中央から極光を帯びる。彼女の声を合図に、早苗は結界を自ら爆散させ近くの弾幕を吹き飛ばした上で後衛に下がった。

 

「――マスタースパークッ!」

 

 目の前の弾幕含め、一切合切を光の砲撃が呑みこんだ。聞こえてくるのは八卦炉から響く、ブオオン、という烏天狗が高速で飛び去った時に残すような音だけだ。

 光の砲撃は、確かに天子を呑みこんだ。魔理沙自身も手応えを感じていた。敵の弾幕に手応えはなかったが……。

 

「ふんっ!」

 

 魔理沙の代名詞とも呼べる火力の一撃、マスタースパークを受け切って。しかし天子は塵でも払うように腕を振るって魔理沙たちにまで届く豪風を起こし、何事もなかったかのように宙に浮かぶ要石を足場にして立っていた。

 

「っ、おいおい。……呆れた丈夫さだぜ」

「密度を疎かにすれば威力は落ちる。派手な力と威力は一致しないものと知るがいい!」

 

 天子が魔理沙に向けて指を向ければ、その先から緋色が閃いた。

 

「結ッ!」

 

 あわや、天子の放った光が魔理沙を貫くかといったところで、魔理沙の前に鏡面を持つ結界が結ばれる。ほんの少し、斜めに傾けられた結界に当たった光は、鏡面に反射して空の彼方に消えていった。

 

「はぁ!? 都合良すぎ……主人の手の内どんだけ話してるのよこのバカッ!」

 

 必殺を確信した一撃をあっさりと、あまりにも的確に対処されて初めて、天子に動揺が走る。

 先の一撃は天子が集めた気質を凝縮して作り出した超高威力のレーザーだ。一点火力であれば、魔理沙のファイナルスパークにさえ匹敵するそれの唯一の弱点は、光の性質を纏っていること。つまり、屈折や反射があまりにも容易であることだ。

 しかし、容易であるといっても正面から受け止めれば、いくら早苗の作った結界といえども瞬きする間もなく貫通していたことだろう。受け止めるのではなく、逸らすことに注力して角度をつけた上で鏡面に当てたからこそ、今の一撃を防げたわけであり――初見且つ猶予のない後出しの防御では、それだけの条件を満たすことさえ本来は不可能なのだ。例え超人的な勘で答えに辿り着いたとしても、術の行使が間に合う筈がない。

 

 それが出来たのは、間違いない。対処法を事前に知っていたからだと。それを従者在人から聞いていたのだと天子が考え至るのは、当然の帰結であった。

 同時に、あれだけ短時間の間に3人も味方をつけた上で、天子の手の内をこれだけ盛大に伝えられていることに。動揺するな、という方が無理な話だった。

 

「へっ、派手と威力は結び付く――最高に派手な究極のパワー、見せてやるぜ!」

 

 空気のうねりが音を上げる。まるで、竜が目覚めと共にあくびをするかのように。低く、重く、決して小さくない音がこの場の誰しもの耳に届く。

 魔理沙が目の前にかざす八卦炉からだった。その中央にはこれでもかと光が凝縮されているにも関わらず、その光は眩しくなかった。眩しくないとは即ち、光が外に漏れ出ぬほど圧縮され、高密度の状態にあるということ。

 

 放心していた天子が我に返り、その事実に気が付いた時にはすでに遅かった。

 

「――ファイナルマスタースパーク――ッ!」

 

 光の柱が、音さえ消し去り空の彼方に突き立った。

 放出の余波に大地が抉れ土が吹き飛び、草木は空に巻かれる。凝視しても目に痛くない虹の魔砲は、天子を呑みこんで尚、究極の威力を誇り緋色の天を穿ち続けた。

 

 ただの余波だけで、天界の大地はぺんぺん草も生えない――剥き出しの焦げ茶色の土に覆われた――隆起の激しい無残な姿に変わり果てた。

 天子以外に直撃こそしなかったが、もしもそれが大地に向けて撃ち込まれていたら……その威力がどれほどのものだったか。計り知れるのは――

 

「……認めよう」

 

 それを受けて尚、宙に立つ天子だけだった。

 満身創痍だ。天の素材で出来た服は所々が焼き切れて、痛々しい打撲痕も、その処女雪のような色の引き締まった腹も、かつては母と繋がっていた窪みさえ晒している。緋色の天を映したスカートには穴が開き、破れたブーツは彼女自身が脱ぎ捨てた。穢れを、外を知らないたおやかな素足には、傷ひとつなし。

 

 その手には、いつの間にか握られている緋想天の剣が、緋色の刃を顕現させ足元の宙を刺す。切っ先が、まるで空に埋まっているかのように見えない。

 

「その力を認めよう。その戦略を讃えよう。迅速に行動した勇気に敬意を表そう」

 

 重く、堅く、豪胆な声音が天界を制した。

 天子の声以外に、音はない。風も凪ぎ、大地は鎮まり、天はただ緋色に染まって出番を待った。

 

「ならば私は、この異変の黒幕として、この異変に色づいた幕を下ろそう」

 

 その言葉が終わると同時に、異変は最終局面に至る。

 緋想天の剣から、溜め込んだ緋色の気質が滝のように溢れ出る。それが天界の大地に触れれば、立つことすら難しい揺れが起こり、大地が大きな音で鳴いた。大地の震えは空に広がり、空は苦しみのたうち回るように揺れ――血を流すように、その景色さえ緋色に染まる。

 

「私が勝てば死ぬが良い。私に勝てば生きるが良い」

 

 耳が痛くなるほどの自然の悲鳴が木霊しているにも関わらず、天子の凪のような声音はよく耳に届いた。

 だからこそ、対峙していた誰もが感じ取る。

 

 勝てど負けれど、ここを越えれば、異変は決着するのだと。

 

「お前たちの緋想天――天に、私に映して見せろッ!」

 

 

 

 “全人類の緋想天ッ!”

 

 

 

「魔理沙さんッ!」

「失敗するなよ!」

 

 啖呵を切られ、宣言を受け、各々は弾かれるように動き出した。

 緋想天の剣よりばら撒かれる緋色の閃光を、早苗は率先して引き受ける。結界を張り、鏡面を以て逸らし、弾幕同士で相殺させ。異変解決者の盾として空を駆る。

 

 そんな早苗に、全幅の信頼を預けて。

 魔理沙は八卦炉を、在人は人差し指を構えて天子に狙いを定める。

 

「異変が解決したら博麗神社に、お前の主人連れて来いよ?」

「それはまた、どうして」

「当然――宴会だッ!」

 

 その言葉に、在人は口角を上げて頷いた。

 

 八卦炉には、蛍のような小さな光が収束している。

 それに対して緋想天の剣は、もはやその全容を覆い隠すほどの緋色に呑まれ、今にも暴発しそうな力の塊となって、二人の視界に焼き付いた。

 

「これが、私の緋想天。全身全霊――その身をもって受けるがいいッ!」

 

 

 それはもはや、世界そのものを包み込むような、ただ目の前いっぱいに広がる緋色であった。

 色の塊が押し寄せる。何に攻撃されているのかさえ分からなくなるほど、巨大な一撃。ともすれば、それは幻想郷ひとつを丸ごと覆いつくすのではないだろうか。

 

 逃げ場はない。そんなものは必要ない。

 震える手をもう片方の手で必死に抑えた。抑えながら、狙いを定める。

 

 今相手にしているのは、世界そのものか。全人類を世界と呼ぶならば、彼女たちが相手にしているのはまさしく、世界なのだろう。

 

「たかが一点。されどその綻びが、世界を切り裂くッ!」

 

 世界のたった一点。羽虫にさえ劣るその一点が、黒く染まる。

 そこに、光を挿し込んだ。針の穴に糸を通すように、光は曲がらず、屈さず、黒点の先まで貫いて。

 

「いっけぇぇぇぇぇッ!」

 

 魔理沙の咆哮と共に、緋色の世界に亀裂が走る。

 積み重ねた努力の成果は、世界を穿ち、――引き裂いた。

 

 たった小さな一点に光を通し、その光を膨張させて内側から引き裂く力技。内側から無理やり食い破るだけの力に、針の孔に糸を通すような技の二つが合わさって初めて成立する。

 これこそが、霧雨魔理沙の力技。

 

 全人類の一撃を、霧雨魔理沙が引き裂いた。

 緋色に染まった景色は元に戻り、しかし天は――

 

「私がいる限り、この緋想天は終わらない!」

 

 依然緋色に染まったまま、第二射が準備されていた。

 

 天子の弾幕を打ち消すだけのマスタースパークに、全身全霊のファイナルマスタースパーク。これだけでも魔力の消費が激しいというのに、力と技の両方を要求される緋想天の打破をやってのけた魔理沙。もはや余力などある筈もなく、「もう煙も出ないぜ」と清々しい笑顔で言い切った。

 

「だから、後は任せたぜ!」

「任されたわ」

 

 ――完全形態・ゴリアテ――

 

「――っ!?」

 

 緋色の天が影に覆われた。天子が慌てて見上げてみれば、そこにはただ巨大な……もはやどこが終わりなのかわからない。空を完全に覆って隠してしまうほど巨大な天井がある。

 

「守矢の巫女もやるものね。おかげで、完全詠唱のこの術を行使できた」

 

 天を覆うその正体は、巨大な人形であった。

 全容の見えない、まさしくスケールの違う怪物。地上を覗き込む赤い瞳が、ギョロリと天子のことを見つめ、目が合った時。

 

 体が強張り、思考が停止する。

 まさしくこの世のものと思えぬ怪物を前にして初めて、恐怖に身体が竦んでしまった。

 

「終わりよ」

 

 ゴッ、と空が唸る。その怪物は動くだけで、空気を軋ませる。

 そして目を見張るのは、その速度。巨体の重苦しさなど微塵も感じさせぬ速さ。その人形だけが加速しているかのような理不尽さ。

 

 たった一瞬、恐怖に身を固まらせただけだというのに。

 天子の目の前を一色に染める拳が、回避不可能な距離まで迫っていた。

 

 ――あっ、負けた。

 敗北は、攻撃を受ける前から受け入れられた。

 

 この一撃を食らえば、もはや立ち上がったところで、戦う力は残っていないだろう。

 戦えたとして、あの怪物を相手に余力で勝てるのか?

 

 ――むりむり。あんな理不尽に勝てるかっての。

 たかが魔法使いとは思えない理不尽だ。もしかすれば、この怪物は他の世界の理をもって動いているのかもしれない。調べる術などある筈もないが。

 

 だが、さすがに直撃は不味い。五体が千切れ飛ぶような激痛に襲われるのは容易に想像が出来た。いくら我慢強いといえども、そんな痛みを受けたいと思うような、特殊なモノは持ち合わせていないのだ。

 

 仕方なく、両腕を交差して身を守る。

 早く終わらないかなぁ、とか。次は何しよう、とか。

 他愛のないことを考えて、終わりに脱力したその時に。

 

「――こふっ、……えっ?」

 

 少女はその口から、鮮血をまき散らした。続いて感じたのは、胸の中心から焼かれるような熱さだった。

 思わず視線を下げてみれば……。

 

 

 

 自身の胸を貫通する、赤色の染まった人型の腕と――とくん、と鼓動し、ピュと音を立てて赤色を噴出する、初めて見るモノがその手に握られていた。

 

 

 

 

 獣というよりも、赤子が感情のままに泣き出すような、そんな絶叫が静寂を切り裂いた。

 天から降り注ぐ人形の部品に紛れて落ちてくる人影を必死で追いかけた。少女たちの静止の声さえ振り切って、遅れてやってくる風の暴力に耳を、肺を、勢いの増した部品の雨に五体を打ち付けられようと。その男は歩みを止めなかった。

 

 積み重ねてきたものが、バラバラになって崩れ落ちていく。まるで、人形の残骸が降り注ぐこの天のように。

 

 最速の解決だったのだ。

 異変の解決は、歴代においても最速といって過言ではない短い時間で解決したのだ。

 

 要した時間は二刻と少し。本来、どれだけ急ごうと黒幕に辿り着くまで三刻は掛かるこの異変。それまでは絶対に、第三者の介入などあり得ないはずで、そんなことは今までに一度もなかったことなのに。

 お前の出番はない筈だった。お前が出る前にすべてを片付けた筈だった。

 

 ――我が非想非非想天に、貴様の席も、姿も、映りはしない、筈だった。

 

 時間が原因ではない。

 では、お前はどうして此処に現れる? どうして現れる時がバラバラなんだ?

 

 お前は四刻使うはずだろう? 博麗の巫女と私が一緒に行動した場合に限って、お前は三刻でこの場に辿り着ける。そんな筈だろう?

 

「どうして」

 

 お前が現れる時が早まるのは、決まって私が痕跡を残したせいだった。そのせいで、監視の目が巫女から私に移り、正解までの道のりを短縮しているものだと思っていた。

 だが、今回は違う。妖怪には接触しなかった。交渉に時間を掛けなかった。道中に一戦も交えなかった。派手な行動は一瞬もなかった。

 

 天界から降りた私を見ていなかったのは知っている。その時まだ異変が起きていなかったのだから、私を見る必要などある筈がないのだ。

 

 空間の割れ目を睨みつけても、答えが返ってくるはずなどない。

 主のもとに辿り着いたが、息も絶え絶えで――心臓が、なくなっている。

 

 天人は、あくまで人間と身体構造が同じなのだ。

 妖怪などと違い、肉体を拠り所に生きている天人では心臓がなければ死ぬのは自明の理なのだ。

 

 心の臓を再生させる手段など、ある筈がない。

 

「しっかり、しっかりしてください!」

 

 無駄だとわかっていても、止血する手を止められなかった。もしかすれば、終わりを引き延ばせば、何か奇跡が起きるのではないかと、縋るしかなかった。

 

「あり、と……」

「意識をしっかり保って! すぐに、すぐに医者に! 腕のいい医者がいると、人里で聞いたことがあります! だから、どうか辛抱を……!」

「どこ、から……そんな、こと。知るん、だか」

 

 穴の開いた胸を押さえても、血が止まることはなかった。むしろ、押さえつけるだけ溢れてくる鮮血に。涙が溢れて目の前が霞む。

 

「……そう、だ。これ、餞別に。あげる」

 

 そう言って差し出してきたのは――天界の桃の実だった。

 もう、ぐちゃぐちゃだった。

 

 目の前の人の顔すら満足に見られず、それでも、何とか報いたくて。

 桃を乗せた手を、私は必死に両手で握り締めた。

 

「――あったかい」

 

 ひどく安心した声音が耳に届いたかと思うと、とうとう世界が霞の中に消え始める。

 力を失い、垂れる手を握り締めながら。

 

 

 

 私は、喉が張り裂けんばかりに声にならない感情を叫び。

 プツン、と糸が切れるように意識を失った。

 

 




こんなに早く解決してしまうなんて。
貴方は一体、何人目の貴方なのかしら?
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