天子様の無茶ぶりに、私は今日も血反吐を吐いた   作:沖縄の苦い野菜

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無意識の奇跡

 比那名居天子の従者、長尾在人には大きな秘密がある。

 一言でそれを表すのであれば“時間逆行”をしている、といえばわかるだろう。

 

 砂嵐に巻かれていた彼が、次の場面では霧に包まれていた。それは気質の変化であり、彼は生物が元来持ち合わせる気質が変質するほど時間逆行を繰り返していた。

 気質とは本来、輪廻の輪を潜りでもしない限り変わるものではない。それほどに、気質というものは正直者で、根底を的確に突いたものなのだ。

 

 その気質が変化してしまうほどの事態とは……もはや、言葉にするのさえおぞましい。

 

 しかし、それでも在人は折れなかった。一回たりとも無駄にするものかと、屍と狂気を積み重ね続け、何度となく絶望を味わい、繰り返した数だけ情報を持ってふりだしに戻り、ついに攻略方法を見つけ、見えていた問題すべてを解決したのが前回であった。

 

 第一の関門は、霧雨魔理沙と即座に出会える場所に着地し、且つ彼女と戦わず仲間に引き入れることだった。

 ここで話し合いに失敗し、弾幕ごっこをしようものなら、在人は魔理沙に負けてもう二度と相手にされなくなる。そうなれば、“全人類の緋想天”の攻略は、このルートでは不可能になる。

 

 第二の関門は博麗神社までの道中にあった。

 交戦はおろか誰にも出会わないことが絶対条件。その上で、ほんの少しだけロスをすることで、博麗霊夢との邂逅を回避することが必要だった。

 神社を倒壊させられた博麗霊夢の機嫌はすこぶる悪い。その状態で天性の勘が働けば、邂逅しただけで在人に向けて黒幕について詰問することだろう。そうなれば、霊夢は最速で天子のもとにたどり着き、こちらが準備を終えた時にはすべてが終わっているのである。忌々しい怨敵の手によって。

 少しだけのロスが肝なのは、アリスとの邂逅を果たすためだ。遅すぎてはアリスは単独で異変解決に赴いてしまい、合流はできなくなる。早すぎては、霊夢に遭遇してバッドエンドに直行だ。そのタイミングが、非常にシビアだった。

 

 第三の関門はアリスの説得だ。ここで下手を打てば、アリスとの弾幕ごっこにもつれ込み、在人ではどうあっても敗北は必至。味方に引き入れることもできず、最終決戦の天子打倒は不可能な状況に陥る。

 

 最後の関門は“全人類の緋想天”の攻略だ。

 世界を緋色に染める極大の一撃を防ぐには、在人がたった一点ほどの穴を作り、魔理沙がこれに光を通し、それを基点に緋色を引き裂き無力化する必要がある。

 しかし、ここで霧雨魔理沙はミスをする。もともと針の孔に糸を通すような技に加えて、チャンスは一回。そして大地は大気をも振るわせる大地震に見舞われている状況。まともに狙いをつけるのは難しく、ほんの10㎛ほど狙いがズレて、失敗するのだ。

 これを、事前に在人の方で修正しなければならなかった。そして修正が成功した前回は、まさしく全てが予定調和の如くうまくいった世界、だった筈なのに。

 

 他にも積み重ねがあった。アリス、魔理沙、早苗の役割分担や攻撃タイミングの判断は、以前の世界から拾ってきた情報を参考にした。天子からの攻撃の対応策にしてもそうだ。各個人ごとに向けて話し、詰みにならないために行動手順まで、天子の心理状況を含めて解説したのだ。

 失敗したパターンすべてを潰して回り、ようやく手に入った成果であったのに。

 

 

 

 あの怨敵が、積み重ねてきたすべてを根底から崩し去った。

 そもそもあの場に、怨敵……いや。

 

 スキマ妖怪、八雲紫は現れるはずがないのだ。決戦に失敗したところで異変は続き、最後は巫女が隙を作り、八雲紫が天子を殺す。

 決戦の場で戦おうと、八雲紫は飛んでこない。今まではずっとそうだったのに。

 

 ひどいちゃぶ台返しだ。

 八雲紫は姿を現したら最後、必ず天子を殺してしまう死神のような存在だ。歪んだ世界をすべて元に戻すような、ギリシャのデウスエクスマキナに似た、理不尽の権化だ。

 

 八雲紫を直接打倒することは不可能だ。天子の異変解決を後回しに、在人は何度も試した。

 しかし、八雲紫を相手に取ってくれるような味方は誰もいなかった。

 

 在人はあくまで黒幕の従者であり、幻想郷では顔の知られていない新参者と変わらない。そんな彼の言葉を……八雲紫の打倒を掲げられて、一体誰がついてくるというのか。

 ならばせめて命だけは、と八雲紫が現れた時に天子を殺させないでほしいと嘆願しても――消耗した少女たちでは間に合わない。

 

 異変を解決すれば、天子は八雲紫に殺される。

 八雲紫に注力しようにも、戦力は到底集まるものではない。

 異変解決後に八雲紫に対処しようとすれば、全員が消耗しているために天子を守り切れない。

 

 在人が少女たちから信頼を勝ち取った時とは、即ちすべてが終わった後なのだ。

 博麗霊夢に頼ろうとも、八雲紫とセットになる彼女は死神の遣いのようなもの。頼れば最後、必ず八雲紫が現れることが――敗北が確定してしまうのだ。霊夢に告げ口しようにも、八雲紫の耳に入ればそれだけで、未来が潰える。

 

 出会えるだけの人物に接触して、一分の可能性でもあれば説得して、開拓可能な道を模索して。

 

 

 長尾在人の万策は、とうとう底を尽きたのだ。

 

 

 

 彼は気が付いたら地上に降りていた。

 ふらふらと、気力や活力を微塵も感じさせない動く死体のような姿で。当てもなく、目的もなく、重たい空気と黒い濃霧に包まれながら。時計の分針のように、油の切れたブリキのおもちゃのように、カクリ、カクリと。

 

 どこに居るかもわからない。どれくらい時間が経ったかもわからない。今の自分の目的がわからない。目標は見えない。一寸先さえ暗闇の中に。

 

「お前は……食べてもいい人間だなー?」

 

 幼い少女の声には、どこか聞き覚えがあった。

 曖昧な意識の中で気まぐれに考えて、ふと「あぁ、あの妖怪か」と思い出す。

 

 常闇の妖怪ルーミア。

 独りの時に出会えば必ず在人を食い殺す、幼い少女の姿をした人食い妖怪。前に出会った場所は、霧の湖の近くだった。

 

「ここは何処か、ご存知ですか」

「さぁ? 真っ暗で何も見えないもの」

「霧の湖はどちらですか」

「湖? 何も見えないからわからない」

 

 まともな情報がないのなら用はない。

 何かを見つけるために、どこかに向かう。止まれば何もないとわかっているから、彼は絶望の中でも歩みだけは決して止めない。

 

 偶然でもいい。奇跡でもいい。

 次につながる光明を。今までにない未知の何かを。

 

 手詰まりになったこの状況。情報の出切ったと思われる現状を。動かすだけの未知を求めて、彼は無警戒に足だけは運び続ける。

 

「じゃあ、いただきます」

 

 グチャグチャ、ボリボリ、と不快な音は彼の耳にも届いていたが。

 彼は呼吸でもするように、足を進めるだけだった。もはやルーミアのことなど彼は認識していなかった。自分が何かに遭っていることさえ気付けなかった。

 

 その視野は、自分の身さえ見えない暗闇の中に。

 狭すぎる彼の視点には何も映らない。自分の意識が遠のくことさえわからず、前後不覚のまま――プツン、と頭の中で糸が弾けた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 

 

 幻想郷に降りた時、長尾在人にとって寄ってはならない場所が三つある。今まで意図的に避けてきた場所ではあったが、無意識の状態ではそこを避けるなど出来るはずもなく。

 

「数奇な運命と思って来てみれば……お前、本当に人間なのか?」

 

 紅魔館の屋根の上。昨今の不安定な天気のせいで引きこもることを余儀なくされた吸血鬼が、近づいてきた運命に引き寄せられた。

 真紅の瞳に、群青色の癖毛、幼いフリルの多いドレスに、頭の上にはナイトキャップを被ったまま。

 

 刃の如く鋭い視線に、鉛のように重たい空気。吸い込めば吐きそうなほどの妖気に侵された大気の中。

 彼女、レミリア・スカーレットが前にしているのは、闇に呑まれたかのような、黒色に全身を包まれた何かであった。気配から、気質から、感じる驚異の低さから。そして己の能力から。相手が人間であることはわかっていた。

 

 しかし、それらの情報をもって尚、人間とは言えない異様な光景に、彼女はそう聞いてしまった。

 

「此処は何処ですか」

「霧の湖の畔に立つ私の館。紅魔館だ。……ところで、私の質問は無視かい?」

「フランドール様は地下におられますか」

「……おい。私はお前が人間なのか、と聞いている。そして質問を付け加える。フランに何の用だ」

「しかし、どうして。貴方は屋敷の中から外に飛び出すことはなかった筈だ。どれだけ近づこうと、十六夜様が律儀に館の中へ招待した筈だ」

「もう一度聞く。最後の慈悲だ。お前は人間なのか?」

「私が直接此処に降りたから? だとすると、今、十六夜様は外で犯人を見て回っていることになる。仕方なく? 感知が出来ない? 門番は? 妖精のいたずらも飛ばした? ……わからない。貴方がこちらに現れる条件は一体――」

 

 闇を、真紅の光が貫いた。

 

「無礼者め。次私の前に現れるなら、礼節をもって接することだ」

 

 飛び散るように、彼を覆う闇が晴れると、そこには首から上がなくなった死体が転がっていた。飛び散る血液が館の屋根を濡らすが、もともと真っ赤な館のせいもあり、雨に濡れた、くらいの違いしかない。

 

 

 

 些細な違いこそが。

 闇の中に包まれた彼の前に、光明をもたらすのであった。

 

 

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